2022.01.05 (Wed)
『久方ぶりの科学系記事』の続き。
どうやら、私は、『絶対真空』ってやつをイメージしてたんだな。
つまり、それは「概念」に過ぎぬのだそうな。
そりゃ、現実には あり得ないことだというのは、もちろんで、
『宇宙空間』だって そうに違いないのは明らかなことだけれど、
私が ずっと問うているのは、
あくまでも「宇宙発生前」のことだからねえ。
いまだ かつて、「絶対真空」なんてものが あり得たことは ないとすると、それこそが不可思議。
常に、何かしら あったことになるわけだから。
じゃあ、その「何か」は、どこから来たのか?ってことになるわよね。
そこが知りたいのよね~。
でも、不可能みたいね。シュ~ン。。。
「トリガー」。。。
「時空の歪み」が起き。。。?
「揺らぎ」が起きて。。。??
「相転移」。。。???
だいたいさ、
「天が動いてるんじゃなくて、こちとらのほうが動いてるんだよ!」
という現実を、なかなか受け入れられなかったという大昔の人の感覚と多少似て、
「無から有」が生じるなんてことは、そんなことが あって たまるか!!
ってくらい、どうにも納得いかないというか、キショクわりい感じするんだよね、この世界の摂理のなかで生きて、慣れているつもりの身としては。
逆に、最初の最初から、何かが、そこに あった、というのも、ヘンな感じよね。
やっぱり、何かが あったから、そこから何かが起き、では、その、あった何かは、そもそも、どこから来たもので、と、
こう、順序を追いたいものなのよw大概の人間にとっては。
でも、
何かが どこから来た、ということをトコトン追っていったとしても、
結局、キリが ないわけよね。
ほんとうの「最初」が分からないから。
宇宙も含めた「この世界」の どこででも、いったん発生したならば、そこから あとは概ね、われわれが親しんでいる、かつ、一応にせよ納得している基本法則と、あまり大差は ないのかもしれないが、
また、一見、それなりの大差が あるように見えたとしても、
あくまで「この世界」の範囲でのことは、他の天体であっても、根気づよく倦まず弛まず追究し、とことん突き詰めていけば、「ふうん、なるほど」と納得できる結論に辿り着けることも不可能では ないだろう、とは思える。
しかしながら。
なにしろ、とうちゃんと かあちゃんがナニしたから、この自分が生まれたというような「法則」を、『宇宙』発生の根本に当て嵌めようが ない。
われわれが生きて活動している「この世界」の摂理とか法則に おいては、「これを こうした、すると、こうなったから、こうなった」と、原因や理由を追究したり追跡することは、いちおう、かなりの程度まで可能なのだけれど、それにしたって、
じゃあ、なぜ、そういうふうに できているのか?という根本のところにいくと、答えは、ない。
「グラスの底に顔が あったって、いいじゃないか」(??)
尻が頭でもイイじゃないか???
さて、
以下の部分も、だーいぶ前に、たまたま見かけた、ある記事を読んで、それから書き始めたものの、途中でホッタラカシになっていた。
唐突ですが、
私、『宇宙背景放射(3ケルビン黒体輻射」とかいうものは、早い話が「煤」みたいなもんやないけ?と思ってましたw
ビッグ ボム!!
梵っ!!!
ボーーーㇺンンンンンンン!!!!
