2019.11.10 (Sun)
『【続】炎上が あらわにしたこと――『首里城』と『あいトリ』』の続き。
津田さんというかたは、インターネット世界について、早くから非常に詳しいそうだが、その危険性に気づくのが、けっこう遅れたようだね。
世間並みよりも10年くらい遅れてる私なんかは、最初の頃こそ、既存では望めなかったような画期的な世界なんだろうなあと、良いほうに受けとめていたが、ほどなくして、これはヤバい、自分の国だけじゃなく、世界じゅうが危険になるかも、と大いに危惧するに至り、
その悪い予感を、可能なかぎりで伝えようと足掻いてみたけれど、
なにしろ、あの当時は、いまよりも もっと、わけが分からず、稚拙でもあった。
希少な理解者と思えた者にすら、
「華麗にスルーが できないのなら、あなたこそ、パソコンを閉じたら いいのでは」
と言われて、
「なんで、私が?」
と、愕然としたもんだ。
最後に付け加えておきます。
どこかの記事で、やっぱり、大学教授という肩書らしき識者が、「既存の価値観などへの意義を問う」それが、現代美術あるいは現代芸術、
というふうな説明を しておられたので、
だったら、
それは「美術」「芸術」と仰々しく名乗らなくても、そこ かしこで「名もなき」一般人が、日常的に行なってますがな、と思った。さしづめ、私みたいにw
当ブログでは、世間の常識、既存の価値観だのに対する疑問表明、とりわけ、政権に対する疑義と批判は しょっちゅう やってるもんねww
でも、
これを、「芸術」だと称したこともないし、自分を「アーティスト」だと思ったことも一切ない。
なので、
どシロウトが自己満足に閉じこもったような、独り善がりなダサさと思われるようでは、つまらんし、わざわざ「美術」だ「芸術」だと称するからには、その表現と技術は、「アーティスト」と名乗るに値するほどに洗練された、力強いもので あってほしい(いわゆる「ヘタウマ」も技術のうちだろうが、くっっっそ真面目にやってて、しかもダッサいのはカンベンだわw)、と思ったしだい。あくまで、私が垣間見た範囲の作品についてですが。
むかし、うちの母親の生前に聞いた話なんだけど、
戦後も、ようやく一段落したかというような時代の ある時期、そこで生活していたアパートの住人の家庭の一つに、幼い男の子の兄弟が いて、上の息子さんが、「山下 清」という あだ名で呼ばれていたそうな。
と言うのも、まさに山下画伯を彷彿させるような、独特の絵の才能が明らかで、「これは、将来、たいした絵描きになるだろうよ」と、近隣の人たちに知られていたというんだけど、
また、多分、軽く知的障碍か、いまで言う「発達障碍」かを抱えていたらしい。
その家庭は、おとうさんが失業中か何かで、たいへん貧しく、くだんの男の子は、タバコが欠かせない好物である父親のために、いつ見かけても、近所じゅうで、タバコの1本を ねだっていたり、道に落ちている吸殻を拾い集めるのに いっしょうけんめいだったと、うちの母親は言ってた。
とても貧しい家庭の子だから、普通の進学すら厳しいだろうし、幼くして、あれだけの才能が明らかでも、はたして、画家さんに なれたかどうか、難しかったんじゃないかなと。
ピカソが大嫌いなwうちの親父もね、若い頃から、自分で描くのが好きだったらしいが、
親父が あかんぼうのうちに、母方の伯母の養子として入った家も貧しくて、絵の具だの買えるような家計じゃないから、普通の鉛筆1本だけで、あり合わせの紙に、写真みたいなリアルな絵を、独学で描いてた。
何枚か、私も見たことあるけど、
時代がら、最もスピード出世が望めることを期して、志願して軍人の道に入り、『天皇』に仕える将校となり、戦後は、全く興味もない、予想もしなかった堅い職業に、かなり無理して苦労して就いたのだが、
