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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2022.12.12 (Mon)

ひょっとすると、私が政治やったほうが、だいぶマシちゃうか?emojiと、
かなりマジで思えるようになった近年。

 

最近も、例の『()統一教会』によって巻きあげられていた巨額の資金が、あちこちマネーロンダリングを経て、『北朝鮮』に流し込まれていたということが、『ペンタゴン』の情報資料から発覚したとか報じられていたが、まあ、私も以前から薄々そんなところじゃないかと感じていたことを、過去エントリーで指摘していることもあって、まさに、それほどには驚かなくなってしまっているのだが、

ここで、あらためて呆れ果てつつ思い出したのは、

安倍政権のときに、やたら増えだした北朝鮮からの「ミサイル」が発射されたら、頭かかえて即うずくまれ!という指令。

みなさん、お忘れでしょうか?

「戦前・戦中に戻すべき」と信じる『日本会議』系や、それを後ろ盾としていた安倍氏らが、なんとも嬉しそうに、タイコを叩き鳴らさんばかりに、われわれ一般国民を嗾けていたこと。

 

あれを、なんともナサケナイことよと、安倍氏と その政権、それに盲目的に従っている人々を、つよく批判した一部の識者なども見られたが、あの号令に、おとなしく従い、あたかも「戦時訓練」を素直に実行していた地方民たちも いたよねw

まさかだろうけど、あの人たち、いまでも実行しとるんかの??

 

 

さて、国内に限らず、国外を眺めてみても、たった一人の突出したバカが のさばってきて、大多数のアホの頭上に攀じ登り、手に入れた権力を暴発させては、くっっっだらないことに、貴重な資源や人命を、延々、湯水のごとく費やすことになる。

 

 

最近のニュースで、出産費用の援助一時金とかの額を8万円だか上げることにした、ということだったが、これについても、やっぱり、ぶうぶう言う声が聞こえてくる。

まあ、私自身も以前から指摘しているように、いまどきの日本社会で、子どもの二人や三人を儲けられるということ自体、それなりに安定した家計で、あるていどの余裕が見込めるからこそだろうというのは、一部を除いて、概ね当たっているはずだ。

もっと余裕が ない層は、そもそも、結婚にも至れないでいるというのだから、たしかに、出産費用をナンボ上積みしたところで、深刻な「少子化」問題の解決には程遠い、と言うよりも、はなはだズレている。

つまり、根本の解決には、とうてい、なり得ないわけだが、

ここで、再び、比較する対象を間違えていると言うか、アタマが悪すぎと言うか、判断を根本から誤っていることの典型的愚衆の声が、「非課税世帯」への5万円給付と並べて批判している連中の あいだから聞こえてくるわけである。

 

昨今の、ほぼ全ての面での値上げにより、ただでさえ、食費や光熱費を削りに削ってきている世帯に対して、数万円程度の給付金は、それこそ「焼け石の水」に等しい。

これとても、根本の問題解決になり得ないことは同じなのだが、

やはり、出産援助金額を上げることと同列に並べて批判するのは大いに間違ってるよ。

 

出産当事者たち自身がボヤいているように、出産時よりも、その先が長いのだということを考えてもらいたいという意見も尤もな話だし、

光熱費や食費さえも大幅に削減しなければ ならないほどに、ふつうのレベルの生活が逼迫している層が増えてしまってることの深刻な問題も、いずれにせよ、根本的なところを見て、有効策を打っていかなければ ならないことは同じなのだが、
それでも、さしあたっての喫緊度は大きく異なるからだ。

 

もう一人くらいは産めそうだ、なんとか育てられそうだと踏んでいるからこそ、子を儲けることを実行できる人たちと、
あすの光熱費や食費に窮している人たちの生活喫緊度が同じなわけが ない。

そういうところを履き違えて、ブーブー言う手合いの相変わらず多いことよ。

日本人って、こんなにバカが多かったのかと、これで何度あきれたことだろうか。

 

いまだに、せいぜい2、3割の『自民党=本名:だっぴ統一壺売国党』の積極的支持者(その内訳は、多くが『日本会議』シンパと()『統一教会』信者)連中の したいようにさせていて、何も分からないアホのまま、選挙にすら行こうとしない、大多数の有権者。

終わってるやろ。

 

ちなみに、今度は『毎日新聞』が やり始めたな。

どこぞの大きな有名神社が、障碍者の仕事を用意して云々とかいう。

自身も障碍を抱えている私は、先日も指摘しておいたように、そういうキレイごとの裏の、『日本会議』『神社本庁・神社庁』などの思惑を察しているから、こんな記事には一切、鼻も引っ掛けない。

 

「はずされて」怒っているという高市アネゴさんも そうだが、

「防衛費」のための増税ね。

これ、安倍政権のブチアゲだったなら、高市さんも大いに擁護・賛同したんじゃないのかしら?()

 

 

あ、それと、宮台氏が襲撃された事件。

ぜったいに、犯人を見つけだしてもらわなければ ならないんだけれど、いまのところ、進展が ないということらしい。

私も、一報を聞いたときは驚き、かつ、ハラハラしたが、辛うじて、致命的なことは免れたのが、せめてもの幸いだった。その おかげも あってか、えらく早々の退院と(まあ、たとえば全身麻酔で開腹手術したとしても、だいたい1週間で退院させられた経験は、私自身にも あるけれど)、お仕事再開の宣言会見に臨まれていたのを拝見し、この際、もう少し ゆっくり養生されたほうが いいんじゃないのぉ?と、これは これで、またハラハラしたが、
いや、しかし、

