2014.02.07 (Fri)
「健常者」の勘違いと思いあがり。 2010/12/02 02:10
必要以上に親切心旺盛なのも、もちろんのこと、必要以上に突き離した感じなのも、どちらも、障碍者にとっては やりにくい。ただでさえ、生きづらいというのに。
大概は、やたら細やかに気遣ってくれる人の配慮ほど、皮肉なことに、ムダになる。つまり、役には立たない。
私自身は、その気持ちだけ、ありがたく嬉しく受けとっておくけども。
同時に、
障害者だからと甘えるんじゃねーよ、と色眼鏡を掛けたかのごとくに決めてかかっていることの自覚がない人も、ほんの ちょっとした、しかし肝心の必要な手助けですら、「それは甘えに違いない」という固い信念を、こちらの予想に違わず お持ちだったりするから、話にも何もなりゃしない。
こういう場合に、なんでも、即お金に換算して考える人には、その下品さ、さもしさに気づいて、あすは わが身と思え、と言いたいこともある。
この部分の手助けがあれば、あとは一人で対処できる、こういうレベルの協力でさえ、まるで、健常者の自分が、障害者に利用されてなるものかという、けったいな警戒心満々で、こちらから お断りだよ、と言いたくなることも多々あった。
健常者は偉いとでも思ってるのだろうか、ちょうど、障害者が偉そうにしている、と殊更、思いたがるように。
被害を受ける前から被害妄想に陥ってるとしか言いようがない。
あのカルトのオババそっくりだ。
私が実際に接したことのある、全盲など視覚障害の人も、こちらが親切心で お手伝いを、と申し出ても、かえって、その人なりに培ってきた普段のペースをジャマしているのかもということは、私のようなニブい性向の者でも、比較的すぐに気づいた。
先先と気を まわして世話を焼いてくれる必要まではないと思うけれど、
この亡くなられた かたは、視覚障害者であるということを、たとえば、お住まいの管理人なり大家さんなりが御存じであったのではと思うが、地下水槽タンク清掃の予定日や時間を、前もって知らせるなどの対応はなかったのだろうか。
ご本人がウッカリしていれば、やはり防げなかったかもしれないが、事前に、上記のような、ちょっとした親切があるだけでも、だいぶ違った結果になっていたのではないのだろうか。そのへんが気になった。
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カテゴリ:コラむ
2014.02.07 (Fri)
これも記録しとこ。
『告発の元教授、国に調査要請 アルツハイマー研究改ざん』
2014年2月4日08時00分
http://www.asahi.com/articles/ASG234VCSG23UUPI004.html?ref=yahoo
アルツハイマー病研究の国家プロジェクト「J―ADNI(アドニ)」の主要メンバーで研究データの改ざんを内部告発していた杉下守弘・元東大教授が3日、実名で記者会見した。データを扱ってきた事務局員が疑惑報道後に証拠資料を持ち出したと指摘。全資料を第三者の管理下にただちに移し、国が主体的に調査するよう求める要請書を研究に予算を出す厚生労働、経済産業、文部科学の3省に送った。
要請書などによると、杉下氏はデータチェックの責任者の一人。作業中に「データ改ざんというべき極めて不適切な問題」を発見し、昨年11月18日に厚労省に告発メールを送った。ところが厚労省は無断で告発対象の研究チームの責任者に転送し、調査しなかった。
さらに朝日新聞が1月10日に改ざん疑惑を報道した後、製薬会社から出向している事務局員が研究責任者の指示で杉下氏が保管していた証拠資料を持ち出したと指摘。この職員は不適切なデータ処理に関与した疑いがあり、疑惑がもみ消される恐れがあると判断して実名での告発に踏み切ったという。
杉下氏は厚労省が研究チーム責任者が所属する東大に調査を任せたことを問題視し、「J―ADNI関係者から完全に独立した第三者」による調査と結果の全面公開を要請。「多額の国家予算が投じられるプロジェクトということで不当なデータ改ざんの問題に目をつぶれば、J―ADNIの科学的価値は失われ、アルツハイマー病患者をはじめ国民に多大な損失をもたらす」と指摘した。