いよいよ老齢になってから、引退し、60歳代で亡くなっていた女房(私の母親)が、生前、リハビリで始めた塗り絵に使っていた色鉛筆の一揃いを遺して逝ったので、それをムダにすまいとでも考えたのか、色鉛筆画の勉強を始めていた。
でも、その頃には、すでに『パーキンソン病』や眼病なんかを患っていて、若い頃のような、シャープな写実的描写力は、もう発揮できなかったみたい。
最近、どこかで見かけた記事で、
若い子が、色鉛筆で描いた、すごくリアルな犬の絵が絶賛されてるとかいうのが あったようだが、なんとなく、覗く気になれなかった。
私自身、鑑賞するのも描くのも大好きなんで、いつもは、この方面の話題に関心あるんだけど、
生前の親父が、もし、こういう記事を見たら、さぞかし、内心で悔しく感じただろうなあと思って。
自分が もともと やりたかったこと、進みたかった道を歩める人は、幸せね。
ピカソで一番好きなのは、これ(爆)
きょうになって、この記事が目にとまった。
良いこと言ってるじゃないですかwうん、なかなか哲学的(笑)
『【世相コラム】アートと「力」』11/9(土) 19:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191109-00010002-jij-cul
~
現代アートのグラフィティ(落書き)は、所有者や管理者に断りもなく描かれる犯罪行為であり、暴力的行為とも言える。しかし、それさえ時に歓迎されるのが、アートの力というものだろう。
バンクシーがヨルダン川西岸地区の分離壁に描いた一連のシリーズは、落書きという小さな暴力が戦争という大きな暴力を告発するという、アートの力をまざまざと見せつけるものだった。
そうすると東京都も、期せずしてアートの共犯者であり企画者、主宰者になったと言えよう。この際、本当にバンクシー作品だったのかどうかは問題ではない。真偽不明で犯罪の疑いさえある作品を展示したこと自体、一つの表現形態だ。
~
「国に対する暴力」
という批判が あるとして、それについては、先のエントリーで すでに述べた。
ところで、『バンクシー』は、センス良いしね。わりと一般ウケするみたいだ。
この記事で思い出した。
私が中学生時代の ある朝、全校集会のときに、制服のポケットに入れてあるものをチェックされることが あった。
基本的には「生徒手帳」を入れてあるのだが、ほとんどの生徒は、手帳のなかに、機関車『デゴイチ』とか何かの写真だとか、なかには、芸能界アイドルのブロマイドを挟んであったりするんだけど、
順番が まわって、私のところへ来た担任教師(この担任は、先日のエントリーで述べた、普段は母親的雰囲気なんだけど、叱るときは、恐いくらい迫力が あった、でも大らかで優しい先生)は、すでに没収してきた何枚もの写真やブロマイドの類を手にしていた。
私も、生徒手帳の表紙の透明カバーから見えるよう挟んであった、小さなカードを、しぶしぶ、差し出した。
すると、担任は、それを一目見るなり、
「いやあ、これ、カワイイやん
そのまま持っとき~よ」
と、ソッコーで返してくれたのだ。
そらブーブー言うわ、すでに没収された生徒らはw
「ずるい~!ずるい~!!」
と。
「あんたらのは、しょーもないやつばっかりやから!」
とか何とか言い返していた担任は、通常は、別の教科を担当しているのに、たまたま、美術担当教師が急に休んだとき、私のクラス担任の、この先生が堂々と現れたので、皆ビックリしたことが あった。
実は、美術教諭資格も持っているということを、このおりに聞いていたのだが、なるほど、それで、この先生の自画像イラストは、いつも、ベレー帽を かぶってるのか、と思った。
私の生徒手帳に挟んであったのは、
