2016.06.26 (Sun)
あーあ、滑稽。大嗤いですわ。
だって、
安倍ち~んが、自分の発した「コトダマ」で、自分の首絞めたんだもの(爆)
ち~ん、、、|~(-人-)お焼香(爆)爆)
カサンドラめいた私はw当初から、
「アベのセイメイ」「アベのコトダマ」
と、せせら嗤ってきたんだけどさww
またぞろチョーシこいてスリかえるんじゃないよ、
いつ見ても、ど厚かましいねえ、アベシの腰元、
人呼んで「バーコードのスガ」
「増税先送りが正しい」のではないよ。
なぜ、公約なのに、実施できないままなのか、
という根本原因を問う声に耳を傾け、猛反省するべきところでしょうによ
よりによって伊勢神宮の膝元で(爆)
「G7」を主催した安倍ち~んが、ちぐはぐな内容を、おのれ一個の保身目的に、不吉な「コトダマ」を発して
(また どういうわけか、こういう類のものほど、さしあたっては実現し易いのwあとが長く続いて、いずれは壊滅、その度合いを徹底的に増す前哨のためにねww)、
その禍々しさの部分だけが独り歩きしてるってな様相。
バチが当たったのかねえ?(嗤)
だって、そうでしょ。
今回の騒ぎで、一番、青くならざるを得ないのは、
当の掛け声(またはコトダマw)「アベノミクス」をブチあげてた安倍ち~ん本人および、利害を同じゅうしている一部の連中だもの。
焦りのあまりかカン違いして、アベコベを吠える、アベノ宗教信仰連中。
滑稽だってのよ!www
ま、私は、だから、すでに言ってきたように、
改憲についての国民投票のことも、大いに危ぶんでるわけ。
そこまで行き着く前、その段階に至ってしまう前に、自民党・安倍政権に退陣してもらいたいわけ。
なぜなら、
にせもののニンジンをブラさげられて、そっちへ ひた走ってしまうのが、いまだ、日本の民衆の知性レベルだからよ。
「9条」そのものは改めるべきだが、それ以外は慎重に、と考えている人も多いようなのだし、
今回、「9条堅持」という趣旨での一致を掲げている幾つかの野党は、
まずは、
安倍政権が、改憲に着手すること自体の危険性
そのものをアピールすべきだった。
本来なら、選出された政治家が、その能力を司っているはずなので、
国民投票に持っていかなければならなくなること自体が恥ずべきことだとも言えようけれど、
国民投票という事態になったら、たちまち問われるのが、一般国民・有権者全体の知性と展望力。
そこが あらわになるわけで、
民主主義の最大のネックは、ひとえに民衆の知性と展望力に かかっているのであり、したがって、
その底上げを、国家の義務として、世界の潮流としても目指し、実現を図っていかないとならないわけ。
こんにちは、世界的に、そういう時代。その意味で、グローバル。
だが、それを妨げたい連中は、いつの時代でも、どこの地域でも、存在する。
それが、
いずれは、自分自身の首を絞めることになる事態を考えも せず、目先の矮小な、歪んだ利害に拘っている。
だいたい、権力を集中させている存在の周囲は、やっぱり、その存在に見合った連中が出入りして固めるものだ。
日本では、さしづめ、『日本会議』あたりとかね。
この連中が、「民主主義」を廃止したいのは当然。
いや、
「愚衆の民主主義」なら、むしろ好都合なんだろうが、
知性の高い民衆による民主主義は、つごうが悪いのよね。
民衆の知力がアップしてもらうとマズイ。
なので、「小粒ちゃん製造国」日本の公教育は、昔も今も「型に嵌める」システム。
様々なルーツを持つ移民のパワーによって発展してきたアメリカのような起爆力が ない。
「優等生気質」で、ある程度は要領良く行くんだけど、それが、いよいよ頭打ちになってきて、
あげくのはて、オツムが優秀とは、とうてい言い難いパペットを、またぞろ担ぎ出した。
この国では特に、遠くもない歴史上で、最も民主主義とは相容れない、
一人の人間を主権者にしていた体制の惨憺たるツケ
を味わってるからね。
まあ、一人の人間を懐柔するほうが、ずっとラクだもの。
夥しい人数を相手に言いくるめるよりは。
お釈迦さまでも「縁なき衆生は度し難し」と。
【続く】
2015.10.05 (Mon)
の続き。
その個人の責任に当たらない属性等に関して、不利を負わせることは、人権に悖ること、なので、民主主義にあっては、許されないこと、
障碍持ちで低学歴の私めですら、それくらいのことは分かっとるよ。
それを、いやしくも行政側がねえ。。。
公僕の分際で、いや、現代の高貴な種族である公務員さま。
