2019.10.14 (Mon)
トランプさんでも橋下さんでも百田さんでも竹田さんでも、
いま話題のグレタ・トゥンベリさんを、アタマから批判したり、中傷したり小バカにしたりするのは、
私に言わせれば、そんな彼ら自身が、何か確信犯的なのか?それこそ、何らかの勢力や権力筋に「洗脳」されている軽薄短小者なのか?
と疑わしい連中です。
それとも、
「汚れっちまった」エセ大人であることに、まったくの無自覚なのか。
彼らの言っていることは、単に「自分棚上げ」や「自己投影」から出ているコトバとしか思えませんわ。
まだ子どもと言っていいほど若い人を つかまえて、やけにムキになってさ(嗤)
実は、このエントリーも、数日前の ある記事を読んで、ほぼ書きあげてあったのを、またぞろ、そのままにしていたのだが、
さて、東大名誉教授の上野千鶴子氏が、こう おっしゃったそうだ。
「環境問題は『未来世代との連帯』と言われてきました、が、その『未来世代』は死者と同じく見えない、声のない人びとでした。その『未来世代』が当事者として人格を伴って登場したことに、世界は衝撃を受けたのでしょう」
いやいや。
子どもや孫を持つ人たちは特に目の前で日々、見ているじゃないですか。「その『未来世代』当事者」を。
私自身は、子や孫を持たなかったから、怪訝に思っていたけれど。
「しょせん、子どもが いない者は」
と言う人たち、世間では とても多いみたいよね。
でも、最近は、
実際には、そんなもんなのだなあ?と、諦念に似て思うようになった私。
以前から指摘してきたけれど、
子どもを産み落とした人たちは、私に言わせれば、往々にして楽観的で、基本が俗物なのですw
「子を持って一人前」とか、子を持つことで、それだけで、なんだかリッパになれたような気が するらしい、野生の猿の価値観さながらな人々ww
そうでないと、
子を産み落とすことなんて、
ましてや、
このような日本で、なにがしかの抵抗感どころか、子を産むのが当然!という気には とうてい、なれないはずですよ?
あのグレタ・トゥンベリさんの世代から見れば、まさに、私らの世代こそを中心に含めて、「よくも!」と糾弾したくなる対象だろう。
けれども、
例の『福島』での原発大事故を機に、あらためて私が驚いたのは、
「いつの間に!日本じゅうに、こんな たくさんの原発が」![]()
ということだった。
ところで、私の実家では、いつだったかの過去エントリーで述べたように、
夏の1ヵ月間だかは購読料ロハにするという約束を、営業に来たオニイチャンに、うちのケチな親父がフッカケて、無理やり押しつけたらしく、
以降、ずーっと、『読売』新聞ひとすじで何十年と購読していたのだがw
そもそも、国の「原発」施策に大いに関わっていたという、あの『読売』ですら、私が若かった頃までは、「原発」の問題についても、わりに、ちゃんと報道していたように記憶している。
でないと、中学・高校生時代の私が、ほぼ『読売新聞』しか読む機会が ないのに、問題意識を少しは持ち得ていたはずが ないので。
いまでは もう、すっかり、安倍政権ソンタクのヨイショの、
『自民党』御用達ペーパーとなり果てて久しいけどなw
うちの親らは、「低学歴のうえ、女」である母親でさえも、政治や社会問題全般に対して関心は持っているほうだったのだが、なぜか、両親ともに、「原発」問題については、何か話していた記憶が ない。
フシギな気が するほどだ。
それと、
私が、「環境に良くないんじゃ」と咎めたことに対して、「うちだけが心がけてもムダ!」と即座に一蹴されたという出来事も、一度ならず あった。
特に母親のほうは、戦中・戦後の子ども時代を経験しているにもかかわらず、食品を使い忘れたまま腐らせてしまったり、つくり過ぎて廃棄したり、食べ残したりと、食べ物を粗末にする傾向が あったので、子である私のほうが、よっぽど、食べ物をムダにすることへの抵抗感が つよくなった。まさに「反面教師」と言えるだろう。
うちの親らの世代というと、間違いなく、まずは、あの戦争に翻弄された世代である。
親父らの同世代は、例の『特攻隊』といった「クレイジー」な命令にも従容と、あるいは嬉々として、従った。
その世代が、戦後、中心となり、こんにちの日本へと繋がる道を着々と つくりあげてきた。
うちの親父は、個人的に、自分の養父に対する恨みも あってか、
自分自身が高齢になるにつれて、親世代に当たる『明治』生まれ世代への反感を つよめていった。
もとは、若きエリート軍人らしく、『天皇』崇拝者だったのに、いつしか、『昭和天皇』に対しても冷淡な姿勢へ変化していった。
自分自身の子どもや孫が いるからこそ、全体の将来像を思い描き、深く案じもするはずだろうと思うのだけれど、はたして現実は、そうだろうか?
