2023.07.28 (Fri)
『全員あたおか;┐(=_=;)┌』の続き。
世間の多くの人も そうだろうと思うが、
いま最大の疑問は、
なぜ、警察に通報しなかったのか?
ってことだ。
たしかに、あまりアテにならないという現実は あるようだが、
それにしても、
大切この上ない存在である わが娘に、凶悪な殺人事件の犯人になる手助けを しようなどとは、いたって平凡な親は勿論のこと、そうとうアホな親でも、考えすら浮かばないはずだろう。
そんなことを させるくらいなら、
親みずからが、あやつを成敗してくれるわ!!という流れだったほうが、まだしも理解できる。
佐世保市における、同級生殺害・遺体損壊事件の場合も、どこか性的な葛藤、そういう傾向が あってのことでないかと、私は当初から推察していたのだけれど、
ついには、何の罪もない、優しい同級生で あった女子高生が、異常者の餌食になってしまったわけで、そこまでの最悪な事態に至って以降、社会的な地位を築き上げていた(犯人の)父親の、挫折を知らぬ、得意満面だった人生は、ガラガラと凄まじい音を立てて、あっけなく崩れ落ちていった。
今回、発覚したばかりの事件に おいても、犯人の父親は、自身が精神科医として定評と知名度の高い立場であり、それゆえ、わが子の抱える問題を、知られたくないという本心も あったものと窺える ふしは あるようだ。
わが子を持って、人生で初めて、大きな壁に ぶち当たったのかも。
それにしてもだ、
いやに よく しゃべるのは、近所の住民以上に、ここの家の祖父と思しき老人だが、
この人の言うとおり、娘に対し、過ぎた溺愛ぶりで云々というのが本当なら、これだけ優しい、理解ある父親を持ちながら、娘は「男ぎらい」ということにも、同じく、父親が大キライだった私の場合は、いわゆるDVという明白な原因が あったゆえに、少し、腑に落ちないものは あるのだが、殺害された男性によるレイプに遭っていたとか、そういうことからの影響だろうか。
いずれにせよ、
不登校で、居場所が なかったなどという理由で、いかがわしい場所に出入りすることを黙認し、
問題を抱えた娘の存在を、周囲に知られたくなかったのかと窺える点からは、最愛の娘に見抜かれており、じつは疎んじられていたとしても、それも あり得るかもと思う。
ほんとうの愛とは言い難い、
非常に安直にして軟弱・怯懦な親の態度とも思えるからだ。
私には、悪しき単純さと子どもっぽささえ感じられる。
綻び始めた家族関係の悩みも あって、
幸せだった かつてのように結びつける連帯感を狙っていたのかも、という推察は穿ち過ぎなのだろうが。。。
担当した患者に対して、「親は、子を、ぜったいに守るもの」というふうに断言していたという話にも、思い込みの激しさ、タテマエや理想像に拘る、ある種の単純さが窺える。
もしかしたら、そういうことを熱く主張する自分自身にウットリ、とかね。
病院に勤めてた知人も言ってたが、
医者は、ヘンな人が多い、って、まあ、頷けないこともないw
だいたい、「サイコパス」くらいのほうが、医者には向いてるというんだもんねww
でも、そんな医者でさえも、家族の治療や手術だけは、自分では よう しないから、信頼できる同業に依頼して任せるとも聞くね。
うちの身内にも、医者が いるんだけど、
やっぱり、異常なくらい、知能指数が高くてさ。
そんでもって、性格も冷酷だったw
ほとんどの人が持っているはずの、感情とか素朴な情緒などの類は、そのまんま、計算高さにソックリ置き換わってるような、つまり、感情や情緒の代わりに、冷たい損得計算だけが ある、そんな性格。
もちろん、それでアタリマエと、本人だけは何の疑いなく、生まれついた性分なのだから、躊躇も呵責もないわな。
いつ いかなるときもクールで、
たまには冗談を言い、ふつうに笑っていてさえも、ひたすらクール。
ただし、眼は笑ってない。
眼つきからして、フツーの一般人の眼じゃないよw
まさに、らんらんと「底光り」しとるのよww
私みたいな、アゴが外れかねないほどの大口あけて、涙が出るほどのバカ笑いやギャハハ笑いは、けっして しないwww
しかし まあ~、よく しゃべる親戚だか祖父だかの おじいさん。
なかなか辛辣に批判してたけど、なんか他人事みたいな感じよね。。。
考えてみれば、
わが子が、凶悪事件を起こしたというので、殺到したマスコミの前で、気やすく取材を受けてはベラベラ応える、その発言内容が、もう まるで他人事だったりしたこと、
こういう、犯人の親の場合で見かけた事例は、わりと多いみたいだもんね。ここも、こうした事件の共通点の一つかもしれない。
うちの親らも そうだったけど、
自分に根本的原因が あっても、ぜったい認めないし、
しぶしぶ少しは認めたとしても、
そんなの、大したこっちゃないでしょ!と言わんばかりだ。
それどころか、逆に、
自分こそが被害者なんです!!
