2015.06.19 (Fri)
一族とオトモダチ(『日本会議』その他モロモロ含めて)の世界のために、いっしょうけんめいやってるだけなんだなということは、あるていど観察してたら、そっくりそのとおり やってることだと、すぐ察しが つく。
『戦争について真剣に考えていない国が「戦争のできる国になろうとしている現実」』
2014年12月9日
http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/09/40332/3/
『戦後日本人の精神構造 「トップが大人への成長を放棄、日本は“子供と老人しかいない国”になってしまった」』
週プレNEWS 2015年5月24日(日)6時0分配信
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/playboy-20150524-48243/1.htm
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白井 その結果、日本はこの20年ぐらいで、普通の企業でも官僚の世界でも大学でも上層部は「イエスマン」しかいない社会になってしまった。
表向きは「個性が大事」とか言いながら、少しでも会社や上司に批評的なことを言ったり、大多数の人間と違う視点で考えたりする人間というのは非常に嫌われる。葛藤していない人間、つまり成熟していない大人のほうが出世できる仕組みになっている。
一方、上に立つ人間も自分が葛藤を捨てているので、下から何か異論を挟まれると、その異論を処理する能力もない。そう考えると日本社会の一番上にいる安倍首相というのは、そうした人間の典型で、彼のようなキャラクターというのが日本人のデフォルトになりつつあるということだと思うんです。
もちろん安倍首相にだって、個人的な内面の葛藤があったはずです。でも、彼はどこかの段階でそうした葛藤を殺しちゃったんでしょう。葛藤している人というのは、自分の中にもうひとりの自分がいて、絶えず「本当にそれでいいのか?」「違うんじゃないか?」と、心の中の「相方」が話しかけてくる。ですから、葛藤している人間は他人の意見もよく聞く。
最近の沖縄問題に関する議論でもそうですが、安倍さんが異論に対してまったく対話できないのは、彼が内的な葛藤をすべて捨てて、自分の中にシンプルなキャラクターを設定したことで成功を収めたからだと思います。その結果、自分に対してイエスという声しか聞こえない。
日本人が青年期を失い、社会が葛藤や逡巡(しゅんじゅん)を受け入れなくなって、大人への「成長」を放棄した人間がトップにまで上り詰めるような国になったということでしょう。
(一部文字強調は当ブログ主による)
なるほどなぁ。
まずは、和を乱すな、とにかく、悪口は(批判や批評とイコールなのでw)言うな、ってねww
その「異論を処理する能力もない」となると、そりゃあ、ハナから聞きたくないでしょうよね。
まともな異論を、それとして誠実に提示できるだけの能力と真摯さが欠けてるのも問題でしょうしね。
どちらかだけじゃなく、この場合、両方揃えた傾向を持ってるひとが多いような印象もある。
どこが そうと思ってもらえたのだか分からないが、オモシロいと言って、やけに気に入られることが、たまにある以外は、大概のとこ、きらわれるけどさ私なんて(爆)
で、もともとの私は、とーっても素直なタチだから、
私を きらって、排除しにかかってくる相手には、先方の手間を取らせないようにと思いやりwこちらも調子合わせて同じ分だけキッチリきらってあげて、サッサと遠ざかってあげる(苦笑)
こういうところは、わりと素早く相手の感情に寄り添い切り、自分自身も殆ど何らの葛藤せずにサッと やっちゃってる傾向だった、かも、、、と、今になって気づいた(汗)
良いのか悪いのかは分からないけれど、ま、話が早いのだけは確かだな(爆)
で、私は、いたって素直なタチですから、
やけに気に入られたりしたときのほうが、かえって、意外なほど葛藤することもあったりする(苦笑)
というのは、私、けっこう、気まぐれな性分でもあるので、
相手の気持ちにピッタリ寄り添い切れずに、遅かれ早かれ、いつかは、自分側が申し訳なく思わざるを得ないようなときが来るかもしれない、とヘンにプレッシャー感じちゃうと、もう、話が早い方向へとイッキに行きたくなったりして(爆)
男性に時々いるけど、その重たい腕をベッタリのしっと、私の凝りやすい撫で肩にまわされたりして、「もおー鬱陶しい腕どかしてよぉ、おろせってばぁ」と不愉快になってても、ぐっと黙ってガマンしてるシチュエーション、
しかし、そのうち堪え切れなくなって、
突然、思いっきし突き飛ばしたい衝動とかwに似た感じ?ww