うちの親も、自分自身の人生への不満やらを、子どもで個人的に解消したいと思っているフシは見受けられたが、
おおむねは、単なる「自己投影」に発し、軽薄な「自己満足」に終わっていた。
いつの時代も、子どもは、その親世代のツケを払わされることになる、
それが、この世の現実では なかろうか。
かつての子ども、すべての子どもは、グレタさんなのだ。
それにしても、あちゃらの若者は行動的で、おとな顔負けにシッカリしとんなあと感心することも多いけど、
日本の子どもや若い世代は、いよいよキモチわるいくらい、おっとなしいねえ~。だいじょうぶかよ?
先日も、二十歳代の人と、仕事の ありかたなどについて少し話を する機会が あったのだが、あまりにも、従来の社会や陳腐な おとなたちの影響下にあるのか、些かの疑問も持たず、画一的で、通り一遍で、「哲学」のテの字もない、ある意味、人間の現実というものを無視した、形式的良い子ちゃん、つまり「優等生ちゃん」むき出しで、「こりゃあアカンわ」
と思った。
その若者自身は、公私とも平均以上に恵まれた立場に居る、健康的な好青年だけれど、
何と言うか、
適性とか考慮することなく、言わば「苦役」であっても、「仕事」というものは、そんなものでアタリマエという考えなのね。おそらく、世間一般からの受け売りだろう。
そういう、決まった「枠」が大前提として あり、
そこから少し違う角度でも考えてみることなんて、思いも つかないようだった。
そりゃ「ブラック」でも従容と黙々と従って、逃げもせず、抗議もせず、
機械的に日々の作業を続けていた「良い子ちゃん」が、ある日とつぜん、とんでもない事件を起こして、周囲が仰天する、そういうパターンが増えてきたような気もするわけよ。
【続く】
2019.10.05 (Sat)
『【続】異常者は、ゴリ押しが お好きw』の続き。
ところで、
うちの親父のほうはと言うと、これが また、「千葉」と「目黒」の各父親に似ている。
その女房である母親のほうは、まさに、「森山」という人と似ている。
やれやれ。。。
スケールは小さいながら、こんな夫婦に挟まれてたんだぜ、私って。
(苦笑)
やはり、決定的に分が悪かった親父は、母親の話によると、
かつて、家庭裁判所で小細工してまで真っ赤な嘘を通そうとしたそうだし、
なるほど、
徹底した被害意識と自己憐憫ゆえのものか、
恥ずかしげもなく、さめざめと泣いても見せるし、
なんだったら土下座すらも厭わないところが あったよ。
知人たちの話を聞いていても、
かなり深刻な問題を孕むケースの家庭は、世のなか、意外なほど少なくないのかなあと思うけど。
専門家筋の話によると、
「『自己愛性人格障害者』は、実際に、企業などの組織体で出世していることも多い」
ということだし、
「勢いが強過ぎるタイプの人は、精神的異常の範疇」
ということである。
はたして、そのとおりだろうと、私は かねてから推察していた。
そして、
「異常性」を潜めた手合いこそは、個々の家庭から大きな組織体に至る そこかしこで、マメに動き回り、はたらきかけ、世のなかを牛耳っているんだわ。
そりゃあ、人間社会は良くなるどころか、やがては腐っていく一方よ。
世のなかを動かしている中心は、自己愛に凝り固まって異常性を帯びた者たちなんだから。
ひいては、
異常発生的に「特化されている」男性というものが、人間社会の中心を動かしている意味も考えてみたら いい。
男性という存在が いなかったら、良くも悪くも、どうであったろうか、と。
それらを考えたとき、
およそ男性に弱い女たち母親たち、
さしづめ『自民党』所属の女性議員や『日本会議』あたりの組織に参加し活動している典型・稲田のような女たちの、
なんとナサケナイおつむや精神レベルであることかも、思い当たるだろう。
要領の良い「優等生ちゃん」ばかりではダメなんだ。
どうやったら、精神性を高められる、ほんとうの知性を育むことが できるのか考えないと。
大多数の一般人・大衆にこそ喫緊の課題。