と、両親とも、人前で力説しかねない、そういうタイプだった。
息子が自殺したくらいで済んだことを、ありがたく思うべきだなー。
ヘタしたら、殺人事件を起こすかも、、、と、親らに危惧されてた兄。
あらためて思ったのは、
夫婦は同格、吊り合ってるから夫婦で おれる、ということを、私は何度か指摘してきたけど、
つき合う相手とか友人にも当てはまるのかもね。類はナントヤラで。
くだんの事件のニュースでは、「ディスコ」ってな、おなつかしいコトバも頻出したので、
いまどき、ディスコなんて やってんのかあ?と思っちゃったけど、
それは ともかく、
ほれ、「乱交パーティ」の集い、みたいなのも あるでしょw
さても いかがわしいイベントなど、そんな場所に好き好んで出入りする、ヘンな趣味の人と かかわるのは、ほんと、やめといたほうがイイなと、つくづく思いましたわ。ろくなやつ おらんやろし。
ふだんはマジメな会社員で、とか聞いたら、よけいキモチわるいし。
あるていどの「二面性」が あるのは誰しもなのだろうけど、
あり過ぎるのはねえ。。。
ゴメンこうむりたい。
2023.07.27 (Thu)
「ヤフゴミ捨て場」運営自体にも通報してしかるべきだが、回し者だらけのヤフゴミどもよ。
例の、『札幌』市での、頭部切断殺害事件だが、
自分が親の立場なら、娘が辱められ、脅されたとあっては、これくらいのことは やったと思う!相手の男は殺害されても しかたない!てな、バカなことを投稿しまくってるが、
おまいらの、隠したつもりの意図。
それは、たぶんに『LGBTQ』に絡めてのことだろうが、お門違いも甚だしいぞ。
まるで、殺人奨励じゃないかよ。
安倍氏を銃殺したYのことだけは、開口一番に「英雄視するな!どんな理由が あろうと、殺人だけは許せない!!」などと叫んでみせるくせに、相変わらずの無自覚ぶりだな(嗤)
例の『相模原』に おける障碍者大量虐殺犯の植松を称賛したり擁護したりするのと同様の愚かしさだ。
まずな、
ほんとうに愛している わが子に、禍々しい殺人を犯させて、
その手を血濡れにさせたいと、どこの親が願うんだよ?
どこのマトモな親が、そんなことを指図するんだよ?
いいかげんにしろ!!(激怒)
さて、
私自身は、くだんの事件の異様さが真っ先に目立ちながらも、いったい ぜんたい、何が どうなって、こうなったのかという経緯や動機が不明のうちは、どうにも理解し難くて、
先日も、「スピリチュアル」に傾倒した あげく、母親を殺し、遺体を云々という事件が あったばかりだし、
もしかしたら、今回も、何らかのカルト的宗教絡みかもとか思っていたのだが、
この事件で最も目立つこと、
すなわち、まずい動画を、なんとかしたくて、記録が入っているスマホを、男から奪うでもなく、なぜか、わざわざ、頭部を切断して、しかも、女の身が やってのけたうえで、自宅に持ち帰っていることから、『旧約聖書』に登場するユダヤ女性『ユーディト』に材を取った、ジェンティレスキという女性画家の作品のことなどもチラッと思い浮かべたのだが、そう言えば、この画家の師匠筋は、かのカラヴァッジオだったそうな;
それ以上に、例の『佐世保』市での、女子高生による同級生殺害・遺体損壊事件を思い出した。
それから、
これは、あらたに逮捕された母親の手になるものというイラストを見てのことだが、
かの『サカキバラ』事件の犯人、また、『津久井やまゆり園』事件の犯人である、植松・劣等感のカタマリ・聖(←名前負け そのもの!)のことも思い起こした。
いずれも、フシギなことに、絵の才能という共通点が出てくる。
もっとも、今回、札幌市にて起きた事件のほうは、母親が、上手い絵を描いていたわけだが、似たようなことで、植松の母親も、そっち方面を仕事にしていたのでは なかったか。たしか、マンガ家だっけ?そして、息子に、その才は受け継がれているようにも窺える。
しかし、
私は、あれらの事件の犯人たちが描いた絵やイラストを見たとき、
思わず、吐き気を もよおした。
まじで、いやなものを見てしまったと後悔したくらいに。
今回の事件で、下手人である女の母親が描いたというイラストを見ても、やはり、一見して、どこかしら違和感、繊細の裏返しなのか、ある種の不穏な感じや、私にとっては不快の一歩手前スレスレくらいの危うさを、全体から感じた。
たしかに上手い、色遣いが とても綺麗で、ファンタジック(ファンタスティック)な、独特の世界観が表現されていて、あんな陰惨な事件がらみでさえ なければ、これは これで、素直に単純に感心できただろうと思うのだけれど。
かく言う私だって、過去エントリーで述べているように、耽美的な世界にも親和性が高いほうで、たとえば、かのモローの作品『サロメ』のシリーズなども、特に好んできた。
それでも、
あれらの事件の犯人たちが描いた作品には、不吉とか不穏、病的ながらも美的という以上に、グロテスクと言うか、いやらしさ そのものが、だんぜん上回っていると感じられ、
たしかに上手いっちゃ上手いのだが、まあ普通の題材を描いた場合で あってさえも、はっきり言って、常に、ある種の醜悪な感じが伴っているのを感じさせられる。
それと同時に、
