2015.06.05 (Fri)
まことに遺憾。
『与党参考人が安保法案「違憲」 “人選ミス”で異例の事態 野党「痛快」 憲法審査会』
産経新聞 6月4日(木)18時58分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150604-00000538-san-pol
ぐおっほっほwおもろい記事やのうww
三流週刊誌に負けてない産経さんは、たま~に、おもろいwww
このくらいだと、素直に笑えるわぃ。
この記事に付いた「フェイスブック」のコメントにも、いくつか大笑いした。
この投稿者さんたち、愉快だな。
「改憲するための基準が厳し過ぎ」云々言ってるのは、いわゆるネトウヨに多い言い分だけど、
しょせん中途半端な受け売りで言ってるだけか、
まじめな勉強の不足が甚だしいか、ひらきなおりのデマに過ぎない。
こういう投稿する者がいるから、ネットは有害なものに堕してしまいがちなのだ。
そりゃあ、腐っても学者なら、学問的見地に照らし、飽くまで事実を述べるしかないでしょうもの。
ここに出席された小林 節先生などは、もともとが改憲派の立場で、自民党の指南役でさえあったかたですが、
安倍ちんらの、あまりのワカラン珍ぶりに、ついに匙を投げたって話ですわ。
小林先生は、改憲の立場においても、あくまで、きちんと筋を通しなさいってことを おっしゃってるんだと思う。それには、現憲法の拠って立つところの立憲主義とは何かということを理解しなさいよ、と。
でも、
それが、どーしても分かんないんだってさ、あの政権の連中のオツムには。
しまいにゃ、「自分は、そういう憲法観ではないから」とかなんとか言って歯向かってきたとか。
小林先生からすれば、こんなデキの悪い生徒らは初めてだったでしょうよ、絶望するほどにw
そういえば、
平沢勝栄氏が、あのひと、東大卒だっけ?
安倍ちんご幼少のみぎり、家庭教師つとめてた頃に、その晋三ぼうやのオツムの、あまりのヒドス具合に、思わず、定規で叩いたとかって話ww
さぞかし、教え甲斐のないガキ、いや、お坊ちゃんだったのでしょうwww
それでも、わが国では、二度も首相になれちゃうという、、、
終わっとるわ。
まあ、私のシュミでは、東大はツマランというイメージだし(学生時分は、だんぜん京大のほうが良いと憧れてた)、
平沢さんについても「ウィキペディア」をサッと読んでみたけど、かなーりイイカゲンな、わけワカラン考えかたしてるひとみたいだw
私自身、大学は行ってないし、もともと、ガッコの勉強かったるくてキライだったけど、まあ、得手不得手の差が大きいタチなもんで、べつに好きでなくても何故か得意な分野に限っては、全然勉強しなくても、いつもトップ クラスの成績だったよ。
本来は苦手な分野でも、当然のこと全く やる気が ないにも かかわらず、
これ何故か、やっぱり、勉強しなくても、わりとスムーズに、本質のことが理解できちゃう部分ってあるもんで(たとえば、数学なら「集合」概念とかは得意だった。ちっとも好きなわけじゃないのだが)
昔から、「好きこそ ものの」何とやら言うけれど、
私の場合、得意分野と言えども、好きか嫌いかは、ほとんど関係ないのだよ。だって、勝手に できちゃうのでな。
もちろん、苦手だし、できない、という分野のほうが多い凡人だけどさ。
そんな私でも、
人並みか、それ以上に環境が(遺伝とかも含め)ととのっていて、それなりの努力もして勉強してても、
なぜか、ふさわしい結果が出せない、全般に成績が悪い、なにやっても、もひとつ、な人というのは、ちょっと、理解できないなあと思ってた。
しかし、
世のなか、まともな筋を通した思考力も、初歩的基本的な論理能力すらもないのに、醜悪なほど狡猾なチエだけは異常に発達しとるタイプもいるらしいな。
『ネトうよ脳:』
安倍政権が主張するところの、「密接な同盟国」というのが、どこかの国から攻撃されたからと、うちが押っ取り刀で駆けつけ助太刀したとすると、日本に「やり返された」相手国は、今度は、日本に向けて報復するであろうのは、容易に想定内。
「巻き込まれる」もクソもないわけよ。なんせ、「積極的」に、というんでしょ?
だから、安倍ちんは、「巻き込まれることはない」の一点張り。
核兵器、ネット、要らぬトラブルのタネ、いつもアメリカから。
だいたいね、「世界の警察」気取りやってたアメリカが悪い。
(「八紘一宇」を振りかざしてた日本)
世界の末弟の分際で。
(アジアの末っ子の分際で)
引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて、
結局、ろくに責任とれないまま、背中向けて、自分ちのことに手いっぱい。
私には、メルケル女史の「G7エルマウ・サミット」にあたっての宣言文のほうが、安倍ちんのアメリカ議会での演説なんかよりも、よっぽど、未来に向けて、先進各国が持つべき責任の提言として、耳を傾けるに値する内容と思えました。
まっ、ね、
わが日本国憲法の優秀さというものが、紆余曲折を含みつつも、何十年このかた、ほぼ、そのままで通ってきたことに現れているのは、
もちろんのこと、その間の人々の、縁あった これをば維持し続けようとする、つよい意志と柔軟な努力の賜物でもあったにせよ、
それらを可能にしたのは、この憲法の文言の余白というものに負うところが大きかったのではないかと。
喩えてみれば、和服みたいに、「おはしょり」「身八つ口」が利くと言いますか、
洋服みたいに、細部まで個々に合わせて、ぴっちり つくってあると、融通が利かないから、少しでもサイズが変化したら、無理して着られなくなるし、作り変えないと いけなくなる。
しかし、いくら「おはしょり」等が利くとは言えど、当然、限界はあるわけで、
昨今、現政権は、いよいよ、日本国憲法の身八つ口に、その むくつけき手を、狡猾にも突っ込もうとしている。
さて、この無礼狼藉の手を、ぴしゃり撥ねつけるか、
本来は融通が利いて重宝なところを敢えて縫い閉じてしまうのか、
いっそのこと思い切って、一切合切を仕立て直すか。
しかし、「余白」につけ込む手を用心するあまり、キチキチに仕立てあげてしまうと、以降、他国のように、何度でも、つくり変えることを余儀なくされるかもしれない。
洋服のように、ちょっとでもサイズが合わないとなると、それ以上、着続けるのは動きにくいし見苦しい、
そこここが合わなくなった、世間の流行に そぐわないからとて、やすやすと脱ぎ捨てるものならば、もはや、理念たる背骨とは言えまい。
少なくとも、わが国の憲法は!
諸法を従えて君臨する、国の背骨としての理念であり、
国の恒久的品位を如実に表すものである。