2018.09.26 (Wed)
ジミンのソーサイ選で内輪モメだとさ。
なーにが「カツカレーの食い逃げ」だ。くだらん
「ヤフゴミん」にも言っとくが、
一般人たちが、「アベやめろ」と叫ぶのを、
「こういう演説妨害は、けしからん」等々と、さも、ものの分かったふうな口を利くんじゃないよ。
ほんとうに怪しからんのは、
国家権力の座にあるアベシの、「こんな人たち」演説のほうだ。これこそ、断じて容認できない問題なんだということを理解せぇよ。
まあ、とは言っても、私だったら、いちおう演説中は言わせるだけ言わせておいて、アベシしゃべり終えた直後から、容赦なく「アベやめろぉ!」「アベやめろ~!!」の一斉合唱の大嵐にしちゃるけどなw
こそこそ逃げ出すアベシの背中を見るまで。
次。
新潮ナンタラの、水田だか過ぎただかスイミャクだかが、一般個人なら まだしも、仮にも与党議員として、権力側の立場にありながら、自民党・安倍政権を代表したつもりでか、差別まる出しの寄稿(それにしても、アベシが勧誘した連中ときたら、どうして、こんなにも、問題を起こしまくる者だらけなのか)、
続いて、これまた『日本会議』メンバーまたは関係者勢揃いで大々的に擁護した企画、その あげくの休刊騒ぎ。
今回、自業自得の『新潮』も、昨今は、ご多分に漏れずというのか、ここも部数低迷だそうが、他にも、いろいろと事情が ありそうでは あるんだけれど、あるいは、
まさに、貧すりゃ鈍すとばかり、これまた『日本会議』シンパ、ネトウヨの向こうウケ狙いで、「ビジネス ウヨク」参入による儲けを目論んだものだろうか。
近頃は、こうした「右翼ビジネス」的な傾向のパターンが、各界、あっち こっちで見受けられるようになった。
やれやれ、どこまで堕ちていくんだ、この社会は、、、と呆れ果てる思いでいたら、さすがに、世間から糾弾されて休刊を余儀なくされたっつう、それだけでも、ちっとはマシなのか。
私はね、一般の個人であってさえも、こんにちの「ネット」という巨大な、独特な場において、昔から存在する「ある種のタイプ」が、いっそう容易く毒されてしまう現象について、心配している。
いまや、その代表的存在が、いわゆるネトウヨ。
それにしても、
水田じゃなくて、過ぎた、じゃなくて、杉田さん?とやら。この人の御面相を見るたびに、例の、
「このハゲーーー!!!」
とキーキー怒鳴ってた女性議員の、いかにも性格キツそーな容貌を一緒に思い出してしまう(苦笑)
ついでに。
私個人的には、もしも、子どもが、同性のパートナーを紹介してきたとしたら、だいたいは予感しているもんじゃないかなとも思うんだけれど、
まったく予想してなくて驚いたとしても、まずは、ああ、「この人となら」と思える伴侶を見つけたのかあ、という思いのほうが大きいと思う。
うちの親も、薄々察していたようなのだが、同性が恋愛なり人生の伴侶相手であることについて、抵抗感が ないのは、私個人が、自分自身にとって、けっして他人事でないという実際もあるからだろうが、
もちろん、人それぞれの人生だけど、親の素朴な立場としては、自分の子が、一人きりの生活で終生を過ごしていくというのは、多かれ少なかれ、気にかかるもんじゃないかなと思うので。
まあ、なんとしても自分の血を受け継いだ子孫の顔が見たい、ということに拘ってしまう人なら、そこのところで、最大級のショックなのかもしらんが。
むかしの実家の庭に居ついてた猫どもだって、どうやら「バイ」らしき兄猫が、まだ子どもの弟猫に、何やら挿入しようとしてヤッキになってたよ(爆)
人間で言えば、だいたい、12歳前後の弟猫は、アニキの行為の意味を理解していたのかwそれとも、ひたすら怯えていたのか、私には、本当のところが分からなかったが、弟猫は、ただ押し黙ってジッとしていた。
とりあえず、私は、
「ごるぁ!!アニキが弟にサカッて どーするんぢゃ!」
と、必死になってる兄猫の背中を(軽く)叩き、怒鳴りつけておいた(苦笑)
ご近所に聞こえてたかなあ?w若い娘さんだった私の、いささか下品な怒鳴り声がww
ま、だいぶ以前にも言ったように、
そのような人々も、一定の割合で、いつの世にも存在するらしいし、それは、自然界の摂理のうちだし、そういうものなのだろうと、『千夜一夜』といった、たいへん古い文学にても大らかに説かれている。
この自然界が許していることであれば、何であれ、存在できる。
なんといっても自然界が許すのだから、それを、「悪」と呼ぶべきでないという意見も あろう。
大きな災害が起きるたびに思うわ。
人類や、われわれの社会を守り、存続させなければならないと、いつ、自然界が、そのように認め、確約してくれたことが あったか。一度だって あるまい。
人類が営々と闘い続けてきたのは、ひとえに、われわれの社会と、それを構築する個々人の生活の安寧のためだ。
まあ、いっぺん、想像してみ。
たとえば、自分の幼い子どもが、とある者(親でもいいよw)から、
「憎たらしいツラしやがって、可愛げのないガキやのう。どうにもムカつくから、イジメ殺したろう」
と、襲いかかってくるのを、いわく「言論の自由」「表現の自由」として認めるべきだと、ヘリクツこいて、受け入れられますかね?