これは、男性に多い傾向とは見受けるが、脳のタイプによっては、女性でも やらかす原因になるところの、性的な面での葛藤を持っていたことが影響しているのか、どこか猟奇的雰囲気の傾向を帯びていたこと。
ところで、うちの親父も、かなりの深刻な問題児タイプだったけど、絵の才能も、多少あったからねw
描くのが苦手だったせいか、鑑賞するのも縁遠かった母親とは違って(ただし、母親の男兄弟には、ピカソばりの絵を描く者も いた)、
わたしゃ、絵を見るのも描くのも大好きなんだが、
ここは「ヘタの横好き」で よかったぁ~と、
ミョウな喜びかた しとりますw
あれら凶悪事件に共通している、もう一つの目立つ要素であるところの、「性」についても、あまり悩んだことないし。
そんなもんで悩むほどの価値なんて ないやろ ┐(^_^)┌
テキトーで よろし、と割りきれてるし。
今回の事件の直接的犯人である女の、小学生当時の顔写真が公開され、みな驚いて、おとなっぽいとか美少女だとか騒いでたけど、
くだんの女は、たしかに大人びた、まあ整った顔立ちだけども、一見して、やっぱり、異常性が ただよってるなと。もちろん、事件を聞いたあとだからということも あろうけれど、およそ小学生とは思えぬ、ズバリ言えば、陰険なほどの暗い眼つきしてるなあと思った。
知能のほうも、けっこう高そうでは あるけれど、まだ小学生、子どもらしい明るさとか無邪気さが、まったくと言っていいほど感じられない。
ここの親らは、そうとう、この娘の扱いに困ったかもなぁ、とも思えた。
私自身も、小学生の時分から、ズ抜けて背が高いし、体格も良かったので、これくらいの年齢から、成人女性と見間違えられたことが何度も あった。
しまいには、駅員さんに、切符の支払いを、子ども運賃で誤魔化したと疑われたりしたことも あったw
それでもね、
当時の写真を見ると、さすがに陰険とか陰鬱とかでは なくて、なんだか心細そうな、哀しそうな顔してるなあと、自分がトシくってから、はじめて気づいた。
虐待されてる子って、
「子どもが、こんな顔するもんかぁ?」
って顔つきしてる。
なんか、せつなそうとか、
微笑んでる表情でも、どことなく、つらそうとか哀しそうとか滲んでる。
でも、くだんの事件の女には、そういう感じは しないな。
で、
仮に、被害者側の生前の脅迫行為を警戒してのことだったにせよ、
近所の人たちに訝られるくらい、玄関先で食事を、それも、コンビニなどで買ってきたものをソソクサと、というのは、もちろん、夫婦仲のことについても、近所の人たちのなかには指摘する人も いたように、いつ頃からか、うまくは いってなかったのだろうか。
じつは、あの立派な家のなかは、もはや「ゴミ屋敷」化していた、と いうので あれば、屋内に入って食事することに抵抗感が あってもフシギは ないが、
あるいは、食べる物を、屋内から運んであげることも なかったようだから、妻なり娘なりのほうも、それすら厭うほどの、冷たい気持ちだったのかもしれないし、
それこそ、娘からも、父親が帰宅して屋内に入ることを厭がられ、拒絶されていたのかもしれないとも思った。なにしろ、娘の言いなりになっていたらしいから。
密室でのことなので、最悪の場合、いちおう、腕力に乏しいはずの女性である娘のほうが返り討ちに、という事態も あり得ただろうし、
そうなれば なったで、トラブル相手の男のほうが、一転、捕まる立場に なる。
【続く】
2023.07.21 (Fri)
『「歴史」vs.「経験」あるいは「賢者」vs.「愚者」』の続き。
さて、
障碍者や重度障碍者のなかに、受賞者が、「これまで いなかった」のも、いろいろな個人の経緯を含め、もちろん、社会的・歴史的背景事情が絡んでいるわけだろうけれど、
私なんかもね、のっけから、就職がスムーズには いかなかったので、デモシカ物書きにでも なるしかないかな、と思ってた頃が あったものの、やっぱり、「純文学」ってのはシンドくてさw
ドライな研究論文とか論考の類を書くほうが、まだラクそうだ(?)という気が するんだけどw
まあ、いまどき流行りらしい「ラノベ」だったら、なんとか、自分でも いけるかもしれない?とかも考えてたよ。
で、それらと比べたら、思いっきし短文で済ませられて、いちばんドライでラクそうじゃん♪と思って、俗な商業コピーのほうへ行ってしまったww
以前も言ったように、私は、ほんとうは、書くことが好きでない。なんと言っても、疲れちゃうから。
だいたい、「表現行為」としてを含めた書くこと、また、読むことって作業は、いわゆる「ふつう」の「健常者」でさえ、けっこうなエネルギーや体力が要るもんね。
べつにシンドくない、って言える人、それどころか、やらずに おれぬ!と言える人は、そもそもエネルギッシュな心身なのだろうよ、たぶん。
でね。
あ!なるほどな、の「当事者意識」。
やっぱり自分の身でもって経験・体験しないと、知ることも分かることも難しいもんなんだよなと、あらためて思ったのが
くだんの市川さんが、「紙の本への憎しみ」ということを述べられたので。
