2016.07.03 (Sun)
『「識者」のコラム――ありきたり且つ中途半端な。』の続き。
世間の、親になった人たちのなかには、当然のこと、こうした「人格障害者」の類に相当する人も多く含まれているだろうけれど、
と言うか、
このテの人というのは、一般レベルの人たち以上に、むしろ俗物的価値観に囚われているだけに、
(医学的には、やはり、ある種の脳の傾向性、それが齎す性質として、
必要以上の不安感ゆえに、相応の実力が伴わなくても、「勝ち負け」に拘ったり、優位に立ちたがる、
ゆえに、思いどおりいかないと、お門違いの被害意識を持ちがち、ゆえに、劣等感に結び付き易い、
このように、私なりに分析している)
そこには、「懐疑」の思いを持つよりも、
「世間並み」の人々以上の、
栄誉なり誇るものを得られないならば尚のことで、
せめて人並みには、と固執する傾向が あるものと、私は見ている。
(このような傾向は、「人格障害者」ばかりでなく、その他の障碍や疾病等においても、「人並み」の人生ならば得られるはずだったものを望み難いことが分かっている人たちにも、ときとして ありがちな執着だと見受ける。)
この「人格障害」者というのは殊の外エネルギッシュで、しつこいうえに、
なまじに知能が高い場合は、要領もズバ抜けて発揮するので、
持ち前の根気良さ、とことん執拗、かつ、上手いこと立ち回り、
自分が正しいとか可哀そうに見える位置を、早い段階で確保してしまうので、
幼く純真な子どもほど、大概の場合は簡単に騙される。
そりゃあ、しかたないでしょう。
どんな子どもも、自分の親は善良だと信じたいし、
心から、そう願っているのだもの。
そうでは ないことを認めるのが、どれほど辛いことか。。。
そんな子どもを、「自己責任」の一言で、子どものせいにばかり できますか?
よく、シタリ顔で、
「とにかく成人後には、親は一切、関係ない!」
と厳しく突っ撥ねる主張を見かけるが、それも確かに現実論です。実際、そうでしかないのだから。
しかしながら、
実態は、そんなに甘くない。
ま、最初期、できるだけ早く、察しを つけられるか どうか、ってところが勝負どころということは言えるのだけれど。
自分と全く似てないからこそ、先方のなかに潜めている悪意や企みに気づけない。気づくまでにも、時間が かかりがち。
逆に、
悪意と企みの権化みたいな性質だとw
他者も そうに違いないと思うからなのか、最初から疑って かかれるわねww
こうした手合いどうしは、大概は、ものすごく仲悪くて、周囲を巻き込んで反目し合ってて、争い事が絶えないか、
利害一致してる場合なら、悪徳仲間になって、固く手を結んでるか、
その どちらかだwww
でもね、
自分の親を疑えない子ども、
他人を早々に疑えない者は、悪いのかなぁ?
そうして、
不遇な家庭で育っていても、やがては、なんとか、それなりに社会人になって、世間で働き、
やっぱり、自分の親に、どこか、本質的に似た人に出会ってしまう。
少なくとも、最初から疑うことは しない、できない。
その場合でも、基本的な共有が できていたなら、
特定の者ばかりが犠牲になることだけは、あるていど防げるだろうと思うのだが。
ほぼ全員が利己的なスタンスだと、どうしようもない。