2021.08.19 (Thu)
『【続】『アフガニスタン』――「失敗」の原因』の続き。
言っても、諸外国、諸民族が集まってきて、なお まだ歴史が浅い、まだまだ若い国『アメリカ』は、その点、「列強に やられ」「民族の歴史とプライドを踏み躙られ」といった悲憤慷慨の思いや「弟分に舐められ!」「自国を乗っ取られ~」といったグヤジイ思いを抱えた経験は ない。
これと真逆の経験は、みずから繰り返してきたけどね。
まあ、「国家として、民族としてのプライド」がド~ロ泥の恨みは持ってないだけに、ある意味、単純なんだろうw
もろに、「大男、総身に知恵が」ナントヤラを地で行ってるしww
ヤッキになってか どうなのかは知らないけど、誤爆も しまくりの大雑把さ。
それに比べると、
「小男は、総身のチエも、タカが知れ」
(↑出典?は、たしか『パタリロ!』w)
ってな感じ日本www
足もとを、ちょこまかと、目まぐるしく走り回られる、「もぐら叩き」さながらの「ゲリラ戦」になると、世界一の強大国でも、あんなものだ。
かつての『日中戦』時の日本も、「便衣兵」とかいう、一種の「ゲリラ」兵の組織活動に手こずり、疑心暗鬼のカタマリとなっていき、無辜の民間人をも夥しく殺害したらしい。
アフリカの『コンゴ』にて革命指導を行なった、かのゲバラも、ついには、匙を投げ、そこを立ち去った。その理由は、「兵士らの士気が低い」のを、ゲバラでさえ、どうすることも できなかったらしいという話を、私は、ふと、思い出していた。
以前も言及したように、
当方の旧ブログは、たまたま、『産経』系のサイトを使っていたのだけれど、あるとき、なぜか、一般会員のブログについては、運営廃止することになったというので、予告後の猶予期間も、あまり長くは なかったことも あり、けっこうギリギリまで迷ったあげく、いまのブログ サイトへ移って来た。
考えてみれば、
あの頃の私は、過去に、はたして『産経新聞』を読んだことが あったか なかったか、そんな記憶も全く ないまま、だからこそ、何の先入観も持たずに、そのサイトを通して閲覧できる『産経』掲載記事にも、素直に目を通すことが多かったのだが、
およそ「新聞」というものとの関わりも、職業として、世間一般の読者よりは、ずっと濃い関わりで きていたので、仮にも「新聞」と名乗る存在の、水準如何を疑うことが なかった私にとっては、いまにして振り返れば、時々なんとなく胡散臭さと違和感が残るような、みょうに勇ましく煽りたてる調子だったり、逆に、どこか馴れ馴れしく締まりのない、「内輪」な雰囲気ただよう、「新聞」としてのイメージからは逸脱気味な記事の数々よりも先に、むしろ、そこの常連ブロガーらのエントリーを覗いてみたときのショックのほうが、はるかに大きかった。
唖然呆然とするような、本人と常連仲間だけは、これで正しい!と信じて疑わない差別意識まる出しの、反社会的主張や、ありえないほどの極論や、あたかも軍人気取りの時代錯誤調、『靖国』カブレのミリオタ、そんなブログのオンパレード、かつ、
『自民党』が与党で当然と決定されているかのような確信と、『民主党』への憎悪と侮蔑、『産経』記者に向けたコメントには、あたかもカリスマとか教祖に対する崇拝めいた賛同を捧げるが如し、
他にも、病み調や、きわだった偏向ぶりを見せつつ、「健康になれた」と悦んでいるていのブログが並んでおり、そんな ようすを見ているうちに、どうやら自分は、場違いな所へウカウカと入り込んでしまったらしいことに気づいた(苦笑)
まさに、例の「カルト連」の「テツガク」サイトと同様だが、それよりも、
その「カルト連」と『産経』系ブロガーたちが一緒になってゴッソリと大移動してきた、そんな状態になっているのが、深刻な「反知性」と「反社会性」に満ちあふれている『ヤフー コメント(ヤフゴミ捨て場)』の現状の ありさまなのだ。
