2014.10.06 (Mon)
Nancy Sinatraで。
なんか、この曲って、カントリー調入ってるみたいなんだけど、コブシが?きいてるせいか(笑)ど演歌みたく聴こえるし、日本の時代劇の主題曲に使っても違和感なさそう。
神代より「荒ぶる」神々に
(皮肉というか↑「勝ち組」側の勝手な呼び名まる出しw)
愛されてきた日本列島、ただ今、噴火ときどき台風な今年の秋。
2014.09.29 (Mon)
【三からの続き】
やはり、詩の解釈、とらえかたは いろいろ微妙。
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
:今度は、こんなに私のことばかりで、お兄さんが苦しまないように 生まれてくるね。
私は学校では、こう習った。以下のリンク先にある解釈と同様である。
:また生まれて来るのなら、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれて来る
http://www.chukai.ne.jp/~mechinko/kenji03.htm
最初のリンク先のサイト主が おっしゃっているのは、おそらく、生前の母が視聴したと言っていたテレビ番組と同じものだろうか。
実は、うちの母、この詩に詠われているヒロイン、賢治の妹と、字は異なるけれど、同じく「としこ」と読む名前だったのだが、それもあってか、
ああ とし子
この絞り出すような呼びかけに、どうやらググッと来たものらしい。(笑)
そうして、母も生来が病弱の身だった。
そのうえ、奇しくも宮沢賢治の亡くなった年生まれで、
旧暦で いけば、その亡くなった9月が誕生月であった。
とし子さんは、11月に亡くなられたそうだが、誕生月も11月、西洋歴では、これも、私の母と同じである。
くだんのテレビ番組で、この『永訣の朝』という詩を知りそめし母は、
どうも、自分は、この「とし子」さんの生まれ変わりではあるまいか、と心中ひそかに感じたようであった。
また、
母は、自分が長子に生まれ、兄というものを一人も持たなかったせいか、宮沢賢治に対し、そこはかとなく、淡い、一種の恋情に似た思いさえ感じたようであった。
ああ、ロマンチックである。。。
時空を超えた恋である。
子持ちの主婦が中高年になっても、こういう、昔の女学生みたいな、まぼろしの恋もできるんである。
お写真が美しいサイト。
![]()
http://oikawaroom.blog46.fc2.com/blog-category-4.html
http://www.miyazawa-kenji.com/kinenkan.html
カテゴリ: その他 > メモ
2014.09.29 (Mon)
【旧ブログより】
『永訣の朝』 2011/03/03 10:45
きのうあたりから、また少し寒さが戻ってきたようだ。
宮沢賢治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB
http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/kennzi.html
http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/konitan/eiketsunoasa.htm
「永訣の朝」 宮沢賢治
けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ
銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……
…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる
わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう
わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ
この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ
…
(四へ続く)
2014.09.29 (Mon)
【旧ブログより】
時代が違うと、感覚も印象も違うってこととか 2012/04/17 17:07
現実を思い知らされるような。
実際、よくあることだが、私は久しぶりに、けっこうショックを受けた。
ああ、あの『星の王子さま』が。。。(苦笑)↓
http://www.lepetitprince.net/sub_manuscript/manuscript-3StEx.html
(読み比べるとオモシロい)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0016.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%86%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%AA
しかし、そりゃそうか。
いまでこそ、航空機パイロットというと、エリートの一種という感覚だけど、
わが国が黎明期の飛行機技術を輸入する前の、先行していた本場の操縦士たちなんて、ほとんどサーカスの曲芸芸人に近い存在みたいだったのかも。
芸能人も そう、作家も そう、その始まりには、大なり小なり軽蔑を含んだ対象だったという話は実に多い。
ところで、例の「象を呑んだウワバミの絵」のエピソードで思い出したのが、
手先の器用だった うちの母は、食器掛けや、ちょっとしたカバーなどに使うため、無地の生成りの布帛等に刺繍を施すのに凝っていた時期があって、そのころ仕上げた力作の一つには、帽子が仰向けに置かれた そのなかに、色とりどりの花々が盛りだくさんと投げ込まれてあり、周囲にも点々と蝶のごとく小花が舞っている、という図案のものがあった。
(似てないけど、まあ、こういう↓)
『「帽子の中の色々な花」』
http://mnnoblog.exblog.jp/14769254/
時間を費やして出来上がった それを、母が得意げに広げたとたん、父が一目見て、
「なんだ?どんぶり鉢に蝿が たかっているところか?」![]()
と言って、またも、プライドの高い母を激怒させた。
父には わりに よくある類の言動なのだが、このときも、からかったのでも何でもなくて、まじで言ったのである。(余計に悪いわ;)
しかも、
たまたま、その場に居合わせた、母の妹である叔母までが(←アーパーなのに、美意識だけは高い)、このときは、うちの父に同調して批判的な意見を述べたものだから、あとで私が、母の怒りと嘆きを一頻り、聞かされるハメになった
まあ、私にも、少しだけ似た失敗はあって、友人の父が描いたサボテンの絵を、完全に野菜と間違えたとか。
友人は、そのことを、おとうさんに言ったらしいが、ご本人はオモシロがって笑っておられたそうだが。
さすがの石川啄木の この短詩は、つつましくも、泰西名作映画の一場面のようでもあり、宮澤賢治あたりに共通した、卓越した浪漫的美を感じさせる。
『「飛 行 機」 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2410988/
(上記urlは旧ブログのもので、すでに、このサイトは廃止されてます)
カテゴリ: 話題! > 話のタネ
関連ニュース
【逍遥の児】初めて空を飛んだ日本人 (04/10 12:11)
2014.09.29 (Mon)
ダメなものはダメ。
なぜか、それが分かるということ。
『転機の心象写す資料発見=宮沢賢治、友人宛て書簡など』
時事通信 9月24日(水)20時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140924-00000176-jij-soci
~
このほか、背表紙を自ら塗りつぶしたとみられる「春と修羅」の単行本も発見された。同書を「心象スケッチ」と称した賢治は、背表紙に詩集と記されたことが不満で、ブロンズの粉で文字を消したと別の友人に伝えていた。発見された本は書名や著者名まで粉が塗られ、川島学長は「それだけ否定したい気持ちが強かったのでは」としている。
~
田中一村画伯の幼少時のエピソードを、また思い出した。これについて、かつて、例のQAサイトの悩み相談に対し、回答中で紹介したことがあった。
それは、画伯が、まだ小学生くらいの年齢だったかに、やはり美術関係で、たしか彫刻の仕事を されていたという父上が、ご自分の子息(のちの一村)が初めて、ものされた絵を見て、ごく部分的に、ちょいと手直しされたところ、幼い画伯が俄然激怒、
それは子どもの手になるものとは到底思えないどころか、プロの大人も真っ青かというほどに早熟な描きようだったものを、怒った一村ご本人が間髪入れず破ってしまったのだという。
(弐へ続く)