民衆の(女たちの)知性が高ければ、愚物や自己中を、権力の(夫の)座に寄せつけることは ないのだから。
政治は、民衆のレベルの反映。
夫婦は似た者どうし、つり合うレベルだから ひっつく。
2019.09.30 (Mon)
ガッコもショーバイも抜け目なく?w
まあー、たいしたもんですよ。
日本における「抜け道的」制度を目いっぱいに利用し続けてるからこそ、ということだけど、
(日本の統治時代に、かえって逼迫した層も多いという)祖国での生活が苦しかったために余儀なくであろうか、『ソフトバンク/ヤフー』孫さんとこは、大昔の御先祖のルーツが中国大陸にあったらしいというのは、それは そもそも、ほとんどの朝鮮人が そうであるらしいが、祖父母の代になって、今度は日本へ密入国したという、そして親御さんの代から「典型の三拍子」そろった(M・S・P)商売で、ついに、ここまで来た。
スゴいよね、『ソフトバンク』の社長さん。
日本の場合、帰化申請がスムーズに通るのは そうとう珍しいとか聞いていたので、そもそも密入国してきた家の人が、よくまあ帰化できたなあとフシギだったんだが、やっぱり、実業家として大成功した おかげなのかね?よく分からんけど。
何やら、
とにかく日本と日本人からは搾り取れるだけ搾り取るのが「正義」!
みたいな感覚が、朝鮮半島の人々や、その同胞の人々には存在するとかも聞いてるけど、
ますます、『ヤフー ジャパン』に料金支払うの やめたくなったわw
まずは、
いいかげんに、悪名高き「ヤフゴミ捨て場」という社会問題の温床を どうにか してよ(怒)![]()
『法人税逃れ大国ニッポン 消費増税で内部留保463兆円のカラクリ〈週刊朝日〉』9/26(木) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190925-00000015-sasahi-bus_all
お次は、またまた騒いでおります、
『朝鮮学校の付属幼稚園も無償化を 保護者ら会見、「除外おかしい」』
9/26(木) 18:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190926-00000159-kyodonews-soci
いやいやいやw
「日本人と同じく税金を払ってるんだから」という主張は、ちょっと通らんと思うぞ。
自分の家じゃなく、他人の家を借りてる立場なら、「賃料」を払うのは当然という話でしょうに。
まあ、それでも、私個人としては、それも これも鷹揚に認めてあげられたら、そのほうがステキじゃないかなとは思ってるけど。
なんだかんだ言っても、本音は、やっぱり「カネメ」じゃないの?ww
もし、とっくに真逆になってしまったらしい現状と違って、いまでも、祖国の首領さまだか将軍さまからの深い慈愛の親心で、潤沢な支援を寄せ続けてくれていたものならば、おそらくは、
「われわれは、日本の世話に なっておらん!!これからも、日本の世話になど なることなく、あくまで自主独立の誇り高き わが民族の精神を もって、子女の教育を行なっていく!」
とか なんとか、
せいいっぱいプライドの高さ剥き出しにせんばかり、高らかなる宣言したんじゃないかしら?w
正直言って、こと『朝鮮学校』の場合は、どうしても、そんな感じが つきまとうんだけどもなww
最後に、
『関西電力3億2千万円“裏金” 今年3月に出回った告発文書【独占入手】〈週刊朝日〉』9/29(日) 15:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190929-00000014-sasahi-soci
『関電3億2千万円“裏金” 疑惑の”影の町長・Mさん”が生前、記者に語った言葉』2019.9.28 12:33週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2019092700115.html?page=1
今回の『関電』大疑獄発覚。