小学生の頃、クラスメートの おかあさんが勤めていた会社の顧客用サービス品である、小さなカード型カレンダーだった。
カレンダーの反対側には、ルノワールの『イレーヌの肖像』が印刷されていたので、一目惚れした私が、そのクラスメートに ねだって、1枚だけ譲ってもらったものだった。
数十年後の今も、大事に保管してあります。
Irene Cahen d'Anvers(also known as Little Irene)(1880)
2019.11.06 (Wed)
『最近の話題の記事から』の続き。
うちの親父なんかは、ピカソが大キライでw
「なんだ?あのヘンな絵は」と苦虫を噛み潰したような顔で言うので、私なりに、「絵画上での、一種の思想実験みたいなもんで」と説明しても、
「何か知らんが、俺は嫌いだ!」
で終わりww
親父が好きな絵は、たとえば浅井 忠とか東山魁夷とかあたり。
母親のほうも、「部屋に飾る気にならんような絵は厭」だって。要するに、暗いとか陰気な絵がね。
まあ、かく言う私も、結局のところ、好き嫌いで決まるんだけど(苦笑)
ムンクとかを、部屋に飾りたいとは、私も やっぱり思わんしw
基本的、圧倒的な技量に裏打ちされているピカソなら、個々の作品によって、だいぶ好みが違ってくるのだが、
美術の教科書で、『泣く女』を初めて見たとき、思わずフき出したw
ドラ・マールの肖像なんかは、あれだけデフォルメされているのに、そうとうの美人さんなんだなということが分かる。
さて、あの『表現の不自由展――その後』の騒ぎの最中に、私も、紹介されている動画などで、見ることが可能な範囲だけ見てみたんだけど、
ここでは、日本人の作者の手になる作品についてのみ、あくまでも私個人の勝手な感想を述べさせてもらうなら、
一言で言って、、、
ダサいな。。。
という(苦笑)
なんつーか、いかにも、従来の日本人らしい、陰気臭くも、垢抜けないダサさである。![]()
![]()
一種の「陰気臭さ」が漂うのは、日本映画の多くにも感じる特徴だと、むかしから思ってた。
「美」のある陰気臭さは嫌いじゃないがw
ダサい、しかも陰気臭い、というのは、私の好みじゃないのでw
すびばせんね、ずけずけ言っちゃって。
要するに、
「洗練」とか「美しい」とは思えなかった。
はっきり言っちゃうと、かなり稚拙で独り善がりな表現かなあと。![]()
重ね重ね、すびばせんねw
まあ、実物を目の前にするのと、パソコンの画面で見るのとでは、どこか異なるかもしれない。
で、脅迫に およんだウヨのオッサンのダサさについても、以前のエントリーで せせら嗤ったねw
「『うちらネットワーク民』wwダッせえわあ!!www」
と(爆)
ダサい者どうし、脅し脅されwww
…許してたもれ(苦笑)
もう一度 言いますが、
各作者さんがたの持つ背景思想だとか、そんなもん、どーでもいいのです。
過去に、私が辟易させられた「カルト連」も、やってることは下品なイヤガラセでしかないのに、それを、「芸術なんだよ!」とか「哲学的実験なのだ!!」と言い張ってて、心底ウンザリしたけど、
案の定で、「ナチス大好き」の、ネトウヨにしてオカルト愛好者だった。
その頃、私の やるかたない怒りと不快を やわらげてくれたコトバが、
「芸術とは、心を豊かにするもの」
という一言だった。
これを言ったのは、
名門『キューバ国立バレエ団』を率いて、先ごろ、ついに故人となった、往年の大プリマ、アリシア・アロンソだった。
私を力づけてくれたアリシア。彼女の踊りを見ていると、少し元気が出る(笑)
2019.11.06 (Wed)
『埼玉・杉戸町で図書館宿泊 秋の夜長に「読書をしながら図書館で寝落ち」』11/3(日) 9:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191103-00000002-minkei-l11