お勉強頑張って頑張って、学歴が高いからこそ、公務員になれたのよね?w
つまり、それだけ、環境や その他が恵まれてた証左です。おつむのデキも含めて、それも環境なのです。
これじゃ、いまから、初歩的なレベルの お勉強し直さないといけないでしょうよ。
あらまあ。。。
税金使ってか?(爆)
でね、
これこそ、モロに、自民党と『日本会議』が主張する「ウツクシイ日本」の考えかただもんねw
だから、自民党の予定している改憲草案、
これが、もしも通ってしまうようなことがあれば、
日本は、名実ともに、民主主義国家ではなくなるのよ。
また、
いまの世のなかで最も懸念されている介護の問題も関わってくるし、
そういうのも含めて、基本的に全て「家庭内責任」「自己責任」となったなら、連動して、労働の問題にも悪影響は波及してくるのが、目に見えてる。
さて、
親の犠牲になることを、役所や国家機関が強いることを許すのなら、
それは、
「暴力装置」たる権力を持つ国家の犠牲になることを強いることにも易々と結びついていく。そこに、
むろんのこと、個人の視点やら人権の余地などは、剥奪されてフシギはなくなる。
それだから、
私は、「15年20年かけて」云々なんて言ってる場合じゃない、あと1年だって剣呑だよ、と言い続けてるわけ。
なんせ、
カネに魂売ってしまったひとはね、カネのためなら、
「ジンケン?知らないなあ、どーでもいいなあ」
と言うことも辞さないのよ。
実際、
人権なんて間違っとる、なくせ、とか言ってる輩を、
とうとう、「民主主義はイカン」とか言い始める ずっと前から、
少なくとも、ネットでは、しょっちゅう見かけるようになってた。
いったい、誰かの手先なのかね?この連中は。
カネ、カネ、カネが一番大切、
カネ、それが、人間の価値。
いまや日本国民は、カネの亡者なみのアキンド顔負けかと見受けるほどに、
先祖返りでもしたみたいな自民党の えげつない憲法草案をも、平気で受け入れちゃうかもしれないほど、ますます殺伐としてる。
そこに つけ込んで、と言うか、そういう気分を盛り上げるために、「日本全国津々浦々」とばかり、触手を伸ばして活動してきたのが、
自民党なかんづく安倍政権と癒着している『日本会議』ってこと。
いまさら、全体主義の戦前・戦中に回帰するために、
阿鼻叫喚の敗戦後、70年も経ってから、主権在民、民主主義を返上、ついでの勢いで、先進国の看板も下ろす気かあ?
まあ、そんな事態になったら、国際信用もガタ落ち、それこそ、世界じゅうが内心で軽蔑するパシリ国家だ
たのむから、新聞報道、テレビ、ネット、しっかりしてね。
2015.10.05 (Mon)
の続き。
最近、このエントリータイトルのようなことを言い放つコメントを、何度か見かける。
つい最近も、
「安倍は、民主主義が嫌い」
とか指摘していた投稿者に噛みついていた者が いたが、
いやぁ、安倍朕の言動を見ていたら、それは明らかなことだろと思うぜw
それに、
ヒトラー礼賛者にしたって、自民党、特に安倍朕シンパに多いのは、私も知ってるし。
おおかた、これも、『日本会議』の構成員あたりじゃないのかな。
つい2、3日前、こういう記事があったね。
なにやら、「生活保護世帯」の長男が、自分で働き始めて、その収入の殆どを、世帯収入とされて、その分、保護支給額を減額されていたところ、実家を出て、独立の生計となったことを、市の福祉課が非難した、っつう。
あきれたわ。
そりゃねえ、
昔の、日本が、まだ「先進国」でなく、一般国民は貧乏な世帯が圧倒的で、社会保障も殆ど整ってない後進国でしかなかった時代は、子どもが、親の因果を一身に引き受けざるを得ないのはアタリマエであるのは仕方なかっただろう。そんな話は、昔の人の話としては珍しくない。
だけどさ、いまどき、現代でも、「親の因果が子に祟り」かい。
私自身も、
酒乱で、暴力の酷かった親父の老後の面倒みることを最優先にせよ、
末娘のアンタさえ仕事やめたら済むこと、
お父さんに尽くしなさい、それが、人の道というもの、等々と、
近所の一部の、大正から昭和初期あたりに生まれた世代のオバはんらに(なぜか、薄ら笑いを浮かべつつ)、相次いで責められたときは、
このひとら、私が虐待されてたこと知らないわけでもないはずなのに、、、と、思わず、はらわた煮えくり返ったよ。
