2015.06.07 (Sun)
このコラムの元ネタになった提起の案件は、私も先に、勝部氏の、その記事を読んで、そう言われてみれば、なかなか興味深いものを孕んでいるなーと思っていた。
そして、自分自身の学校時分の、長いこと、記憶の底に眠っていたことも思い出された。
『ドッジボール ケガの実態から考える』
2015年6月6日 5時33分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20150606-00046369/
~スポーツのなかに潜む悪意ある暴力を顕在化させた点~
~スポーツはルールに従って健全におこなわれているようで、ときにそこに悪意のある暴力が隠れていることがある。~
それはね、言わば「暗黙の了解」みたいなものは、たぶん、もともとからあったよねえw
要するに、「敵」である相手を負かそうとするわけだからね。
そりゃ、「悪意」と容易に結び付く下地はあると言えよう。
だからこそ、しっかりしたルールを設けたうえで、順守が必要なわけで。
~悪意ある暴力は、その競技種目の問題ではなく、暴力的な人間関係自体が問題である~
~ゲームをしているように見えて、悪意のある加害者がボールを力いっぱいに、特定の相手にぶつけているかもしれないということだ~
だいたい、勝ち負けを競う世界だからこそ、「マッチョ」の世界であり、ヒエラルキーの世界、
こういう所では、ありとあらゆるセクハラ、パワハラの類が花盛りとばかりに付きまといがち、あらゆる権勢欲が渦巻き、ついには国威発揚の世界ともなる。
そういうのって、リクツでなく、本能的なものが支配する世界だからこそ、世間で大称賛の反面、
「体育会系」
「体育教師w」
「しょせん筋肉脳」
だとか言って、裏では、ひそかに嘲笑と侮蔑の対象になることもある。
どういうわけか、これも親に似なかったのか、運動系は好まないタチには違いない私なのだが、ダンス系と球技系だけは、わりと好きなほうで、サッカーの授業時なんかは、ヘディング上手いというので、男子に感心されたこともあるのだが、私は、腕に力が上手く入りにくいのか、ボールを投げて遠くに届かせるのが苦手で、このドッジボールというのは、数あるスポーツのなかで一番キライと言っていいものだった。
やはり、小さからぬ、空気がシッカリ詰まっていると張りつめた硬さが あるゆえ、まともに受けると痛いボールを(私らの時代は そうだった)直接、狙う相手の体に向けて思いっきり ぶつけるというやり方に、明確なコトバにして思ったことは なかったけれど、間違いなく、一歩違えば「いじめ」のツールになりかねないことは感じ取っていたし、野蛮な種類のスポーツだという感覚は、どこかにあった。
なにより、衣服が汚れるのが厭わしかったなあ。
高校では、ドッジボールは全くやった記憶がない。
なので、あれは、せいぜい、中学生までのものだと思ってた。
さて、
中学校に上がった頃、
同じクラスになった男子のなかに、ちょっと有名人みたいな子が いた。
というのは、その男子(仮に「A君」と呼ぶ)の場合、中学に進学する前から評判で、すでに、職員室の先生たちのあいだで、すごい子が入ってきたぞというので、ひそかに噂になっているらしいという話が早々、私の耳にも聞こえてきた。
【続く】