ステキだけど。
ただ、もしも、地震が起きたときのことは、考慮してるのかな?と、少々、気にかかる。。。
あの『阪神・淡路 大震災』のとき、大阪のなかでも、一部では大きな被害を こうむったが、
その頃、私の同僚が、就寝中に、揺れと共に落ちてきた大量の本に埋もれて亡くなったので。
次に、
『美術展に出展の書「滅び行く町相生」 市教委「不適切」と撤去要請 兵庫・相生市』11/5(火) 12:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191105-00000020-ytv-l28
この記事を読み、真っ先に、なぜか、
「つけ火して煙り喜ぶ」
ナントヤラつう書道作品(?)を思い出してしまった。。。![]()
さて置き、
私も、「滅び行く町 相生」という見出しを見て、『相生市』のことは、地名くらいしか知らなかったけれど、たしかに、
「えっ?なんで そんなこと言うの??」とは思ったよ。
記事中にある、問題になったという書道家の主張を読んで、
ああ、そういうことを言いたいわけね、と分かったけど、
やっぱり、その作品自体を見せてもらいたかったな。
もう数年前になるか、故 金子兜太氏が揮毫された
「アベ政治を許さない」
という、その主張以上に、
眼を瞠らされたのは、内面から迸り出たような筆跡の力強さ。
書かれた文字が、声を出している。
「ヤフゴミん」は相変わらずで、そもそも「表現」とは何であるか、芸術と思想との関わりは、といったことについて、根本的カン違いしたまま、それこそ、自分たち側が、「偏った」見解を開陳し、浅薄さ、教養のなさを曝け出してることに気づいてないようだが、
ウヨだかネトウヨだかの連中の解釈は、まさに、「当たってない」し、よっぽど、偏った「思想」からの感情むき出しでしかない。
例の『表現の不自由展――その後』だっけ、
あそこに出品した作者さんたち個々に持っている考えだとか思想だとかは、私は、とりたてて批判する気は ない。
要するにだな、
根底にある何らかの思想だのを主張したくて、それを出品しているのか、などは、二の次三の次なの。
それが思いっきり偏っていようが、どうでも いい。
要は、どのように表現しているか、なのだと思う。
そこに、ある種の、幾ばくかの「美」が感じられるか否か。
少々付け加えると、
いわゆる軍隊的な序列と行進・規律の厳しさであるとか、自国や主君に対する徹底した忠誠の態度であるとか、そういった、昔ながらの「美意識的」な面は、もしも、それを要求されたら、仮にも現代人である一般市民として、断固拒絶したくなるし、あくまで私個人として、まっぴらゴメンなんだけどw
それでも、独特に洗練された制服や所作の様式美みたいなものは感じないでもない。
たとえば『ナチス』時代のリーフェンシュタールの『オリンピア』は、背景思想が、いかに怪しからぬ、許し難いといっても、やはり、その表現には、端正な美を感じさせられる。
また、
どう見ても、こりゃ「児童ポルノ」だろ?と言わざるを得ない、非道徳的作品、あるいは また、怖ろしく禍々しい人物や光景を描写したにも かかわらず、
どこか抗い難い品格と魅力を感じさせる力を持つ作品も ある。
ただ、私にとって、そういう、「抗い難い魅力」や一種の「美」を感じるところが ない作品は、いっこうに響かない。
どこかの講義に参加した、とある絵画モデルさんの訴えのように、耐え難いほど、ひたすら醜悪、羞恥を もよおすしかないようなものも あるのだろう。
内容のことは詳しく知らないが、あの講師ってのは、そうとうに癖のあることで有名な男性なんでしょ?