みょうにスキンシップを好むほうだった親父や兄らが鬱陶しくて厭だったwどういうものか、家族の誰とも似なかった私は、あかちゃんの頃、母親に添い寝されると、どういうわけか、かえって、いつまでも寝なくなってしまう子だったそうで。
他の子と比べると、やっぱり、ちょっと どこか変わってたのかもね。でも、それほど珍しくもなく、他にもいるんじゃないの、この程度ならと、自分では大したことないと思ってるし。スキンシップ鬱陶しいといっても、そりゃあ、相手と場合にも よるし(笑)
閑話休題。
まあ、宗教や宗教的なことでも個人崇拝でも、「葛藤」なんかは捨て切れるくらいでないと、
「もっとアホになるのざ」とか言われちゃって、やりにくいのだろうしw
むしろ、
本当に、そうできる者こそが「成熟した大人」なのだと本気で思っていそうだよね。
そうそう、
私が「カルト連」と呼んでるところの「ボス」格のオッサン「stomachman」というのが、私とのあいだに奇みょうなトラブルを引き起こしかけてた少し前のこと、例の「汚気・愚」の古参常連の一人だった「フィッシュボウル」あたりに何やら「葛藤している」とかツッコまれてて、慌ててイイカッコしようとしてか、
「stomachmanは、葛藤なんかしてませんー」つって必死に取り繕ってたことがあったっけw
きょうまで、すっかり忘れてた。
たぶん、全く葛藤せず悪事実行できる俺、ってなキャラに憧れてて、終始演じたかったんだろうけどw
そういうのがカッコイイんだと思ってるらしいところがね。。。ww
人間、素直が一番ですわよ(笑)
こないだのエントリーでも言ったように、
安倍ファンらしき「オババさま」は勿論のこと、「カルト連」は、とかく安倍朕の言うこと やることと、そのまんまの手法。
ということは、すなわち、『日本会議』まんま、というわけね。
安倍第一次政権発足前後から、すでに、彼らのあいだで、こうした傾向が つよかったのかどうか、そのへんは、私は完全に知らない時期のことなので何とも言えないが、
少なくとも、
安倍朕らが台頭してくる そのずーっと前は、もうちょっとマトモなキャラでいたはずなんだけどね。。。
だから、私は、いったい、どうなってるの?と唖然としたわけ。
ところで、
最近、安倍夫人であるノーテンキアッキーさんwが、『リテラ』つうところのインタビューに応じられたそうで、
http://lite-ra.com/2015/06/post-1190.html
そのなかで、こういうことを「暴露」されたそうだ。
「基本的に自分の関心があることしか聞いていない」
まあ、いわゆる「保守」的傾向の凡庸な男性には特に多い傾向だろうと思う。しかし、
まず、政治家としてダメダメだね。
自分一個の つごうに合いそうなものだけピックアップし、そうして、自分自身も、そのピックアップ対象と相呼応してコロコロ合わせ、しのいでいこうとする。
現に、この奥さんに対してもモロに出てるみたいだけど、
無視しておいても、ちっとも痛くも痒くもなさそうな相手は、何の罪悪感も持たず、一笑に付して放っておく。
「家庭内野党」さん、あなた、見下されてますのよw
安倍さん自身は自覚もなく、無意識のうちにか しれないけど。
もっとも、この奥さんが何を言っていようと、根本的には自分とドッコイドッコイ、そこまで本気の思想で逆らうことは できなかろうし、その気もないということが見透かされてるからでもあるんだろうけどww
つまり、アッキーさんご自身、
何だかんだ言ってても、やっぱり、その ご亭主とドッコイドッコイに過ぎないってことです。
でなきゃ、共有するはずの価値観や思想性が根本から異なってるというのに、こんな夫と四六時、一つ屋根の下で顔つき合わせて生活していくなんて、いずれは厭になってガマンできないはずよ。
だからこそ、
いつぞや、香山リカ氏が、
安倍夫妻のあいだでは、楽しいイベントや遊び事は共有していても、
実のところは、それ以外での、深い対話は、ほぼ皆無なのでなかろうかといった観察と分析を述べておられたように記憶するのだが、
そのことを裏付けるに ふさわしい「暴露」だw
あまり深い話とかは しないよう、お互い避けておき、楽しいイベントごとのときだけ良い顔して一緒に過ごすという、外からは窺いにくいところでシッカリと距離を保つことにより、穏便に見える夫婦のスタイルでいられる。
まあ、一般庶民レベルの夫婦間とは違い、
やろうと思えば、そういう、外面第一で見栄えの良いライフ スタイルが大いに可能な日常でもあるのだろう。こうなると、お互い多忙でいるほうが、つごうがいい。
例の曽野綾子さんとの対談中でも、
安倍夫人は、ご亭主の安倍さんが、たとえ、自分が悪い場合でも、絶対に、謝らない性格だということをバラシてらしたそうよねww
人間性と思想の問題が出る。
一有権者、一国民としては、こういう薄っぺらで偏ってるだけな「政治家」さんでは、とても、とても困ります。
ハッキリ言って、お呼びでないよ。
【続く】