2023.12.04 (Mon)
このエントリーは、先行投稿内の過去エントリーの内容と、期せずして重なるようだ。
こないだ、あるニュース番組の動画を流し見していたところ、撮影された一つの場面の動画のなかで、登場した二人の人物が発したセリフに、いくつかのパターンを当てはめ、なかには、荒唐無稽と言えようセリフも加えて、それらが、ほんとうに、そのコトバを話しているかのように見えるという実例を示していたようだが、こういうものを見分けるコツとしては、たとえば、「口の動きが合っているか、ズレていないか」ということを挙げていたものの、それならば、要は、従来からある、外国映画などの吹き替えに おける外国語のセリフに、日本語を当てているのと同様だな、だったら、べつに、ことさら言うほど画期的でも目新しいことでもないなと思った。
せいぜいが、より自然に、よりリアルに感じられる技術の進歩というところだろうと。
しかしながら、そこが恐いところでもある、「生成AI」。
『悪意の競争』
『『魔』考』
画像になっているだけで、どこか、現実と重ねてしまう。
活字になっているだけで、どんなアホらしい内容で稚拙でも、それなりの文章に見えてしまう。
そういう効果。
特に、男性の場合。
性犯罪を誘発する切っ掛けにも大いに なりうるし、
(なので、当初から、私は指摘してきた。「2次元と現実は区別している!できている!」という、たとえば「ロリコン」や「児童ポルノ」好きな男どもの主張は誤魔化しであり、欺瞞であると。実際、そのテの犯罪も起きている。)
あと、
知性の低い、むやみと影響され易いタイプの人ね。
世の一般大衆に最も多い。
だが、
影響され易いタイプは、必ずしも、知能の高低と関係ないし、
むしろ、無批判に物覚えの良い「優等生」タイプも危うい、これも実例に満ちているところ。宗教やオカルトだのスピリチュアルだのに影響され易い人のなかには、知能が高く、要領(だけ)が良い優等生タイプも多いわけだから。
それが、合成されたもの、現実に存在する実物ではない、はっきり「フェイク」であると分かっていてさえも、
視覚が、人に与える影響というものは、ダントツで大きいのである。
すでに分かりきったことだ。
もう一度、言おう。
これは「生成AI」である、などという断り書きや但し書き、それを表するマークなどを、いちいち示しておいても、
視覚が与える心理的影響は、それらを、ほぼ、すり抜けるだろう。
まあ、全体的に言えば、すでに「見切り発車」的に進行してきた諸問題は、今後も同様に「見切り発車」され続けていくだろうってこと。