2023.11.28 (Tue)
こんなニュース記事が出ていた。
『ボール遊び禁止する都市公園に変化の兆し 自治体と住民歩み寄り』11/26(日) 6:00配信 最終更新:11/26(日) 10:41毎日新聞
これ、現実的には、けっこう難しい問題よね。
と言うのも、
うちの母親は、晩年が近づくにつれて、心臓にも問題が起き始めていたせいか、後方から、いきなり何かが当たったりすると、周囲がビックリするほど怒るようになったのだけど、
ある日も、私と並んで歩いていたときに、たまたま通りすがりの、小学校低学年くらいの女の子が遊んでいたボールが、母親の体に当たったとたん、えらい剣幕で怒鳴りつけて、女の子もビビッていたし、娘の私も呆気にとられたほどなのだが、
母親に言わせると、心臓に、ものすごく、こたえるんだと。
なので、「ゴムボール」「柔らかいボール」なら良いとも言いきれないのだわ。
しかしながら、
あるていどの年齢層までは、自分たち自身の子ども時代を振り返るに、いまどきの子どもたちよりも、ずっと多くを見逃してもらっていたのだなということに気づくであろう。
私自身、2歳になる頃までを過ごした町では、わが人生で最短にして最大・最高の、屈託のない、子どもらしい時期を過ごせた思い出を胸中に抱きつつ、この年齢まで来たけれど、
もし、これらの ささやかな思い出の支えが なかったなら、より深く荒んだ人生だったろうと思う。
のちに、親父と、その連れ子である、腹違いの きょうだい姉妹らと同じ家で暮らすようになってからは、だんだん、どこか哀し気な顔で写っている写真が多くなっていった。
いつぞやの過去エントリーでも述べたことが あっただろうか、
私が生まれて最初に過ごした町は、大阪のなかでも有数の お屋敷町だったので、近隣は、大きな屋敷が建ち並んでいるなか、聞けば、多くの人が知っているであろうほどの大手や伝統ある企業の経営者らの自宅に混じって、とある有名なミュージシャンの実家も、すぐ そばだったのだが、私自身、そんなことは露知らず、成人して以降に気づいた、その屋敷は、いわゆる「腰高塀」の石垣の上で平らに均した土のスペースに植栽された樹高の低い灌木が、ぐるりと並んで、正門入口を中心に巡らしてあるような、いまどき殆ど見かけなくなった風流な形状だったので、とりわけ印象深く憶えているのだが、
この屋敷の後継者として生育したミュージシャンその人も、くだんの石垣と植栽には、格別の思い入れが あったということを伝え聞いている。
さて、
「おとなの腰の高さ」ほどに組まれた、この石垣の上に登るのは、小学生くらいなら お茶の子さいさいで あったし、年齢が、いちばん下の子は、当時1歳児だった私を含む子どもたちが、来る日も来る日も集団になって攀じ登り、その上でママゴト遊びもする、歌も歌う、踊りまくる、
そんなことを繰り返しているうちに、端正に整えられていた立派な植栽は、あっという間に台無しになっていった。
けれど、
我が世の春の如く、やりたいほうだいだった、荒ぶる子どもたちにも、やがては、しみじみと反省する日が訪れるものだ。
それと言うのも、
ある日のこと、久しぶりに、あかんぼ時代からの分厚いアルバムを取り出し、ごく幼い私が、年上の子どもたちに混じって、さかんに遊んでいた頃を時系列で並べた写真の数々を眺めながら、あの懐かしい町の光景を切り取った写真越しに、あの場所で確かに呼吸していた空気を感じつつ、ゆっくりとページを繰っていくと、例の石垣上に植栽を巡らした屋敷の写真が出てきて、そこで、やっと気づいたのだった。
腰高に組まれた石垣。その上に、豊かに植わっていた灌木たち。
そこに、われもわれもと攀じ登っていく、生後半年で歩き始めたばかりの私を含む子どもの集団。
次の写真を見たら、
ほぼ いきなりで、
せっかくの生け垣が枯れ始めている ようすが写し取られている。
そうして、そこからはアッという間だったのであろう、
植栽されていた木々の全てが、跡形もなくなっている光景へと。。。
すでに20歳代になっていた頃と思うのだが、私は、あの、殊のほかに懐かしく思い起こす遊びのスペース、腰高の石垣の上で静かに並んでいた植栽の木々に、自分たちが、何を やらかしていたのかを、やっと、気づいたのである。
写真の1枚には、石垣をワラワラ昇り降りしている子どもたちを見おろす位置で仁王立ちし、なにやら歌いながら、勝ち誇ったように、両の手を打ち鳴らしている最中の、幼い自分の姿も あった。
もはや、植栽の「しょ」の字も見当たらなくなっている。