襲いかかってきた時点で、即、そのために相手側が死ぬことになっても、猛然と阻止する、あるいは、とことん逃げるなりするでしょうよ、誰しも。
ところで、
甚だ遅まきながら、こんな日本でも、公に、「ヘイト」発言・表現は、これを「言論・表現の自由」の範疇とは認められないとされた。
単なる好悪、感情論は、言論の範疇には入れられない。
だが、
先日のエントリーで指摘したように、あらゆる法ですらも、根底にあるのは、素朴な感情なのだ。
また、「悪」というものは(そして「善」というものも)、そうとうの時間を経てからでないと、明らかにならないことも ままある。
だから、
そのときには「正しい」はずだ、とされたことが、あとになって、全面的に引っ繰り返ることも起きる。
しかし、再び言う。
人類が営々と闘い続けてきたのは、ひとえに、われわれの社会の存続と、かつ、それを構築する個々人の生活の安寧のためだ。
私自身は、ぶっちゃけ、子どもを産むことに対して、「おめでたい」などとは思えない、という考えだし、
そこまで拘っても しょうがないだろうにと思える、「互いの、もしくは自分の血を受け継いだ子」ウンヌンは さて置き、
同性しか相手にできないタイプでも、異性しか相手にできないというのも、結局は同じことだ。
だって、
とにかく女、とにかく男、
異性でさえあるなら、同性でさえあるならイイのか?
と問われたら、そうでは ないだろう、ほとんど誰しもが。
どのケースでも、それぞれの持つ好みや、互いの相性というものが あるわな。
ああ、今、思い出した。何年か前に見かけたブログ主の男性。
ゲイであることを公言してたが、同時に、がっちがちの「ウヨ」だったw
世界各国を旅行して、現地で、気に入った同性をナンパするのが、人生の楽しみらしい(笑)
ことわっておくのだが、私個人は、
小児を、性的な対象として見るのみならず、
ことを実行に及んでしまう手合いは、ハッキリ言って、軽蔑する気持ちを おさえられない。と言うか、軽蔑する。
たしかに、小児ならではの愛らしい、特有の魅力というものが あることは、私にも理解できないでは ないけれど。
べつに器量良しな少女でもなかったはずの私自身、なぜか、異性からも同性からも、そういう対象にされていた子どもの頃の記憶が ある。
彼ら彼女らの概ねは、「ある種の傾向性」が ある者たちだったと思う。
同性である女の場合は、20歳代前半のうちに結婚して、順調に、子どもの二人も産んだのち、「自己愛性人格障害」の診断を下されるに至ったが、若い頃から、女としては少ないタイプじゃないかと思えるほど、性的妄想や欲求が激しかった。私は子ども心に、その異様さを感じていたくらいだ。
男の場合は、とにかくスケベイw
まあ、上述した女の場合も、異様なスケベイだったから、どっちもどっちとしてww
男のほうが、どういうものか、みょうに「ロマンチック」ムードを醸し出そうとしてたwいっしょうけんめいにwww
それは、
私が、同年齢の子らと比較したら、ずば抜けて大人びていた(ように見えた)らしいからなのかもしれないけれど、
しょせん、現実には、まだ幼い子どもなのだ。
「このオニイチャン、子ども相手に、なに考えてるんや??」
というふうな、不審に思う気持ちは あったよ。当時、ほんの幼児でも。
というわけで、
おのおのがた。
ズバリと言われなくても、
「ヘンなオニイチャン・おっちゃんだなー、キモチ悪いな」
と、幼い子どもの内心で、ひそかに不審がられ、嫌悪され、軽蔑されているかもしれないことは、わきまえておくことだ。
【続く】