2020.11.19 (Thu)
少なくとも直接の関係は無いはずの日本で、「トランプ信者」みたいのがウヨウヨしているというケッタイな現象は、インターネット特有なものでは ないかという感じは つよい。
そのなかの大多数は、単に、おもしろがっているだけのヤジウマ、という指摘もチラホラと あるようだが、私も、ほぼ同じような見解だ。
それ以外の連中は、「指令」が出てるんでしょうよ(嗤)
さしづめ、「トランペット」の異名に ふさわしかった前シュショーのメンツを支える会あたりからのさ(嗤(嗤)
ただ、
「ヤジウマ」的連中の場合、その心理についてのキーワードは、
再び三たび指摘するが、
本人も気づいていないか無視している心底のコンプレックス、
「劣等意識」および「不全感」すなわち「不安」だ。
このことは、恐らく、渦中に至ったトランプ氏にも、もとから該当しているのだろう。
私なんかは、自分にとっての不満が大きいとしても、国家や社会の崩壊やレベルダウンを渇望するなんて気はサラサラ起きないが(だって、自分の首も締まるからw)、そうでない手合いが、世のなかには けっこう多いという現実が あるようだ。
つまり、世間の多くの、あるいは少なからぬ人々は、可愛い自分の置かれている境遇や待遇が、他者たちと比べて、客観的には恵まれているのが現実でも、なおも、飽くまで自分自身が、何らかの不足や不満を感じていると、たちまち、社会や他者の平穏を潰したくなる。
そこまでは叶わなくとも、
せめて「思いっきりメチャクチャに引っ掻き回したい」
と切望するもののようだ。
なぜなら、「道連れにしてやる」と思っているから。
まあ、「通り魔」と同じだ。
この性向は、例の「カルト連」と、私が呼び、糾弾し続けてきた連中のと全く同じ。
要は「性悪」ってやつだな。
しかも、根は小心(嗤)もともとのモノサシが俗物仕様なんだから(嗤(嗤)
なので、自分よりも強そうか弱そうかのみで判断する。したがって、
こないだも言ったとおり、およそ「芸術家」では ないし、勿論、思想家でも哲学者でもない。どこまでも単なる「勝ち負け」しか頭にない。
で、自分自身が権力者、「強者」になれたとたん、ここぞ思いっきり、思うとおりにさせようとするわ。
「不安」だからこそ支配欲マンマンなんだもの。はっきり言って、ケダモノなみ。
ほんとうに、恥ずべきことだ。
虚偽、それもアカラサマな虚偽を連発、垂れ流し、自分の つごうのいい方向へ扇動しようと励むヤカラの如きが、
よりによって『民主主義』を掲げる「西側」最大国のトップとは。
しかし、これは、わが国、日本でも、とうに起きていることだった、まさに「陰に陽に」ね。
先日のエントリーでも言ったけど、
トランプさんは、本当のところ何を考えていて、何を やろうとしていたんだろうね。
ここへ来て、「駆け込み外交」を おっぱじめる構えだそうな。
いずれにせよ、
世界じゅうに影響を齎す可能性の高い大国『アメリカ』のトップ、大統領ともあろう人が、平気で虚偽を連発するとは、
アメリカは、この事態を心底、恥じなければ ならないし、
今後も、この日本を筆頭格として、陰に陽に、国際的影響が長引くかも しれない、こんな事態になったのは何故なのかを、正面から向き合って考え、分析しなければ なるまい。
溜まりきった「不満」勢力は、破れかぶれになりがちなんだ。
これ以上、失うものなんか ない、となったら、尚更ひらきなおるよ。
そこに目を つけたのが、同じく、「不満」を心底に押し隠して、屈折しながら生きてきた男。
それが、どういうわけか、最高権力の座に昇ってしまった。
そりゃ、調子に乗る乗る、ウヌボレきる。
かの『ナチス』の先例。
なお、この情況下となって、やっとかめ、『フェイスブック』や『ツイッター』といったネット サイト業界の大手経営者たちが、最近の大問題である「選挙情況をも左右しかねないほどタチの悪い虚偽情報の膨大さ」
に伴い、その対処の如何について、議会という公の場にても激しい紛糾を招いているようだが、
これだけ、時代を先取りして大儲けする才覚の豊かな人たちなのだから、こうした事態を目の当たりにするまで、手を拱いていたこと、ここに至っても、明確な論理を構築しかねているとしたら、私みたいなボンクラ者でも、なにやってるんだよ?という疑念を持たざるを得ない。
ことわっておくが、私個人は、「疑惑」とする余地が認められ得ることで あれば、あくまで「疑惑」という大前提を置いての発信なり提議することは許容範囲内だろうと考えている。
