2019.11.12 (Tue)
先行エントリーね↓
『【続・続】炎上が あらわにしたこと――『首里城』と『あいトリ』』
まずは、
「愛の正反対は無関心」っていうでしょ。
ほんとうに無関心だったら、批判する気にすら ならないよね。
批判するにも、対象を よく観察して、知ってなきゃならないのだし。
さて、
ヨーロッパでは、芸術家というよりも、実は職人・商売人に近かった画家たちが、あるいは、彼らのパトロンの要望に従ってか、大昔から、現代では古めかしく仰々しく見えるヌード画が夥しく存在する印象なのだが、
裸体ですが、これは飽くまでも神話の一場面を描いたものであります、というタテマエにしておかないと、普通の女や人間としての裸体を描くことは、つよく憚られたそうな。出発は、そういうことだったらしい。
また、
こんにち、日本人は勿論、世界じゅうに愛好者が多い『印象派』の登場時も、最初の頃は猛バッシングに晒され、なんたる稚拙と嘲笑されたのだという。
ところで、何を隠そう、わたしゃ、学校時分から、パロディ作品ってやつが好物でw
ウィーンにおける『ジャパン アンリミテッド』に展示されたパロディ作品を二つほど、どこかの記事の添付画像で見てみたのだが、
たとえば、日本が敗戦後、間もなく撮影された「マッカーサーと昭和天皇」が並んで立っている、例の あれね、広く知られているらしい、あの写真のパロディ。
まあ、一目瞭然と言っていいほど、とっても分かりやすい表現の作品じゃないの?(笑)
なのに、
ことばに頼って説明するな!見てズバリ100パーセントの力が ない!とか言い張るんだもんな、「ヤフゴミん」は(嗤)
そういうふうに、あまりにもギャーギャー責めたてるから、それならと、アーティストさん みずから、よっこらしょと、説明に努めてるしだいでしょうのに、「ことばに頼るな」ってw
どーしろっつうの?ww
ああ、これかな?
「私には何の規則も方法も ない。〔中略〕私は、キャンバスの上で、その肉体が生き生きと、うち震えるように輝く色を見出さなければならない。今では、全てを説明するように求められますが、説明できてしまうような絵は、芸術では ない。〔中略〕美術作品は、あなたを捉え、あなたを、それ自体で虜にし、感動させるものでなければ ならない。それは、芸術家が情熱を表すための手段なのだ。芸術家から迸り出て、彼の情熱へと、あなたを誘う流れなのである」(ルノワールの ことば)
このように語った彼が描いた女は花のようで、花は女のようだ。
ルノワールは、貧しい生まれ育ちで、もともとは絵付け職人から出発したのだから、そりゃ、柔やわと楽しげな絵を描くでしょうよと思う。
「世のなかは、醜いものが じゅうぶんに ある。もう これ以上、醜いものを加える必要は ないから、美しいものだけを描くのだ」(ルノワール)
私も、「醜い」ものは、いやというほど見てきたし、
「見ぬもの清し」とて見ないでおくことは許されなかった。
明るい楽しい気持ちイイ、それだけが、「心を豊かにする」ことでは ないのよね。
こういうことって、人物とか人がらにも言えることで、
むしろ、とても辛いこと、人生の悲惨を経験してきて、明暗、彼我の落差というものを思い知っている人のほうが、そういうことから免れていた人よりも、ずっと、味わいある人が多いと思うね。
綺麗なだけじゃダメ、って考えも理解できるのよ。
私自身、暗く、恐ろしいような作品でも、どこか「美」を感じるものも あると言ったんだし、直視したくないほど不気味とか陰惨であっても、つい目を離せなくなるような独特の引力を持っている作品も実際、多くあるのを知っている。
芸術の ありようは、幅が広い。
ルノワールを批判していたという岸田劉生。
私は、教科書で、『麗子像』を初めて見たとき、
「うわ、すごいな。。。こんな顔に描いた父親に対して、モデルにされた娘さんは、お年頃になって、ハラ立たなかったやろか」
と思ってしまったけど(苦笑)、
まあ、『麗子像』については、他のも見ていったら、それなりに、「幼女の神秘的色気」みたいな描かれ方してるんだなあ、と思えた。
どこか、クラナッハのヴィーナスみたいな顔。
けっして嫌いでは なく、むしろ、好きな画家のうちだ。
しかしながら、
私個人的には、だんぜん、「心地良い」作品が大好きです。
だって、心地良いんだもんw
人それぞれの好み、また、関心の強弱が ある。
私自身は、たとえば、あの『表現の不自由展――その後』で見た、いくつかの作品に限っては、目新しいと言えるほどの視点を得ることも なく、尚且つ、驚くべきほどの表現とも思えなかったどころか、もはや陳腐でさえあるということ。
だって、自分なりに、すでに考えてきていることなので。