私が20歳代の頃は、先述してきたように、パソコンだのインターネットだのは、一般レベルに普及していなかったので、日常的な情報を得るには、ふだんは新聞や雑誌が筆頭になるが、特に目的が あって探している情報を入手するためには、やはり、まずは図書館や書店へ赴いて探してみるしか なかった。孤立無援な私の場合、最大の「敵」だったのが、あろうことか、親だったからね、よけいに、自力で、ひそかに探し当てる努力するしかなかった。
インターネット上の深刻な諸問題などについて、特に、これで汚く儲けてる商売人に向けては常々、かなりキツイことばで非難・糾弾し続けてきたことを、読者の皆さんは御存じよね(苦笑)
けれど、
そうは言っても、私の場合、聴覚障碍なので、間違いなく、役立ってくれてる現実面も あるわけで、その筆頭は、口頭で やりとりせずに済み、視覚のみで、的確に用が足せるメール機能だ。
それと、
国外から発信のニュース解説記事や、大学の講義内容、専門的論文や文献ですら、検索によって、探し当てることが、ある程度は、そうとう容易になったこと。
娘の障碍を無視し、『障害手帳』取得を邪魔し続けた母親が亡くなってから あとに、
私は、やっと、自分自身の障碍と、その原因について、いろいろと調べることが でき、それで、生前の母親らの卑怯な、狡猾な嘘や言い逃れの かずかずに気づくことが できたわけ。
私が生まれる前の経緯や事実、ほんとうのことを知っているのは、親ら、とりわけ母親だけで、親戚だろうが、どんなに親しい間柄だろうが、当の私を含めて、ほとんど何も知らないんだから。
しかしながら、
以前にも言ったことが あるけれど、
購読していた新聞も断わり、テレビも見ることが できなくなって久しいので、いま、辛うじて動いてくれてるパソコンがダメになったら、ほぼ「万事休す」だ。
『タブレット』なんてのも持っていない私は、外部からの、ありと あらゆる情報を得ることも、自分側が、ささやかに発信することも、ほとんど全ての手段が失われたままになるだろう。
そうなったら、
まずは、それこそ「紙の本」を求めて、近所の図書館などへ出向くくらいが せいぜいになるのだが、
私も、何か読むときは、長時間を座って読み続けることは酷く疲労するので、若い頃から、横になって、休み休み読み継ぐことが習慣になっていた。
近頃、過去エントリーでも話題にしたように、腰痛が激しいときは、椅子(壊れていたw)に座るのも困難で、横なっても、何かを読むことも できない状態が続いた。
私は、もともとからスマホを保有していないし、
それどころか、長年、手もとに辛うじて残していた、いわゆるガラケーも、ついに手離した。
つまり、私にとって、現代の文明の利器いっさい、スマホも大した贅沢品なのである。
視覚障碍者は、ほとんどの場合、点字や朗読によって、読んだり聞いたりしてきただろうけれど、それは、いつも望めることなわけでは ないだろう。「手話」や「筆談」も同様だ。
ただ、視覚から入る情報が最も多くを占める人間にとって、日常レベルで、生命の危険と隣り合わせていると言って過言でない障碍が、重度の視覚障碍だ。
おそらく、最も共有性が あろうのは、皮肉なことに、見えないにせよ、聞こえないにせよ、動けないにせよ、全く不可能、という場合だ。
完全に見えない、聞こえない、となると、これは もう、想像力の乏しさ最強を誇る「健常者」ですら、少しは実体験してもらえるもんねw
聴覚障碍と一言で言ったって、その人によってバラツキ、大なり小なり違う現象も ある。
同じ障碍を抱えている者どうしだって、理解し合えるとは限らない。
当の自分でも、いまだ分かってない現象も あるくらいで、他者に対して説明が難しいし、いちいちチンタラ説明していたら鬱陶しがられる。
聴障でない人に理解しやすく説明したつもりでも、ほんとうには理解できてないままだろうと思う。しかたない。
聴障者と言えば「手話!」と反射的に返ってくるのが常だけれど、
私は、他の聴障者とも、手話とも、いっさい親しむことなく生育し、否応なく社会に出た。
そのあとに、そういうサークルを、自分で探したり、紹介されたりもして参加したことも あったけれど、
もはや、ここでも「異端者」に出来あがっていた私には、すんなり馴染めない世界だった。
手話には、けっこう、やっかいな問題や「時代錯誤」な面も残されていることを知って、これは私の悪い癖なんだけれど、少しシラケてしまい、そこから、意欲を なくしていった。
「健常者」のなかで孤立しながら仕事しなければ ならないストレスも、深く習い性となってしまっていて、すでに慣れてる忙しさと疲労に、どんどん流されていった。
要するに、
この今を やり過ごすことに精いっぱいで疲れ果て、特別に「表現行為」するエネルギーなんて失っていったわけ。
はっきり言えることは、
私は、たとえば晴れやかな受賞のステージで、関心を持って集まった人々からの盛んな質問やインタビューを受けて、それを直接に聞き取り、適切に応答することは困難だ。言語障碍も伴っている。
世のなかの「障碍者」という立場の人々の殆どが、
とにかく「健常者と比べ、何ら欠けることなく同等に!」と、
つよく主張、要請してやまないようなイメージが あるのだろうか、それに対して、
大いに反感を持ってるんだぞ!健常者の こちとらは!!