例えはヘンかもしれないが、
要するに、いわゆるレイプ被害と同じことなんだよね。

こういう類の犯罪被害に遭った人には、それを機に、それまでと明らかに異なることは、可能なかぎり、しないほうが よくて、できるだけ、もとの通常生活に戻っていくことが、メンタルの面でも望ましいそうだから。

「負けへんでー!!」というファイトのコトアゲは、むしろ大事なのかもと考えなおした しだい。

 

ただ、入院中の食事のことについても、宮台氏は少々不満の旨を洩らしておられたが、それを聞いたときだけは、私は思わず、「ぜいたく言うんじゃありませんよ!」とムッと来たw

私自身も入院生活を一度ならず体験してるけど、出された食事についてだけは、ガッカリしたり不満に思ったことは、せいぜい一度くらいしかない。

それは、過去エントリーでも述べたことが あったと思うけど、
初めて入院した二十歳代のときで、
一晩じゅう断末魔の苦しみに のたうち、息絶え絶えの ていで、何度も親に訴えて、やっと、未明になってから、救急車を呼んでくれたときの経緯だけど、
(ちなみに、あの頃でも、時間帯を慮ってか、住宅街のなかでは、サイレンを止めてたようだったよ。広い道路に出てから鳴らし始めていた。)
このときの、毎度の、うちの親のエゴ パターンだか何なのだか知らんけど、対処が冷酷で後手後手だったゆえ、たまたま宿直に当たっておられた院長先生が、極太の注射をソッコー、私の太腿の つけ根に打ったあと、「連れて来るのが もう少し遅かったら、死んでたよ!」と、うちの親を厳しく叱ったということだった。

 

その直後から、これまた痛いうえ恥ずかしい検査が相次ぎ、ここでは、出血の酷さに驚いた医師が二人がかりながら、処置に手こずり、看護婦さんを、モタモタするな!と叱りつけていたのもウッスラ憶えているのだが、

病室のベッドに おさまった その日は、ひたすら点滴に次ぐ点滴、また点滴で、やっと、食事の膳が運ばれてきたのは、夕食のとき。

さすがに、地獄さながらの苦痛は、緊急治療と多量の点滴の おかげによって薄れていたのと、数日前からの食事不能で、少し空腹感は覚えていたので、目の前に運ばれてきた食膳の お椀が三つ並んでいるのを見て、いそいそと箸を取り、食事に とりかかった。

何十年たっても、いまだに忘れもせんわ、

最初に、中くらいの大きさの椀の蓋を あけてみたら、それは、薄味の お吸い物だったのだが、驚いたことに、具はナシ。

次に、いちばん大きい椀の蓋を あけたら、それは、米粒一つも見当たらない、うす~い薄~い「おも湯」であった。

もしや もしやと思いつつ、最後に、いちばん小さな椀の蓋を取ってみたら、オレンジ ジュースか何かの飲み物だった。

 

結局、三つの椀の蓋を取り終わってみて、あらためてビックリしたのは、見事に、すべてが汁物だったこと。まあ、要するに流動食そのものってことね。

固形物のカケラだに入っていなかったことにガックリと うなだれたものだったが、その おかげも あってか、翌日から徐々に再開された固形物の食事は、たいへん たいへん、おいしかったw

 

そして、病院の窓から見下ろせる「天ぷら・うどん・蕎麦」の看板が掲げられている店の屋根を、せつなく見つめる日々となった(苦笑)

ほんとうは良くないだろうけど、退院した直後に、くだんの店に駆け込みましたわw

 

あとね、30歳代のときにも、手術の必要が生じて入院したけど、
そのときも、食事について何らかの不満を感じることは なかった。

もっとも、好き嫌いと言うか、ふだんの食生活で食べない、食べられないものが けっこう多いタチなので、それは ともかくとして、単に おいしくないだのと不満に思うことは なかった。

いったい、どんな貧しい食生活だったんだ?と言われちゃいそうだけどさw

 

うちの親も、特に母親の世代は、いわゆる「欠食児童」世代だが、それでも、祖父は裕福だったので、同世代の子どもたちよりは ずっと恵まれた食生活だったせいか、口が奢っているというのか、食べる物については特にワガママだった母親。

そのくせ、しょっちゅう、せっかくの食材を廃棄したり、つくった食べ物を腐らせたりしていたよ。

 

だいたいね、
専門スキルを持ちながらも、この御時世、パソコンや非正規、派遣労働が普及したことで、障碍持ちの私なんか、働けど働けど状態だったからね、食費を節約するために、実家から、簡単な糠床セットを送ってもらい、おサイフのなかが寂しくなってくること必定の、お給料振り込み前に備えて、ぬか漬けだけは拵えてたけど。

あとは、お茶づけか、炊いたばかりなら、白ご飯に塩やマヨネーズだけ かけて済ませることも しょっちゅうでしたわ。

そんな自活を始めたあとも、たまに『難波』や『梅田』で待ち合わせて、デパートで買物に つきあったりすると、最後は必ず、デパ地下のグルメ食品コーナーに立ち寄り、高価なものを買い込む母親を、横目で眺めていた私です。

で、
最晩年の母親は、あれだけのグルメ・健啖家だったのが、普通の食事も 
いっさい、できなくなっていった。

 

こんな私が、ほぼ唯一と言えるほど、誰に憚ることなく堂々と宣言できるのは、食べる物を粗末にすることだけは なかったことかな。

まあ、溜まったストレスや何やかやで、ついつい食べ過ぎることは よく あったけど、
食べもせずに腐らせて廃棄するようなことだけは、重々自戒してきた。

もし、うっかりと、そんなことが起きてしまったときは、自分で自分を思いっきり罵倒し、どつき倒したくなるくらいの自己嫌悪だ。

これは、お酒を好まないことと同様に、およそ、親や身内に似なかったことの一つなのだが、ま、典型的な「反面教師」ってことだろうか。

 