世間的にも、それほど珍しい「問いかけ」だったとも言えないだろう。
問題にすべきは、過去に、それぞれ、展示を拒否されていたという現象についてだ。
単なる、素朴な好き嫌いの自由も当然あるはずで、
また、どういうものを「心地良い」とか「美しい」と感じるかは、人によるのだろうし、
ま、そんなもん、個人に強制できない。
ただし、
権力側に対しては常に、その見識と姿勢が厳しく問われる。問われなければ ならない。
大衆とは、「愚衆」という別名も あるほどで、当然、一般大衆、大多数が正しいわけでも ない。
その大衆の上に君臨する国家なる権力の見識が低レベルで、あやふやな姿勢で あっていいわけが ない。
権力に盲従する大衆も、大衆の顔色を窺う権力も、国家としての品格を甚だしく損なうものだ。
その自覚と覚悟が ない、にも かかわらず、「先進国」の仮面を かぶってイイ気になっている、この国は。
【続く】
2019.11.10 (Sun)
『炎上が あらわにしたこと――『首里城』と『あいトリ』』の続き。
さて、
「ネトウヨ」の歓心を買うためにやってるのかと思えるような政治屋さんがドッと増え、跋扈している今日この頃、
河村さんとか言ったっけ、名古屋の市長さん?この人も、「日本人の心を踏み躙りぃ~」とか大仰に断言したそうなので、
「はあ?日本人や、日本人の心っつうやつを、なんで、おたくにキッチリ定義されなきゃならんの?」
と反発を感じた私は、まあ、誰かに言われたことが あるように、「日本人離れ」してるせいなのかもしれないが、たしかに、「踏み躙られた」とも、「傷ついた」とも「暴力だ」とも、まったく、思いませんでしたw
せいぜい、「ふーん」とか、
先日のエントリー『【続】最近の話題の記事から』で ぶっちゃけたように、「なんかダサいなあ」としかww
どうりで、
津田さんと おっしゃるジャーナリストとか大学の教授さんとかいう、あの『表現の不自由展――その後』の責任者ですか、そのかたが、『遠近を抱えて』の作者さんは、むしろ、言わば「ウヨ」とか「ネトウヨ」に近い心情を持っているのに、というふうな説明を しておられたので、
ああ、やっぱり、と思った。
だからなんだ、
私が、あの作品に対して、全くと言っていいほど、共感できなかったのは。
前から思ってたんだけど、
『遠近を抱えて』の作者さんも、
また、近頃、韓国の重要閣僚だかが、「天皇の謝罪」を要求したとかいうことも連想するのだけれど、そのニュースが大々的に報じられ、案の定、現政府と、そのシンパである「ネトウヨ」どもが大騒ぎするのを眺めながら感じたことと重なるのだが、
要するに、
「ずいぶん、『天皇』という偶像を、非常に重大な存在と考えてるわけなんだ?日本人のみならず、韓国人までもが」
という怪訝さしか感じない、私は。
でも、
極端な騒ぎを繰り広げてる政権、そのシンパ、無知なまま巻き込まれてる一般国民が、止めろー止めさせろと主張するようなことは、私は しようと思わない。
なぜなら、
『遠近を抱えて』という作品の本当のところには、まさに「右翼」的心情が根底にあるのだと言っても、それによって、私の日常生活や思考・感性も含め、毀損されたりは していないし、
世のなか、そういう人も いるわな、そういう人が、そういうふうに表現してるんだなと、遠巻きに眺めるだけ。「ふーん」という感じだけ。
「ウヨ」「ネトウヨ」らみたいに、ああいうものにビンビン響かないw
響かないから、感動しない、妨害もしない。
積極的に見に行かないだけ。
その点では、まさに、現憲法で真っ先にシッカリ規定してある『天皇制』のほうが、よっぽど暴力的に、私の生活を有形無形に侵害していると言えそうだ。
そもそも、『天皇制』『皇室制度』についての「総意」になど一切、加わった覚えないもん、私は。
宗教まる出しの「祈らせてください」じゃあるまいしw徴収されて祈られるのも「象徴」されるのも、迷惑です。
国や政権が、「こんなの、認めませんっ!」とソッポ向くのは、大問題、というリクツは理解できる。
あほな「ネトウヨ」らが頻りに、「ヘイト法」を敵視してるけど、
「暴力装置」という専門用語で表されているように、公権力というものには、非力な一個人やマイノリティに対して適用される「ヘイト」見解は当たらないんだ。
国家権力とは、存在自体が、すでに「暴力」的なんだから、これに対して批判や抵抗は、一般国民の権利なのだ。
多数決や選挙結果だけが全てじゃないでしょ。
このへんの初歩的基本概念が、安倍政権と自民党シンパ、「ネトウヨ」らのオツムでは理解する能力が ないのか、ワザとヘリクツ言ってるのか。
だって、国民たる私は、『自民党』特に安倍政権は、ただの一度も、小指の先っぽほども、支持してないんだもの!!
