2019.11.22 (Fri)
まとめてアップが増えてきたなあwうちのブログ。
さて、
先日のエントリーで、『あいトリ』『表現の不自由展その後』を話題に とりあげた。そのなかで、「芸術や美術作品の力」とは、という話の流れで、バンクシーに関してもチラッと触れたが、
「バンクシーが描いたと思しい落書き」
を、東京都が、このたび、強化ガラスで覆って保存したとかいう。
ま、これはね、東京都の姿勢も理解できないでは ないが。
なんたって、集客力が あるんだからということだな。
そして、
そこいらの ばっちい落書き、まさに「感情の お漏らし」レベルでしかないような書き殴った落書きと、バンクシーの それを同列にするのは、やはり、多少の抵抗感を、個人的には感じるわ。
でもさ、
この場合、雨ざらし風ざらしで、徐々に薄れていくままにしておくほうが、ちょっとだけオシャレだったかなとも、私個人的には思うの。
せいぜい、薄れて、ほとんど見えなくなるまでの、ささやかな お楽しみと猶予、ってことで(笑)
描いた当人にしか、事実と真実は分からないけど。。。
私個人は、どんなに有名な高名なアーティストの作品でも、好みでない、いやなものは、いや。興味ないものは、興味ない。それだけ。
腹も立てない、無関心でいるだけ。
基本的に、そういうタイプなんだけど。
あとは、
『大嘗祭』と、『皇室』に関する話題。
何やら、雅子さまの落涙について、美智子さまから御注意が云々。
どこまで事実か知らんがねえ。
ことに「ヤフゴミん」の「手のひら返し」と無節操の酷さときたら、目を覆いたくなるばかりの体たらくだが、
少し前まで、『秋篠宮』家もちあげ、『皇太子』家バッシングの嵐が猛烈だったのに、
そのなかで、
とあるエライせんせいが、
「ご退位なされませ!」
と言ってのけたのは、たしか、当時の『皇太子』に対してだったのが、
いまや大々逆転して、「『秋篠宮』家は退位せよ!!」の大合唱。
「ヤフゴミん」のなかで、比較的まともな感覚の投稿者が、
「世間って恐い」
とか言ってたが、こういうコメントには、「そう思わない」ボタンが乱打されるという しまつ。
孫さんよ、「ヤフゴミ捨て場」は、いつ閉鎖するのかね?はやく しなさいよ。
で、
「雅子さまの落涙に対して、良くないと、美智子さまの御指摘」という話だけど、
これはね、べつだん、美智子さまの間違いでもイジワルでもないと思うよ。
もちろん、私個人として、雅子さまは、見るからに、とても真面目で真摯で、かつ、基本的には素直な御性格でいらっしゃるのだなという印象だけど、
いつぞや、『宮内庁』職員の座談会からと称した、雑誌系の記事で見かけた発言にも、
「『適応障害』のためか、いまは、昼夜逆転の生活になってしまっていて、そのせいで、『お出まし』が困難な傾向になってしまっている」という指摘だけでなく、
「(紀子さまとは また違った面が あり、)雅子さまは、ほんとうに真面目で良い人なんだけど」
という感想も あったように記憶している。
それで、思い出すのは、
『適応障害』で、まだ当分、「ご公務」の増加は見合わせておくという当時の発表が続いていた さなかの ある日、東北方面の大災害が、まだ大きく尾を引いている被災地へ、珍しく、ご夫妻で訪問されたおり、被災した住民の一人から、じかに話を聞いたときに、雅子さまは涙ぐんでおられたということだった。
これって、悪いような感じは全くないし、むしろ、個人の お人柄も感じられ、私は、「あれほどバッシングが続いている最中だから、よけいに感じやすい心理状態で いらっしゃるのかな」とも思えたが、
やはり、
この人の話で落涙し、あの人の話では、そうでもない、というのは好ましくない、という見かたもできるのかもとは思う。
美智子さまというと、生前のダイアナ元妃との関わりかたの変化について、うちの母親が、少々不審を感じてたみたいだけどね。これは、ここでは言わないけど。
もう一つ想起した話。
かつて、美智子さまが、おそらく、ご臨終間近の ご実母を、各宮ご兄弟を伴い、病室に見舞われたときに、弟宮たちだけを、病室内に留めて、皇太子たる御長男は、早々に退室されるよう促されたのは何故なのか?という疑問が掲げられた見出し部分だけを見かけたことが あった。なので、内容までは読んでいないのだが、
これは多分、『皇太子』すなわち『天皇』位に就かれることが明確である立場と、そうでない立場とを、はっきり分けておられるからなのだろうと、私はスンナリ理解していた。
いま、『愛子さまを天皇に!』という意見も、そこかしこで見かけるが、
前『天皇』ご夫妻が、『敬宮』さんを、ずっと、一般家庭の祖父母が、その孫を呼ぶのと同様に、呼び捨てされているという話にも、そのあたりの お考え、ご本意が窺われると思うのだ。
さてさて、それなのに、野党側が、『女性天皇』のみならず『女系天皇』を認めようという方針であるということらしいので、前『天皇』が、ご退位の意向を示された当時から、私は、幾度か問うてきた。すなわち、
「『象徴』であろうと何であろうと、そういった特殊な特別の存在を、特定の家系にのみ要請することは、明白な「出自」差別ゆえであって、「男女平等」「ヨーロッパの王室では」などという理由は、まったくの的外れだ」という指摘。
「民主主義」・「国民主権」に そぐわない「出自差別」を、いまだに温存して憚らぬ理由は、あくまでも「伝統ゆえ」という言い訳を するのならば、
とことん「伝統」を重く見て、たとえ、それが、たかだか『明治』時代に始めた「エセ伝統」「なんちゃって伝統」であろうと、でき得るかぎりは、それに則るべきでは ないのか、なかんづく、「男系」というシステムは、『皇室』の伝統の最も基底を成すところでは なかったのか、といった疑問を呈しておいた。
そこを変えるという、それは、
いわく「伝統が生き延びるうえで、徐々に変化した」現象では なく、
ここへ来てイッキに変えた、ということを目の当たりすることに ほかならない。
こういった点をクリアする理論を出してもらわんと。
男女平等という以前の、「出自」「血統」差別。
結局のところ、「伝統」という名の虚偽。
【続く】