あの『日産』を連想したのは、私も同じ。
そして、
いまは廃止されていて、「副」が付く程度の、たかだか地方公務員扱いである「助役」という地位に、どれだけの権力が あったの?という疑問が真っ先に湧いたが、
言われてみれば、地方、特に田舎だからこそ、その土地や地域の「(隠然たる)声が大きい」者を無視できないという現実は あるのだろう。
私個人の周辺でも、いるのよねー、
町内の「顔役」みたいな立場を自任していて、
その しょうもない「小虎の威」の そのまた毛皮の切れ端を借りるが如くに威丈高な、かつ、ありがた迷惑な動きを率先して やりたがるタイプってのがさ。
宗教組織が典型であるように、人間社会では、こうしたカラクリが あり、こうした手合いが いるから、「小虎」の毛皮の切れ端程度だったものが「大虎」の毛皮になり、
ついには、「エホバの名を みだりに唱えるべからず」になっちゃうw
うちの母親なんかも、ある意味で俗悪な価値観を持って、積極的に活用しようとするタイプだったから、この手合いの見本は、母親の交流関係を通して、自分の身近でも見てきたけど。
フシギなことに、どういうわけか親に似なかった私は染まらなかったの(苦笑)
さて、
「金持ちは、悪いことしてるからこそ金持ち」なのだという、従来から ある穿った見かたが、またも、という見本。
今回の大問題の発覚も、記事を読んで、やっぱりな、と思った。
それこそ「日本全国津々浦々」で蔓延ってるのでしょうよ。
そう考えたら、
この狭い島国に、異様なほど たくさんの原発施設が、いつのまにか設置されていたことの理由も垣間見えてくる。
くだんの もと「助役」森山氏という御老体が亡くなった直前か直後なのか、こういう告発が出た時期にも、非常に「闇」を感じさせるのだけれど、内部の勢力争いも絡んでるのかしらん。
「お客さまから頂いている電気料金で賄っている」
ええ、そうよ。
うちでも、つい2、3年ほど前の電気代の告知兼領収書を保管してあったのを、たまたま、今年の電気料金と つき合わせてみたら、
使用量は さほど変わらないのに、料金は、えっ?と言うくらい上がってた。
いいかげんにしろよぉ![]()
「上級国民」だか「既得権益層」だか知らんが、こういう連中が、「努力」とか「自己責任」とか言い散らして、ネットでも御用メディアでも、カネと息のかかった手下を使いまくり、
さも、これが「世論」!のフリして、庶民や弱者叩きしてるんだろうよ。
腹たつわあ。。。![]()
![]()
ま、特に原発が絡んでるってことは、結局、国と現政府も絡んでるんだろうな。
2019.09.25 (Wed)
『――硬直する日本――』の続き。
まあ、正直なところ、きっちりと決まりきったことを好んで拘る人の気持ちを全然、理解できないわけじゃないんだけどね、私とて。
それでも、
自分の部屋や自宅で、とかなら ともかく、ハタに迷惑かけてまで拘ることじゃないだろうに、と思ってたもんで。
ところで、
こないだは、宇宙分野にも関連した内容の記事で、誰かが投稿したコメントに、例の「シュレーディンガーの猫」が、とか「エントロピー」が云々という話題が出て、「高エントロピー」だとか「低エントロピー」だとか言ってるので、思わず、うちの両親を連想した。
親父のほうは、部屋が かたづいていないと、猛烈にイライラする性格なので、整理整頓にはマメだった。
あの投稿者たちの遣り取りによれば、まさに「低エントロピー」に分類されるんじゃないかとw
母親のほうは正反対で、散かってるほうが落ち着く!と常々主張していたので(多分に掃除がメンドクサイことの言い訳だがw)「高エントロピー」かよwと。
私自身はと言うと、
30歳代なかば頃までは、父親に似ていたのか、やはり「低エントロピー」だったのだろうw室内などの状態に関してだけは、親らに文句を言われたことは なかった。
ただ、親父は、整理整頓さえ できてたらオッケーで、清潔かどうか、衛生面については、わりと無頓着だった。男性に わりと多いタイプかね?