 

最近は、通常の買物にすらも出向きにくいので、食材のムダどころか、あたりまえに食べるべきものが尽きてしまい、泣きたくなることも増えた()

なかなか、痛みが解消しない腰と相談しながらなので、いろいろ渋滞を起こしている このごろの私の暮らし。
従来にも増してキツイ冬になりそうだわ()

 

 

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Updated   
2022.12.07 (Wed)

最近の私の日常と所感の一部の続き。

 

こないだ、ちょっと買物に行った店舗内の新聞コーナーを見たら、各社とも、サッカーの国際試合の記事がデカデカと躍っていた。
『ワールド カップ』とかいうの?私はサッパリ興味ないし、さりとて、腹を立てるわけでもないんだけど、ただ、スポーツ紙でもないのに、『毎日新聞』までもが、例の『産経新聞』と同レベルで、サッカー試合のことを中心に1面にデカデカと載せていたのには、いささか呆れた。

『朝日新聞』は辛うじて、防衛関係などの国内問題を中心に扱っていたようだが、それでも、サッカー試合についての記事も、同じ1面の半分近くを割いていたようだ。

 

いくら なんでも、サッカーのことよりも真っ先に大きく取り上げて報道すべき喫緊事が いろいろあるでしょうによ。スポーツ新聞とは違うんだからさ。

なさけないことだ、日本の報道界よ。

まあ、あほみたいに浮かれてノってしまう民衆も軽薄短小。肝心のことには無関心で不勉強で、選挙にも行きやしないんだから。

 

 

あと、

最近、『イギリス王室』関連のスキャンダル発覚で、なにやら、故エリザベス女王の側近中の側近だった「貴族」女性が、『カリブ』出身の両親を持つ、イギリス出身かつイギリス人である黒人女性を侮辱したという問題。

 

私が察するに、

おそらくは、まず、その黒人女性の『ドレッド ヘア』と呼ぶのだろうか、あの、民族と文化の誇りを示すという独特の髪形が、くだんの「イギリス貴族」女性の気に入らなかったのかもと思うんだけど、それにしても、初対面で、他人の髪を、いきなり勝手に触って動かすなんて、とんだ「マナー」違反だよね。よりによって「貴族」の振る舞いとは思えないわw

ま、こういうところでも、マナーを無視していい相手だと見做していることが窺えるわね。

 

いずれにせよ、本音では、こんなものなんだろう。

その点、日本の『皇室』関係者だって、本音のところは大差ないだろうと思う。
『皇室』の場合は、あきらかに、その「権威」誇りとウラハラなものも潜んでいるから、もっと屈折してるかもしれないけどw

 

しかし、『民主主義』の現代では、本音は隠して、タテマエを立派に演じきらなければ ならないからねw

でないと、強大な実権と権威にアグラを掻いていれば済んだ大昔のようには いかないのだから。

 

なので、亡くなられたときの話題を挙げたエントリー
葬式やって、退陣だ?(嗤)
にて、エリザベス女王は、一流の演技者でもあったと、私は指摘した。

また、そうなければ ならないということに、ご本人自身、つよい自負を持って、基本的には納得されておられただろうと思うし。

その点、「スペア」とかw根本が不満だったら、こうは いかないでしょうよ。

 

何かと話題のハリーさんたちだって、ご自身たちが、まさしく『国王』と『王妃』とか、次期国王と その妃という確約された「最高位」なる立場でさえあれば、あえて、あれこれと不満を述べたてなかったのでは なかろうか?w

ああいう世界は、じつに「ヒエラルキー」そのものの世界でアタリマエ、なんだもの。

 

たとえ、そもそもの出自が、たとえば「炭鉱夫」の子孫であろうと、インド人の子孫であろうと、黒人だろうと黄色人種だろうと、ひとたび、オツムに王冠さえ乗っけてしまえば、はい、いっちょうあがり!そういう世界でしょ。

 

ところで、

若き日のエリザベス女王が初めて戴冠する儀式のときの記録映像を『ユーチューブ』で見たことが ある。かなり長大で、途中から、すっかりタイクツしてしまったが、アクビしながら、こういうシンキくさくも異様に長たらしい儀式に主役として臨まなければ ならない お役目というのも、なかなか大変だわねえ、とも思った。

ただただ、『イギリス国教会』だかの、おえらい お坊さまたちの、ここぞと殊更もったいぶったパフォーマンスの一大舞台なんだわなあと感じた。

 

ちなみに、

むかし、茶の間のテレビで、両親と一緒に、エリザベス女王が即位したおりの一連の儀式だったのだろうか、『王配殿下』にして『エディンバラ公』フィリップ氏が、女王に「忠誠」を示すの儀で、ひざまづいて誓う場面が放映されたのも見たことが ある。

親父は、

「ありゃりゃ、自分のヨメさんに、忠誠を誓ってるのか。はっはっは~」

と、大笑いしていた。

 

なにがオカシイんだか(苦笑)

まずは単なる「ヨメさん」じゃないからねwこの場合は。

 

 

まっ、きらびやかな宝石や勲章やドレスで着飾っていても、

いつの時代であろうと、人格識見が伴っていないカラッポな「王侯・貴族」なんて、むなしくもバカげた存在の見本だわ。

 

 

