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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2021.12.31 (Fri)

【続】「勝ち負け」が全ての続き。

 

俗に言う「手癖が悪い」というのは、私の周辺にも、いくつかの心当たりが ある。

この事件を聞いて、思い出したことの一つは、同級生の母親。

小学低学年までは、入浴は、近くの おふろ屋さんに通っていた時期が あるのだが、その帰りに、同級生と遭遇し、家まで一緒に送ってあげるよということで、同級生の おとうさんが運転する自家用車に乗せてもらい、たしか、かなり迂回した道を走っていたみたいで、うちまでは、ごく近距離のはずなのに、ちょっと余分に時間が かかってることを怪訝に感じていたら、

やがて、とある店の前に停車して、おとうさんが出て行かれ、
ほどなくして戻ってきたのを見れば、大きな白い箱を手にしておられる。それを渡されて、今度は私の自宅まで送り届けてもらった。

 

家のなかに入り、同級生の おとうさんの車で送ってもらったことを、親に告げながら、もらった箱を開けてみると、
いろんなショート ケーキが、ぎっしりと詰められてあった。

 

そんな、ささやかな思い出が あるのだが、

いつだったか、私が20歳代に入ってからだったか、うちの母親と何かの話の おりに、その同級生の、おかあさんのことが話題になり、

じつは、よその家庭で、お金が盗まれる出来事が断続的に起きたことが あり、どうやら、くだんの同級生の おかあさんが やっていたと発覚して、その当時、『PTA』役員を長く引き受けていたことも あってか、被害者の相談を受けた うちの母親が、なんとか、警察沙汰には せず、穏便解決したことが あったのだという。

それも あって、その同級生の おとうさんは、気を遣い、たくさんのケーキを私に持たせてくれたんだろう、という話だった。

 

 

幼稚園からの同級生にして、幼なじみの一人でも あった彼女の両親は、ずっと共働きで、同じ工場で働き続けていた。

小さな子どもの足でも、しばらく根気を出して歩けば、たどり着ける距離の職場だったので、前述の話よりも、もっと幼い頃に、一度だけ、彼女に誘われ、その妹と一緒に、ついて行ったことが ある。

そこで、非常に印象に残ったことが あるのだが、

それは、工場の敷地内で、おとなたちが忙し気に立ち働いている光景を、見慣れないものだから、興味シンシンで眺めていた私や、親の姿を見つけてハシャぐ同級生の姉妹に、「おや、来たの」と、微笑みつつ温かく声掛けしてくれていた おばさんたち女性の従業員が、突然、

「おとうさんに話しかけたらダメ!!」

と、打って変わって厳しい声で注意してきたこと。

 

見れば、おじさんは、ちょうど そのとき、何か非常に重たい、大きな機材のようなものを、他の男性従業員たちと慎重に運んでいる最中だった。

つまり、

今、ヘタに声を かけたりして、ちょっとでも気を逸らすようなことを したら、たいへん危険だということだった。

 

うっすらと霞が かかったような遠い思い出ながらも、その場面のことは、いまでもハッキリ憶えている。

 

 

それから、私らは高校生になり、偶然にも、また同じクラスになった。

その高校は、以前にも触れたように、地元では、いわゆる名士や富裕な家の子女が通うことで知られた、伝統ある「お嬢さん学校」だったので、父親は曲がりなりにも「知的職業」だった私以上に、工場労働者の両親を持つ彼女は、言ってみれば、そうとう「場違い」な生徒だったはずだ。
それでも、
どこか浮いていた私なんかよりも、彼女のほうが、学校やクラスに上手く溶け込んでいて、やがて、親が、念願かなって立派な家を建てたというので、めでたく引っ越していった。

 

 

彼女と、共に下校していた ある日、いろいろ雑談しながら歩いていたときに、ふと、

「あー、きょう、妹が一緒に御飯たべてくれるかな」みたいなことを呟いたので、なんでやの?と聞くと、「一人で ご飯食べるの、さびしいもん」と言っていた。

 

また、
彼女の親たちの教育方針として、高校までは、誰に聞かれても恥ずかしくないような学校であれば、私立の高い授業料も惜しみは しない、ただし、大学までは出さない、という固い方針だったそうな。

 