ということを剥き出しに示してみせた、
昨今、いよいよ激烈な厭悪を突きつけてくる、その象徴的な光景が、
これだったね。
むろんのこと、私も、「かたわ」だの「ずうずうしい」だのといった悪罵を、決して許しは しないが、
同時に、
「すべてを、健常者と同様に(すべき)!」といった、障碍者側の(強固な)主張にも、全面的には同調しない。
なぜなら、現実的に、甚だ困難だったりすることが多々あるわけだし、
ちょっと極端な事例かもだが、ヨーロッパの中世頃の古い寺院などで、天を突くような高い塔に登れるよう設けられてある階段は創建当時のままのもので、若くて壮健な人でも、途中でギブアップしたくなるような急傾斜、気が遠くなるような段数で、とうてい、身障の人に登ることは無理なはずだが、登りきったところで、車椅子どころか、付き添いの人と一緒に立っていられそうもない狭い通路だ。
四肢の障碍だけでは なく、私も そうなのだがw腰痛などを抱えている人も無理よね。
だからと言って、創建時ほぼ そのままで保ってきた文化遺産級の寺院などに、敢えて工事を施して、エレベーターなどを設置すべきとの要望は出ていないのでは なかろうか。詳しくは調べてないので知らんけど。
それと、
「ふつう」の「健常者」であっても、およそ恋愛や結婚や出産等々に縁が なかった人なんて、世のなかゴマンと いるわけで。
「恋愛!結婚!セックス!妊娠!出産できる!それが、ザ・健常者」と決めつけるのも、むしろ、障碍者側からのレッテル貼りに なりかねないじゃん。
もっと言えば、
どのような障碍者であっても、恋愛、結婚、セックス、妊娠、出産を経験している人たちも おられるでしょう。
そりゃ、単に数字上の多寡の差としては明白だろうけど。
幸か不幸か、私は、特に性的、生殖の方面について、「健常者と同じに なりたいー!」とかは、あまり思ったことは ない。もっとも、まだ若い頃には、そういうことにもコンプレックスは あったし、しかし、体質的にも、一般的なカラダでは ないみたいなので、出産不可能な治療後からは、ないものねだりしたって しゃあないし、と割りきってきた。
むしろ、(男性と)結婚したいという気持ちが薄くて(父親からの悪影響が大きいのだろうけど、男性一般に対して、好もしいイメージが、全体に乏しい傾向だった)、
若い頃から、生まれつきの体質や「婦人科」系の病気やら(ちなみに、これが原因で、縁談話がアッサリ潰れたことも あったw)で、妊娠・出産の可能性にもサッパリ自信ナシまたは不可なことがハッキリしてる。
それどころか、これも過去エントリーで述べていることなのだが、
「自分が生まれてきたことを素直に素朴に肯定できないままであるなら、私は、子を産むべきでないだろう」
と、中学生時分に、ほぼ思い定めていた。
やがて、フシギにも、思考したとおりになって、そして、
それについては、めずらしく、いまでも、
「そんなに間違っては いなかったのだろう」
と、まあ肯定できている(苦笑)
自分自身に抱えてみなければ分からないのは、ほぼ誰しも凡人。
他人事のつもりでいるうちは狭いところから低い視点で悪罵したり、
本性は小心ゆえに試す自己チュウ徹底の自己愛性タイプは、まさに、「愚者」以下。
で、
彼らの「来世」てなものは、どうなるの?(嗤)
「前世」は虐められてたのかな??(嗤(嗤)
2023.07.20 (Thu)
「愚者は経験に」「賢者は歴史に」学ぶ、
とかいう有名な格言は、かつての『プロイセン/ドイツ』のビスマルク、という、たいそう偉い人が言ったのだそうな。
だが しかし、
じつは「勝者」が つくったものが「歴史」なのである、畢竟、歴史とは「勝者の歴史」に他ならないと喝破した警句も ある。
その時その時の「勝者=権力者」が上書きしていった。
だったら、「賢人」は、何を歴史に学ぶのだろうか。
歴史の隙間に埋もれたまま浮上しない事も多々あろう。
名を残す勝者にとって、不つごうなもの。
勝者に追いやられ、排斥され、踏み潰され、名も消えていった者たち。
過去から目下に至るまで、この国では、黒々した「のり弁」が累々積み(罪)あげられていってる(嗤)
あるいは、
海苔の貼り付けも間に合わない!と くれば、迷うことなく焼却場へ。
こっちのほうが、だんぜん多いようだ(嗤(嗤)
そして、うそぶく。
「やーい、ショーコ出せよショーコを!」w
ま、われと わが身が痛い目を して、明白な失敗を仕出かしておりながら、それでも直視を避け続け、視線を逸らし続けておれば、そりゃ、
「経験に学ぶ」ことすらも できない、「愚者」以下のままだ。
自分一個のみの欲得算段に囚われていたら、眼が曇って、すぐ前に あることすら見えなくなるのは当然だし、
我欲強烈に過ぎれば、わが子ですら踏み敷いて渡っていこうとするのだから、あとあと、深く恨まれたり、侮蔑を買うことになるのは避けられない。
よりによって、自分を産み落とした親を恨んだり侮蔑するのも、なんとも言えぬ、つらいこと。