母親のほうは、これまた逆で、清潔に関しては、かなりウルサイのだが、散らかしっぱなしの状態が、まさにエントロピーよろしく増大していくw
私は、まさに、あいだを取ったごとく、清潔にして整理整頓が行き届いていると言える常態だった、はずなのだが、、、
ところが、
病気やら介護やら多忙の時代を過ごすうちに、いつしか「高エントロピー」状態(?)へ変化したのか、
いや、所により「低エントロピー」と「高エントロピー」が入り混じってるようになった。
こういうのは、どう判断すべきなんだろうか?w
まあ、けっこう ややこしい学説なので、私も、よくは分かっとらん(苦笑)
で。本題に戻ると、
「計算ミスが減る」という事実をもって、定規を用いて筆算の線を引く、ということの理由であるのなら、それは一つの理由としていても いいと思うけれど、
私も、むしろ「計算のリズムが崩れる」というほうに実感が あるようには思う。
まあ、あくまで形式だろと思うような作業は、肝心の目的を終えてから、まとめて最後に かたづけちゃう、という やりかたを、私自身も、よく やるほうなのだが。
そのときは、せっかくだから、いちおう終えたものを確認しながら、
の つもりで やる。
でないと、しょせん無意味と思っているからこそ一気呵成に まとめて やってしまおうとする作業ほど、ミスを誘発し易いものだから。
ま しかし、
くだんの記事中の小学校教師たちの言い分は、ほとんどコジツケと言うか疑いたくなる胡散臭さと言うか、何か宗教的手続きめいてるねw
肝心の目的は何ですか?
きちんと理解して、解答を出せることでしょ。
教える側自身が、不確かなのに、どうして、子どもに教えられるのよ??w
「うちでは、とにかく、そういう仕来りになってるので」という押し付けは、むしろ、成人や社会人だから、角を立てて、居辛くなるよりはと、曖昧なまま「面従腹背」という芸当も敢えて やるけど、
以前にも言ったことあるように、
おとなの殆どは忘却してるんだろうけど、
多くの子どもは、案外と、ちゃんと筋の通ったリクツを好みますわ。
特に、かなり以前から、他人さまの子どもたちを眺めていると、頭ごなしというのを嫌う傾向が つよくなってきてる感じが していたんだけど、
それだから ますます、おとなの つごうで拵えた管理ルールを呑み込ませることになり、昨今の、異様なブチ切れ事件を起こすまでは、むしろ、キモチ悪いくらいに従順で おとなしい良い子が増えてるんかなあ?とも感じる。
だいいち、キレイな線を引くためにとかで、本来のこととは別の作業を、いちいち挟まなくては ならず、そのたびに中断してたら、思考集中してるときこそ、気が削がれてしまう、これは、私にも実感あるな。
特に小説の読書なんかでも そう。
私は、どんなに長編でも、まずはイッキに読了する。時間が かかっても、大概は最長3日以内。
きょうは ここまで、とか、一日に何ページだけ、という、お行儀良く理性的な読み進めかたが、どうもダメ。
そのかわり、
一度は読み終えたものを、あらためて、今度は ゆっくりと読み返す。
すると、イッキ読みしたときとは別の感想やら新たな観点が立ち上がってくるのが、また興味深かった。
もちろん、第一印象や最初の感想と変わらないことも多い。
これでは、徹夜したり、それこそ「寝食を忘れて」という状態になりがちなので、学生時代は、しょっちゅうだったが、さすがに、社会人になってからは、やっぱり、ムリ。
「ノートの とりかた」ということについては、教師からの評価が高かったという理由で、「カラフル ペン」多用というのも、程度問題です。
ゴチャゴチャして、かえって分かり辛くなることも あるよね。
実際、私の学生時代も、怒る教師が いた。
知ったふうなこと言ってるコメントもあるが、仕事での「プレゼン」にしても、そんな小手先の誤魔化しは効かないよ。
