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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2014.05.02 (Fri)

セル・オートマトン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%B3

セル・オートマトンのシミュレーションには有限の格子を使うことが多い。2次元の場合、無限の平面ではなく、有限の四角形で表される。有限の格子での明らかな問題は端のセルをどう扱うかである。端をどう扱うかが格子全体のセルの状態に影響を与える。

 

(笑)

子どもの頃、刺繍や編み物に興味を持ったとき、端っこの始まりと終わりを どうすんだ?と疑問に思ったのを思い出したw
宇宙の開始問題にもヒントがありそうな感じ?(笑)

 

かつて、あのQAサイトでの回答に、この「セル・オートマトン」の事例を示したところ、「bragelonne」爺さんと その手下みたいな役回りの「primeapeFlareon)」にはサッパリこと理解できなかったようで、あべこべに、ケンカ売られて、非常に不愉快な気分を味わうハメになったことがあったw

 

 

さて、
「激動の世代」というと、私の父親の世代なんかは、最も、それに当たっているのではないかと思う。

この世代は、もちろん、戦争を体験しており、日本の一般家庭内における生活様式の変化にも、一代にして激動が押し寄せた世代だと言えよう。

典型的なのは、パソコンとインターネットだろう。

彼らの、ごく若い頃には、テレビすらなかった。

戦後になり、働き盛りの頃には、職場でも家庭内でも様々な電化製品を迎えることとなったが、彼らが晩年になって最後に迎えた「文明の利器」と言える最大のものは、パソコンであったわけだ。

 

私は、個人で、パソコンを所有するようになって間もないある日のこと、実家で、父の食事を ととのえ、父が食事にとりかかったのを眺めながら、話しかけた。

「コンピューターの仕組みってさあ、基本は0か1かで動いてるようなもんやねんて」

これを聞いた父の叫び声を、私は、いまでも忘れることが できない。

「なんだとぉ!?」

 

ほとんど怒りの叫びに近い響きだった(笑)

こう叫んだ父は、次の瞬間、

「むむぅ…」
と、なんとも言えない呻き声を発したきり、箸を置いて、しばし黙りこんでしまった。

 

大変くやしそうに叫び、そして黙りこんだ父の表情に、私は面喰ったが、

うちの父親は、一応、子ども時分、田舎とは言え、地元ではトップ クラスの優等生で鳴らし、10代の終わり近くの ごく若くして、養子先の家庭の事情で進学させてもらえなかった分の野心を秘めつつ、陸軍士官学校に志願入隊し、のち、末期の中野学校に入り、特別養成(つまりは、せっぱ詰まった戦況ゆえの短期詰め込み教育)として、暗号解析などに携わることを命じられたときも、常に、県下で僅か数名のうちの一人だった。
戦後間もなくは、20歳台前半で、地元の議員に選出されたこともあったという。

もともとは文系脳のほうだと、自分でも言っていたが、それにもかかわらず、数理に類する仕事に従事し、ごく平凡な一市民となっても、心底ではプライド高く、エネルギッシュな側面を持ち合わせていた。

それだけに、父の世代ともなると、パソコンという、まさに「ブラック ボックス」としか言いようのない複雑そうな機械が、言わば「0か1か」で動いているという基本的仕組みは、まさに「奇怪」としか言いようのない不可解さだったのだろうと思う。

 

あ、そうそう、先日のエントリーで、若い頃の親父は、髭も生えなかったらしいという話を書いたが、それを苦にして、若き軍隊時代、顎まわりに、青インキを塗たくってみたこともあったんだとさw「青髭公」じゃあるまいにww

 

げに哀れなるは(続き)

http://schneewittchen.7narabe.net/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E3%81%8B%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A8%E3%81%8B%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%8B%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%81%8B/%E3%81%92%E3%81%AB%E5%93%80%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AF%EF%BC%88%E7%B6%9A%E3%81%8D%EF%BC%89

 

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Updated   
2014.04.30 (Wed)