尊敬や敬愛なんて無理に決まってる、許すのも困難だ、さりとて、許しきれないのも、なんだか忸怩たる思いに つきまとわれ、
結局、いちばん苦しむのは、弱い立場の子ども。
まあ、各自の経験や体験を、当人が、どのように受け止めて、消化していけるかというキャパも左右するけれど、
狭い、広い、低い、高い、
要は、「精神的視野」が大事なんだろう、人間には。
自分の低い視点のままで、身を置いている、その狭い場所から一歩も出ず、ひとりよがりな解釈ばかりしていたら、それは、「愚者」のままで い続けることになってしまうだろうし、それが往々にしてセットになっているのは、他者に対し、自分は こうだったんだ、だから!と、感情的に押しつける癖。
これも、私が、旧ブログの頃から言ってたと思うのだが、
最初は狭い所から、世界を眺めていて、低い自分の視点から、徐々に眼を上げ、見詰め渡していけば、
「経験」「体験」というものは、個々人にとっての「歴史」となっていく。
その集大成が、やがて、人類の歴史になっていく。
ほとんど誰しも、自分の身に思い知ることが ないと、気づけないものだ。
まずまず「人並み」「平凡」な「一般的」な条件のなかで生きてこれた人たちと比べるならば、私自身は、あらゆる面で、そうとうに特異な条件や環境下で生きてきたということに、あまり異論は ないだろうと思う。
ただし、うちの親らは除くw
彼らのような性質の者は、後ろめたさにプライドが貼り付いた背中合わせで、自分が仕出かしたことを、ぜったいに認めないからww
認めることは、死と敗北に等しいと、頑なに思ってるから。
「人並み」や「一般的」とは外れた所から、自分の眼で眺めたり観察しているうちに、どうしても、つよく疑問に思うタネにだけは事欠かない。
それは、まさに、人並みや一般的と外れてるからこそだ。
そうして、
そこから脱出したい、どうにかして、この理不尽から解放されたいという切実さも増してくるので、あれこれ考え詰めも するのだが、それだけでは、とてものことに、複雑怪奇の埒が明かないから、当たって砕けろも、少しは試す、大ケガも する。
そこまでは早々やらないにしても、
毎日の日常レベルで、全身、擦り傷や小さな切り傷だらけだ。
ますます考え込まざるを得なくも なるわけだけど、
もともとの性分から言って、ボーっとしてるのだし、
そんなにまで考えたいわけじゃなくっても、
なんとなく周囲を見ているだけでも、なんせ、特異な観察対象だけは、目の前に常に豊富で、事欠かないので、
特に親らは、年がら年じゅう、飽きもせずに、同じような争い事と失敗を繰り返し、子どもに深刻な迷惑を押しつけているわりに、妙な要領ぶりと押し出しだけは結構に見えるらしく、世間さまから、おおむね、わりと高い評価を いただいてきたりしていたもんで、
結局、ほぼ誰にも、私が抱えている疑問を聞いてもらったり、少しは腑に落ちるような解答を もらえた ためしが ない。
なので、
どうにも怪訝に思えたり、理解は難しいが切実なことについては、誰に言われることなく、自分で考える。
観察し、推察、洞察を はたらかせようとする。
なぜなら、
終始、何ごとにつけ、自分のほうが間違ってるとか、自分だけが悪いとか責め立てられ続けると、ほんとうに、身の置き所が なくて、気が狂いそうになりかねないから。
幼い頃は、抗う すべもなく、ただ、ひたすら泣き続けるか、途方に暮れるしか なかった。
精神衛生に甚だ悪い。
インターネットもパソコンも普及していない頃、私が若い頃には、図書館なり書店なりへ赴いて、ヒントや解答が載っていそうな本を見当つけて探すわけよ。
あぁ、これだな!と、ヒントを与えてくれたり、やっと腑に落ちる、納得いく解答に遭遇できることも、時たまには あった。
それらの解説は、たいがい、専門筋の学者、研究者たちが、長年かけて、仮説を立て、調査のための実験や臨床などを重ねてのちに辿り着いた、さしあたっての結論だ。
私は、何の専門もない、そのへんのドしろうとでは あるけれど、専門家たちが、労力を費やし続けて、やっと上梓した書物のなかで解説している内容は、
私自身が、自分の周囲を観察して、分析して、推察や洞察を はたらかせる努力を してきた、その結果、
「こういうことじゃないかな」と推測していた内容と合致することが幾度か あった。
まあ、専門家でも、この程度かと、失望するような稚拙な論を公開して恥じないシロモノを見かけることも幾度かは混じっていたけれど(苦笑)
つまり、
およそ「人並み」や「一般的」からは遠い、私を取り巻く、特異な環境を観察し、分析し続けたことが、そのまま、研究者や学者たちの調査とか臨床実験といった手続きに代わるものだったのだとも言えよう。
私の生来からしたら、
もし、人並みや一般的、ましてや、それ以上にも恵まれた環境で生きてきたものなら、
ものごとを深く考えようなんてことは なく、表面だけサラッと流し、自覚に欠けた偏見とウヌボレに気づこうとすることもない、鼻持ちならぬ驕慢な俗物、真の愚者だったかもしれないなと、自分で思う。