と、大爆発したんであるからには、火の粉やら煤が発生するのは、この世の必然でっしゃろ?ww
ほんで、どんどん飛び広がりつつ、同時に、だんだんに冷めていくわね。
あとには、いろんなカタマリ(クラスター)も できてる。
寄ってカタマリになった分だけ、隙間も あいてる。
最近、『火星』に大量の水が、という『アメリカ』の大手メディア発の記事を読んで、「ヤフゴミん」の多くがキャッキャと単純に喜んでいるのを眺めながら、
何年前にか、かの『CERN(セルン:欧州原子核研究機構)』が発表したという、なんか胡散臭かった記事を目にして、大喜びでコーフンしていた『産経』系ブロガーらを、せせら嗤ったことも思い出す。
“Water on Ares“
「火星の水かぁ、、、もう そこまで分かってきてるのか。。。だけど、どんな味なんだろ、ってか、そもそも飲めるのか?」と思った私。
『土星』の『タイタン』。。。
「土星の炊いたん」。
火星で汲んだ お水から、じっくりと煮詰めていきます。
菜箸で、よぉく転がしながらですね、うすくち醤油を、、、
「お晩菜」か!w
ところでね、
私、前々から、「宇宙空間のなかに、有機物が漂っている」ことの理由と言うか原因と言うか、そのことを特に摩訶不思議と思い、なんとなく考えていたんだけど、と言うのも、
地球に代表されるような惑星の水が最初、いったい、どこから来たのかと問うと、
隕石やらが衝突してきて、
そのなかに含まれていた有機物が、水分を齎したのだという説を読んで、
その後の話題で、
新潟の、とある農園さんが、『ツイッター』上にて、
ネギの青い部分を踏んだら、めっちゃ滑る!
(じつにバナナの100倍以上)
という注意喚起を発信されたというので、
たしかに、私も、スーパーマーケットや八百屋さんなどで、何かの野菜の切れ端が落ちていたら、踏まないよう、気を つけては いた、
もっとも、単に危ないからという以上にも、
食べるはずだった物を踏むことへの抵抗感が あるからなんだけど。
ネギといった野菜類の、そのヌルヌルつまり粘液は、私たちの健康にも寄与する有意義な成分なんだろう
(ただし、個人的に、虚弱な私の場合、生タマネギなどを始め、ネギ系は、おなかを壊すことが ままある。いわゆる「精の強い」ものは、体質に合わない場合も あるので)。
このツイッターでの、ネギの話題に関連し、北里大学の名誉教授という かたが、結論として、
「生命に由来する有機物は、踏めば、すべて滑る」ということを述べられたと知り、
なんとなく、「宇宙空間のなかに漂っている有機物――水の源」のことを思ったわけ。
私は、むかしから、「電気」というものを、殊のほか不可思議と思ってきたのだけれど、
われわれの肉体の重要な構成要素でもある『炭素』ってのも、これまた不思議だよねー。
炭素が できたのは、『宇宙』発生の爆発後、ほんの(?)数億年くらいで誕生した恒星のなかで起きる「核融合反応」から やがて「超新星爆発」に至る様々なプロセスの現象の結果で あり、それ以前には、存在してなかったということだけど、
でも、私は、『ビッグ バン』直後あたりから、その萌芽は、すでにあって、ばら撒かれたような、気ガスるんだよねえ、いや、単なるカンだけどw
でね、
そもそも「無機物」「無生物」。ただ物質の状態から「有機物」「生物」へ、どこで大転換(相転移?)したのだろうかね。まだ分かんないんだろうね。
人間には特に発達している「自我」ってものも、だんだんに年齢を重ねるにつれハッキリと、つよく、複雑になってくる傾向が一般的だろう。
自分は何者なのか?
そして、どう ありたいのか?あるべきなのか?
ということが殊のほか気になってくるのが、ほとんどの人間の成長過程の特徴でも あるから。
ごく幼い頃までは、「無我」であるとされたりもするのだけれど、
やはり、個別の肉体を備えているからこそ、それを通して、それぞれにとっての「外界」を眺めているうちに、いろいろ察知していき、要は自分の心身を守ろうとして培われていくものらしい。
同時に、愛着、執着心も つよくなっていく。
そう、肉体あればこそ、なのだ。
そのために、まずは「快・不快」豊かな「喜怒哀楽」といった様々な反応を齎す肉体は、最終的には、物体そして物質そのものに戻る。
言わば、同じ一本の線状のものの上にピョコピョコと並んでいる大小の突起物のようなものなのだろう、われわれは。
ピョコの一つ一つ、それぞれは、
孤独を嘆いてみたり、隣りのピョコを鬱陶しがったりもするのだけれど、
しょせん、溶けて流れりゃ、みな同じ。w
物質って、不思議だ。
【続く】