最後に、
近頃ハマってるということで紹介した『山田五郎 オトナの教養講座』。

今回は、『エッシャー』の巻を視聴、

「テセレーション(正則分割)(平面充填)」とか「敷き詰め」とかいう技法のことが出てきた。

これは「数学的命題」に繋がっていくという話だったのだが、ところが、エッシャー自身は、数学ニガテの人だってw

私と同じだあ♪wwわぁい(^^♪

とは言え、

こんな私だって、過去エントリーで言っておいたように、単純な計算題はズタボロでも、文章題だと、相変わらずの「公式ヌキ」で解いてたしw

『集合論』とか、まあ得意な分野も あったわけだけど。

親父は、本来は文系と自認していたものの、戦後から晩年まで続けた仕事は経理・会計分野だったし、

母親は、音楽の才能とともに、数字にも非常に強いタイプだった。

それだけに、私は「いったい誰に似たんだ?」と言われまくった理由の一つにも なってたんだけど、

エッシャーも、単に苦手というだけでは なかったのじゃないかな。潜在的なセンスは あったのかも。

 

『イスラム』と数学、幾何学の深い関連性も言ってたが、

そう言えば、『インド』の人も、数字・理数系に強いということが知られてるよね。
『インド』と『イラン』って、ルーツが重なるそうだから、それも頷けるわけだ。

 

 

ところで、
「平面充填」とか「敷き詰め」という用語を聞いて、真っ先に連想したのは、兄の お弁当のこと。

兄が中学・高校時分は、私の母親が毎日お弁当を拵え、それを持たせていたのだが、

過去エントリーで触れたように、

emoji『お弁当の想ひ出』オマケ

ある日の朝、兄は、お弁当を忘れたまま登校した。その お弁当を置いたままになっているのを見つけた私は、母親に、自分が食べてしまっても いいかを尋ね、いいと言われたので、蓋を開けてビックリ。

全面が鮮やかな緑色に敷き詰められていた。

ひとくち食べてみて、その苦さに またビックリ。

その緑色は、ピーマンだった。

私の、ピーマン初体験の思い出である。

 

後年、母親と しゃべっていて、ふと、兄の好物や お弁当のことが話題になったとき、

「あの子は、とにかく、ご飯の上に、好きなものをビッチリと敷き詰めてやれば、キゲン良く完食するから」

ということだったw

 

海苔なら海苔を、ご飯の上にビッシリ敷き詰めてやる。

正確には、白ご飯の上に、最初は「おかか」を敷き詰めておく。

その上に、海苔をビッシリと敷き詰める。

なので、海苔弁当の場合なら、蓋を開けるとビックリの真っ黒!だったわけだ。

 

 

ちなみに、
その苦さに驚いた幼児の私も、やがてのことに、ピーマン大好きになりましたー()

 

 

Updated   
2022.12.04 (Sun)

ぐっと お寒くなりました。

目下、暖房も つけずに、プルプルふるえております。

こんなことしていて、「認知症」とかになったら どうしよう。。。emoji

 

こないだ、どっかで見た顔だなと思ったら、たしか、西村さんという経産大臣だったかね、久しぶりに出張ってきて、なんだか嬉しそうな顔して何を言うのかと思ったら、重ね着して耐えろとかいう おコトバ。

またまたムカついてしまいました。

重ね着するのも限界あるし、消灯なんざ、従来から やっとるわ!

オマエさんらみたいに、毎日ぬくぬくゴチソウ食ってる生活ちゃうわ!!emoji

 

 

数ヵ月前に、これまでで最大の激痛に見舞われた私の腰痛問題。

以来、
乏しい食費のなかで、おろそかになっていた蛋白質などの栄養摂取に留意しながら、このメンドクサがりな私が、毎日ストレッチを続けてる旨を、以前のエントリーで述べておりました。

ところが、
先日、また同様な痛みが ぶりかえしてしまい、いまだに、ほんとうでは ないのだなという不安な感覚が残り続けている。

 

よく、痛みが おさまってきたら、安静にするのは早々に切りあげ、できるだけ動くようにすべきという説が、専門家筋の話で出てくるけれど、
このところの私の場合を観察していると、安静にしているべき日数は、3日程度どころか、ほぼ1週間は必要であること。

それは、もちろん、あまりに長時間、横になっているだけなのも、寝返りも困難であるから、かえって痛みが増してくるのだし、何よりも、まずはトイレや飲食、身のまわりのことなど、激痛に耐えながらも起きて、自分自身の手で済ませざるを得ない最低限のことが ある以上は、まったく動かないで済む日など1日たりとも あり得ないのだから、痛みが少しでも残っているうちは、やはり、できるかぎり安静にしているべきだし、
そうするしかないのが現実だということ。これが、私自身の結論だ。

 

無理しない程度に動き始めても、痛みが出なくなれば、そこから、軽い家事を再開するに とどめる。

ここで、少しでも無理すると、痛みの再開も早い。

なので、数日前まで、ストレッチも中断していた。

 

今回の直接的な原因は、おおよそ思い当たるところは あるのだけれども、それだけでなく、寝具、特に枕の問題が、すでに、だいぶ以前から気になっていたことに加え、

もしかしたら、
高校時代に毎日、重たい荷物を持って通学し、かなりの無理を続けた あげく、卒業後には、もはや、あきらかに『椎間板ヘルニア』と思しき状態に なってしまっていたことから、自分の場合は、ストレッチでさえも、やり過ぎないよう、慎重な加減が必要だろうとは思いつつ、調子が戻るにつれて、やはり、つい、やり過ぎになっていたのだろうか。
このように思っていたら、はたして、最近、ネット記事で読んだ専門医の話で、やはり そうだったらしいことが分かり、少し思案中。