もういっぺん言っとくわ。
あったま悪い「ネトウヨ」ども「ヤフゴミん」どもへ。
作家・アーティスト側の「カネ事情」のことなんざ、
なん~の問題にもなってないの!w
この場合の問題となってるのは。
政府側の姿勢!
国家権力というものの ありかたなの。
それが、大きな問題になってるの。
見なさいよ、
いつもの「ザ・官僚式ヘリクツ」で拵えたタテマエの下に、どうしようもなく滲み出てるホンネw
わかっていても、自分らの つごうと、政権ヨイショのために、話の本質をスリカエたいばかりなのかもしれないが、
どうも、ほんとにカン違いしてるのかもしれないよな、
なんせ、ものすんごいアホでバカだから「ヤフゴミ」は。
いいかげん、黙んな。
日本の劣化よろこぶ「ネトウヨ」ども。
さっさと閉鎖しなさい、汚い商売とデマとヘイトのために提供してる「ヤフゴミ捨て場」。
オーストリアで開催された『ジャパン アンリミテッド』とかいう展示についても、日本側の大使館が公認拒否に転じたとかいう話、現地の人たちは、ヘンな話だなと怪訝に思ってると、そういう内容の記事は、『ヤフー・ジャパン』は、そそくさと隠すのよね(嗤)
『朝鮮民族』を罵倒するための大舞台が、(もと)朝鮮人経営の「ヤフー・ジャパン」、とんだ皮肉だね。
孫さんは、同胞である朝鮮民族を殊更に憎悪・拡散してもらうことで、もって、恨みある日本社会の劣化と堕落、内部崩壊を期しているんでしょうかね。
私自身、自国だけでなくて、韓国や朝鮮人、また中国にも、いろんな面で指摘したいところが ないわけじゃないし、良い印象ばかりでは ないが、
適切・妥当な批判を するためには、真実、事実を真っ向から直視したいと望み、その望みを宿した眼で取捨・選択し、得た知識をもってから、正々堂々と論理的に指摘しなはれ。これは、どの国の国民もだね。
そういう知識や情報から、権力によって遠ざけられている国民は、目隠しされたまま、崖っぷちを歩かされているようなものだ。
誹謗・中傷のために、エセ知識や偏向してる情報だけを、つごう良く切り取って振りかざすのでは、ただ膠着し、終着点に辿り着かず、延々罵り合いになってしまうだけ。
政府と商売人、メディアまでも含めた権力は、一般大衆をコントロールするために、そう仕向けるよう、手を組むことが ある。
目隠しを剥ぎ取り、キッと振り向いて、
自分の背後でニヤニヤしながら、さあ歩け歩けと突っついていた、それは誰なのかを直視しなければ ならない。
それを しようとしない国民・大衆は、舐められ、操られる。
操っているつもりの権力トップも また、何者かに操られているのだ。
おおかた、邪まな目的を実行させるための指令を出している組織(『日本会議』とか『在特会』とか)や その中枢がゴチャラゴチャラ化け物みたいに絡み合ってるのだろうが、
矮小な利害を共有して、肩入れしたい対象を良いほうへ持って行くために、つごうの悪い相手を陥れようとする輩は、ゴミですらない。ゴミよりも まだ劣る。
なぜなら、腐敗した有害物質に ほかならないからだ。
これこそ、排斥あるのみ。放置していたら、どんどん分岐・蔓延していく。シンドロームだわ。
『首里城』の沖縄問題とも共通性が見受けられる『表現の不自由展――その後』、こういう騒ぎを見ていると、
やはり、自分たち自身で起ち上がり、自分たちで推進し、志し同じくする人々と手を携え、
やがて、
大衆の内側から抑えようもなく湧き上がってくる熱や動きを共有、
政府や権力に対しては、すっぱりと、手を振り払い、「間に合ってるので、けっこう!」と ピシャリ撥ねつけ、
何らの権力にも頼らず、しがらみもなく、したがって、口出しされる筋合いや心配もなく、わが道を行く!くらいの強さが ないと、
結局、すべてがロクでもないことになるんだなあという気が してきた。
