2015.06.07 (Sun)
の続き。
とにかく、成績が良いというのは、一緒に授業を受けていれば、こちらにも、すぐに察せられることなのだけれど、単に、学科全般が良くできるというだけでなく、
私の身内にも、そういうタイプは いるのだが、そもそも、知能指数がズバ抜けているという話だった。
そのA君は、見るからに、頭脳の優秀さが現れたような外見で、
他の男子どもが、汗臭くも、浅黒い顔にニキビを爆発させていたのとは対照的に、
神経質そうな青白い滑らかな肌、澄んだ切れ長の目、ちょっと捉えどころのないほどクールな表情を常に浮かべていて、
要するに、絵に描いたような、透明感のある、繊細な優等生の風貌であり、およそ「体育会系」とは程遠いタイプだったのだが、それでも、本当に優秀な人って、いわゆる「文武両道」だとか言われるものだけれど、A君も、じゃあ、体育系が苦手かというと、そういうわけでもないようだった。
小学校時分から、「女番長」などと呼ばれたこともあるほど、五月蠅くチョッカイを出してくる男子ども相手には真っ向からやり返すことを辞さなかった私にも、その名物優等生男子A君が、感情を少しでも表に出した場面を目撃したことは、ついぞ なかった。
もちろん、A君が、私に対して殊更に何か言ったり仕掛けたりしてくることは一度もなかった。
したがって、こちらとしても、彼が、すごい評判の持ち主という噂を聞きつつも、遠巻きに眺めているだけのことで、私にとっては、大変な優等生だとかいう以上に、単に、もの静かで大人しくて、この年頃にしては珍しいほど非常に冷静な男子であるという以上の印象は希薄だった。
入学して、私が最初に希望していたクラブ活動は、
およそスポーツが得意なわけでもないのに(フシギなことに、両親、特に母のほうは、国体候補になったことがあるほど、スポーツ万能だったのだが)、
単なるミーハー精神だけで、かっこ良さげなテニス部を志望していたのだが、さすがに、ここは希望者が あまりに多かったそうで、とりあえず別のクラブを考えないとならなかった。
前後して、
クラブ選択するにあたり、全新入生のためのレクチャーを兼ね、各クラブごとに持ち時間を与えられた、主に三年生の先輩方が中心になって、「ぜひとも、わがクラブへ!」という勧誘演説が、講堂にて行われた。
私は、それらを一応真面目に聞いていて、テニス部以外に、とある文化系のクラブに興味を持った、と言っても、
その内容も名称も、こないだまで小学生だった身には聞き慣れないもので、活動自体に興味を持ったというほどではなかったのだが、
なにしろ、そのとき勧誘演説していた三年生の男子先輩の呼びかけが、とても情熱的で知的で、いわゆる「意気に感じた」わけだった。
小学生あがりには、三年生は、なかなか大人っぽく見えた。
しかも、そのクラブは、人数が少な過ぎて、存続は風前のともしび、ということで、先輩の演説には、まことに悲痛なものがあった(笑)
ミーハー憧れのテニス部がダメだというので、一転、その潰れかけ文化系クラブのほうに心を決めた私が、そのことを、帰宅後の夕食時に、親たちに報告すると、
ふだんは何ごとにつけ反目し合っていた父と兄が、このときばかりは口を揃え、なぜか大反対した。理由は、
「これ以上、ナマイキになっては困るじゃないか」w
どういう意味?とムッとした私は、わが家の父兄の意見は全面的に無視することにして、その潰れかけたクラブの部室へと乗り込んで行った。
先輩がたの、涙ながさんばかりの熱い歓迎のコトバ(笑)、懐かしい思い出の ひとこまであった。
ある日のこと、クラブ活動の日に、部室へ赴いたところ、なぜか、くだんのA君が、そこに居た。
私は思わず、
「あれぇ?A君、このクラブに入ってた?」
と話しかけたが、
相変わらずクールなA君は、まともに返事もせず、ただ、口の端を微かに曲げて、ニヒルな笑みを浮かべて返しただけであった。
あるとき、男子女子合同でドッジボールを やる機会があった。
体育の通常授業の一環だったのか、特別なイベントだったのか、いまでは記憶が曖昧だが、
とにかく、相手グループのなかに、くだんのA君が加わっていた。
さて、
対戦相手の一員として加わっていたA君、なぜか、集中的に、私だけを狙ってきた。
コートのなかで、私が、どの位置に逃げていようと、A君の眼は常に、私のほうを見ていた。
私が必死に かわしても かわしても、
A君は、こちら目がけて、執拗なほど、ボールを投げつけようとした。
実際、当てられてしまった私は、怪訝な感じを持ったが、その頃は、それだけで、あとは忘れていた。
二年生になる頃には、クラス替えもあったし、時おり、A君の相変わらず優秀さを窺わせるエピソードを漏れ聞くことはあっても、私にとって、それほど興味ある対象ではなかった。
やがて、
飽きっぽい私は、放課後のひとときを、仲の良い友人たちと遊ぶほうを優先し始め、
顧問の先生が、私の将来性を高く買ってくれていたにもかかわらず、クラブ活動をサボり始めて、遠ざかっていき、
ついには全く、顔を出さなくなっていた。
ある日の学校行事で、たぶん、文化祭だったかにて、講堂の演壇上で、各種クラブ活動の一端や成果を、全校生徒と来賓たちの前で発表しているとき、その頃すでに別のクラブに所属していた私が、とうに やめてしまった、あの潰れかけクラブの、相変わらず少ないメンバーたちも登壇していた。
その代表として、A君の姿もあった。
彼は、あのあとも最後まで残り、
先輩たちが卒業していったのちは、彼自身が部長となって、クラブを率いていたのだった。
彼の発表ぶりは、立派なものだった。
私は、いささか恥ずかしい気持ちを覚えた。
それから、
人生最初の受験シーズンを迎え、それぞれが高校へと進学する頃には、クラブのこと、あのドッジボールのときのことも、すっかり忘れたまま、最近になるまで、記憶の底に沈んでいた。
ときおりは、
あの風変わりな男子の記憶を、ふとした機会に連れて、少し思い起こすことはあっても、なんだか怪訝な印象だけが先に立ち、すぐに忘れていた。
要するに、私にとっては、その程度の思い出だった。
彼の名前も、もう思い出せない。
どこに進学し、どんな職業を持つ大人となったかも一切、知らない。
ただ、あの神経質そうな青白い肌と、澄んだ切れ長の眼と、感情の見えないクールな表情だけは、わりと先日会ったかのように思い出せる。