枕も、安物だけど、まずは とにかく新しいものに取り換えておいた。

 

だが、
どう転んでも、私の場合、病院や専門家の診断や指導等に頼ることは、もはや ないだろうと思うし、
と言うのは、
過去に何回か診察してもらったものの、いずれも、「この医者、ヤブなのか?」と思ったくらい、診断はアヤフヤで、治療も処方も頼りにならず、結局、自分自身で推測しつつ、どうにか こうにか乗り越え、と言うよりも、長年に渡って誤魔化しつつ、根性で なんとか してきたからなのだが、

思えば、
どういうわけか、こういったことに似た事例が、私の生活や人生の様々な面で少なくなかった。

 

要するに、
いわゆる「承認欲求」などといったものはサラサラ乏しい私が、はなはだ不本意ながらも、依存とか利用と呼ぶべきほどに、周囲からアテには されがちなのだが、にも かかわらず、なぜか、こっちからは、殆ど頼れない。

負担に たまりかねて頼ってみても、根本の解決には、豪も結び付いた ためしが なかった。これはフシギなほどだった。

しかも、解決には ならなくても、しっかりと、恩には着せられる。あるいは、それなりの対価は必要。なので、
どうしても頼るにしても、最初から、そこは、あらかじめ踏まえて覚悟しておかないと、あとで、もっと しんどい思いを するハメになる。

こういうことは、特に親について、殊のほかハッキリしていた。

 

なんせ、親が原因の障碍にも かかわらず、それを知らないでいた私に対して、やっと片方だけの補聴器購入を援助したからという理由で、

「謝れ!!」

「親に負担させて!!」

と、私に向かって怒鳴ったもんだ。

 

ちなみに、うちの母親などは、まさに「承認欲求」の権化、恩に着せるの大好き!な性格だったw

 

まあ、私は、自他ともに認める根性ナシかと思えば、半面では、へんにガマンづよいところも あり、とは言え、
この点、親なんかは、まず、せせら嗤って、断じて認めようとしなかったのだが、

このトシになって振り返ると、じつは、あれや これや、限界を超えるほど無理してしまっていたりしたことが分かるのだが、もちろん、この弊害は、このあとの人生で長く続くことになるし、全然、よいことは ない。

若い頃には、あまり自覚なく、無理なことを やってしまいがちだが、トシとってから、そのツケが やってくるのは、特に健康面で思い知るものだ。気づいたときには、もう遅いのよね。

 

 

まあ、さて、近頃のニュースで、あれこれ思ったことを一言ずつ。

もうアホらしいやらでメンドクサイのでw

 

たとえば、

二言目には「フェイクだー!」の『アメリカ』前大統領トランプさん。
そして、『ブラジル』の前大統領なんとかナーロさん。

一言。

「おたくら、ゴネりゃいいってもんじゃないよ!!」()

 

ついでに、

私は興味も関心も ないんやけど、マスクさんとかいう人。

なにやら、『ツイッター』のことで話題になってるらしいが、

1回だけチラッと見たところ、要するに、日本で言う「ブラック企業」とか、あの、「死ぬまで働け!!」と言い放ったという『ワタミ』の(般若みたいな顔つきの)社長みたいな人かね?って印象だ。

 

まあ、すべての従業員が、自分と同じようなシャカリキ度を発揮してくれないならクビだー!!というのは、
そりゃ、最初からハッキリ宣言しておくほうがエエだろうよ。

嘘の公約や雇用条件で釣って騙すよりはマシだろうw

 

ま、それで、ついてきてくれる従業員が いないのならば、マスクさんが社長と従業員を兼ねて、一人でガンバってくださいww

 

 

ひるがえって、こちら日本国内では、

たとえば、杉田スイミャク?じゃなかったかwどーでもイイけど、

いつぞや、

「女は、いくらでも嘘つけるから」とか言い放ったんだってね。

 

一言。

「オマエさんが嘘つきのカタマリだからって、こちとらと一緒にすんなよゴルァ」()emoji

 

「女の風上にも置けない」この手合い、

これでも、あつかましくも、いっちょまえに産んだ娘が いるんだってね。いやはや()

だったら、おのれの娘も、なんぼでも つける嘘つき、に違いないわけだ()

そうでなければ、ものすごく おかしな話になるじゃないかよ(大嗤)

 

それとね、

腐れ『自民党=本名:ダッピ統一売国』が、なぜに、杉田ナニガシのような手合いをば、むろんのこと、まともに当選できや しない以上は、敢えてエコヒイキして、「比例」の上位に据え、しかして、要職にまでも就けているのかと問うと、もちろん、このような者こそが、腐れジミン党の方針に、現在の政権の方針にもピッタリ合致しているから、つごうがイイからに ほかならないのです。他に何の理由が ある?

 

しかし、よりによって、ぱんつドロボーを大臣にしちゃってるくらいだもんね。

私は、いっぺん聞きたかったんだけどさ、

もしや、外国のメディアで、これらのことを知っていて、報じたところは あるんだろうか?