まして、ああいう、神経質にピリピリ、それでいて、介入チャンスを虎視眈々、てな政権だから。
カネを出しても、口は出せないのよっ、ということを国家権力に分からせることが できないのであれば、難しいね。
【続く】
2019.11.10 (Sun)
水で洗い流すより以上に、本当の「浄化」は、火で燃やすことなのだという。
火が焼き尽くしてしまうのは、「汚れ」が溜まりきっているからだと聞いたこともある。
さて、
隣りの半島の国もそうだけど、
自分の国を、一度は失ってしまったという歴史を持つ民族は、あたかも宿命のように、失う悲劇を繰り返してしまうのだろうかとすら感じた。
だからこそ、『沖縄』は騒ぐんでしょうね。
まあ、日本だって、実質的には「失われている」と言えなくもなさそうだし、
少なくとも、実際に失う事態に直面した歴史を、わりと近年に持っているわけだ。
このたびの『首里城』焼失について。
いやはや、みごとなまでに燃え尽きたなあ。。。
このエントリーも、ザッと書いたまま2、3日ほど放置してあったのだが、
時間の経過と共に、関係各当局の歯切れ悪さにも かかわらず、透けて見える部分は漏れ出してくるもので、ここ数日間で、私にもズバッと言えそうなことが幾つか出てきている。
まあ~、だらしないことだ。
まずは『沖縄』!
「なんくるないさー」の性分、「南国気質」ってやつが出ちゃったのか?
原因もサッパリ突き止められないうちから早々、「再建だー!!」「寄付だー!!」「政府の支援を!!」と叫んでいるのは、いかがなもんか?という多くの意見も、むりは ないと思える。
その反面では、
なけなしの小遣いを差し出してみせる、ほとんど何も知らないであろう、素朴・純真な児童・生徒たちの姿を、全国から映し出すメディア。
典型的な情緒優先の光景。日本人も韓国人も、まあ、こういう点については特にソックリなんじゃないかと思う。
さてさて、
戦時中の悲惨な経緯から、ほんものの『首里城』を失っている。
だから、国が全面的に責任を持ち、可能なかぎりの再現を果たす、それは当然だろうと思うし、実際、できるかぎりのことは したのだろうから、
できれば、あとは もう、政府を頼らず、自腹と寄付だけで再建したら どうか?
そうなると、燃してしまった その足もとにも及ばないような、大雑把で安っぽい造りになるのかもしれないけど。
そう、コンクリートにしておくといい。
コンクリートで、なんくるないさー!
コンクリートと言えば、
こないだの台風で甚大な被害を受けた「本土」の住民に対し、
「沖縄の住民である われわれは、来襲がアタリマエの台風に備え、周到に、家屋もコンクリートにしてある、万全の対策を講じてある」
と、ほとんど自慢やアテツケみたいに言い放ち続けていた、自称『沖縄』県民の「ヤフゴミん」たちは、あっという間に、いなくなったな。
一般の民家ですら、コンクリで頑丈に建ててあると言ってるのに、大事な大事な お城が木造って、、、?と、私は怪訝に思っていた。
これまでの私は、
『日米安保』『米軍』と、その駐留基地の必要性を固く主張し、かつ、ゆえに『自民党』『安倍政権』を全面支持している、という自称「沖縄県民」を、「ヤフゴミ捨て場」で ちょくちょく見かけていたのと、
選挙結果で、『自民党』を勝たせてしまうことも たびたびだったことから、
はたして「オール沖縄」というキャッチフレーズに、時には、大いに疑念を持っていた。
そうでは ありながらも、基本的には、『沖縄』の味方だったつもりなのだが、
『首里城』は「ウチナーンチュ」沖縄県民の「心の よりどころだった!」「宝だった!」「象徴だった!」と、いかにも悲愴なセリフを言い募って、激しく嘆くわりには、ずいぶんと、ずさんな扱いかただったのね。
口先だけだったんでしょ?
