2015.06.13 (Sat)
の続き。
なぜに、それなりのランクの大学や大学院で研鑽し、学び終えたのちは自分が人さまに教える立場に就くような、もと優等生たちのなかに、こういう「一群れの」、
私にとって、「右」だろうが「左」だろうが「極」が付くほどに偏っていて、
こんな考えかたでは、世のなか全体が少しでも望ましい方向へ進歩向上していくことを阻害するだけとしか思えないような「一群れの」ひとたちが出現し、しかも、世間に蔓延跋扈の勢いとまでになるのか、
個人的には正直言って、理解に苦しむ。
「百地」某とかいう大学教員にしても、また、同様に、他にもいる、これらも大学で教えている身分の者たちの幾たりか、
そう、内海愛子教授が指摘しておられたところの、一群れの ひとびとというのは、ほぼ全員、『産経新聞』の御用学者だし、教科書問題に介入して、そこらへんから着実に、自分たちの思いどおりの方針を侵入させていこうとしてるのね。
沖縄の八重山地区でモメていた教科書問題も、こうした「一群れの ひとびと」や現政府にとって、はなはだ、つごうが よろしくないわけだろう。
『問題提起2 東南アジアから見た日本の戦争責任』
恵泉女学園大学教授 内海愛子
http://www.wako.ac.jp/organization/research/touzai96/tz9604.html
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私たちが日本の戦争責任を考えるときに、中国侵略や朝鮮、台湾の植民地支配の責任と、東南アジアの占領とがどうしてもわけて論議されがちです。そして、東南アジアについては、欧米の植民地という側面を強調することで解放の側面を強調する。それで日本の戦争責任問題からどこかで逃れようとする作用を持っている。
一九八二年の教科書問題のときに、東大や上智大学の先生が ある雑誌での座談会で、「羊を人間にしてやった。この日本の功績をもっと若い人たちに伝えるべきだ」ということを話していました。要するに、欧来の植民地支配の下に呻吟していたアジアの人たちを解放した日本、この側面を強調することで日本の若者の愛国心を培おう、そういうことを提起した人たちがいました。こうした動きの一つは、原書房から刊行された『新編日本史』という教科書になっています。
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この『桃太郎海の神兵』に代表されるような映画、漫画、ポスター、雑誌、こういうものがふんだんに子どもたちに与えられていました。そのなかで日本の東南アジアへの出兵は、アジア解放のための良い戦いだったという思いを子どもたちに植えつけていく。大人もまたそういう宣伝に身をさらしていました。ですから、永野茂人法務大臣(当時)が「アジア解放の聖戦だった」と発言して、大臣の座を追われましたが、彼の年代のなかには当時の教育、徹底的に情報が制限されたなかで擦り込まれたものの見方や考え方、今の言葉で言うとマインドコントロールされ、それが解けずに来ている人も かなりいるようです。
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(一部文字強調は当ブログ主による)
「日本会議に破防法適用したら?」
(エントリー冒頭記事へのコメント投稿者)
わっははw同感だww
「今の安部政権のバックには頑張れ日本行動委員会、チャンネル桜、在特会、日本会議などの怪しげな団体がいる。」
(エントリー冒頭記事へのコメント投稿者)
どうやら そのようねえ。
私にも辛うじて、内海愛子教授が述べておられたことを通して漠然とは知れたものの、
その内海先生とて、明瞭明白な指摘とまでは言えない。どこか遠慮がちにボヤカシておられる。
ところで、
いわゆる「左」系や「リベラル」系の諸兄諸姉は、やっぱり、これらのことを知らないでいるのかな?
だって、
彼らのあいだで、この問題を挙げている人、私は、ついぞ、見かけたことがなかったもの。
どうなってるんだか。
私だったら、
枝野さんあたりに対し、デマヤジぶつけてた安倍ちんに向かい、
『日本会議』その他の胡散臭い勢力との背後関係を徹底追及するかもな。
もしも、ここに解散総選挙を やり直したとして、
はたして、公正な結果が出てくるものやら、これすら疑わしいかもしれない、そこまで、不信感が もたげてきている。
冒頭に挙げた記事へのコメント投稿者たちも指摘している、この『日本会議』等が もたらしている問題は、
かつての私が そうであったように、ちっとも知らないままにいるであろう多くの一般国民および、国内外に向けて、もっと知らしめるべき。
真の「愛国心」なんかじゃない、むしろ真逆、こんなもんに国が牛耳られて たまりますか
怪しからんこと甚だしい