それでも、「多勢に無勢的弱者」や個人に対してや、
権力側で、公的責任が要請される立場の者であれば、少なくとも、その身分にあるうちは、厳に慎むべきだけれども。
しかし、早急に やるべきことは、火を見るより明らかじゃないか。
それは、事実である、本当のことであるとは到底、認めるに値せず、その根拠たるものが皆無であること、要するに、早い話が「デマ」に対しては、まずは強い警告を添え与えることは必須ということ。
これは、社会的責任というものだ。
基本的に、「検閲」や「編集」は大問題であるということは理解できるのだが、やはり、程度問題。
いかに「個人の選択の自由」を最大限尊重するというのが国是であっても、「公衆衛生」を軽んじたあまり、ついには国家や社会が崩壊したんでは なんともならん、本末転倒だろが、ということです。
先日の当ブログ エントリーで、極端な例では あるが、
「殺人を『表現の自由』」だとして認められるのか、
あるいは「殺人などの重大犯罪を奨励する」ような扇動的言動を、これも「表現の自由」だとして、僅かでも認めるのか。
麻薬についても、ほぼハッキリしている。
一部の国や地域では、一部の麻薬を、単なる個人の嗜好のために入手することを認めているけれど、決して野放しには していないし、それ相応の形式的手続きは踏まなければ ならないようだ。
じつは、私の知人の範囲にも、「大麻」を嗜好品として使っていて、当然のように、そのことを擁護して憚らない者も いたんだけど、
日本では少なくとも現在のところ、大麻も含めて、一般の嗜好用は、ほぼ一切を犯罪として扱っている。
大麻摂取の有害さという点では、飲酒の害のほうが、もっと大きいはずという指摘は あるし、私自身、酒乱の父親で大いに苦労した成育歴なので、むしろ、飲酒を禁止すべきだという主張のほうに共感を覚えないでは ないのだけれど、
ただ、体質的に、多数派とは異なる、意外な弱点が あったりすることも ままあるので、大麻に関しては正直、持病の一つである「うつ病」の治療上などに有益性が認められるのなら、という、なかば好奇心めいたものは持っているものの、
先述したように、体質に多少特異な面が あるうえ、なにしろ、親や身内の誰にも似なかったのは、お酒ならびにアルコール成分に対しても、驚くほどのマイナス反応が、体調により、時として出ることも あるくらいなので、やはり、大麻と言えども、個人によって影響は様々とも聞いているから、もしも、機会が あったとしても、うっかり摂取するのは そうとう慎重にならざるを得ないのが、私自身の現実。
ことわっておくけど、「酒乱」の傾向は全く ないw
本当に、こういうところは、親に全く似なかった。
その点、ほんとうに無害wな私が飲酒したとしても、せいぜい「笑い上戸」の傾向になって、そのあとは、ただ眠たくなるだけだから。
うちの親父は、飲み始めのうちは、わりと機嫌が良い感じだけなんだが、適度なところで切りあげるのがヘタなのか、結局、お酒自体が大好きなんだろうけど、それだけに、大概の場合ずるずると度を越してしまいがちで、そうなったら最後、たちまち「怒り上戸」となる。娘の私とは真逆だ。
そして、ねちねちと絡み始め、最後は破滅的な暴行に至る。
「酔っぱらったときの姿が、ふだんは押し隠している、その人の本性だ」
とかって、昔から言うらしいけどね。
うちの母親の場合も、お酒そのものは好きだったようだけど、酒乱になる亭主ほどでは なかったし、
自分自身も基本は このようだったからか、
「酒を飲んでも、いつもの態度と変わらない人が信用できる」
と主張したもんだった。
なら、
「しらふ」で常に「爆笑上戸」とか、
それどころか、常に嘘つきは どうなんだ?ってことにもなる(笑)
まあ、あるていど頷ける気は するんだけどね。
ただ、人間性というものは、飲酒などと無関係な面も当然あるわけだから。
飲酒しないというトランプさんも、あのとおり、
しらふで嘘・デマぶっこきまくりだし(爆)
「き●がいに刃物」とは、よく言ったものだ。
思考回路が根本的に おかしい者や性格が異常な者に権力を持たせて どうするんじゃと言いたくもなるわ。
このテの者は、そのへんの一般家庭の親にすら、なったら困るんだよ、実際問題。
第一に断言できることは、「無名の」「有象無象」でさえも、大量・膨大になれば、相応の力を発揮するようになる、この現象は、ずばり、「宗教」と同じカラクリだ。
もともと、
宗教と政治は、人類の歴史上の発端時から不可分の結合双生児のようなものだった。
【続く】