不始末の直接原因を齎したのでないかと疑わしい現場関係者も「ウチナーンチュ」、地元の人たちじゃないのですか?
『沖縄』に行ったことないし、今後、行く予定もない、その余裕もない私は、『首里城』復元のことについて、ほとんど何も知らないで いたし、
ぶっちゃけ、『首里城』が存在していようが なかろうが、「本土」の住人である私個人の生活にとっては関係ない、
と言うよりも、ただただ、莫大な税金が、あっけなくムダになったこと、
そして、
この災いに、むしろ、つけ込み、乗じる構えを早速、見せている、イヤラシイ安倍政権に対する警戒が もたげてきて、もう、不快感マンタンだ。
アベシを援護射撃しているかのような『北朝鮮』と似た不快を感じる。
あとね、
「所有者」たる国の方針も、すごく おかしいよ。
たたでさえ、非常に燃えやすいことが分かりきってる木造のうえに「桐油」とかいうやつを塗たくってあったんだってね。
どんなに、オリジナルに忠実に復元したと言えど、木材ひとつとっても、実際は、オリジナルと同じじゃないでしょ?
国外へまで無理を言って、融通してもらったらしいじゃないか。
復元に当たっては、その方面の専門家の意見も取り入れているはずだろうけど、
「できるだけ、当初のとおりの復元」
という方針だから、たとえば、スプリンクラーは付けませんよ、って、
そんなリクツは、おかしい。
そこまで行くと、単なるヘリクツです。
どうぞ、思う存分に燃え尽きてください、って待ってるみたいだわよ。
外側に幾つも最新式消火設備を並べていたって、延焼や類焼を防ぐには役立つのかもしれないが、肝心のものの内部から発火した場合、火が大きくなってしまっていたら、意味あるのかと、そういう考えは なかったのか、はなはだ疑問に思う。
もちろん、スプリンクラーなどの、内部消火に備えた設備が ない以上は、
かつ、それで納得していたのなら、沖縄側の当局が、それに応じた運営を すべきだったのは当然だ。
結局、筆頭当事者であり、直接管理者である沖縄の各当局、雇用されていた地元の業者関係、そして、所有者たる国。それぞれ、全員、各様に、不手際と無責任さが あったように思える。
次は、例の『表現の不自由――その後』展について。
こっちは、先日のエントリー『【続】最近の話題の記事から』に付け足す かたちで。
日本人作家のものとしては、最も話題にと言うか槍玉に挙げられていた『遠近を抱えて』とかいう作品。その作品は、作者ご本人の内面を全体的に表現したもののなかに、あくまでも一部分として、若い頃の『昭和天皇』の肖像写真が含められているわけで、
「燃やした」というのは、作者ご本人の「抱えて」いた内面そのものを燃やした、という意味を込めているのだということらしい。
ところが、
『文春』の特集インタビュー記事内でも、いまだに、「天皇の肖像写真を燃やし」という説明を相変わらず使い続けてるね。
それ、違うよ、って、作者ご本人も、その周囲からも指摘されてるのに、なぜ、あらためないのかな?