厚労省は告発メールの漏洩(ろうえい)を謝罪する一方、「告発として受け止めると厚労省も調査に入らなければいけなくなる」(田村憲久厚労相)として内部告発として受理せず、東大に調査を依頼。2月中に結果の報告を求めているが、東大は3日現在、調査委員会を設立していない。
『告発、動かぬ厚労省「隠蔽される」 元教授、実名で会見』
朝日新聞デジタル 2月4日(火)7時32分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140204-00000012-asahi-soci
アルツハイマー病研究の国家プロジェクト「J―ADNI(アドニ)」で、データ改ざん疑惑が浮上してまもなく1カ月。厚生労働省は東大に調査を丸投げし、疑惑解明に及び腰だ。「動かぬ厚労省」に業を煮やし、昨年11月に内部告発メールを送った研究者がついに実名での記者会見に踏み切った。
■「国際的信用を失う」
「このままいくと隠蔽(いんぺい)される。心配になった」
主要メンバーとして改ざん疑惑を見つけ、告発メールを送った脳血管研究所教授の杉下守弘・元東大教授は3日の会見で、実名を明かして真相究明を訴えるに至った心境をこう語った。
当初は表舞台で訴えるつもりはなかった。だが、厚労省は告発メールを研究責任者の岩坪威東大教授に転送し、杉下氏が告発したことが研究者らの間に知れわたった。さらに岩坪教授が報道関係者や研究者らに向けて杉下氏の人格を批判し、杉下氏が人間関係のもつれから告発に踏み切ったとの見方が厚労省内や学界に広がった。
杉下氏は告発前にも研究チーム内でデータ改ざんの恐れがあることを訴えていたが変わらなかった。厚労省に告発メールを送った後も担当者に2度会って訴えた。それでも厚労省は告発として受理せず、岩坪教授が所属する東大に調査を任せた。杉下氏は「私が告発したのは人間関係のもつれからではない。このままだと日本の研究が国際的信用を失うからだ。問題を矮小化(わいしょうか)してはならない」と憤る。
会見に同席した小池純一弁護士は「相当なお金が投じられているプロジェクト。研究成果が国際的に生かせなくなることを恐れている」と語った。
~厚労省は告発メールの漏洩(ろうえい)を謝罪する一方、「告発として受け止めると厚労省も調査に入らなければいけなくなる」(田村憲久厚労相)として内部告発として受理せず、東大に調査を依頼。2月中に結果の報告を求めているが、東大は3日現在、調査委員会を設立していない。
もおメンドイのう、自分らでテキトーに解決しといてくれや、てか?w
~
当初は表舞台で訴えるつもりはなかった。だが、厚労省は告発メールを研究責任者の岩坪威東大教授に転送し、杉下氏が告発したことが研究者らの間に知れわたった。さらに岩坪教授が報道関係者や研究者らに向けて杉下氏の人格を批判し、杉下氏が人間関係のもつれから告発に踏み切ったとの見方が厚労省内や学界に広がった。
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杉下氏は「私が告発したのは人間関係のもつれからではない。このままだと日本の研究が国際的信用を失うからだ。問題を矮小化(わいしょうか)してはならない」と憤る。
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こりゃオモシロイわ(不謹慎な言いかただけど)
わたしゃ、この行くえに注目しまっせ。
2014.02.03 (Mon)
記録しとこ。
『「ムダ」と予算削減→8割復活 補正に付け替え』
朝日新聞デジタル 2月2日(日)13時36分配信
安倍政権が2014年度予算案で無駄遣いの点検を経てカットした約4600億円のうち、少なくとも約3600億円が今年度補正予算案に同様の事業内容で計上されていることがわかった。4月の消費増税への理解を得るために、「ムダ」と判定したはずの事業費の約8割が補正予算に付け替えられた。
安倍晋三首相が議長の行政改革推進会議は昨年秋、新年度予算案の概算要求のうち10府省55事業について再点検。その結果、麻生太郎財務相が今年1月20日の同会議で、34事業4574億円(一般会計ベース)を削減できたと報告した。