げに哀れなるは
http://schneewittchen.7narabe.net/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E3%81%8B%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A8%E3%81%8B%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%8B%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%81%8B/%E3%81%92%E3%81%AB%E5%93%80%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AF

実験動物、男性の匂いでストレス
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト
430()1840分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140430-00000002-natiogeog-sctch


これ、これ。タオル。そうそう、タオルだったのよ。
親父のタオル思い出したw
実家出てから長年になるので、いつしか思い出すことも なくなってたんだけど、えらい久しぶりに思い出しちゃったww

うちもね、私と母親は(と言うか結局、本人以外の家族全員が)、親父の使ったタオルでは、ぜー~―~ったい!!!に、
手も拭かなかった。

なんでかって、
拭いたさきから、手が臭うんでねw

何のために、いましがた、手を洗ったのか意味なくなるから(苦笑)


どんな臭いかって?ひと言で言うとね、
これは、母親からの受け売りなんだけど、その母親が言ったには、
ありゃあ、

バクテリアemojiが繁殖してる臭い


なんですってさ。。。emoji

私は、「バクテリアの臭い」なんてものは、バクテリア実物を定かに知ってるというわけじゃないけれど、ま、そうとしか言いようがないかもなほどに凄まじい臭いだった。
洗面所に掛けてある親父のタオルが、ひとたび臭いだすと、たちまちにして、洗面所じゅうに充満するemoji

たしかに、うっかり嗅いでしまうと、気分悪くなる、つうか実際には、気分悪くなるほどには嗅げたこともないwww


まあ、そんなこんなで、うちは、タオルなんかは基本的に、家族でも別々。


ちと解せなかったのは、
親父自身の そばに近づいてみても、そんなに臭いというわけではないのに、
親父が直接触れて使ったもののほうが、格段に臭くなるみたいなのね。


そして、親父は暑がりで、たしかに汗っかきだった。

だが しかし、お風呂なんかは普通に、と言うよりも、男性一般の平均に比べると、たぶん、長風呂なくらいだった。

お風呂あがりの お肌の手入れemojiも抜かりなく、ヨメさんの化粧水や乳液を使って、娘の私なんかより よっぽどシッカリお手入れw

ハンド クリームなんか、自分専用に、国内一流メーカーの高級シリーズ製品(もちろん女性用の、高価なもの)だけを、長年にわたって使い続けてたツワモノなんだけどねww

 
 
Caillebotte(1848-1894)Man at His Bath(1884)


ヨメである短気な母親のほうは、典型的「カラスの行水」タイプだった。
母本人は、弱点の心臓が苦しくなるから、露天風呂以外は、湯舟に長く浸かっておれないと言ってた。
まあ、第一には肥ってたせいだろと思うんだが。


私なんか、これまた自分でフシギなんだけど、
お風呂が嫌いでねぇ。なんせ融けちゃうからさ(笑)

ただ、子どもの頃には、そんなことなかったのに。
でも、いったん入ったとなったら今度は、ものすごい長風呂だ。まじ、溶けるでぇー、と言われてしまうくらい(苦笑)


これも、ちとフシギなのは、
私自身は外見的には一応、父親似に違いなく、暑がりで汗っかきなのも似たし、遺伝子が近いのは当然なのだが、なぜか、体臭のほうは全然、似なかった。
やっぱり、こういうところは、親子と言えど、性別の違いが出るのかな?

私の もともとの体臭はと言いますと、なんとなく、どこか菓子パンみたいな感じの甘さがある。これは、あきらかに、母親のほうに似たようだ。
脱いだ寝間着を嗅いだときなんかに、自分でも よく分かる。

飼ってた犬なんか、抱くと、私の腋の下に、鼻さき突っ込んでウトウトするくらいだったもん。emoji


               