【続く】
2019.11.04 (Mon)
『「公平」な米国求める怒り=社会主義賛美の風潮-米大統領選』
11/3(日) 17:32配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191103-00000066-jij-n_ame
日本でも、やはり同じ問題が起きてるよねえ。
ただ、
本場アメリカの、いわゆる富裕層が、日本の それとは違い、見識も矜持も段違いなのだなあと感心したのは、バフェット氏だったかな、彼ら富裕層の一団が、
「われわれから、もっと税金を取ってもらいたい」
と、明言したこと。
さて、
『上智大学』教授という肩書の「オーサー」さんの おことばなんですけれども。
「~アメリカの50以上の識者に『若者の間に社会主義的な概念が好まれている』というと、『若者はよくわかっていないから』と露骨に嫌な顔をされることもよくあります」
日本でも そうだが、しょせん「借り物の資本主義」国は、それこそ、「よく分かってない」んじゃないかと思いますけど。
たしかに、アメリカと、『社会主義』や『共産主義』って、最も遠い、相容れない、とことん忌み嫌ってるというイメージつよかったけどね、従来は。
日本では、いつのまにやら、『共産党』と『自民党』では、はて、どっちが どっちやったかなあ?と困惑するほど、みごとに入れ替わったみたいなところが出てきてるけどw
おのれ自身が極端だから、相手も「極端」に見えるのだと、
ことに、先方が「極左」に見える、というのは、
おのれこそが、とりもなおさず「極右」である証拠だ、という喝破は、そのとおり言い当てていると思う。
いわゆる「右」だろうが「左」だろうが、何ごとも、極端では行き詰まる。
私なんかは常に、「右」「左」双方から叩かれまくってきたもんね。つまり、見事な「中道」でしょっ!ww
「自分さえ良ければ」という考えや姿勢は、いつしか、回り回って、自分の首を絞め、破綻することになるんだよ、という意見を、私自身、ずーっと前から言い続けてきた。
最近では、さすがの「ヤフゴミ捨て場」でもチラホラと、それに近いことを言い始めた投稿者も見かけるようになってきたが(いままで、どこに隠れてたんだ?w)、
こういう考えかたって、わが日本だと、宮沢賢治先生が おっしゃったし、
かのチェ・ゲバラも、似たようなことを言い遺してる。
この両者は、生まれて生きた国も時代も全く異なり、思想背景ときたら、正反対と言うべきほど異なっていたはずなんだけどね。
商売ひとつ とっても明白な話だ。
おおぜいの人たちが買ってくれる、使ってくれるから、儲けられるのだから。
「ヤフゴミん」のなかでも、しょっちゅう見かける、
「たくさんの税金を納めてないやつがー、ねたむな僻むなー」
と言い張ってるけどね、
小学生の算数アタマで考えても明白ですがな。
日本においては特にだけど、ごく少数の富裕層が、どんだけ高額の税金を納めても、
最も ぶ厚い庶民・大衆層が一斉に納める金額に、到底、かなうはずが ないだろうよ。
その おかげで、国家も商売も、そして『皇室制度』も成り立ってるの。
商売人なんて、その殆どは、要らんもん売りつけてるだけよw
富裕層とまで いかない、そこそこ お金持ち程度でも、日常に、ある程度の余裕を持てていて、たまには気晴らしの娯楽も楽しめる、という生活なら、私は、性分なのか、まあ満足してると思う。
普段の衣食住が、まずまず平均クラスの水準で満たせていたら、要するに、大欲は掻かないんだ(苦笑)庶民層の大多数も そんなとこなんだろうと思うよ。
それに、私は、税金を納めること自体を、あたかも損してるような気分には ならない。
むしろ、納税できることは、本来、誇らしいことだと思うし、その点、税金を払いたくない!と主張する、自称「努力した勝ち組」さんらのススメる「愛国心」の意味がサッパリわからないw
もちろん、使い道については、特定の人々が、私的に流用したなんて事が あったら、それは怒り心頭だけど、
日常生活で、多少の余裕を持てる分以外は全部、税金で持って行かれたとしても、腹は立たないと思う。想像でしかないけどね(苦笑)
なぜかと言うと、さっき言ったように、大欲は掻かないから。
「足るを知っている」からさ。
でも、大欲を掻かないタイプは、困ったもんだと苦々しく思う、ある層の人たちも いるんだろうねえw
ところが、ささやかな日常すらカツカツの線になってくると、
ましてや、「人並み」のカラダじゃないことで、足もと見られ、平均レベルの仕事すら こなせないような、能力が低い人の分まで引き受けさせられていたにも かかわらず、報酬に反映してもらえなかったとなると、いいかげん、バカらしくもなるわよ。サービス残業とかね。
