2015.06.19 (Fri)
の続き。
再び言うが、
「植民地」策は問題ありという概念が、ようやっと、国際的に「列強」各国自身のあいだで共有され始めたあとになってから、
いつも あとから爆走してくる日本が、
劣等感のカタマリみたいに、白人国家崇拝の日本人は、自力も省みずハネッ返り、自分だって!自分だって!!と、あとから「列強」の真似っこして加わろうとしたわけよ。
いまでは、同じような動機を持って、安倍朕が やってること。
「従軍慰安婦」の問題においても、すでに共有していた国際法を反故にしてまで実行した。
いつだって何ごとにもオリジナリティに欠けていて、模倣に、ちょいとした何か加えるのだけが得意な日本人w
ほんものの「フロンティア」には決してなれない日本人。
人の上に立ちたがる者に多いという一部のサイコパスや人格障害者に牛耳られて、彼らの劣等感の補償や個人的野心のためのコマの一つとして犠牲になるのはマッピラ御免こうむります!
「大切な者を守るためだ」
という悲壮な大義名分を自らに言い聞かせて出撃していった兵士たちは、
結局のところ、
誰を守れたの?
守るも守れぬもないわ。
シモジモは、皆でコマになっただけ。
それこそが非情な現実だったのだ。
報道等で伝えられるようすを見ていると、たしかに、現中国政府に対する警戒は怠るべきではないと考えざるを得ないし、
いま、彼方のトップに就いている習氏については、
此方、日本政府の安倍朕と同様、
一目見たときから、どうもムシが好かない印象を持った私としても、
中国からの違法侵入等が相次いでいるにつき、海上保安庁、自衛隊の当局が粛々と撥ね返すべく仕事してくれているということに、主権者として、いまのところ、「まあ、よくやってくれているんだろう、ご苦労さま」と、素朴に、ほぼ満足している。
だが、それでも到底足りやせぬと、
それ以上の不都合、危惧が目前に迫っていて、先方に押される事態に現実として入ってきているのならば、その現実については、広く一般国民に知らせるべき。それは、主権者に対して当然の責務。
ただし、安倍朕の傾向性に現れているように、煽りを混ぜ、敢えて嗾けるようなやりくちは、断じて許されない。
ある時期の政権が、長年通してきた国としての背骨・理念をゴソッと取り替えねばならないほどの切迫があったとき、その可否を判断するのは、最終的には、主権者たる一般国民なのだから。
いまの時代は、
かつてのように、個人を「現人神」と仰ぎ、
自分自身の持つ知性や教養の力ををアテにするには、あまりにも、一般国民に及ぼす諸情報が偏っていて極度に制限されていた頃の国民とは違うはずなのだから。
「よらしむべし、知らしむべからず」ではダメ。そんな時代ではない。
バカなトップを戴いていたために、一般国民が、どんだけの犠牲を強いられてきたのか、
近い歴史上で経験したばかりではないのか。
私は、学生時分から、
いずれ、戦争と、その時代とを直に体験してきた世代たち
(まだ生きている、まぎれもない現代人なんだぜ!!)が、この世にいなくなる頃には、
タガが外れていき、またぞろ同じ失敗に突き進もうとする世相が生じてくるのではないかという不安を持っていた。
どうやら、その不安は的中しそうだ。
戦前・戦中世代のなかには、内海愛子教授も指摘しておられたように、「マインド コントロール」が解けていないままの人たちも混じっているのだろうが、
それと同じ世代の、うちの親なんかだって、あの時代のエリート、しかも、天皇家のそばにいた者でも、
『日本会議』やら、その系列の組織団体なんぞに加わったこともないし、
そういう団体の話を聞いてやったとしても、
本心では、いくばくかのシンパシーもあったろうが、それは抑えて、
ただ冷笑するだけだったろう。
うちの親父というのも、どこか、かつての時代の抜け切らない狂気を引きずっていたようなところがあって、
もしも、本当に、日本が危うい、という事態になったとしたら、
いまどきのミリオタやら神道かぶれが逆立ちしても勝てないほどの剛直さを保っていたが、
もっと現実的に、クールな判断していたよ。
「時計の針を巻き戻すよう」に、
同じ愚行を繰り返させるな(怒)