首相は昨年11月の行革会議で「消費税率引き上げという厳しい決断をした。税金がムダに使われているとの批判は絶対に招かないようにしなければならない」と強調。1月20日の同会議では「(再検証結果を)予算に反映することができた」と語っていた。
だが、財務省などの資料によると、新年度予算案で1387億円削減したはずのインフラの老朽化対策費「防災・安全交付金」は、補正予算案で削減額を上回る1847億円を計上。道路整備などの補助金「社会資本整備総合交付金」は1435億円削減(新年度)が1309億円計上(補正)となっていた。
そりゃそうでしょうとも、なんせ、安倍ちゃまだ、もんw
2014.01.27 (Mon)
『明日ママがいない』というドラマについて
『ご存知ですか、谷崎さん』
http://www.asiawave.co.jp/bungeishichoo/bsessay/shionoyanobuko.htm
~
小説『春琴抄』が、多くの人たちの間で、視覚障害者のことを知るためのガイドブックに成り下がっていると知ったら、谷崎潤一郎は草葉の陰で苦笑することだろう。
この小説は、盲目で気位の高い天才的な琴・三味線奏者である春琴に、丁稚の佐助が献身的に仕えるという物語で、そこには無類の耽美的な世界が繰り広げられている。それをそのまま現実世界に当てはめてしまったり、道徳論を持ち出したりする読者の何と多いことか。しかも、江戸から明治にかけての物語という設定であるにも拘わらず、現代にも通用する普遍的な話だと思い込んでしまうのだ。おかげで、私たち視覚障害者はそんな読者への対策に手を焼く羽目になったのである。
この物語は、全くのフィクションであるにも関わらず、谷崎の巧みな筆によって、あたかも春琴と佐助が実在の人物であるかのように思い込ませてしまう。私も、まんまと騙された読者の一人である。谷崎自身が二人の墓にお参りしたことがあるとか、明治初年か慶応の頃に撮られた春琴の写真を見たとか、『鵙屋春琴伝』なる小冊子によって春琴のことを知るに至ったとか、その他、実話であるように思わせるためのお膳立てが満載なのだ。大阪某所の丘の上にあるという二人の墓とそれを取り囲む風景の描写などは実に精密で美しく、夕日に染まった古い墓石のたたずまいと、眼下の夕靄の底に広がる工業都市とのコントラストは、時の移ろいをしみじみと感じさせ、お見事と言うしかない。
「そんなまことしやかな書き方をするから視覚障害者への偏見が助長されるのだ」と言う人もいるが、それよりも、この小説の特異な世界に浸ることのできない真面目な読者のいることが問題なのだ。だが、谷崎にとっては、そんなことはどうでもよかったのだ。耽美の世界へ読者を誘い込むことが彼の目的であり、そのためには墓や写真や春琴伝を登場させてリアリティーを出す必要があったのだ。
~
いやあ、きょうまで知らないでいた。。。
他の事で検索中に、例のごとくで「たまたま」行き当たったのだが、とりあえず、他のエッセイも続けて幾つか読ませていただいた。
すばらしいなあ、この人の文章も感性も。
特に、こういうところの描写。
『深夜の散歩』
~
ジンチョウゲの咲く頃には、どの道を行っても、その香りに誘惑され、もう少しさまよっていたいと思ったりする。虫しぐれの季節には、虫たちが、草むらのある場所や、その広さや形、そして道との境目を、まるで音の地図でも描くように教えてくれる。ちょっと風でも吹けば、葉っぱが揺れる音で、木や草が立体地図を描く。
もちろん、昼間のほうが、はるかに様々な音に満ち、しかもその音は活発に動いている。それに比べ、深夜の音は密やかで、種類も動きも少ない。だからこそ、かえってそれらの音風景は、昼間よりくっきりしたシルエットを描くのだ。そして、今この風景を味わっているのは私一人だと思うと、益々その風景は魅力的なものに感じられてくる。~
残りも読ませていただくつもりでいる。楽しみだ。
塩谷靖子さんのホームページ
塩谷靖子さんを検索中、こちらも見つけた
http://shinetu.blog.so-net.ne.jp/2009-06-09-1
http://shinetu.blog.so-net.ne.jp/2014-01-14
2014.01.22 (Wed)
小児ではなく、「障子に」何だって? 2011/01/03 07:50
石原氏の小説は読んだことないけど、小児に突っ込んだという場面でもあるというのか?