さあ、
それでなくても、障碍者でもない「人並み」「普通の」はずの人々が、どんどん振り落とされる異常事態が、この国で起きた、ということを、前々回あたりのエントリーで指摘したけど、
いよいよ、「AI」社会だのって、凡庸な者は容赦なく振り落としていく社会が到来するのも目前となったら、「ヤフゴミん」の皆さん殆どの人は、振り落とされること必定の側じゃないの?(嗤)
おたくらのコメントをチラチラ眺めてると、たいがいは、低学歴で不勉強な私なんかから見ても、ほんっとに低知性で、思い込み激しくて、有名人やエライ人の発言だとなると、全面平伏して有難がってる、凡庸そのものの群れですからな(嗤)嗤)
あ、そうだ、賛否両論の「ベーシック インカム」ね、これこそは、「人並み」の人々が、急いで検討しなくちゃならない議題じゃないの?w
働きたくない者は~、オカシイとか何とか、疑念を呈している向きは多いようだが、
現実、働きたくなくても働いてるんだ、と言いたい人のほうが多いだろうね。全員が、「天職」や適性のある仕事に就けているわけじゃないんだから。
ただ、「ベーシック インカム」の、良き可能性は?と少々考えてみるに、
まずは、『生活保護(生活保障)』の、言わば「スティグマ」を解消する効果も勿論あるだろうけど、
ある程度は、失敗が許されること、つまり、路頭に迷ったり餓死するかもといった息苦しい心配が なければ、各自、それなりのアイデアや野心を持って、様々に起業することが気軽になるかもね。
まあ、難しい問題だけど。
あ、それと、
すでに言ってきたように、「完全にフラットでは流れない」。
「格差」は あるのが自然です。
極端に ありすぎるから不自然なのです。
そう言えば、
最近、ゲバラの故国、アルゼンチンで、(中道)左派政権が成立したそうだね。
2019.11.02 (Sat)
『きょうの二題――城と避難所――』の続き。
世のなかには、男性や、性というものに対する、みょうなコンプレックスや劣等感を抱えている女性が いるのも事実のようだし、
そういうコンプレックスや劣等感を、男性の目を引くことによって、発散させようとする女性が いることは認めざるを得ないケースも あると思う。
ただし、
ほんとうの「性欲」自体の強さで、そういうふうになることは、女性全体のなかでは非常に少ないだろうと思われるし、
なかには、レイプ被害を受けた影響からの心理だったりするから、女性の場合は、男性と比べて、単に肉体的な欲求からという以上の、複雑な心理背景が あるようにも思う。
およそ「性」というのも、駆け引き材料の商品となり、優位や力の誇示の場ともなる、そういうものに敏感な者ほど、それに とらわれる。
だからかね、『自己愛性人格障害』者の場合、「セックス依存」とか、女性でも顕著な性的関心を示す傾向が指摘されるのは。
もともとは そうだったという、「女性ばかりの世のなか」だったら、
たぶん、もう少しは平和な世界だったろう。
少なくとも、戦争、犯罪、特に性的犯罪、地球規模での自然破壊も公害も、概ねは男性が齎したものと言って過言じゃないわね。
良い面と悪い面、
男性は、極端で、ひどく危ういバランスを、この世に齎してきた。
女性性のなかから、突然変異のごとく発生してきた男性性というもの。
古今東西の問題なのだけれど、
ことに「イスラム」圏の女性の身なりを見るにつけ、えらく痛々しいものを感じるわ。
日焼けも防げてイイのかも、と思ったりするけどw
日本でも、荒行を する修行場などに、女性の立ち入りを禁じていたりする。
男性の弱さを痛感するところよね。
致命的に弱いからこそ、必死にカバーせざるを得ない。
だいたい、男性は、特に、性的なものが絡むと、自分の つごう良く解釈する傾向、つよいよねえw
つごう良く誤解し易いし、
誤解させられたー!期待させられたー!と逆恨みすること多いでしょw
でも、それが現実だったのだと認めて、おとなしくしてるばかりもシャクで、つまらないから、しまいに、犯罪に繋がるような強引な手段に出ようともする。
ゲームやエロ漫画のオタクなんかが、「関係ないー!!2次元と現実との区別は、ちゃんと~」と必死に言い募るコメントを よく見かけるけど、
ところが、男性は、視覚からの刺激を受け易く、影響され易いのだ。
性の対象になり得る女性かどうか見分けることにも拘るのが一般的。
もっとも、せっぱ詰まったら、相手がババアだろうが何だろうが襲うんだけどね(嗤)
幼い子どもみたいに、目を離せないで、じーーーっ、と見詰めるシーン、思い当たるでしょ?w