まあ、ヘンなブログ・ブロガーばかりでも なかったとは思うけど、圧倒的に、ヘンなブログとブロガーの巣窟だったという印象は残っているw
ちなみに、
旧サイトに おいて、常連のブログを幾らか覗いているうちに、このことにも気づいた。
それは、外国にて長らく生活しているという人たちのなかには、ふつうに日本国内だけで、ずっと生活してきた平凡な日本人と比べ、明らかに、「愛国心」というのか「右翼」的というのか「保守」的というのか、そういう傾向が目立つ人が多いのかな、ということ。
日本を離れて早、幾年月、アメリカ人と結婚しているという人などは特にだが、祖国であり母国である日本を、大いに懐かしみつつ、それ以上にも、アメリカに対する忠誠心のほうが強いのかなとも感じた。
そして、彼ら彼女らには、日本側が、アメリカに対する、心からの信頼と敬愛を持って、両国の関係を、より強固に固め続けていくことを常に願う ようすであることも感じ取れた。
私は、いまでは、こんなふうにも感じている。
国外で生活している(もと)日本人のほうが、国内の「右翼」的日本人よりも、もっとアカラサマな右翼的言動を憚らぬ姿勢であること。
これは、「瞼の」なんとやらで、ことさら美化しているせいも あるのだろうか、それに加えて、自己主張の強い気風の国で生活しているうちに影響を受けたということなのかもしれない。
日本国内のサイトで、たとえば『ヤフー コメント』欄などで、「隣国の侵略」が!「国防」が!「早く核武装を」等々、盛んに言い立てて、どうも、この日本を、「戦争できる国」に、一日も早く、なって欲しいらしいと感じられる投稿者、つまりは「ネトウヨ」に類する者らの正体は、それこそが、日本人よりも、日本の周辺を取り巻く位置に存在する国家間トラブルを抱えている国々の人たちなのかも しれないな、と。
要するに、
日本人自身よりも、よっぽど、「日本が戦争できるようになってくれる」ことを熱望している外国人たちが いるような、そんな感じの人たち。
さて、『産経』系サイトで、旧ブログを続けていた頃、
ある女性記者が、当時の『アフガニスタン』に入国し、『カブール』へ取材に赴いたときのエッセイふうの記事を目にして、私は、自分のブログにて、
『カブールでブルカを かぶる』
てな題名のエントリーをアップしたことを憶えている(苦笑)
くだんの記者さんは、現地の衣料店に入り、まずは「ブルカ」を購入しておこうと、その旨を告げたところ、とたんに、お店の人のみならず、他の買物客など、たまたま居合わせた女性たちが集まってきて、記者本人の代わりに、寄ってたかって品定めを開始し、これが良いでしょとか、いやいや、そっちのほうが似合うんじゃないのとか、それは それは賑やかな ひとときとなった ようすを述べていた内容を、今でも、おぼろに思い出せる。
その女性たちは、どうなっていることやら。。。
われわれ女性一般の日常の暮らしや生活感情は、基本的には共通性が高く、それゆえ、どこの国の、どんな民族の、どの宗教の信徒であろうと、理解や共感性も高いのだと思う。
世界的に勢力を大きく広げた宗教は特に、その創始者は、たいがいが男性だ。
宗教も男性も、「安全と安心、平和のために」と、『オリンピック』みたいな理由を付けて、戦争を引き起こしてきた。
まずは、なぜか、女性への抑圧や凌辱から始められる。
あらかじめ欠けていて、継ぎ足し不可能。
安定への憧憬と盤石を求めて彷徨、
埋められぬ飢餓感と募る不安と支配欲、
メカニズムへの傾倒と飽くなき窃視、
システム構築に夢中となり、
破壊を繰り返し、
ふりだしに戻る。
近頃の私は、
国家であれ個人レベルであれ、「劣等意識」と「俗物根性」をガッツリ抱え込んだ者に、何らかの権力を持たせたひには、いずれ、ドえらいことになって、巻き添え食わされることになるんだなあと、つくづく実感するようになった。