2015.06.23 (Tue)
の続き。
日本国民にとって、かなり耳の痛いことが多々述べられてある。(苦笑)
『日中関係:中国の他者感覚と自己内対話』2015.06.14
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2015/714.html
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これはいささか中国にとってはやりきれないことだ。中国は何も日本に対して申し訳ないことをしていないし、歴史的にいえば日本がいつも中国を傷つけてきたのだし、近年において中国は少しばかり進歩したとは言え、特に「お高くとまっている」わけではなく、中国が少しよくなったからといって、日本はそんなに耐えられないのだろうか。
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それでも、
正直なところ、中国政府自身も、かなーり、図に乗っているようだという印象は受ける。
あれこれと、甚だしい矛盾を隠しようもなく、自国内各分野でアカラサマになりながら、よくまあ、ずいぶん厚顔でいられるもんだな、中国政府?と感じさせられたり、
おそらく、バリバリ「嫌中」日本人から見てさえ、あちらの一般国民については気の毒と思えるような事態もアレコレ伝わってくるし。
日本人とて、必ずしも「嫉妬」やら、その類のことだけで、疑心暗鬼を抱く者ばかりではない。
ただし、
このことは、広く日本国民が わきまえておくべきことの重要事だろうが、
政府・政権、また、それの息が かかっていることが知れている御用マスコミに対する、一般国民の感覚は、韓国国民にしても、日本人が思っているより、はるかに距離感を持っていて冷静なのだという。
むしろ、政府や大手マスコミの言うことを鵜呑みにしがちなのは、日本人のほうだと。
なるほど、たしかに、そのようだ。特に安倍政権になってから、実感しきりだものw
まあ、人権意識の欠如、情報の規制・検閲・コントロールなどについては、発展途上の国には、ほぼ例外なき歴史、お定まり道中なのかもしれないが、
「民主主義国家」「成熟した先進国」のはずの日本なんて、安倍政権になってからというもの、そんな中国に引けを取らない方針を続けて行くつもりらしいのだから、もっと恥ずかしいわぃ
これからの危惧、特に、中国については、懸念の表明や異議申し立てを、すでに、先般の「エルマウ サミット」における声明でも発表してる。
やれ、「サヨクが乗っ取るー」とか「赤い」他国がー、とか、
べつに赤くなくても、わが国を恨み続ける国が攻め込んで来るに違いないと怯えるのは、明らかな歴史上、かつて、当の自国が仕出かした報いが来るのではないかという、まさに自己投影ゆえの怯えだろう。
攻め込まれるのではないか、攻め込まれるに違いない、こう警戒して、
「やられる前に、やり返せ!」てな、おかしな日本語を振りかざすウヨどもは処置なしだけど、
事前の備えを!と盛んに主張している連中について、
さても奇みょうな連中よと、私が感じるのは、
憲法についても、「解釈は改憲ではない」と、愚かなヘリクツを言い募る、「uzu*****」とかいうハンドルの「小泉」信者みたいな連中だ。
弱肉強食、淘汰、自己責任、、、
イジメ大好きグループ「カルト連」すなわち『日本会議』まる出し軽薄投稿者w
こういう、道端に生じ、すぐまた蒸発する水溜まりみたいな、思慮の深みもない、オッチョコチョイのスットコドッコイが、よりによって政治についての演説ぶつのが大好物、そのうえ、
かりにも人の子の親だというのだから、いやはや、そりゃあ、国全体が、ろくなことにならないわけよ。
おまけに、世間知らず、現実知らずも甚だしい。
こうした輩は、おのれが人並みか、それ以上に恵まれた人生だったということなら、ヘンに自慢するのではなく、素直に感謝だけしておればいいことだと、何度も言ってきた。それが自明の道理ってもんでしょ。
いったい、なにを そこまでノーテンキに うぬぼれ、
あかの他人さまに向かって、エラソーに説教するんかと。
こやつらは、根本的偏りかたと、その偏りを無理にでも正当化するために、一種独特の尤もらしいヘリクツを持ち出してくるから、まともな主張を述べる人たちとの違いは、高学歴や受け売りの知識なんぞ持ち合わせなくっても、じきに分かるというもの(嗤)
このテの「自己投影」癖がある連中は、私が「カルト連」と呼んできて、
そして、いまでは、その正体だと判明した『日本会議』の連中の特徴的パターンだ。
ったく、どっちが「感情論」を振り回しているのやら、時代錯誤集団『日本会議』の主張を見れば、一目瞭然。
事前の「解釈」も抜きにして、「解釈」議論をもスッ飛ばして、いきなり改憲できるってのか?wいくら何でも、あり得ねえわなww
そもそも、解釈が無理筋であるならば、その解釈に寄った改憲が できるはずもないことで。
だから、
「解釈は、改憲とは違う」なんて、バカバカしいことを言い募っていても、それが何?でしかないよ、っつうの(嗤)
少なくとも、成立経緯の特異さもあり、単純明白なようでいて、その実は非常に微妙な文言で成り立っている現日本国憲法については、
その理念の大なる先進性に、むしろ、現実世界のほうが追いついていないというのが実際のところなのであり、
解釈が妥当の範囲内か如何の議論は、すっ飛ばすことが できないし、
ましてや、その議論が尽くされもせぬうちから、変えてしまうことは道理を外れると言わざるを得ない。
この、道理を外れるのではという危惧と、これから先の不安を、安倍政権は自ら招いたわけ。
自業自得。
【続く】