こういう無神経なことを、他者や弱者に向かって、しゃあしゃあと言ってのけたり、腹ふくるる自分も、かつて我慢してたりで、ほとんどの日本人は、昔から陰湿な性向を培ってきたんだろうと思える。
日本国民は、自分の あずかり知らぬところで、すでに出来あがってしまってるから、このことを、ほとんど意識しないけど、
「天皇」の存在だって、ひどく奇妙だ。
人間であるはずの天皇と、天皇家の人々に、普通の個人的人権を認めたら、どうなるんだろう。
たとえば、
選挙の投票権を、彼らが持っていないということは、けっして ないらしいのだけれど(つまり、持ってる)、現実に、その権利を行使したら、憲法との兼ね合いは、どうなるのやら、ちょっと想像しただけで、私は頭痛くなりそうだから、それ以上は考えないでいるけどw
こういうことって、まさに、大騒ぎになった「集団的自衛権」を、日本だって持ってるのだから云々の議論と共通性がある。
2015.07.14 (Tue)
の続き。
アベノイカリについてなんだけど。
上記のリンク記事に付いた「ヤフコメ」の一つに、「怒り」というものについての指摘が混じっていたので、それについて思うこと少し。
喜怒哀楽の一角を成す以上、怒りは自然な情動の発露なのであり、むりに抑え込むほうが、ときとして、問題が大きくなるとさえ、私は思っている。
「もの言わぬは腹ふくるるわざ」。
自己コントロールが過ぎるほどの人というのは往々、別様の問題を生じていたり、不自然な痛々しさを漂わせていることすらある。
ひどいときは、なんとも陰湿で底意地の悪い性格を形成していたりして、こっちが辟易することもある。
正当な、または、真っ当な怒りもあるし、怒るべきときというものもあるだろう。
ただ、
私利私欲が心底の動機とか目的である場合の怒りは、少なくとも、公人たる者の示すべき怒りでない。
私利私欲、個人の都合の算盤勘定、こんなものは、公人たる責務にある者が持つものではない。それが不満なら辞めるべし。
まあ、安倍朕の場合、どうも、このひとの感情面が落ち込むことなきようになのか、周囲が、やけに、腫れ物に触るような調子でもって采配するようにしているのかなあ?と思えることはある。
安倍朕の気分アゲアゲを持続させるために、ひたすら持ち上げてるのか?という印象もある。
どうしてだろうか。
ものすごく、メンタル脆弱なのか?首相ともあろうひとだけれど。
そのくせ、あたかも幼児的万能感みたいな、
いかにも自信たっぷりなようすを ひけらかすみたいな感じもする。
ところで、
浅井基文氏のコラムで述べておられたところによると、
近ごろ、頻りと懸念されるらしい日中の諍いに関し、アメリカの態度には、見分け方法があるそうだ。
何ほどのこともなく、いたってシンプルなのだが、
言われてみれば、なるほど、と思った。
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2014/615.html
直ちに分かることは、日中いずれの側の主張に対しても判断を示していないということです。しかし、このこと自体が実は特別な意味をもっています。つまり、アメリカのこれまでの対応パターンは、①中国の主張に非があるとする材料があるときは中国を非難する、しかし、②中国の主張に歩がある場合には中立の立場を装う、とハッキリと色分けできるのです。特に6月12日の記者会見では「それ(中国の防空識別区)に関するかどうかについて私は知らない」とわざわざ言及していることは正に「語るに落ちた」ということです。アメリカ側の以上の対応から、「中国脅威論」を喧伝するために、小野寺防衛相及び防衛省が「中国軍機異常接近」を作り上げたことはほぼ間違いないでしょう。
(文字強調部分は、当ブログ主による)
はてさて、そうすると、日本側の勇み足も、だいぶ ありそうなのだが、
アメリカは、裏にまわって、間接的に関与とか、ぜったい してないだろうか?
よくよく聞けば、「安保」だろうが、アメさんが、日本を「守る義務」なんざ、ありもしないらしいがね。
だったら、
日本は、パーソナル ディスオーダーの「見捨てられ不安」よろしく騒いでいるわけ?
それと、
こないだのエントリーでも言ったけど、
「抑止力」、ね。そんなもん、一発撃ち込まれたら御破算よ。
安心だからとかいうよりは、賭けみたいなもんだ。
余分のシガラミは常に請け負ってにゃならんのに。
それから、
ウヨが飽きもせず繰り返す、「武装解除させられたから、竹島とられた」。
なんで、武装解除させられたのかという根本は考えないのかよ?
