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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2018.07.30 (Mon)

【続】このパターン。の続き。

 

常に、「勝つか負けるか」で考えてるんだよね。

 

なにが どうだから、そうなるのかワカランが、

とにかく、本人としては「浮かぶ瀬」を探して必死になってるので、

その自己愛の激越さときたら、「身を捨てる」のは、自分じゃなく、

自分の子に、捨てさせる。

沈む子どもの背中を踏んづけてでも、自分が浮かぶために利用する。

 

 

自分側が「お役に立ちますよ~!!」
とアピールすることにも、じつに熱心なのだけれど、

もちろん、内心では計算ヅク。ただ、それには無自覚。

 

利用できるかぎりは、親切の押し売り、溺愛するフリも する。

「情愛深い親」なんか演じたりなんて、
お茶の子さいさいよ、演技派だもん。

 

 

ところで、
俗に、「やらない『善』よりは、やる『偽善』」とか言うそうだけど、

実際には、なかなか鬱陶しいものだよ、こういうのは。

 

たしかに、「偽善」でも、とりあえずは助かった!という場合も あるだろう。

でも、そういう人が やってくれたのなら、いつかは どこかで、タップリめに お返ししておかないと、終始、恩着せがましい態度を とられがちになるかもよ。

 

しかもね、複雑なのは、
「お返し」したら したで、なーんとなく面白くない気分にも なるみたいなのよねw

 

せっかく「無償のココロ」で、してあげたのに、、、と言いたいだけかもしれないのだが、

ドンピシャリ欲しかった「お返し」だったら、それは勿論、大いに満足してもらえるけど、

そこまで いかない程度の、ハンパな「お返し」なら、そんなものよりは、

少しのあいだ、威張った態度で いさせてくれたほうが、気分よかったのに、とでも思うんだろうか?

そんなふうに思わせられてしまうフンイキが滲み出てくる人、いるもんだよw

 

 

純真な者が捧げてくれる、掛け値なしの忠誠や称賛は、このうえもない美味。

本人にとって、欠かすことのできない日々の糧。栄養食。

いつも いつも、おなかを すかせてる。

 

 

うまいこと やれるワタシ、なんて賢く、要領のイイ女、

とまでは思ってなかったかもしれんけど、

その演技自体に、自分でウットリうぬぼれる。

 

ワタシって善良よね?役に立つし、親切でしょ?

これだけ親切なんだから、まわりも、少しは私に恩返ししてアタリマエ。

…このくらいのことは、シャアシャアと思ってたわな。

 

これだけ、してやったのに、あの人は裏切った、

さんざん、わたしの おかげで助かったはずなのに、あの人は、恩知らず。

そう言ってグチグチこぼす母親に、

たまりかねて、怒鳴りつけたことも あったよ。

 

自然な気持ちで、 してあげたい、
と思うから するのでないなら、ムリに しなくて いいの!!

と。

 

ほんとは、さびしい人だった、うちの母親。

 

 

許すも許さないも ないね。

 

私は私で、気の向くまま。

 

親に似なかった私は冷たいからw

仕事では、厭々引き受けなきゃならないことも少なくないが、

それ以外で、自分から親切の押し売りはサラサラ、やらない。

自分が本心から、そうしたい、そのほうが良いと思ったときしか やらないから、

してあげたことで、ほんわか嬉しい気分を味わえるのは、こちとらのほうなのだから、

やってあげたじゃんか!なんて、恩に着せる気もサラサラ起きない。

 

 

 

形づくられた「雪だるま」は、いつしか崩れ、とけていくけど、

分子原子のレベルに還元されゆくのみ。

「実相」って、そういうことだろう。

 

とけて流れりゃ皆おなじ~♪wwあヨイヨイ(^^♪

 

このあとの「リサイクル」が、どうなっていくかまではワカランがねw


板子一枚下は地獄。この惨い世界に、
ただ、降り積もっていく、生物たちの「念」。。。
その堆積の上に、いま生きている者たちの舞台。

 

 

そう言えば、松本智津夫は、自分の子どもらが幼い時分、

「生まれ変わったら、蚊になるかもしれないんだよ」

とて、殺生を戒めたとかって話が あるそうだけど、

うちの母親、蚊を叩き潰すのが好きだったのよお()

しかも、

母親自身は、蚊に喰われにくい体質なのだが、

反対に、
私は「血が甘い」ってやつなのか、蚊に好かれるようで、しょっちゅう喰われた。(ちなみに、血液型は同じ)

その、私にまとわりついていた蚊をだね、

ぱっちーん!!と一発で叩き潰したあと、

自分の手のひらを ひろげてみて、

はたしてペチャンコになってる蚊を、つぶさに眺め、それから、

おもむろに、

死んだ蚊の脚を一本また一本と、引っこ抜いていくの。

「こんにゃろ~こんにゃろ~」

と呟きながらw

あんたが喰われたんと ちゃうやろにww

 

…こういうところも、娘でありながら、私には理解不能な面の一つだったwww

 

 

 

それにしても、「汚気・愚」古参らの傍迷惑なことよ。

そもそもからして、あそこの経営者自身、作り話くさい起業「伝説」で固めようとしてるのがミエミエだったし、『知恵袋』の真似しゴンべぶりもアカラサマだが、

「ヤフゴミ溜め」にまで、幾つも「分身」つくって出没するほど、相変わらず、何かに困ってんのか「あま*ブラ」爺さんよ()

くっだらねえ「教義」モドキの ご開陳や、意味不明な説教は、例の古巣や、自前の けったいなブログ内だけで やっテロwemoji

ああ、

だれも読んでくれないし、来てくれないかあ、

さびしいサビシイ「あま*ブラ」よ、あはれ()

 

 

 

さて、どうやら、

健全なる自己愛とは、

ということについて考えなければ ならないのだろう。

それが あれば、

他者を押し潰し、ついには自分自身をも破滅させるような行為は、辛うじて仕出かさないはず。

だが、

どうしても、歪みきった自己愛に溺れる者が出てきてしまう。

 

その原因は、どこにあるのか。

どういうプロセスによって生み出されてしまうのか。

 

 

『オウム真理教』幹部らの言い遺した「真理のため」「救済のため」なんど、

まさに『オウム』と同様、
あの「カルト連」が、私に向かって投げつけてきた、

「救い」だの「掬い」だの「魂を鍛えてやるため」なんどは、

それを言い放った自己自身の投影から出たものに過ぎない。

 

 

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