えてして、芯から分かってないからこそ、そんな自分のオツムを整理しようとする気持ちで、殊更きれいに清書したくなったりするもんだ。それで、なんとなく、いちおうは理解できたような気になったり。
ほんとうに、隠された重要な意味が潜んでいるのなら、わけも分からぬ繰り返しの積み重ねのなかで、ある日、ふと、ああ、そういうことだったのか、と気づくことも あるだろうし、ルーティン作業が、その他をスムーズに進めるためにかかせぬ役割であったりもするが、
ほんとうに見かけの形式を整えるだけで、それ以上の意味は ないことである場合は、どれだけ繰り返しても、新たに気づくことは ない。
やっぱりムダじゃんと思いつつ、それでも黙って従えるのは、「気づいた」からじゃない。飼い慣らされた、っていうこと。
もはや、やらないと落ち着かないという症状を抑える機械的儀式みたいなもんだ。
だいたいは、そういう類のことは新入りに やらせるから、どの組織でも、下のほうから雰囲気を悪くしかねないし、いつしか、投げやりにもなっていく。
人間ならではのせっかく便利な小道具を駆使したら良いのは、そりゃそうだと思う。
細かい文字やズラズラと幾段も並ぶ各行の取りこぼしや目の錯覚などの間違いを防止するために、定規を当てつつ進めていくという やりかたは、たとえば、校正作業なんかでアタリマエに やってる。
「筆算の線」というのを、手書きするのはダメな理由ってのが、定規で線を引くのは難しいから慣れさせるため、つったって、実際は、フリーハンドのほうが、よっぽど難しいんちゃうの?
記事の添付写真も、方眼ノート使ってるみたいだがね。
(この記事では、教師側から、そういう説明が されたと述べられているのに かかわらず、全く逆なことを決めつけて何度もコメントしてるヤフゴミんも いるぞ。記事を読んでないのか、読解力が皆無なのか、何ぞの目的が あるのか、どれなんだろな?ケッタイなやつw)、
如何なるときも、常に、定規を携行する!これが、『日本臣民の道』ってか(爆)
「定規は、日本臣民の魂!!」(爆)爆)
そして、時代や状況によっても、「理由」や「根拠」は、かんたんに揺らぐ。
「リクツと膏薬は どこへでも」ナントヤラ。
近代の生き証人の一つが、いわゆる「墨塗り教科書」世代だ。
あの世代の怒りも、なかなか凄まじいものが あるよ。
「なぜ」「どうして」は、哲学のもと。
2019.09.25 (Wed)
定規が好き
大好き。
ただし、
ほんとうの本当は、目盛りが付いてない定規に限る日本w
目盛りは、おエライ人が好きなように付けますのでねww
事実、私の学校時分、制服のー、ソックスの丈がーなどと、ほんとうに、先生がたが定規を持って待ち構え、いちいち、それで計ってチェックされてたもんだw
しかし、
筆算の線を定規で書くべし、
これって、私が学校時分のン十年前には、さすがに、聞いたこと ない。
私より ずっと下の世代の人たちも、初耳だと言っているコメントが少なくない。
ということは、
いたって浅い歴史なんじゃないのかな、こんなルールは。
誰が言い出しっぺなのかしらん。
『筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は』9/24(火) 9:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190924-00010000-nishinp-soci
なるほどw
だからなんだ、私の「学力が伸び」なかったのは(苦笑)
「悪法も法なり」と言い遺したと伝わるソクラテスを、あほちゃうかぁ?と せせら笑ってた私だものw
従容と、とか、「どこまでも、ついて行きます下駄の雪」とか、
したいと思っても、しようと努力しても、結局、できない。私には(苦笑)
おらおらぁー、わらわを納得させてみんかい、ほれ、どーした?と、
(お下品な言いかたで失礼w)
納得いく説明してくれないなら覚えない
覚えらんないよお~;![]()