で、うちの「バクテリア」親父だがw
本人の釈明によると、もともと、青年時代には、髭さえも ろくすっぽ生えなくて、友人たちに、

「おまえの肌は白いし、女みたいだなあー」

とかと褒めそやされてたもんだ、ってさ。
たいへん自慢なようだったww

それが、結婚し、子どもが生まれるようになってからは、胸毛まで、ちょろちょろ生えてくるようになったのだとか。


ヨメである母親のほうは、病弱のせいか、もとは痩せっぽちだったのに、こちらも結婚してから体質が変わり、子ども産むたびに、ぶくぶく肥っていったとは、何度も何度も聞かされたことだけど、


どうも、結婚して、子どもが出来たりというのも、体質的な変化が起きる切っ掛けになるのかな?男女ともに。


それで、親父なんだが、
初老にもなってから、ある日のこと、行きつけの床屋の主人に、しみじみと、

だんなの髪、女なみの柔らかさですなあー

とか言われたぁemojiと大喜びして帰宅。
って親父、なにが嬉しいのか?と私も思ったけどw

すかさず、母親が

フン、あんた、トシくって、毛根が痩せただけやろ

と、軽蔑の眼差しでピシャッww



しかし、上記の「やふコメ」の内容も凄いよなあー。

後頭部が雑巾みたいな

って。。。(爆)
どんだけな臭いやねんemoji


上記のコメント投稿者さんは、
「うち、相性悪いのかなあ」
と おっしゃってるけど、うーん、、、?


たしかにね、うちの親夫婦の場合、年がら年じゅう、何かにつけて激しく争ってたけどねwww
「相性悪い」と言うのか、ちと違うような気もするし、、、


まっ、私みたいな基本単純タイプには、ああいうのは、いまだに、なんかワカラン!

ウザい共依存夫婦は、はた大迷惑、この一言。

Updated   
2014.04.30 (Wed)

男なりw

 

ナショジオの記事は基本的に好きなので、見かけたら逃さず、すぐ読むんだけど、

今回の、この記事、ついた「やふコメ」にも特に笑えまっせーww

実験動物、男性の匂いでストレス
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト
430()1840分配信 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140430-00000002-natiogeog-sctch

 

そういえばさ、わたし、先日から頻りと、『ベンのテーマ』つう歌を、なんとなく思い出してたんだわ。

学校時分、テレビで、親らと一緒に、この映画の放映を見た記憶がある。ただし、『ウィラード』のほうだったかと思う。

うちの母親ってのが、もともとは猫も苦手だったんだが、ネズミとなると大大大の苦手で。この映画、怖がってたw
後年、母の ものすごいネズミ嫌いを分析して、「シッポに毛がないのが厭なんちゃう?」と聞いたら、「それや!」と納得してたけど?w

むかしの実家は、ネズミにも縁があったもんだから、これが原因で、なにかと騒ぎになったもんです。

 

あのときも、すわ、ネズミ出没というんで、さっそく、♀猫が出動。emoji

この子は、犬でも猫でも、うちの♀ペットたちの伝統に違わず、気が強くて、聞かん気で、でも賢い女の子でね。

 

その晩も更けて、親らは寝静まった頃、ふと、私が茶の間を覗いてみたら、、、emoji

 

やったあ~!emoji

薄暗い部屋のなか、豆電球に照らされて浮かびあがったシルエットは、うちの猫の口もとから垂れ下がった細い細いシッポ。。。emoji

 

そして、次の瞬間、家じゅうに響き渡った、私自身の悲鳴。

「ぎゃああ~!」emoji

 

隣室から飛び出してきた親ら。
(ふだん、猫好きではないのだけど)
(父)
「おぅ、でかした!」

(母)
「ほんまに賢い子や」

 

私の叫び声に驚いて、ぽたりとネズミを落とした猫を ひっ掴み、洗面所へ走る。

親父が、背後から たしなめる。

「こういうときは、猫を怒っちゃいかん」

 

かまわず、お湯の栓を捻り、猫の手?足と、ネズミを咥えていた口もとを洗い流そうとヤッキ。

今度は、猫のほうが

「ぎゃああ~ん(いやぁだ、いやぁだ;)」と泣き叫ぶ。

 

再び親父。

「ネズミを捕った時は、褒めてやらんと、次から捕らなくなるぞ!」

 

