2020.03.27 (Fri)
『「自死」という名の殺人』の続き。
で、『森友事件』。
商売人というものは、ある意味と言うか、ある程度は、言わば「虚偽」によってこそ利益を出す。
しかし、国家運営の基礎部分を司り、庶民・国民の税金を采配する役所という分野では固く御法度だ。
そういう世界で、公務員、官僚の「鏡」というべき姿勢を貫き通そうとした人が、その姿勢ゆえに追い詰められ、ついには、最も適材適所たるはずの役所に居られなくなった。
こんなバカなことが あるのか。いったい、どういうことか。
故人が書き遺しておられるように、(事が特異な案件であれば尚のこと)現場と上層部との連絡は密に、一部が、まして、下のほうで勝手に独走するなど、あり得ないはずということは、一般の部外者でも、容易に察している。
当然、たとえば、財務省トップの指示は、財務大臣の命によるはず。
その財務大臣は、まぎれもなく、内閣の一員であり、
内閣のトップは、総理大臣だ。
「森羅万象」氏が、関係してないはずは なかろう。
直接の指示や関与は なかった、というよりも、
仮に間接であろうと、じゅうぶん以上の威力を発しているわけだ。
だいいち、
「もっと つよけで いけ」
って何よ?
財務大臣にして副大臣氏も、何ら責任を問われず、相変わらず、無神経で傲慢な態度をアカラサマに ふんぞり返っている。
以下同文の如く、それぞれの部署にて責任ある立場で、国家的罪を犯した連中が、なぜか、そろって昇格している。
ま、たちあげたプロジェクトが どれもこれも大失敗!税金に大穴を あけているという今井某。
「今井ちゃ~ん、あったまイイ~」とメロメロになってるアベシと心中したいと望んでいるという、ヘンタイちっくなオッサン官僚の言いなりになってるということはだな、
結局、
官僚に やりたいほうだいさせてやってるのがアベシ、
ってことだよ。こないだも指摘したけど。
それは、もちろん第一にはアベシ自身の保身のため、政権維持のためだ。
くだんの、自死に追い込まれた「ノン キャリ」官僚氏は、たいへんに優秀だったろうと、私には分かる。残された手記の文面からも窺える。
アベシやアッソウ、その他の大臣・閣僚たちなんかが束になっても届かない、はるか~に優秀だった、それは、もちろん頭脳レベルだけでなく、人間性としてもだ。
まあ、私なんかでも、自分一個の利害意識だけで主張を通しは しないし、大局的に見て、これは間違ってると思えば、相手が どんなオエライでも、おかしいでは ないですかと進言してしまうタイプなんだけれど、
しかし、根がチャランポランで、こらえ性が ないから、ちょっとでも逃げられそうな余地が あれば、ほなサイナラ~とばかりサッサと逃げる おかげで、いまでも何とか曲がりなりに生きては いられるのかもしれないが、
その点、
最後まで逃げ出さずにガンバってしまう人は、芯から真面目で誠実なんだなあと思う。本当に気の毒だ。
これだけ優秀かつ努力家なんだから、いまの職を惜しんで執着せずとも、他に なんぼでも勤まる仕事、可能性の道は多々あったはず。とは言っても、年齢かな。。。
みすみす、悪いやつらの餌食にならずに、完全に折れ尽きてしまう前に逃げ出して、生きて、闘っていただきたかったとも思う。
もし、私自身が、このかたの身近にいて、その真相を知ることが あれば、こんな自分にも可能なかぎり協力できることは?と、ないチエ搾り、同時に、もっと知恵と力のある人を、どうにか探そうとしたと思う。
彼には、袋小路に追い詰められてしまう前に、外で相談できそうな対象は なかったのだろうか。
国家犯罪に巻き込まれ、不本意にも、自分の手を染めさせられてしまう前に。。。
ただ、
これは千葉県内で起きた、児童虐待殺人の父親が恫喝したことにより、教育委員会あたりの担当者が怯え、たちまち屈して、被害者である児童を裏切るかたちになってしまっていたことが発覚したとき、私は、当ブログで指摘した。
おそらく、穏やかな生い立ちのうえで、順調に公務員になったような人であるほど、かんたんにビビリやすいのだ、ということを。
暴力や暴言に晒されつつ生育した、いわゆる「サバイバー」は、生き延びれば、以降、そうそう屈することはない。
ある意味、慣れてしまっている面も あるから、
「こんなやつ、いるよな、こんなケースあるある」
と、たいがいのことでは、そんなには驚かないし、
だが、同時に、
生い立ちのなかで味わった理不尽さに対する、やり場のない、深い怒りを抱え続けてきてもいるから、
直面した その場その場では、一種の「技術」として、一旦の表面的に、穏便に済ませおおせたとしても、最終的には、やはり、決して従わないよ。
怒りのあまり自傷したり、憤死するのはマッピラだからさ。
公務員こそは、私みたいなタイプを雇うべきだねw
このエントリーを再掲しよう。
言いたいのは、最後に紹介しておいた、リオタールの ことばだ。
「~犠牲者とは、自分が受けた不当な被害を証明することが出来ない人のことである。~」