まず一般的な感覚の女性なら、あんなに極端なとこまで いかないだろうね。
しかし、女性のアーティストでも、非常に いかがわしい内容のものを実施したという奇怪な事件も あった。
「芸術」って、しょせん、時代によって変化したりする「正しさ」やら「道徳」やら、そういうものを軽々と超えているからこそ、「良識」とか「こうあるべき!思想」とかに縛られないわけなんだろうけど、
もちろん、どのような感じかたを するかは、その人によるわけで、
感じかたを強制して、皆一律に統制なんて、ナンセンスでしかないもんね。
【続く】
2019.10.02 (Wed)
2週間以上も前の記事になっちゃったけど。
『天王寺動物園の「ヒデヨシ」死ぬ けんかで腹刺される』
9/12(木) 20:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190912-00000072-asahi-soci
『エランド』という種名が あるのは知ってたが、
コメントに あった「牛は序列が厳しい」というのは知らなかった。
言われてみれば、牛って、意外と怒りっぽいみたいだもんね。
煽りまくってワザと怒らせる「闘牛」ってのも あるけど。
もちろん、動物の世界の「上下」意識って、たしかに、人間が日常的に飼っているペットなんかにも見受けられるし、
動画で観察していて、気づいた、猿の社会の序列なんかも、以前から言ってきたように、凄まじいものが ある。
「動物は人間と同じ感情を持ってるのが分かる」
というコメントも、そのとおりです。
それも これも、肉体あるがゆえですわね。
「喜怒哀楽」の みなもと。
「これが自分」
という確信を齎す、物質こそが かたちづくっている生命体を保全し続けたいのは、否応ない「本能」的な欲求なので、これを脅かされると感じたら俄然、立腹し、あれこれの攻撃に出るわけで。
圧倒的に分が悪いと感じたら、フリーズしちゃう場合も あるが。
はっきり言って、「自由」だの「自由意志」だのは、ないというのが実態だろう。
認めたくない向きも多いかもしれないが、最も多いのは、そもそも、そこまで思考が及んでない人々。
皆、それぞれの「肉袋」のなかから、小さな穴を通して、周囲を見ていて、苦痛や攻撃から防御せずにいられない この守りたい肉袋こそが「自分」だと信じている。
そういう状態から抜け出たいがために、「肉袋を超越」しようと、特に宗教なんかで、いろんな「修行」に励んだりもしてきた。
肉体ゆえの煩悩が激しい男性は特に。
究極は「即身成仏」なんてね。
で、
「エランドの器の小ささが招いた」
「かっとなって刺してしまいました」
ってコメントも、ついフいてしまいそうになったけど(苦笑)
結局、これ まさに人間(特にオス)界の争いごとの殆どでもあるもんね。
たださぁ、
クラゲ(ふわふわ漂ってる感じのアレ)には、脳というものが ないと聞いたときはビックリしたなあ。
人間なんかは特に自己防御に際して、今こそ脳をフル回転させねば!とリキみそうなもんだけど。心臓もバクバクしたりね。
思えば、クラゲの「傘」の動きかたって、心臓の拍動みたいな感じが するとは思ってたが、それは、やはり、そういうことらしい。
水流に乗ることが できずに、そのまま、水底に沈んでしまったとなると、自力で泳ぎ抜こうと力んだところで、もはや「傘」の開閉が困難であるから、じきに疲れて死んでしまうらしい。
それ、わかる気が するわ~。おや、あなたも?(苦笑)
詳しくは知らないけど、クラゲの場合、神経網の反射だけで、生体としての活動を まかなっているそうな。
まあ、われわれだって、勝手に反射する機能もあるし、心臓なんか、まさに自動的に動いてるもんね。
これには、「電気」が関わってるよね。
私は むかしから、「電気」の摩訶不思議さのことも考えていたけど、
剥き出しの心臓そのものみたいなクラゲは、原始的でありながら、脳も ないから煩悩も ない、らしい。
もしかしたら、これこそは最高度に進化した生体なのかな?とも思わせる、意外なほどの不思議に満ちている。
毎度のごとく、話が飛んだけど、
ところで、
この動画、オモシロいよ(笑)
「おい!!こっち見ろよ!!シカトしてんじゃねーよ!!」
さんざん、自分よりも大きいラバ(であるらしい)相手にケンカ売っておいて、