そりゃそうだろうけど。。。

だってさぁ、ネズミ咥えてた口をスリスリ寄せてきて、その舌で舐めまくられちゃ、かないませんがなあ;

わたしゃ、この子と同衾しとるんだし。。。emoji

 

 

『ベンのテーマ』これね。美しいメロディです。

マイケルは、この当時、まだホンの子どもだったんだよね。うまいねえ。

 

Updated   
2014.04.14 (Mon)

以前のエントリーで、この事件、小説家と編集者の関係性との共通点もありそうなと述べたが、
私は、今でも、くだんの新垣氏、しょせんは、ご本人が認めたように、一民間大学非常勤講師程度では得られない報酬目的の、「共犯者」以外の何者であったとは思えない。

 

ただ、以下の記事で紹介されている氏の発言を読み、この疑問について、あらためて、ご本人に聞いてみたいものだと思った。

新垣氏 佐村河内氏に「感謝」も…「Mr.サンデー」で語る
スポニチアネックス 413()2230分配信 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140413-00000126-spnannex-ent

 佐村河内氏の名前で作曲したことで、自身の名前ではありえなかった圧倒的支持を受けたこと。さらに、佐村河内氏が新垣氏の作った曲を「実際に聞こえていたかどうかはともかく、真剣に聴いてくれて『いいですね』と言ってくれた。そのやりとりが重要だった」と語り、その意味では佐村河内氏に「感謝ですね」と明かした。

 また、作曲するためには、あるところまでは佐村河内氏が作った指示書が必要、長編小説のプロットを作るきっかけというのが必要であると語り、2月の記者会見で「共犯」と語った意味を説明した。

 

 だが、自身が作曲した曲が評判になったことで佐村河内氏がテレビなどへの露出が増えたことで「これは参ったな。これ以上世間に出てしまうと、本当のこととまったく違う。フィクションになってしまう」と危機感を覚えた。また、佐村河内氏の自伝を読んだことで「これ以上、今のことを続けるのは危険であると『直感』いたしました。活動を1度打ち切るのが賢明と思われます」とコンビ解消を訴えたという。

 

どこぞの週刊誌にて、暴露スッパ抜き記事が載ったことで、新垣氏、たちまち青くなって震えあがったというのが切っ掛けになっての告白会見だったとか報じられていましたがねえ。

それにしては、ずいぶん、キレイごとの話になってw

 

佐村河内氏の名前で作曲したことで、自身の名前ではありえなかった圧倒的支持を受けた

では、

佐村河内氏の注文に合わせて作曲した作品と、本来の新垣さん自身で産んだ作品たちと、どう違うのですか?それとも、違わないのですか?

そして、新垣さんが、本来、支持を受けたかった対象とは?

 

分野の専門家、識者たちの、厳しい見解によれば、

佐村河内氏の依頼のために作曲した作品は、音楽の歴史に名を残した巨匠たちの作品の切り貼りめいている、それもあって、高い評価は下す気になれなかった、という。

この点は、ほぼ単に、その方面知識の有無の問題だ。

それならば、
あれらの作品に感心してしまった、無知なシロウトたち(私も、まあ一応、そのなかに入っていたと言っていいだろう)のセンスは、けっして悪くはないどころか、けっこう判断力があったわけだ。

だって、「寄せ集め」に使った素材自体は、もともとが、とても良いものだったのだから。

 

最近のエントリーで、「小保方さん会見」への感想で述べた、

「服装一つとっても、本当にカシコイ人は、自分本来の好みや自己満足よりも、周囲に与え得る影響効果を冷静に優先して計算するのだろう」ということ。

これと通じるものがあろうと思うので、新垣氏の、今回の発言を知って、素朴に問うてみたいと思ったのだ。

 

芸術作品とは、最初から、敢えて(ウケの)計算づくのなかで生まれるものなのですか?と。

 

Updated   
2014.04.05 (Sat)