あったら、そりゃ恥ずかしいなんてもんじゃないけどwwいちおう、私も日本人のハシクレだからねw

 

もはや、どんなバケモノや魑魅魍魎の百鬼夜行状態でも、驚かない、『自民党=本名:ダッピ統一売国党』。

そこが、ほんとうの問題なのよね、その、驚かないというのがね。。。

 

ま、有権者である国民が悪い。

よりによって「朝鮮壺カルト団」と癒着してるのを知ってさえも、それほどには驚いても なさそうなんだもんね、日本の一般国民。

 

それどころか、昨今では、ついに視野に入ってきたドン底に陥りそうなことを恐れてか、『自民党=本名:ダッピ統一売国党』の信者が、相も変わらず「ヤフゴミ捨て場」を中心に、各ネット メディアのコメント投稿欄で、巻き返しを はからんものと、アタマに乗っけていたはずの壺を背後に隠して、必死の形相だ。

 

「ウヨク」「ネトウヨ」とは、つまり『日本会議』プラス「朝鮮壺カルト」即ち『世界平和統一家庭連合(旧 統一教会)』信者が構成している『自民党=本名:ダッピ統一売国党』推しの「反日」組織だったのだ、ということがバレてしまった いまとなっても。
悪あがきもイイとこだわ。
(_)ヤレヤレ

 

【続く】

 

 

Updated   
2022.11.25 (Fri)

最近、
ついに、汀 夏子さんの画像を幾つか漁りまくったなかから、パソコンの壁紙に据えちゃいました()

立ち上げるとき、閉じるとき、それを見ては、ついついemojiデレデレしてしまいますぅemojiemoji

とうとう、こんなになってしまった。。。(苦笑)

 

さて、

近頃ハマっている『ユーチューブ』動画のなかでも、先日のエントリーで紹介した『山田五郎 オトナの教養講座』シリーズ。

ルソーの巻で大笑いしたあと(いまだに、思い出しただけで笑えてくるw)、また いろいろ視聴していって、今度はヨハネス・フェルメール『窓辺で手紙を読む女』についての解説中、当該作品のなかの背景になっている壁の部分に、本来は、『キューピッド』の絵が描き込まれていた、ということが判明後、近年の修復作業によって、画家本人が描いていたとおりに復元という話、私もチラッと聞いていたのだけれど、

くだんのサイトで解説者を つとめておられる山田氏は、いたく御立腹の ていで、ここは復元せずに おいとくべきだったのだ!との御主張なのだが、

いやいや、むしろ、レプリカとして残せば良いのは、復元前のものでしょうね。

いっそ、両方を並べて展示するのも、また興味深い。

 

現に、おおかたの日本人が「みなまで言うな」を好み、「陰翳礼賛!」の われわれにとって、「余白の美」というものは、最も しっくり来る美意識では あるし、お気持ちは重々理解できるのだが、

やはり、日本人と西洋人の感覚の違いは多かれ少なかれ あるだろうし(とは言え、かの『ロココ』にウンザリして、シンプル・素朴な農家暮らしに憧れた王妃も いたわけだw)

時代によって違う感覚も あるはずだし、

なによりも、学術・研究としての復元である以上は、もとの姿に戻すのが当然だとされても しかたないですよ。

学問・研究というものは、ただに美意識や感覚で左右されては いかんでしょ。

その美意識・感覚からしてが、なんぼでも揺らぐ余地が あるわけですからね。

 

それよりも、
フェルメールが亡くなった以降に塗りつぶされた形跡が あるとかいう、そっちの方が興味深い。誰かしらね?塗りつぶした動機とか、気になるなあ。。。

 

 

で、概ねの日本人が好む西洋絵画というのも、幾つかの傾向が見受けられるそうなのだけれど、

私も勿論、特に好きな画家の一人であるフェルメールは、『デルフトの眺望』などでも感じられるように、空間と時が止まったかのような、ある種の非現実的な、夢のなかの場面のような静謐感が あり、
そこに、真っ先に目を奪われるわけなんだけれど、

この、独特の静謐さに釘づけになる感覚は、ルソーの場合にも感じられる。

 

ところが、フェルメールの修復論争で指摘されるところの、ごちゃごちゃ「ビズィ」でないから好もしい、この余白やピンボケぐあいが良いんだよ、という主張とは反対に、

ルソーのほうはと言うと、かなりゴチャゴチャしつつ、見るからにクッキリみっちり、だよね?なのに、妙な静謐感が ある。

 

ちなみに、
私は、田中一村の絵を見ると、いつも、ルソーをも連想してしまうのだけれど、

もちろん、田中画伯とルソーとでは、国やジャンルの違いを考慮しても、根本的、土台の技術レベルからして比べものにならないのだが、

この両者の唯一と言っていい共通性は、やはり、独特な静謐感だと思う。ある種の、悪夢のような不気味さが漂っているほどの。

かつて、横尾忠則氏が、ルソー作品のパロディを提示したように。

 

しかし、同じ静謐感が あると言っても、フェルメールの作品からは、そういう不気味さまでは感じない。

もっとも、この時代のオランダ絵画、あるいはフランドル絵画からは、総じて、独特の印象を受けるのだけれども、

同時代、同じオランダの画家で、ヤンセンス・エリンガ(エーリンハ)という、それこそ、いまだに埋もれたままと言っても過言でないほどの画家が いたのだが、この画家の作品の一つに、『読書する婦人』という絵が ある。

この絵にも、フェルメール、また、彼と似たテーマや作風の、たとえば、デ・ホーホといった画家たちの作品から感じ取れる、おだやかな、やわらかい温かみよりは、一種の不安感や不気味さを、私は感じるのだ。
描いた画家本人に、そんな意図は微塵も なかったであろうけれど(ルソーも そうであったように)

 

そこに描かれている唯一の人物である女性は、その場面のなかで最も目立つ鮮やかな色の上着を着ていながら、ほとんど背中を見せて腰掛け、その横顔は、白い被り物の陰に隠れていて、どのような表情を しているのか、まったく窺い知れない。

 

タイトルとは裏腹に、この絵の主人公は、読書中の女性とは違うので ないか?