高校時代になってからの彼女はと言うと、わりと可愛い系の、イマドキな女子高生になっていたことを、本人自身も自負していて、性格のほうも、より軽薄で、意地が悪くさえなっていたけれどw

芸能界を目指して応募しているとかいう話も聞いては いたものの、
結局、ふつうに主婦となったようだ。

 

「軽薄」と言うか、昨今で言う「ドキュン」そのものなイメージに見えていた彼女は、何かの話のおり、結婚や男性一般についての話題だっただろうか、突然、厳しい声色になって、

「男は働いてたら、それでイイんや!」

と一言、

いつもとは全く異なる、冷たく決然と言い放ったコトバに、私は些かギョッとしたことも憶えている。

 

 

他校の男子生徒らとの交際も、けっこう盛んだったようで、当時から薄々聞いていたとおりに、わりと近場の地域では老舗と知られている商店の跡取り息子と つき合っていて、卒業後、ほどなくして結婚したということだった。

 

 

もう一つ思い出した事例は、
やはり、同級生で、こっちは中学時代の出来事だ。

ある日、他のクラスメートたち数人に混じって、うちへ遊びに来た同級生の一人が、ふと、席を外し、しばらく戻って来なかった。
他の友人らと、私の部屋で歌ったり笑ったり騒いでいた最中で、「あれ?トイレかな?」くらいに思い、そこに いないのを、とくには気にも留めなかったのだが、ようやく戻ってきたのを見て、「なに してたん?」とだけ声を かけ、また大ハシャギの輪に戻り、しばらくして、何か食べに行こう、という話になった。

自宅から近い所に、「お好み焼き」などを食べられる小さな店が あったので、全員で、そこへ繰り出し、さて、テーブルについて、どれを注文しようかとワイワイ話しているときに、くだんの同級生は突然、「私がオゴってあげるよ」と言いながら、たしか5千円札を、ぴらっと取り出し、見せつけた。

とたんに、私らは、

「あ~!ええなあ、ええなあ!!すごい お金持ちやん!」

と歓声を あげ、おごってくれるというので単純にウキウキした。

 

おなかいっぱいになったところで、そのまま帰途につくクラスメートたちと上機嫌でバイバイし、ほてった頬のまま、家のなかに入ったら、母親が、曇った表情で何事か訊ねてきた。

 

最初は、何が言いたいのか、呑み込めなかったのだが、どうやら、母親のサイフのことだった。

茶の間の食器棚の所に置いたままにしていたサイフから、5千円札が、なくなっているということだった。

それで、キョトンとしていた私も、あっ!と思い当たったわけ。

 

この話も、旧ブログあたりで書いたことが あったかと思うのだが、

くだんの同級生の家庭も、両親共働きで、忙しかっただろうから、日中は一人で過ごしている自分の娘の盗癖に気づいていなかったかもと思われる。

「盗癖」と敢えて言うのは、当人が、あまりにも堂々としていて、私らに、おごってやると宣言したときも、一切の後ろめたさを出さなかったどころか、さも得意そうにしていたので、恐らくは、それまでに何度も繰り返して、手慣れていたのだろうと思えるからだが、
その同級生と、先日のエントリー
「小室式おじぎ」のこと、『冬季五輪』その他w
で触れた、
性格の悪い幼なじみとの共通性が窺えるのは、その眼つき顔つき、表情のことだ。と言うのは、

二人とも、一見、さも にこやかにしているのだけれど、なんとなくキモチの悪い、どこか つかみどころのない、得体の知れないような、お面を被ったような、不自然な表情を していたこと。

こういう顔つきは、卒業アルバムを見たときに、はっきりと感じる。

 

幼なじみのほうは、中学生になった頃から、それ以前とはガラッと異なる表情を見せるようになった。と言っても、もっと幼い頃は、目の障碍(斜視)を抱えていたことや、指しゃぶりの癖も あって、
ほんとうに、いわゆる「知的障碍」児に見える、とまで、うちの家族が陰で言っていたほどなのだが、

それでも、中学時代は、がぜん、勉強をガンバりだして、地域では、そこそこ高レベルの進学校へ入学していたが、彼女も、大学には行かずに、さっさと見合いして、これも商売人の家へ嫁入ったそうだ。

 

 

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