私は、長らく、テレビも見なくなってるし、特に関心を持っている芸能人も殆どいないのに、こないだ、ふと、「そういえば、蟹江敬三という役者さん、まだ御存命だったっけ?」と、唐突に頭を過った。

まあ、わりと よくある現象なので、何かあるのかもしれないなと思いつつも、「まだまだ亡くなられるような年齢じゃないはずだわ」と、自分で即刻打ち消したのだけれど、きのうになって、すでに先月末ごろに亡くなっておられたという記事を目にした。

 

彼も また、個性の強い、スタイルのある、それでいて、どんな役でも演じる能力のある俳優さんだったなと思う。

 

役者・俳優というのは、どこか神秘的な部分があり、面白い職業ではと思うのだが、アクの強いタイプだと、おのずと演じる役柄が狭められてくるというのは、俳優本人の意向に関わらず、実際そうなってしまいがちなのだろうけれど、むしろ、そういう俳優のほうが、かえって、善玉でも悪玉でも お手のものというポテンシャルが高いのではないかという気がして、いっそう興味を惹かれる。

 

蟹江敬三さんは、むかし、何と言う番組名だったかのなかで、外国に出かけて行き、そこで何事かを行なう、という趣旨だったのだけれど、南米のどこかに到着し、現地のカッコイイ民族衣装を身に着けて(しかも、サマになってたし)、何か、露天商みたいな威勢の良いパフォーマンスを些かも臆することなく堂々とやってのけていた。

すると、土地の女性たちが、蟹江さんの勢いと風貌にググッときたらしく、しまいに抱きついたり、頬に嵐とキスしたりで、えらい騒ぎになってたのを憶えている(笑)

まあ、いまごろになって考えると、昨今モロバレになってしまった「演出」ということも多少はあったのかなと疑いたくもなるが、しかし、たしかに、彼の風貌には、ラテン男のそれを感じさせるものがあった。あちらの情熱的な女性たちの好みに合致していてフシギはないと思えたものだ。

 

数多く悪役を演じた蟹江敬三 人は何に恐怖を感じるかを語る
NEWS ポストセブン 131()166分配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140131-00000017-pseven-ent

「当時は悪役ばかり来るわけですから、工夫しなきゃと思っていました。『その役を面白くする』ことを面白がるといいますか。そうやってその役の魂っていうか心根に入っていくわけです。そうすると、いい衝動が出てきたりするんですよ。」

 

旧のブログでも書いたことがあるけど、

学校時分の行事で鑑賞させてもらった歌舞伎の、事前レクチャーとして、有名どころの役者さんが背広姿のまま見せてくれた、「見得を切る」所作(とてもカッコ良くて、そのべテラン役者さんに、女子高生の私が、たちまち惚れてしまったほどだが、その所作というものの完成度の高さを思い知ったことだった)、

また、お能の役者さんが、これもレクチャーにて、面を着けず、ある所作ただ一つによって一瞬に切り替わり、その役者さんの体内に、別の何者かが入り込む場面を、まざまざと見せてくれた。まさに、「憑依」。

 

 


「役者にとって、悪は魅力的ですよ。普段の自分にはできない非日常なことをしているわけですから。もしかしたら、悪っていうのは自分にありえたかもしれない人生だと考えると、役に入りやすい。どんな人でも、そういう悪の芽をいっぱい持っているんじゃないでしょうか。
 それから、あまり怖そうに演じない方がいいと思います。『俺は怖いんだぞ』ではなくて『私は普通ですよ』という人の方が怖いっていう気がします。実際に人を殺した人って、一見すると普通の人に見えることが多い。ところが、どこか目がイッている。そういうところに恐怖を感じるんだと思うんです。」

 

こういう話って、興味深いなと、いつも思う。

深い人間心理に通底しているもので、観察眼を培えている人ならではだろう。

たぶん、歌舞伎でも お能の世界でも、役者さんには共通したものが潜んでいるのではないかしらん。


(※このあと、少し時間を置いて、「DNA」にまつわる、二つの事件につ
 いてのエントリーをアップする予定)