と、瞬時に感じさせる。

そう、本当の主人公は、夢のなかで私が歩きまわった「室内空間」そのものなのだ。

 

と言うのも、

このエリンガ(エーリンハ)の『読書する婦人』という絵には、私にとって、なんとも言いようのない感慨を もよおさせる個人的事情が ある。

それは、過去エントリー

北斎meetsフェルメール?

HammershøiとElinga

にて述べてあるとおりで、

どうしても、特別な感覚を もよおさせる1枚なのである。

 

 

大多数の日本人が好むらしい、静けさを感じさせる作品。

空間と時が停止したような場面に伴う静謐感。そこまでは共通していても、やわらかさ、温かみでは なく、ある種の不気味さを感じさせる作品がチラホラ存在する。

日本人が好む静謐感とは、どちらなのだろうか。

 

ただ、私が推測するに、

もしかしたら、多くの日本人は、ルソーあるいはエリンガの作品が漂わせているような、静謐さ以上の「不気味」に通じる要素までは、あまり、感じ取っていないのかもしれない。

 

たしかに、私のような感覚は、けっして、日本人の多数派のものでは なさそうだ。

たとえば、10代の頃に、モネの『(アルジャントュイユの)雛罌粟』という作品を初めて見たとき、なんとなく、「もの哀しさ」の感覚を覚えたのだが、そのことを言うと、聞いた人の全員から、いったい どこが?なぜ?と訝られたものだ。

 

この「もの哀しさ」の感覚は、何によって もたらされているのか、一見は、平和な、おだやかな、美しい光景であるばかりなのにと、私自身、説明しにくいなあとは思っていた。

 

ところが、だいぶ後年になって、とある冊子を読んだときに、その疑問が解けた。

それは、美術解説の方面では、知らない人が ないほど著名な専門家による解説だったのだが、

いわく、くだんの『雛罌粟』で、同時に、丘の上と降った所にいる、二組の母子連れは、じつは、同じ人物たちなのだと。

つまり、丘の上と下で、「時の流れ」を表現しているのである、と。

 

時の流れ。

それは、とどめようもなく、否応なく流れていく。

夢のように美しく、平和な、おだやかな時も、刻々と流れて、過ぎ去ってゆく。

 

私は、自分が、この絵から感じる「もの哀しさ」の理由を、やっと理解したのだった。

 

ちなみに、ニナ・リッチの『レール デュ タン』は、私が初めて自分の稼ぎで購入した香水です()

 

 

それにしても、

山田五郎氏の美術解説チャンネルを視聴していると、まさに、美術世界と言えども、「孤高」どころか、俗な世相や価値観の変遷といった、人間の生々しい歴史と密接に関わり合っているのだなあと納得する。

 

私の学校時分も、たしかに、「実技」ばかりで、「美術史」といったことの授業を受けた記憶は皆無に等しい。

そういう分野は、それこそ、大学段階で選択して、専門として学ぶものなのだろうと思っていた。

 

私の中学時代の美術担当教師などは、外見以上に、性格がヘン、というのが、私ら生徒のあいだでも、もっぱらの評価だったものだがw

この教師は、美術史や作品解説どころか、自作の絵について、これは、ある夜なかに、激烈なるインスピレーションが湧いて、イッキに描きあげた、などと、わけワカメな抽象画を自慢したものだから、

それを聞いたとたん、つい、フッと嗤ってしまった私を目敏く とらえ、
以後、根に持たれて執拗に攻撃された、苦い思い出が ある(苦笑)

そのあげく、美術の成績をアカラサマに酷く落とされたもんだから、うちの母親も驚いて、担任の先生に、どういうことですか?と問いただしたことが あった。

そのとき、担任の先生は、

「ああー、はいはい、美術の□※センセイですか」

やっぱり、という口調だったそうで、

あとで私も、母親から聞いた話では、あの美術教師は、職員室のなかでも、激しく浮いている存在だったらしいとw

 

だって、ほんとにワケわかめな、描きなぐった感じの、ばっちい抽象画だったんだもんwemoji

真面目は真面目な性格なんだろうけど、めっちゃプライド高かったのよね、あの先生ww

 

まあ、他人の作品自慢を聞いて、つい、プッと笑った私も悪いしw

見たまんまのとおりに、ただようゴミまで描き込んで、親父に罵倒された私が言えるクチでは ないかww(先日のエントリー内の参照エントリーを参照くださいませw)

 

 

これは、私の高校時代、いたく感じ入ったことなのだが、

社会科とか歴史とかの授業で、ここでも やはり、ひたすら暗記を要請され、つまんない科目の代表格のように、私も思っていたのだが、高校も、やっと3年生になってからだったか、担当が替わった世界史の女性教師が、『第1次世界大戦』あたりからの各国の事情や国際的な動きを中心に解説してくれたことにより、それまで感じることのなかった、イキイキとした「人間の歴史」というもの、それは、われわれ現代人が生きている こんにちの世界の様相にまでシッカリと繋がっているのだということを理解できる講義だったので、生まれて初めて、
歴史ってオモシロい!
と感じたものだった。

その先生が担当するようになって、初めてと言っていいくらい、世界史の成績がグンと上がった。

じきに受験シーズンに突入してしまったのが残念だったなあと、いまでも思う。

 

 

Updated   
2022.11.15 (Tue)

「地獄への道」の続き。

 

それから、

とあるネット記事では、「アル中」と、それが齎す、脳の異常、ということを、専門家が解説しているものに目を通してみたのだけれど、こちらについても少々。

 

