2015.06.23 (Tue)
『【続】忌まわしき『日本会議』』
の続き。
『日本開催のサミット「首脳夫人外交」はどうして「ズレ気味」になるのか?』
2010年11月15日(月)10時57分
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2010/11/post-223.php
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世界には多くの異なった価値観があって、強めの価値観から見ると日本では「当たり前」のことが全く別の評価になる、そのことに気づいていないというのも問題です。例えば、女性が動きづらい「十二単」は、現代の価値観からは「コルセットや纏足」と同列の女性蔑視に見えてしまいます。また、坐禅は日本では「信仰への一線を越えた行為」とは思われていませんが、それはあくまで国内の感覚であって、厳格な一神教の立場からは「異教徒の宗教儀式」だと取られかねないと思います。
その「ZEN」が「クール」だと思われているというのは、アメリカの場合は事実ですが、無神論的な都会のニューエイジ文化の延長で受け止められているだけであって、決して快く思わない人間もいるのです。例えば、その昔来日したレーガン大統領(当時)が中曽根首相(当時)と「五日市の山荘」で一緒に参禅したことがありますが、実はアメリカでは批判があったのです。一部のムスリムの人々にも難しいのではないでしょうか? マレーシアのナジブ首相のロシュマ夫人は鎌倉ツアーに参加していましたが、イスラム法の枠外行為というカテゴリになった途端に自由度が高くなる国ですから例外でしょう。
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ちなみに、レーガン=中曽根会談に関しては「饗応が過度」だったという批判もアメリカ側では出ています。首脳本人や配偶者に対して、過度の「おもてなし」を行うことは、国益のせめぎあう外交の渦中では、場合によっては不純な行為という印象を与えるということも知っておくべきでしょう。今回のオバマ夫妻のアジア歴訪に関しても、アメリカでは費用に関する批判も出ています。国際世論を意識しながら、社会的に意味のある行動を協調して行うというのは、こうした懸念に対しても最善なのです。
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とかく、日本人は、「井の中の蛙」と喩えられがち、独り善がりに陥りがち、それも、大いに善意のつもりで、実は押し売りでしかないということに気づこうともしない子どもっぽい傲慢さ、こういう特徴は、『靖国神社』のありかたにも あらわになっている。
私のような鈍感な日本人から見ても、その無神経さ、もうちょっと、どうにか ならんのか?とさえ思う。
私個人は、こんにち「竹島」の経緯についても、敗戦直後であった日本のドサクサに紛れてというのは、韓国の自力だけでなく、アメリカ側の隠然たる許容もあったのではと推察している。
北方2島・4島返還問題についても、交渉に水面下で嘴を入れてくるのは、アメリカだ。
このことを、ほとんど誰も指摘しないが、
これと同じくで、しょせん、「尖閣」についてもバカバカしいと及び腰のアメリカが、もしも、いざとなって、本当にアテになるのやら心許無いからというのなら、
そんなアメリカに、妥当価格の4倍ものを支払ったり、『思いやり予算』を与えるくらいなら、その分そっくりと、わが自衛隊に注ぎ込むほうが、まだ納得いくというもの。
中国軍が「尖閣」上陸・占領なんて、むしろ中国側のほうにこそ危険度が高いことくらい、先方だって わきまえているだろう。
だからこそ、「オスプレイ」購入の矛盾も指摘されていたわけだが、
「切れ目のない」は「歯止めのない」
これ、たしか、田原氏が、珍しくwうまいこと突いたなと思ったけど、
カネだけでは足りない、命も差し出せ、と要求する他国の言いなり、
経済も落ち目なのに、軍事費は増加させつつ、アメリカの気に入るよう、莫大に貢ぐのを やめない。
何を言おうと、敗戦国日本は、戦争終結時、自分たちで新時代を開くことはロクに何も できなかった。
そういう末期的事態を、主権者天皇を筆頭に、当時の「エスタブリッシュメント」、エリートたちが招いたのだ。自業自得。
とにかく、改憲したけりゃ、まずは、度を過ぎた「アメぽち」癖を直してからだ。
このままでは、いわく「押し付けられた」だけで済むどころか、とことんアメリカの言いなりで永遠と右往左往し続けるだけだろう。
何よりも、今後も減る一方であろう若年層を、このうえに、まだ減らすようなことを やろうとしている。
一番守るべき肝心の国内が手薄になったら、どうするつもり?
そのとき、どこの国が かけつけてくるのか?
日本列島は、世界でも第一等の災害国、これからも、どれだけの大災害に見舞われるやら分からんのよ?大概どこの国だって、知ってる話だろうに。
よそさまに差し向ける自衛隊は、ありません。
これが、日本国の現実そのもの。
各国に理解を求める努力は しないのか安倍朕らは?
たしかに、そもそもの憲法文言をストレートに読み下せば、自衛権すらも放棄するというふうに思えなくは ないだろう。が、
自衛の権利というものは、「権利」と呼ぶことすらバカバカしいほどに、
自然な反応行為だからね。
たとえば、
「殺されるがままにならずと、身を かわすなり逃げるなり、仕方がないときには、反撃するべし」なんて、あほらしい命令されるまでもないわな。
そんなの、「解釈」云々以前のこと。
この「自然に反応する権利」をも認めないということであれば、それこそ極端に「不自然」だ。
であるから、以前のエントリーでも言ったように、
自民党の改憲草案で、
国民側の憲法遵守義務を掲げているのは、ひどく不自然なわけ。
自分の、自分たちのための憲法であるなら、守る義務もクソもないでしょ。
当然の自然的行為としてのものなのだから。
そこへ、
集団でもって自衛というのは、鰯の群れじゃあるまいし、人間たる自然的反応行為を上回って、言わばヘリクツが絡んでくる。
ヘタすると、イジメ目的で徒党を組むみたいなもの。
「イジメられる側に問題がー」と言ってさ。
現憲法は、あくまでもシンプルなのであり、逸脱は、ちょっとも許されない、そういう、ギリギリのところで成り立っているのだから、
いつぞや、安倍朕が「わが軍」と言い放ったことも、当然、問題になる。
それくらい、微妙なバランスの上で、やってきてるんで、少しでも迂闊を やると、全てが崩壊する。
その覚悟と慎重さがないんだ、安倍政権には。まあ、わざとやってることだというのはミエミエだがな。
いかに、「立法権は国会に」と言ったところで、大前提として、その妥当性は問われねばならない。あったりまえのこと。
安倍朕の、アメリカ議会での軽率このうえない「アメぽち」演説を踏まえて早速、アメリカの軍事要人が、中東への派遣を期待すると明言していたがね。
だいたいさぁ、
原発施設の予備電源の不備を一蹴しておいて平気の平左で澄ましていた安倍朕の言うことなんざ、どうして、この先、信用に足ると思えるのだか、私にはサッパリ分からん。
「国民の命と幸せ」そんなもん、安倍朕が守れた実績が あったか?
大多数の庶民にとっては、ますます生きづらくなるばかりの政権じゃないか。
【続く】