一般書のコーナーから成人向けコーナーに移動させること自体に、何の問題があるのか。
私は、とうに、そういう扱いになっているものと思ってたくらいだ。
むしろ、本質的に問題とすべきは、幼い子どもを、変態性欲者の餌食にすることを賛美、肯定する作品、
それを流通に乗せ、一般市場に蔓延させようとする者らの魂胆だろう。
その点で、私は、マンガ以外の、あらゆる分野でも、サッサと実行すればいいと思っている。
ただ、視覚要素が最大のマンガと、コトバのみの表現方法を とる小説などとは、全く同じというわけにいかない。これは、子どもが低年齢であれば当然のこと。子どもの読むものは、まず絵本から入ることを思えば分かることだ。
また、概ね、知能面に問題を抱えている者、特に男子ほど、細かい字が並んだ小説ではなく、漫画、イラスト等の視覚作品に刺激を受け、事件を起こした実例は、けっして少なくはないと思われるが、どうだろうか。
昔は、江戸川乱歩の作品ですら、親に見つかったら咎められるので、父親の本棚からコッソリ抜き取って、隠れて読み耽ったものだという。
こういう、「隠すべきもの」、「隠微なるもの」という判断が、そういう情況のなかでこそ、おのずと養われていたであろう。
子どもは本質的に、おとなの価値観を受け入れ、マネをするもの。そうやって育っていく。
問題は、「溢れかえっている」という情況のほうだ。
事が直接、自分自身の身に不快や危害が及ぶことであれば、いかに日常茶飯事的現象であっても嫌悪は生じるものだけれど。
なんらの制限もなく、巷に大っぴらに溢れかえっていて、いつでも手を伸ばし、手に入れることができるという情況では、子どもは、それは、べつに悪いものでも いけないことでもないものなのだと思って育つのが自然だろう。
よりによって児童という存在を凌辱すること、それを問題視したものではなく、ただ賛美、肯定するという、こうした作品を、何のために、ことさら子ども自身の目に触れさせたいのか?
実在の それか どうかは関係ない、
要は「子ども」、児童という存在自体(=象徴)をポルノの題材にしたくて たまらず、実際そうしたくらいなのだから、できるだけ実在の子どもを実際に「開発」したいとでも欲望しているのだろうか。
恥ずかしいという感覚が全くないのか。ならば、規制されても仕方なかろう。
しょせん、おのれの恥ずべき欲求を恥じる感覚さえ持ち得ない、何かが欠けている者に、自発的道徳心など期待するほうが無理なわけだから。
そもそも、道徳心なるものを期待できるのなら、
よりによって、抵抗力のない小児という象徴存在を対象とした凌辱シーンごときを、肯定する姿勢で描いたものを、鉄面皮にも流通に乗せ、世のなかに拡散し、稼ぎ、
あわよくば実際の子どもたちに、そういう自分らの醜悪さを受け入れてもらいたいと心中秘かに画策する、、、
まさに反吐が出る醜悪さだ。恥を知れ!
マンガだけじゃないだろ、子ども相手だけが何故ダメなんだ、と食い下がるなら、マンガ以外のものも、子ども相手以外のも、全部規制せよ。
こちとら、ちっとも困らんわぃ。
肯定する姿勢そのものが問題なのだよ。
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カテゴリ:コラむ