このことは、女性側も、わきまえておくべきだと思うよ。
男性がだね、もし、露出過多な、からだの線ぴっちり、みたいな かっこうで出歩いてたら、女性から見ても、不快でしょう。
とは言っても、
女性のファッションによって不快に感じる男性側の それとは異なるよね。
性欲を刺激されるとか、そういう雰囲気を感じさせられて不快、というのとは多少なり違うから。
ただただ、単純に醜い、カッコ悪いんだから、おやめなさい!見苦しいわねえ~って感じしか持ってないのよw一般的な女性はね(苦笑)
け、け、けしからん!と息巻きつつ、内心(*´Д`)ハアハア、、、っつうのと、根本が違うw
女性たちが、さも厭そうに、顔を顰めるのを見て、快感を もよおす男性も、そこは おわかりでしょ?ww
あと、やっぱり、母親が、そもそも女性であるということの心理的影響もあると思う。
母子関係ってのは、息子でも娘でも、原初の、恋愛関係の原型とも言えそうだものw
こういうのも、猿の社会を見てたら、よく分かるよww
私自身、どういうわけか、幼い頃から多くの性的被害に遭い、幸いにも、「レイプだー!!」と、警察に駆け込んで被害届を出さなければ ならないほどの深刻な事態には辛うじて遭わないで済んだけれど、
幼児から見れば、「おとな」に見える男性、いまの自分が振り返るに、ごく若い、19歳や二十歳くらいの青年だったりしたけど、
まるで同年配の女性に言い寄るみたいなコトバと態度でもって、にじり寄ってきたのよね。
過去に、どこかのエントリーで述べたと思うけど、
あれは本当に、理解できなかった。
だって、こっちゃ幼児だからねw
「このおにいちゃん、なに考えてるのかなあ~???」
てなもんですわよ、ほんとww
ただねえ、最後に言い添えておくのは、
特に痴漢なんかは、電車に乗っただけで簡単に近寄ってこれる、いとも手軽な犯罪だけに、ウンザリするほど遭遇したけど、
周囲にもコボシたりしていて、あるとき、
「あんた、スカートは やめ、ジーパンにしたら」
と言われたので、そのとおりしても、やっぱり同じことだった。
私は気まぐれというか飽きっぽいというか、着る物なんかは特に、典型的「お嬢さま」スタイルから、「ヒッピー崩れ」みたいなスタイル、OLの鏡みたいなスーツ スタイルから、セクシー超ミニまで、いろ~んなタイプのものを着てきた。
そうして、長らく観察してきて、確かに言えると思うのは、
露出が~とかハデとかセクシーなとかいったタイプの服装よりも、
むしろ、白いブラウスに紺色のフレア スカート、という典型的な、まさに「清楚な」服装のときのほうが、圧倒的に、痴漢に遭遇したのよ。
これは、実際に、そうなのだというデータを、どこかの記事で見た記憶も ある。
なので、服装が原因であるとは、あまり言えないかもね。
ちなみに、うちの兄は、
私が高校生時代、通学の電車内で、しょっちゅう痴漢に遭い、きょうは、たまりかねて、睨みつけてやった、と言ったら、
「睨みつけられるだけで済むんなら、俺も痴漢やりたい」
と のたまいました。ガッコのセンセイですわ。
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ついでみたいになっちゃったけど。
『首里城』の大火事のこと。
30年ほども時間と労力と税金かけて、あっという間にワヤだとさ。
また繰り返す恐れが高いんなら、もう やめとけば?と言いたくも なるなあ。
オリジナルの城が現存していた何百年このかた、それこそ蝋燭やら焚火の生活で、現代よりも、もっと ずっと、火事いく危険性が高かったはずじゃないの?と思うんだけど。
何やら、
スプリンクラー設置義務は ないので、といったコメントが あったけど、
それは、あくまでも、建物自体が古くて、かえって傷める恐れから、設置するのが困難な場合でしょ?
今回、全焼してしまった『首里城』って、最近になって完成した「復元物」でしょうに、スプリンクラーを設置するのが困難だったわけ??
国がケチったんじゃないのか?
こないだの洪水災害でも、どこかの堤防を、でっかくし直して、新しく設置したおりに、地元の人が、いざというとき、水を逃すための扉(?)か何かを備え付けておいてほしいと要望したにも かかわらず、役所側が、その扉(?)ひとつをケチったために、かえって、浸水が酷くなってしまったと言ってたな。
こういう、最後の詰めが甘い、
ヘンな所でケチる、
かえって失敗した、
日本の行政や国民性の特徴なんじゃないの?と思うこと多い。
ま、沖縄よ。
カネ出してもらった分、口も出されると覚悟しないと いけないですよ。