2021.08.11 (Wed)
日曜日に下書きしたものをアップです。
まずは、
『トイレに「スリッパ」は必要?2000人調査 洋式普及で不要派増か、専門家の見解は』8/8(日) 14:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f275fe1f8f7714eb919d52e809cc481d6c459558
トイレや浴室とか、衛生のためのスペースは、できるだけシンプルにしておいたほうが、結局は、掃除などの作業を効率的に進めやすい。
汚れ防止のつもりで、何かファブリック的なものを被せてあると、えてして、本体そのものを直接、掃除するのがメンドウになりがちだと思う。
なので、
マットの類を敷いていても、やっぱり、スリッパも併用するであろうことを見越して、「トイレ マット」は、うちも、これまで全く使ったことが ないし、
スリッパはスリッパで、家族間で使い回すのがイヤ!という感覚も理解できるが、私は、実家を出て以来、基本的に自分一人のことだし、トイレ専用と称する製品で、トイレ掃除用の除菌シートなどを使って、全体を拭きあげることも できる材質のスリッパを使用している。
布製のスリッパなら、ふつうに洗濯機で洗っても いい製品も あるけど、たとえ単独洗いにしても、やっぱり、なんとなく抵抗感は あるので、どうしても洗おうと思うなら、おふろの ついでにでも、バスタブで、ブラシ使ってゴシゴシ洗っちゃうかな。
それ以上に、適切な頃合で、ケチらずに買い替えする必要も あるね。
もちろん、床とスリッパの裏は、どちらもキレイにしておかないと、意味が ないので、私は、床を拭き掃除すると同時に、スリッパの手入れも済ませるようにしている。特に、入浴前は念入りに。
若い頃は、友人にも呆れられるほど、神経質な傾向が あった私だけど、長年、病気してから あとは、体力も気力もガクンと減って、かなり、だらしなくなったw
まあ、潔癖過ぎても、いろんな点でムダなんだろうとは思う。
それでも、
汚れって、パッと見はキレイに見えていても、意外なところで見落としていたりするもんです。特に、狭い場所ながら、けっこう入り組んだ器具が並ぶトイレという空間は。
過去エントリーでも、実家のトイレを掃除していて、『ウォシュレット』とかいうやつの悲惨な状態を目撃し、ギョッとしたことが あり、
意外と、これって、盲点になってる問題なんじゃないかと指摘しておいたことが ある。
あと、
やっぱり、トイレから出て、そのままキッチンや他の室内へ全く切り替わることなく、継続的にスルスル移動していく感覚に抵抗が残るので、
トイレと、他のスペースとの境界で、ここからは別空間!という、一種の「儀式」みたいな、心理的な区切りが ほしいのよね。
仏教では、『道元』さんだっけ??詳しく憶えてないけど、どこかの宗派の御開祖が定めた作法の一つで、おトイレしたあとは、指先をパチパチ弾くような しぐさを して、それで「清めた」ことにできるとか?何かで見た記憶が あるんだけど、まあ、そんな「気はココロ」と言うのか、気休めでしかないようなことを やって満足してるよりは、こっちの「儀式」のほうが、もうちょっとは合理性が あるだろうと思うわ。
現代日本の住まいでは、トイレだからと除け者にするわけにも いかず、特にアパート、マンションなどの、限られたスペースにおける間取りでは、個々の入居スペース全体から見て、ほぼ真ん中あたりに堂々と鎮座していたりというケースも あり得るだろう。
お寺などに限らず、昔の日本の家屋だと、トイレの位置は、できるだけ、居室などから離した、端っこのほうだったり、それどころか、田舎の農家などは、戸外の敷地内にポツンと、独立させた専用スペースを設けてあったりしたもんで、それこそ、暴風雨のなかを、いちいち、傘差して、という苦労が あったらしいけど、体調を崩してフラフラだったり、酷い下痢だったら、さぞや悲惨だったんだろうなあと、そういう造りの家で生活した経験が ないので、想像するばかりだが。
そんな事態だと、やっぱり、「おまる」の出番ですかね?
