2016.02.01 (Mon)
きょうは、思うところあって、いつもより立て続けの更新になる。
思い起こせば、去年の今ごろは、あの、後藤さんたちの凄惨な事件が あった。
『「1日中、食べて寝るだけの生活」 ドイツの小さな村で絶望する難民たち』
The Huffington Post | 執筆者:HuffPost Newsroom
投稿日: 2016年01月30日 10時28分JST 更新: 2016年01月30日 12時50分JST
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/29/german-refugees-report_n_9116696.html
『難民申請を取り消したい。スウェーデンに渡ったシリア難民の苦悩』
The Huffington Post | 執筆者:Fady Zeidan
投稿日: 2016年01月04日 17時56分JST 更新: 2016年01月04日 17時56分JST
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/04/syrian-refugee_n_8909150.html
一報を聞いたときから思ったが、
やはり、各国当局の対処のやり方にも、見直すべきところが幾つかは あったのではないだろうか。
ただ、どことも、人員などに余裕が なくなってきて、疲弊し始めているという指摘が ある。
先日、
この「経済大国」なる看板を掲げている日本の国民に、餓死者が相次いで出ていることから、生活保護についても、あれこれの批判が述べられていた「ヤフコメ」で、
「公平のためには杓子定規でなければ」という誤った意見を述べる者が、目についたので、
それは真逆だということを述べておいたわけだが、
そこに加えて、
「いや、役所は杓子定規でなければならないので、そこから漏れたものを民間で何とかせねば」とかヘリクツを述べている者が いたようだ。
これも違うよ。
なぜなら、民間で できかねることをこそ、行政や役所が請負わねばならないからであって、
民間で間に合うことは、とうの昔から民間でやってきているに違いないのだ。
ことに日本では、宗教のありかたの差も影響しているのか分からないが、ボランティア精神というものが、いまだに希薄だ。
昔から、そういう精神の持ち主を、「奇特な人」と呼びならわしてきたことでも察しが つく。