そこには、子どもたちに毎日、踏み荒らされ続けて、根っこの一つだに消失してしまった、砂漠と化した土だけが剥き出しになっていた。
そのときになって、われながら唖然としたわけなのだが、
母親に、それらのことを話した おりに、
いったい、あの家の人たちは怒らなかったのか?自分でも、叱られた記憶が全くないのだが、、、
と、尋ねてみたら、母親は笑って一言。
「むかしの人は、おおらかやったからなあ」
いやいや、あんたら親が注意しなさいよwww
…
あの界隈は、『芦屋』あたりにも別荘を持っているような、大手や古くからの企業経営者一族の住まいが並んでいる地域だっただけに、まあ、これぞ「金持ち喧嘩せず」ということなのか。
いまの時代なら、子どもらの親を相手に、弁償騒ぎとなること必定だろう。
と言うよりも、そもそも、敷地内で、近所の子どもが遊ぶことなど、決して許さないだろう。
まあ、かく言う私自身は、難聴の おかげも あってか、子どもの泣き声やら騒ぐ声などが、気に障ったことは、ほぼ一度もない。
と言うか、
気の済むまで放っておけば いいがな、と、子どもを持ったことが ないので、冷たいのかもしれないがw
そもそも、あかんぼうや子どもは泣き喚くのが仕事みたいなもんだろ、とも思っているし、
それは、犬や猫などについても同様で、
およそ「天然自然」に近いものを相手に癇を立てて どうするよ、という受け止め方ですわ。
でも まあ、防音が なってないような、いまどきの安普請の狭いアパートなんかに住んでいたら、隣近所に気を遣うからということも あるだろうね。
うちの父親なんかはサ、
飼い犬が、来客などの おりに、神経質なくらい吠え続けると、
「あんたの声のほうが よっぽど煩いって!」
と言いたくなるほど、大音声で怒鳴りつけるしw
あるときは、出入りの酒屋の おにいちゃんが、ビール ケース引き取りか何かで、裏口に回ろうとしたら、うちの犬が激しく吠え立てたもんだから、すかさず、親父が大声で叱りつけたところ、酒屋の おにいちゃんは、親父の怒鳴り声のほうに怯えて、それに気づいた親父は慌てて、照れくさそうに謝ってたけどww
親父は、ノラ猫の発情期の鳴き声にもイライラしてさ、私には理解できなかったなあw
ただ、
子どもたちには、いろんな事情を抱える人々が存在するのだということを教えることも必要だわね。
私自身も、若い頃からの無理が重なってか、近年は、疲労すると、やはり心臓が おかしくなってくるので、あの頃の母親の凄まじい怒りが理解できるようになった。
同じボール遊びでも、おとなが、ちゃんと相手になってやってる場合は、それほどには危惧しないのだが、
子どもどうしだと、本当に、いつ何時、とんでもない所へ飛ばしてくるやら分からないので、極力、慎重に やり過ごすのだけれど、
特に、自転車に荷物を載せて走行しているときなどは、ボール遊びに夢中になっている子どもの集団を見ると、ヒヤヒヤする。
実際、いきなり、走っている最中の車輪に勢いよく当たってしまい、バランスを崩して、もう少しで転倒するところだったことも ある。
道路とか、公園でもない所でのボール遊びは、やっぱり危険ですよ。
私が若い頃は、世間一般にも、たとえば障碍者の困り事とか、家庭内の虐待問題などなどについても、全くと言っていいほど、関心を持たれていたわけでは なかったし、いまでは注目されるようになってきた様々な方面で、まだまだ、意識が低かった、そんな『昭和』が、良かったことばかりでは勿論、ないのだよ。
まあ、要するに、時代は変化しているわけでね。
やはり、道路や、いろんな情況、状態の人々が行き交う場所でのボール遊びなどは、リスクが高いのだから、それは それとして、のびのびと利用できるスペースや設備を整えていくしか ないだろう。立て込んだ街なかや都会においては。
私が住んでいる地域も、昔は ともかく、現在は少なくとも「田舎」では ないし、それなりに便利な住宅街だ。学校以外で、野球などをナイターでも やれる、かなり大きな運動場とか、高齢者が「ゲート ボール」などを楽しむための広場が、そこ ここに あるけれど、何の問題も起きていないようだ。
個人宅の敷地内や、人が通行する所などへ、ボールが転がり出て来ないように、スペースが区切られているから。
そりゃあ、せめて子ども時代には、のびのびと、からだを動かしてほしい、ボール遊びにも夢中になってほしい。
だから、シンプルに言えば、
私が幼かった頃と、いまの生活スタイル、人々の意識、感覚、いろいろと大きく変わってしまっている以上は、いまの時代に合わせた方策を講じる ほかは ない。