2016.07.03 (Sun)
※1週間ほども前にアップする予定だったのだが、他のエントリーを先行
させたために、寝かせてあった。
『40代は、なぜこんなに忙しいのか?時間泥棒は身近な「あの人」である』ダイヤモンド・オンライン 6月24日(金)11時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160624-00093407-diamond-bus_all&pos=1
このコラムの筆者さんは、たぶん、家庭環境等を含めて、あまり苦労しないで生きてこれた人かな?と思った。まあ、当然っちゃ当然なのでしょうけど。
苦労少なくして視野狭し、がモロに出てるのに加えて、
どこかで聞いたような結論の凡庸さ。受け売りかな?
なので、
最初の出だしだけ読んでみて、最後まで読むの やめとこうかと本当は思ってたんだけど、途中をググッと飛ばしておいて(出だしを読んだだけで、どのようなことが書かれているか、だいたい察しは つくので)、でも、いつもの癖も手伝って、いちおう、最後部は読んでみて、
やっぱり、わざわざ読むほどのことは なかったなあと思った。すまんけどね。
こういう、メディア界で、ある程度なりに知名度を有するサイトで、
(どういう専門の人なのか、私は全然、存じあげないが)識者としてコラム執筆するんだったら、もうちょっとは、世のなかの真相を抉る視点と力量を持ってほしいものだと思う。
市井の個人がデカい口を叩くようだけど、こんな弱々少々ブログだし、
私の実体験と本音で書かせてもらいますわ。
いわゆる「類友」っていうコトバ、
たしかに、大きな側面を言い当てている警句の一つだと、私も かねがね思ってるけれども、
人間は、「自分自身と似てる」という以上に、
親とか養育者等、
生育段階で密接に影響を受けてきた人たちからの影響が大きい。
そのため、
実際は、むしろ、自分自身よりも、そっちに似た人を選んでしまいやすいんです。
私も そうだったんだけど、
かと言って、
私自身は特に、どういうわけか、両親の どちらとも、ほとんど似てない。
もちろん、血の繋がりが ある以上は、内外含めた、こまかい部分的には似てるのだろうという自覚もあるし、
物事の考えかたとかは、成人してのちの自分自身の心がけ如何によるところも大きいのだが、
持って生まれた性質とか感受性の面では、全くと言っていいほど、親に似てない面が殆ど。
もし、容姿のほうまでも殆ど似てなかったならば、
こりゃあ、よそから もらわれてきた子に違いないと、自分で思っただろうな、ってくらいに。
ちなみに、
私の親と本質的な面で酷似していた(あかの他人なのにね)、職場で難儀させられた先輩社員らとは、あくまでも表面上では、正反対と言っていいタイプだった。
だからこそ、かえって、あの人たちを容易に買い被ってしまったのかもしれない。大いなる問題点を、美質そのものなのだろう、と。
うちの親は、父母とも知能が高く、
親父のほうは、これまでのエントリーでも、おりに触れて述べてきたように、
すごくヘンなところで大事なことを躊躇するような不可解な面が たびたび あったものの、
このことは、母も、しょっちゅう、父本人に文句を言い、私に向かって愚痴を こぼし続けていた、父の持つ大きな欠点の一つだったけれど、
とにかく、陰でコソコソ、「秘密」が好きだった。
さすがに夫婦ということなのか、母には、すぐにバレたりして、そのたびに大ゲンカのタネになってたw
そして、父は、狡猾と言っていいタイプだった。
もちろん、狡猾なくらいでないと、「秘密」を秘密にして通し切れまい。
母のほうは、表面的には男勝りで、負けん気が旺盛で、決断も早く
(と言うか、本態性高血圧のせいか非常な短気)、行動力も高かった。
でもね、