あ、それから、
特に「新型コロナ ウィルス」の問題が起きたので、よく指摘されるように なったらしい、「蓋」の問題。
ええ、蓋を閉めてから流せ、と。
これね、私には疑問が残ってる。
と言うのは、
蓋の裏が汚れやしないのか?と。
飛沫を至近距離でタップリ浴びた蓋を持ち上げて、そのままだと、衣服に付着しやせんかと。
そりゃ、そのつど掃除用シートで拭いておくとか するなら、問題なかろうとは思うんだけど。
私は、少し神経質なほうだったから、若い頃から そうなのだが、特にトイレット ペーパーを、節約しにくいのよ。
どうしても、1度に流そうとすると、ヘタすりゃ詰まってしまう。
いまの住まいは、けっこう古くなっている建物で、以前までは、ほとんど新築物件ばかりに入居していた私にとっては初めてと言っていいほど、水回りを始めとした設備全般が古め。
なので、よけいに用心して、最低でも2度に分けて流すことになる。
さて置き、
蓋を閉めろという問題。
何年も前になるが、外出先のビルのトイレを借りたときに、「便座」部分に被せられる、取換え・交換できる紙製シートが備え付けられてあるのを見たことが あって、それを思い出したんだけど、
便座部分も含めた上部全体に載せることで、上から覆えるサイズの紙製シートが あれば、それを被せてから流せば、蓋を閉めなくても だいじょうぶじゃないかなと。流したあとは、そのまま、そのシートも流してしまえれば。
まあ、2回流すことになっちゃうけど。
それは そうと。
私ね、前々から、今回の『東京オリンピック』競技場を上空から撮影した画像を見ると、いつも、洋式便器を真上から見た状態を連想してしまうのよ(苦笑)
大小の建物群がゴチャゴチャひしめいてる東京の街のド真ん中に忽然と、巨大な洋式便器が、、、
でも、
これは冗談でもイヤミでもなく、ほんとに、そう見えちゃうんだもん。
そう思う人、けっこう多いんじゃない?w私だけかな
まことに、すびばせんね。正直過ぎる わらわを許して(苦笑)
いやいや、同じ連想してた人たち、いるみたいだわよww
最初に予定されていた「ザハ案」のときも、要する費用の莫大さも主たる原因で、あの「森 元」氏のみならず、一般からも、まあー、ボロちょんカスみたいに罵倒するコメントが圧倒的勢いで沸きかえってたように憶えているんだけれど、
私個人としても、ザハ スタイルは、好みとは、とうてい言い難いものの、個人の好みは ともかく、あくまで建築デザインとしての評価に軸を置いて見たならば、『オリ・パラ』を終えたあとも なお、建築物としての画期性、非常に斬新な、それだけでも、世界的に一大記念碑と され得る重みと、長く維持するに値する価値を備えていたことは間違いなかったと理解できる。
残念なことに、はなはだ思いがけないタイミングで、彼女が亡くなられてしまったことも忘れ難い経緯だ。
しかし、なにしろ、費用がね。。。
それだけでも、日本は、もう、必要もない高い買物に気前よく札束を積みあげておれる ご身分じゃなくなったんだな、ということだろう。
いわゆる「ハコモノ」や基幹インフラに頼っているだけで確保できた「高度経済成長」時代の見果てぬ夢に浸っては、苦い酒を呷りつつ「昔はな、むかしは、俺だって」と、おっさんや爺さんが、過ぎにし栄光時代の自慢を していても しょうがない。
「助けてやった格下相手になあ、手を噛まれたんだよぉ!」みたいな、みっともなく粉飾した理由を酒のツマミにして、愚痴をコボシているひまに、
仮にも政治家が、「国民の生活が大事なんてダメー!!」と叫んでいるヒマに、
ふつうに働いてるのに、ふつうに食べても いけやしない者を増加させられてきた国民の生活を立て直すことに、さっさと取り掛かってもらわんと。
もともとの日本、もともとの自己の姿が、どんなだったことか、初心に帰らないと。
それこそ「健康的で文化的な」?云々と、どこかで聞いたような謳い文句じゃないが(嗤)
飲食や観光方面を始めとして、およそ「生活の余裕・潤い」に類する分野の商売や仕事に携わっておられる皆さんも、
どのような立場や層に属する人々に支えられてきていたのか、
「新型コロナ ウィルス」によって、思い知ったでしょう?
そう、そこには、新聞社なんかも含まれるのよw
ぎりぎり最低限、ないと、たちまち、生活維持困難になるのが明白なこと以外は、バサバサ切り捨てられていくでしょ?
それを、私は以前から言ってきた。
つまりは、一部の富裕層だの特権階級だの上級国民とやらのみでは、逆立ちしたって、あらゆる商売も、そして国も、保っていられるわけないのよ、ってこと。
ほんもののバカじゃないなら、そして、
自分は不当に高い税金を払わされ続けてる!もっと税額を下げてしかるべきじゃないか!?と思うのなら、
いいかげん、初歩も初歩、基本も基本の経済や道理というものに気づいておこうよね、「新型コロナ ウィルス」が教えてくれているうちに。
おら!
さっさと本分の仕事してくれろ!
無能なくせに、邪まなカネ儲けに使う狡猾さだけは いっちょまえ以上の政治屋&御用官僚コンビ!!
【続く】