ところで、
個人的には、あまり、関心を持たなかった文学賞の類なのだが、今回の『芥川賞【第169回】』に おいては、市川沙央さんという、難病と重度障碍を抱えておられる女性が受賞されたという。
まずは、たいへん良かったと思う。
自分でも「ウヌボレてる」と、少しは自覚していたらしい!?wあの石原慎太郎氏が、生前のように、ここの選考委員を務めておられたならば、どのような顰蹙ものの問題発言を口走ったことやらw
『石原慎太郎氏の差別発言はなぜ繰り返されるのか 「業病」ツイートの根底に優生思想』
ALS嘱託殺人:石原慎太郎氏の差別発言はなぜ繰り返されるのか 「業病」ツイートの根底に優生思想 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
2020/7/30 07:30(最終更新 2/2 11:28)
次のエントリーでは、
市川氏の受賞会見時、最もインパクトある問題を提起された発言、
「紙の本への憎しみ」
を めぐる考察を。
【続く】
2023.07.17 (Mon)
どシロウトながら、
この長い年月を、ただ ひたすら溜め込んだままにしていたくらいなら、少しずつでも蓋あけて、少しずつでも蒸散させて、少しでも嵩を減らしておくほうがマシだったんじゃないの?とすら思える、放射性物質汚染水または「浄化処理済み水」海洋放出について。
これが また、長の年月かけなくちゃならんらしいね。
あの大事故の あとの「謎の湧水」なども問題になり、
あんたが頼りや!の『ALPS』も、すぐにパンパンになって故障し易いと、すでに聞いていたことも ありで、頻繁に取り替えするのは可能なんだろうかとか、心配のタネは尽きない。
前回のエントリーでも指摘しておいたけど、
さらに一言。
あの大事故の直後から、われわれ一般の国民が、いろいろとイッキに目まぐるしく気づかされたことのなかに、最大の意外性とショックを感じたこと。
それは、
この方面の専門家や学者らの、それぞれに、言うことが大なり小なりバラついていて、結局のところ、
専門家や学者でさえ、ほんとうには分かってないことだらけなんだ、
ってこと。
なんせ、「見切り発車」してしまった分野の代表格だけに。
ということ。
まさに、『COVID-19』問題との共通性が ある。
だから、
いわゆるネット民、特にネトウヨ、特に『ダッピ』の手先や各界の回し者すべて含めて、
「おまいら、いったい何が分かって、こうも頑強に断言しとんのや?」
としか思えませんな、私は。
それにしても、
「科学的には問題なし」と理解しているらしい、「『自民党』の日本」には大甘な『福島』県人たちw
その声が あるという事実を事実として報じる新聞社や各メディア以上に、地元民みずから積極的に風評が風評がと言い募っていることで、かえって宣伝しているような側面が あるじゃないのかしら?ww
それに、
「風評」みたいなもんは、幸か不幸か、殊のほかに忘れっぽい日本の「三日アタマ」な民衆だからwいっときさえ越えたら、以後は順調に忘れていきますやろww
気にする人は、どうやっても延々気にするだろうし、
気にしない人は、ソッコーで気にしないもんですw
さしあたっては、公の補助を受けつつ、気にしない人たちを相手にしていればエエww
新聞その他の大メディアが「文系だから」「理系でないと」とかは無意味な話。そうじゃないかな?
近頃は、有象無象なネット民の大声のほうに おもねりがちで、余計なイイ子ぶりっこが激しくなってきた『朝日新聞』さん。しっかりしなよw
なお、私は、「セシウムさん」などと、裏でフザケていたテレビ局の軽薄さも、けっして忘れてないよ。
それと、
旧ブログを やっていたときに驚いたことの一つ、
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の牙城としても定評ある福島県の地元民のなかには、『産経新聞』社と結託していると思しきブロガーも いたもんだ(嗤)
何かにつけて『産経』から、取材電話が かかってくるんだと、なんだか自慢口調で言ってたよ(嗤(嗤)
すべてにわたって浅薄で、いやらしく俗悪な性質むき出しの、そのブロガーの存在を知って、私は、福島県人に対しても、イッキに冷めた視線に なりましたわ。
あとは、、、そうそう、
あくまで個人的には、あまり関心を持てないままの、これも以前のエントリーで指摘しておいた『ジャニーズ』問題ね。
一言で言えば、おおもとは、故ジャニー喜多川氏の生前の性犯罪行為が引き起こしていることなんだけれど、
「日本の芸能界は」云々以前に、
諸外国でも同様の内情になってるらしいことは、すでに知られているわな。
芸能界どころか、あろうことか、宗教界もだ。
そう言えば、喜多川氏の おとうさんは、なんと、お坊さんだったってね。
かの重信房子ってのも、父親が「右翼」だったって話を思い出したわ。
さて、
子どもや未成年が、何らかの被害を、真っ先に打ち明けていける先は、親や家族じゃないの?