根本的に間違ってること、邪まなことに決断が早く、実行力が高いのでは、あとあと困ったことになるよね。
こうしたタイプは、責任感が強いようなフリだけは してみせるけれど、
結局、最終責任は取らない、取れない、素直に謝ることも絶対に しない。
さすがダブル不倫・略奪バカップル?w
でも、
いわゆる「弱肉強食」とか「自然界の淘汰だ!」を主張・奨励したがる者に、これを責める資格は ないですぞww
…
おのれの罪が深すぎるから。それだけに、自覚を避ける。
恐いんでしょうね。
自己保身意識が異常に強いと、利己的になる。
こういうひとは、自覚あるなしに関わらず、周囲の弱者を餌のように利用するゆえ、必ず、他者の可能性を潰してしまう。
なぜなら、
他者の可能性を潰すことと自己利益とが、どこかで繋がっているから。
たとえ、「潰した」張本人は、全く逆のつもりでいて、
相手に良かれと思って、何かを したのだとしても、
それだからこそ、思いどおりの感謝と見返りを手にできないと、裏切られたと怒り、被害意識と言うか逆恨みを沸騰させるのだが、
現実を見れば、やっぱり、誰も幸せになってない。
何かしら苦い思いだけ残させる。
自分が原因、諸悪の根源なのを誤魔化し、それが発覚しそうになる前に激しく威嚇することも辞さず、最後まで時間稼ぎに必死になるだけ。
ある意味、哀れです。
このテの者に遭遇したひにゃ、他人であれば、サッサと逃げ出すに限る。
だからと言って、
引っ越しや転職を何度も繰り返していると、しまいには、損害こうむった自分自身の生活自体が不安定になっていくわね。
しかし、この手合いに、人生最初から出会っているということ自体が、もう不運なんだろうなと、
正直に言って、私も思うところが多々あることは否めない。
いまどき、巷で指摘されるところの、いわゆる「毒親」っていう、
それでも、「毒親」だから、早く逃げ出さねば、、、と気づいて実行できる人は、まだ救いも あります。
一番、困った情・状況に追い込まれ易いケースは、
気づくのが遅れたあげく、もはや逃げることもできないところまで行ってしまった人たちなんです。
それだけ、親の側が、執拗かつ巧妙だということでも ある。
私自身、親からは徹底的に侮られていて、
「おまえごときが、親に勝てると思うな!精神病院に行け!!」(←どっちが!?)
と怒鳴られたことも ある。
そのくせ、陰に陽に、強くアテにされ、頼られ、依存されていた。
そもそも、私の存在なくしては、
母親の人生の、哀しいほど矮小な野心も、
隠れアル中親父の、まがりなりに平穏な老後も、
全く、かなうはずが なかったのだから。
実際のことです。
これを認めたがらないのは、当人たちと、何らかの利害を共にしている関係者だけ。
うちの親らは(親の無責任な「シンパ」も含めて)、
私一人が悪い、ということを、大声で主張し続けたが、
当ブログ過去エントリーを読んでくれていた読者さんなら、これらの実例いくつかは、すでに ご存じだろうけれど、
私は後天的に、身体的ハンディをも背負ってるので(←このことも、もとはと言えば、親の不注意と無責任からなのだが、ひょっとすると、一種の「代理ミュンヒハウゼン症候群」だったのかも;)、気づくのが遅かったうえに、
気づいた後でさえ、逃げ出せるまでには、そうとうの時間が かかった。
それに、逃げ出した、と言っても、縁を切ったわけではないし。
私以外に、本来なら私以上に頼るべき長男ら子どもが存在していた親父だけなら、べつだん思いも残さず、あっさり縁切りしたかもしれないが、
母親だけは、私は、よう捨てられなかった。
「この子には、あんたしか おらへんのやからな!」
と、
争いごとのたびに、父に対し、幼い私の前でタンカを切って凄んでいた母のほうこそは、
本当に すがりつける子どもは、私しか なかったのだ。
子どもの頃の私は、母が可哀そうで ならなかった。
【続く】