と ひらきなおったあげく、小学校時代の算数のテストの、あくまで文章題ならば、自分なりの流儀と思考力のみに頼り、どうにか こうにか正解を導き出しては、担任を困惑させていた私は、後年になって、低学年の頃、足し算・引き算するとき、自分自身の手と足の指それぞれ10本ずつでは足りないとて、親や兄らの指まで借りに来ていたオマエというので、さんざん笑われたもんだが、
中学生になったら、病的なまでに数字に弱い私は、数学担当のスケベい教師から「ハクチ美人」と呼ばわれつつも、
なぜか、『集合論』だけはスイスイ理解したので、いつもの「公式の意味を~」と騒ぐことなく、しかし、他は相変わらずなので、しまいに、職員室の教師全員から「宇宙人」と名付けられるまで有名になった。
高校生になると、新学期が始まるまで怠けて放置してあった夏休み中の数学の課題を集めるであろう授業開始前夜に、あわてて小一時間ほどで書きあげた小論文が、
「やっつけ仕事まる出しで、先生に激怒されるだろうなあ~」
と恐る恐る提出したところ、想定外にも、数学担当教師に激賞され、全校生徒の前で読みあげさせられたというケッタイな歴史を持つ。
もっとも、私よりも ずっと下回るIQだったらしい うちの兄だって、国立大の教育学部を出て、ガッコの先生やってたわけだけど、
もともとの性格は、それこそ自分勝手なルールを主張しては、真っ先に、妹である私に守らせようとしたもんだw
だから、結局は自殺せざるを得なかったわけかな?
本来、そうとうの変わり者だったし。
さて、うちらの世代は、
その ずっと上の世代が、ほっかむりして、ヘルメットかむって、「ゲバ棒」とか言う角材を振り回したり、ダイナマイトどんどん!を やらかした その あげく、飛行機を乗っ取って飛んで行ったりといった狼藉を尽くしていたのを、小学生時分に見て、呆れかえっていた反動なのか、「シラケ世代」とか、無気力・無関心・無感動の「三無主義」も通り越し、「四無主義」だ「五無主義」だとまで呼ばれた世代だがw
ただでさえ、うちらの世代より もっともっと輪を掛けて、可哀想なくらい、おとなしくて良い子ちゃんになってしまってるからね、近頃の若い世代は。
先日のエントリーで、子どもの虐待・殺人事件に関連し、なんだか、化粧だけは やたら上手だが、子づくり相手の選別と子育ては まるでダメ~、みたいな感じの若い母親らの、異様に細かいルールを押しつける亭主の病理みたいなことを指摘しておいたけど、
日本の教育界の、
「押しなべて」
「敷きなべて」
という方針は、早急に改め、
権威筋に盲目的で、力ある他者に追随し易い、無自覚な「コマ」や「ミニ ナチス」育成から、自力思考と深みのある議論が でき、それを向上させるための情報の取捨選択力を主体的に培おうとする意欲を伸ばす教育へと切り替えないと、ほんとうに、世界じゅうから取り残されるぞ。
それでなくても、日本の企業の低効率、低生産性が問題視されているのに。
コスト カット!コスト カット!と叫び続けて、
とうとう、あらぬ大事故を起こした日本の企業そして、政府。
もう何十年も前の話で、何かで読んだには、家の壁塗りする場合でも、日本人は、そばに寄って、じっくり眺めても、細かい所までキレイに塗れていることを重視するけど、日本以外の国の人々は概ね、「遠目に見てみて、まあまあキレイなら良いじゃん」という感じで、あまり こだわらないそうだ。
縫製品などでも、日本製の衣料は、縫製がシッカリしてるけど、欧米圏を含めた諸外国では、わりと大ざっぱで普通という話も言われていた。
どちらが良いか、一概に決めつけられないと思うけど。シッカリ縫い上げてある衣料品などに、「メイド イン ジャパン」の誇りを感じないでもないのは、私自身も そうだった。
たとえば、かれこれ20年ほど前に、スーパーマーケットの玄関先で、500円か1000円以下の価格で購入した、ポリエステル素材のカッターシャツ、洗濯機でガラガラ回してきたのに、こんにちまで、ボタン一つも、取れたことが ないほど、じょうぶだ。いまだに重宝している。