これも、養育者の仕事、「しつけ」のうちで。
子どもが、厭なことを されたと訴えたときに、まずは身近にいる周囲の おとなたちが、どのように対処したかが大きく影響するでしょ。
「特異的、特筆すべき才能」を有し云々と言っても、だったら、どんなに悪いことやってても見逃していいのかという問題は当然、起きてくる。
だいいち、悪いことしたやつの、何らかの「特異的、特筆すべき才能」ってのが、必ず備わっているとは限らないのだしw
単に、悪いことを やってのけて、逃げきる才能、それだけが あったに過ぎないということも、世のなか多々あるww
要するに、しぶとく、狡猾なだけだったというわけだが、
一般の犯罪方面でも、そういうことを仕出かした者は、才能が云々よりも、早い話、少なくともオツムから下の体力は、間違いなく旺盛なわけでねw
加えて、なまじに知能なんかが高いほうであるなら、いわゆる「知能犯」にもなるし、
古来から言う「英雄、色を好み」じゃないけれど、
要は、特に性犯罪を中心に、男性が実行する主役となっている世界だ。
もちろん、そこは、一般的に男性には、女性と比べて、脳の、ある意味の「偏り」が伴っている。
だからこそ、古今東西、戦争を引き起こしやすいし、
そうなれば、あらゆる「非人間」的残虐な犯罪も夥しく伴う。
で、ついでに言っとこう。
このことは、旧ブログの頃にも指摘しておいたのだが、
例の『北朝鮮』の「拉致犯罪」ね。
たまたま、最近、とある『ユーチューバ―』の動画を見てみたんだけど、大阪の『西成』区が地元であるとか言ってただろうか、その、やたらと元気なオニイチャンは、外国も国内も、あらゆる地域、特に、何らかの問題や話題で知られている場所へ赴いて、そのことについての感想や論評も行なっているそうで、何年か前には『北朝鮮』へ入国した おりのレポートも公開していた。
ところで、
私は、若い頃に、たまたま、デパートにて『韓国』や『朝鮮』の文化とか食べ物をテーマとする催し事を やっていたのを見かけ、『朝鮮式冷麺』というやつ、わりと身近で食べてきた普通の『韓国冷麺』と、どない違うのかしらんと単純に思ったことが動機で、特設レストランに入り、注文して食べてみたことが ある。
韓国式のと違っていたのは、用いている材料が異なるためなのだろうか、黒っぽい麺だったが、基本的な味は同様で、とても美味しかった。
なんと言っても、つるつる度が特異なのよね、あれって。
「韓国式冷麺」として馴染みのある白い麺よりも、つるつるしてるの。
うっかりしてたら、ほとんど噛まないまま、つるーっと抵抗なく呑み込んでしまいかねないほどのツルツル度。
日本にも、いろんな麺が あるけれど、そこは比べものにならない。
で、
そのことを思い出して、
要は、「冷麺」のことで興味を惹かれ、ヨダレを くりながら視聴してみただけなんだけどさw
その動画は、北朝鮮関係の短期的シリーズみたいに編集されていて、なかには、「拉致問題」などを含めた、日本側にとっての重大懸念事項を、現地で質問してみました、といったことも実行したらしい巻も含まれていた。
んで、
拉致問題についての、現地の人たちの返事は、やはり、「よく知らない」とか「もう終わったことなのに、なぜ、いまだに日本側は、この問題を引っ張り続けるのか?」という内容が殆どだったらしいのだが、
この動画主催者のコメント欄も、けっこう胡散臭くてねw
サッと読んでみただけでも、『北朝鮮』関係者とか「在日」の人が常連で投稿しているのかな?と思わせるような内容のコメントが多めで、
くだんの、たいへん元気な主催者オニイチャンを、個人崇拝的なまでにベタ褒めに褒めそやすコメントも多くて、鼻についてゲンナリしてしまい、今後は、もう視聴することは ないだろうなと、個人的には判断したけども、
一言、あらためて言っとこうと思ったのは。
日本の「現人神」時代を真似しているのであろう『金王朝』先代も、当時の首相だった小泉さんに対して、「部下が やりました」ってな、日本の政治屋ソックリな言いワケしたらしいね(嗤)、
たしかにね、世代が変わると、先代まで やってたことの内実を、詳しくは知らない、よく分からないということも、百歩譲って、あり得るのかもとは思うけれど。
「日本だって、戦時中に、われら朝鮮民族を拉致した」と言うけれどね、
まず、戦時は、なんでもアリ、どんな悪業も やらかすでしょ。
だから、男性が中心となって やりたがる戦争というもの、やってはダメなことよね。
しかしながら、
例の拉致問題は、戦時に起きたことじゃない。
どっちが、ヘタな真似して、いつまで「引っ張り続け」たんだかね。
韓国も、かの『ライダイハン』問題とか、日本の真似したんかえ?と嘲笑されても しょうがないことを仕出かしてるというし、
私は、たとえ自分側とか自国だからって、一方的に盲目的許容は しない思考と判断なので、
日本も日本、
まさに政治屋や悪徳バ官僚の特徴むき出しに狡猾、かつ、小心で下劣な計算をチマチマ執拗に働かすのが得意な国民性だとは常々思ってるけども、
北朝鮮に渡しますから預からせろと、大ミエきって、結局、自分とこの懐にマイマイしてたっつう韓国(嗤)
あれや これや思い起こすと、自分の国に対する自己投影度が高ければ高いほどに、自分自身を恥じることに繋がっていってしまうから、目を逸らして逃げたくなるんだねw
はてさて、
何度か指摘してきたように、
ほぼ、ルーツを同じゅうするだけにwお隣の『韓国』『北朝鮮』ひっくるめた『朝鮮民族』というものの、およそ権力や強者に ひれ伏す、不甲斐なさの歴史、その反面のウヌボレ、空虚な増長などの共通性は、日本国民にも大きい。
もっとも、
日常で食べる物さえ事欠いてヒイヒイ言ってるうちには、異議申し立てや「民衆蜂起」なんぞ起こす気概も なくしていくわな。
たった数十年ほどで、ますます酷くなった、「でごんしょう、でごんしょう」日本の民衆の「茹で蛙」ぶりよ。
私は、近頃には非常に珍しく、これを実行すると聞いたら、
「やったれ!!」
と、心中ひそかにガッツポーズで応援しているのだがw
デモもストライキも なくなって久しい、この国の体たらく。
総じて、日本という国は、あらゆる方面で、「反応が鈍い」「腰が重い」「行動力に乏しい」。
それにしても、
いまや、『ヤフーコメント』欄に勝るとも劣らぬ、『msnコメント』欄の ありさまよ(大嗤)
こういう商売によって、人類の下劣度は、いよいよ複雑に深まっていく。