理由もなく、武装解除させられたのか?
あと、
中国国内における迫害・弾圧等の問題も、国家対国家間の戦争とは別分野の話。
中国に言わせれば、国内問題なわけ。
もちろん、私個人としても、人道・人権の問題について無関心ではなく、民主主義国家の一員である わが国からも、可能なかぎり、注意喚起やアドバイス、声明、最大限のコミットメントは継続実行してほしいと思う。
前々から呆れてた現象のことを、最後に一句。
バカサヨよブサヨと罵るウヨたちが
「ネットウヨク」の略称に激怒
ウヨは一事が万事そんなこったから、
とことん自分棚上げ方式の感情むき出しタイプにしか見えないのよw
「人権」を目のカタキみたくに忌み嫌ってるらしいのに、
それこそ北朝鮮や中国のような国にシンパシーを感じているはずなのに、
ほんと、わけのワカラン。。。
かと言って、「極」の付くサヨに対しても同じくらい、肩持つ気には なれない。
過去には、こっち方面の連中からも、ワケわからんイチャモンつけられたことがあったしな。
極端なイデオロギーとか宗教とか、なんにせよ、私個人にとっては、どれも鬱陶しい人工物。
2015.07.14 (Tue)
まず、以下の一点において。
これこそ、アメリカにとっても、願ったりというものだろう。
だが、
そこから先、
庶民層国民を、目的のための駒として、しつけなおし、使いまわす対象としか考えていない為政者と『日本会議』側、
言うところの「エスタブリッシュメント」のゾンビ集団が、ときにチラ見せしつつ、ときに大胆に開き直りつ抱き続けてきた本音の願いは、アメリカを頷かせることが できるだろうか。
庶民たちを駒にして使役させることで、巨人アメリカの機嫌を窺ってみても、結局は見果てぬ、叶わぬ夢に終わるとしか思えないのだが。
『日本最大の右派団体「日本会議」と安倍政権のただならぬ関係 みんな、そこでつながっている』
現代ビジネス 7月12日(日)11時1分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150712-00044029-gendaibiz-pol
「私は日本会議にはたくさん知人がいる。彼らに共通する思いは、第二次大戦での敗戦を受け入れがたい、だからその前の日本に戻したいということ。日本が明治憲法下で軍事5大国だったときのように、米国とともに世界に進軍したいという思いの人が集まっている。~
(一部文字強調は、当ブログ主による)
安倍朕の最近の発言、「スカルノを」云々と、けっしてアメぽちでは ないのだと、言い訳のつもりなのか、それとも、いつもの歪んだ思い込みの癖に過ぎないのか、はたまた、傍の者たちが辟易するしかないナルシスティックな自惚れ、いずれなのかは知らないが。。。
『日本会議』のメンバーないし自民党ゲシュタポあいや「ネトサポ」そのものでは なく、文字どおり、ただ、ネット上をウロウロして、見様見真似で仕入れたウヨ的罵倒を吐き散らすのが唯一最大のシュミなだけの連中もが入り混じり、
どんだけの人数が入れ代わり立ち代わりで、ネット ユーザーたちを一人でも多くケムに巻く投稿を繰り返そうとも、
他に、こうした如何わしい もくろみを抱く活動組織や団体が幾つも、水面下に潜み蠢いているにせよ、
この『日本会議』の火種のことは、多くの、私のようにトンと知らなかった人々の前に差し出されてしまったのだ。
あとは、
微かなパチパチ音と共に少しずつ燃え広がり、やがてのことに、盛んな火の粉を伴い一気に立ちのぼった どす黒い炎を、誰の目も、その視野に映すことから逸らさせきれなくなっていくだろう。
安倍法案あいや「安保法案」について、国民の大多数が不審に思っているのは、押しも押されもせぬ事実である。
どんだけ『日本会議』や安倍朕のシンパたちが喚こうが恐れようが、この事実は、もう覆せない。
ゴリ押し採決それなら それで、安倍政権の この先は、もう ない。
国民は、
ましてや、いままで黙りがちだった多くの若者たちが、今回、自分たちの眼で目撃し、異議を申し立てた。
このことを、彼らは、記憶に留め続けるだろう。
自らを「最高責任者」なのだから、と言い放って恥じなかった、
孫の代になっても、いまだ、国民間では名誉回復から遠いままの祖父に憑りついてもらったかのような安倍という為政者の振る舞い、
それは、どのようであったかを。
【続く】