けれど、
Tシャツなんかは、縫製がシッカリし過ぎてるのは、かえってイヤだ、ダサい、あるていどヨレヨレになってくるくらいで ちょうどイイのだという感覚を、アメリカだったか外国の人が言ってたのも思い出す。
ただねえ、
くだんの記事を読んでいて思い出したことの一つは、
とある大企業の重役か経営者という人が言ってたという指摘。
それは、一言で言うと、
「めんどくさがらない人は伸びない」
っていう内容だったのよ。
メンドクサがりの私自身、これは意外だわと驚いたけど。
たとえば、
新入社員の頃に、まずはコピー取りを、あるていど大量にやってもらうんだって。それで、
横着せず1枚1枚、丁寧にコピーしている場合、その新入り社員は、あまり伸びないな、と判断するんだって。
逆に、メンドクサイから、なんとかイッキに済ませられないものかと試したあげく大失敗しても、そういうタイプのほうが、見込みが あるんだそうで。
へえ~ホンマかいなとは思ったけど、
まあ、自分自身がメンドクサがりの横着者だから、ある意味でホッとしたからというわけでもないけどw
(ただ、私は、「どうせ」という、たとえば、シャツ ブラウスは、着ているうちに、どうせシワが寄るから、アイロンはムダ、というのとは少し違う。)
たしかに、
一代で企業を起こし、成功した父方の実祖父なんかは、猛烈に短気で、怒りっぽい性格だったという人物像について聞いていたことを思い起こすと、頷けるような気もするし、
ひるがえって、私自身の身近での例を たどっても、
こまかく地味な作業の繰り返しを厭うことなく、というよりも、そういう作業をこそ好み、およそ手抜きとか、はしょるということを全くやることなしに、ひたすらにコツコツと こなしていた人ほど、それ以上のことは一切できなかったりしたものだ。
もちろん、それは それで、その人なりの存在価値になり得てる面も あるんじゃないかなと思うんだけども。
およそ日本の組織が必要としてきた「コマ」どもに、「主体性」だの「考える人」は不要。邪魔。
飼い慣らされた効果による「前向き」、
組織や権力にとって好都合の「実行力」「積極性」が望ましいのである。
以前から再々言ってきたけど、
「優等生」ちゃんの素質には、降ってきた水分をゴクゴクと吸収する、
あたかも砂の如き素質が備わっており、
それでこそ、
思考停止というツルツルしたベルトコンベヤーの上にスムーズに乗っけていけるんである。
それにしても、はて?
聞くところでは、「アスペ」とか「発達障碍」の一種に、決まりきった形式を大いに好む傾向が あるんだっけ??
決まりきってないことに遭遇すると、たちまちパニックを起こすとか???
以前にも言った、「仕事できない同僚だった人」というのが、自席の机に置く物、たとえば、湯呑みとかね、いつも、寸分違えず決まった位置にキッチリと置いてたので、なんだかフシギに思ってた。
私みたいに、その人らの分まで背負わされてると、急ぎ仕事の書類やらが積み上がってるから、机上のスペースが殆ど ない、という状況では、置きたい所なんざ、拘って好きなように選べませんわ。
先輩のなかには、もちろん、仕事できるタイプの人も いたけど、その人も、私みたいに(?)お人よしでw
やっぱり、まずは机で作業できさえしたら、それでイイ、室内の どの位置とか、どこの席とか誰の机や椅子であろうと、どうでもイイ、というくらいの多忙だったけど、
そのうちに、ある人から、わたしのボールペンを返してください!と責め口調で言われて、「ありゃりゃ?いつのまに、、、すみませんね」と謝ったりして、どこの、誰の、という区別すらアヤフヤになっていった あげく、
ある日、窓際族の典型的バーコードおじい社員に、理不尽な言いがかりを つけられ、ついには、たまりかねて、号泣しながら去っていった。
そのあとは、ますます、新入りの私の上に、仕事がドサドサドサ。。。![]()
【続く】