私とこの親父は、「しらふ」のときは、たしかに、パッと見、おだやかな、おとなしそうな性格の人に見えるという人が少なくなかったのだが、
ところが どっこい、
ちょっと何か、気に障ることや、つごうの悪いことが勃発すると、壊れた瞬間湯沸かし器の如くに火を噴く勢いで、凶暴な様相を見せることが たびたび あった。

まあ、もちろん、養家での生い立ちが薄幸であったことや、戦後に就いた職業が、本人の性に合わないゆえのストレス(ただし、娘の私の目から見れば、親父の性分にピッタシ合致してる職業だったと思うんだけどねwおカネの計算が大好きだったからww)とかも あったのだろうけど、

その代わりか何なのかしらんが、徹底的に、やりたいほうだい やってたことも多々あるのよ。

 

まずは、私ら家族に、ひどい暴言を吐いたり(こっちのほうは、むしろ、口達者な母親のほうが酷さの点で勝ってたけどさw)命に かかわりかねないほどの暴力を振るったり。

 

私の場合、ずばり言えば、障碍に つけ込まれ、いわゆる「経済的虐待」も加わった。

それらの みなもとが、親父らの生育環境などから来る根深いストレスだったと言われれば、けっして、否定は しないけれども、

少なくとも、ガマンばかりしてきたどころか、
世間で大いに糾弾されるような非倫理的な、その性格を咎められるような勝手なことも多々やってきてるのは事実だ。

過去エントリーで何度か述べているように、

私の母親が、子持ちの人妻だったにも おかまいなく、情熱的にと言うか、異様に執拗に迫りたおして、あげく、(私を)妊娠させたにも かかわらず、土壇場のド修羅場から、なんとかウヤムヤに逃げ出そうとして、意地の権化、はたまた、鬼女と化した(←私の母親w)に、首ねっこ とっつかまえられて、詰め腹を切らされるハメになったこととかね()

 

まあ、結果的に、親父と、その先妻の子らにとっては、ある意味、それまでの地獄の沙汰の如き生活から救い出されたと言える側面も大いに あったわけだけれどもw

そのトバッチリで、引き換えに犠牲になったのは、私だよww

 

親父はね、20歳代の若い頃、まだ「アル中」に なっていなかったはずの頃から、酒癖の悪さで知られていたらしい。

たとえば、酔っぱらって、

「おお、うまそうな鉄火(マグロ)じゃないか」

と言うなり、

火鉢のなかでカンカンになっている真っ赤な炭を、素手で、つまみあげようとしたもんだから、周囲が慌てて、羽交い絞めにして止めさせた、という逸話も ある。

…異様でしょ。emoji

 

まじで やろうとしたんだってさ。

真っ赤に燃えている炭をね、素手で。

 

まずはね、

私みたいな虚弱体質の者から言わせれば、お酒を飲める、それも多量にイッキに飲めるということ自体、エネルギッシュ、基礎体力が あるからなんだと思うよ。

どんだけ体調を崩しても、懲りずに飲み続けていたし、
それでいて、兄も呆れていたとおり、肝臓が悪くなりもしなかった。

私が厭がるので、あまり飲まなかった母親は『C型肝炎』になっていたけど。皮肉だよね。

 

さて、本題は、

今回のタイトルである『地獄への道』について。

 

地獄への道は、(見せかけの)善意が敷き詰められている。

 

これも最近のことなのだが、

動画を見ていたら、時々、宣伝が入って、本来の動画が中断されるよね。

そのコマーシャルのなかに混じっていたのが、聴覚障碍者の代わりに電話を かけてくれるという団体が あるのだそうで。

たいがいは途中までしか見ないし、できるだけ すみやかにストップさせてしまうから、内容を詳しくは見てないけれども、

なにしろ、私は、たとえば『ヤフージャパン』関係のことで、困り事が起きるたびに、電話それも、番号を選択していく形式の受付案内で、何度も本当に困ったことが あるので、当ブログで、そのおりの憤りやらを ぶつけていることを知っている読者さんも おられるだろう。

なので、

電話を代わりに かけてくれる「リレーサービス」?知らなかったわ、、、と、一度は興味を持って、いつになくシッカリ見てみたんだけれども、

見てみて、私は、ぜったいに、利用しないと思った。ここのはね。

この理由は、あとで まとめて述べます。

 

もう一つ、

どこぞの雑誌社だったかのネット記事内で、何やら親切そうなイメージでもって、就職・転職を斡旋しますという触れ込みの団体を、最後尾で紹介していた。

やれやれ、こういうふうに、メディアも協力してるんだな。

 

これらは、『日本会議』のオトモダチ団体でしょうが()

 

「全ての人が希望と尊厳をもって暮らせる社会へ」ですってさw

彼らの腹の底の目的と、実際に(裏で)やってることを考えたら、まあ、嗤っちゃうわよねww

 

 

先日来、これまた よりによって日本国の外務省が、『ODA』に かこつけて、アフリカあたりの学校、それが、例の『世界平和統一家庭連合(旧 統一教会)』が設立した学校に対し、開校の祝辞やら大枚の祝い金を拠出していたとの記事を見かけるが、政治屋連中と口を揃えた如くに、知らんかった知らんかったと、ひたすら言いわけしている。

 

 

『日本会議』にせよ『()統一教会』にせよ、このように、正体を慎重に隠しつつ、国家の権力システムに協力させて、無知でメデタい民衆に、底のほうから喰い込み続けているわけだ。

われわれが気づいたときには、時すでに遅し、って算段。