たまたま、ラバが尻尾を振りたて、
それが、自分の顔面に ちょっと当たったとたん、思わずビビリまくるヤギw
気が強いんだか弱いんだか、どっちやねんww
われわれが、なんとなくイメージしているヤギや羊とは違う実際が あるのだねぇ。
うちの母親が子どもの頃、近所で飼われていたか、学校で飼われていたのか、詳細は忘れたけど、羊の世話を した経験が少し あるように言ってたが、まず、
「羊ってなあ、ちーっとも可愛くないんやで!」
と言い切っていた。
なんでも、外見からは想像できないほど、プライドが大変に高い動物だそうで、
餌やりの時間が、ほんの少しでも遅くなると、猛烈に拗ねて、そっぽ向いたまま、金輪際、餌のほうを見ようともしなくなるんだそうな。
あんな頑固な動物は、他に知らんわ、と言っていた。
私も大阪の子では あるから、『天王寺動物園』には一度くらい行ってるはずなんだけど、まだ学校に上がってない幼い頃だったみたいで、よくは覚えてないのだが、
晩年の母親が長期入院していた大きな病院の近くでも あり、いっぺん、また行こうかなと思いつつも、そう思えば、いつでも行ける所って、意外と、なかなか行かないのよね。
まあ、そのうちに、って思ってるうちに、月日は流れて。
たまにしか行かない土地だからこそ、あっちも こっちも、と欲張って見ておこうとするもんで。
あかんぼの頃から小学生時分までは毎年、親戚の居る東京に行ってたので、もちろん、あちこち遊びに行ったし、十数年ほど前までの神奈川県にも馴染みは あったので、どっちかと言えば、むしろ、大阪のなかのほうが、いまだに疎い場所が多いかもしれないくらいだ。
たしかに、このニュース記事の添付写真を見ると、くだんのシマウマが立っている草地が、大阪の特に騒がしい街の ど真ん中に立地しているとは信じられない光景だけど、
そう言えば、こんな動画も あったよ。
これも、「お気に入り」に加えてあったのを思い出し、再度の紹介です。
『いつも笑顔のシロフクロウ』
2019.08.31 (Sat)
『「家族が殺されても、ウソをついてはダメ」狂気の“正義”を哲学する』8/31(土) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190831-00213068-diamond-bus_all
日本では、「嘘も方便」って言うけどね(笑)
哲学において、「普遍」という観点は、とくに重要よね。
カントはねえ、そのうち読んでみるかとは思いつつ、いろいろ聞いてると、あのルソーと同じく、なんだか、読もうという気が、どんどん失せていって(苦笑)
~『「殺人鬼が、家族の居場所を尋ねてきたら?」哲学者カントの意外な答え』~
っていう、
このシリーズものらしき記事は、私は今回の記事コッキリしか読んでないんで、あくまでも、この記事だけについて述べるんだけど、ま、できるだけシンプルに。
とにかく嘘つかないのは「一定の正当性」と言うよりも、ごく狭い範囲での「正当性」だな。
まず、相手は「殺人鬼」であるということが明白で、かつ、自分のついた「嘘」が、その殺人鬼が殺人を行うことを助けるであろうのが明白なのであれば、当然、相手にも自分にも「正義」というものを認めることは できないわ。
そして、
いつの時代、どんな宗教とか、どれを「正義」と位置付ける立場に立っていようとも、基本的には、殺人というものは、けっして好もしくなかったであろうし、だからこそ、なんだかんだと大義名分を拵えておくんだし。戦争なんか、典型だわな。
ましてや、
何らの「正義」も認め得られない殺人となれば なおさら、阻止することが最優先でしょう。
嘘つくのが良いか悪いかよりも重大。
少なくとも こんにち、概ね普遍的な、望ましい考えと でき得るだろうのは、
なんぴとであれ、殺人を犯す、犯させることを防ぐこと。
~
「殺人鬼が賢くて裏を取るような質問をしてきたらどうするつもりだったのかな? もちろん、単純に沈黙するという回答もあるだろう。だが、これは思考実験だ。沈黙が許されず、はぐらかしが通じない相手という特殊な状況だった場合、キミはどんな回答をするのだろうか?」
~
とことん沈黙すれば いいがな、と思ったけど、
それは許されないという前提だそうなので、だったら、「知らない」と言い通せば いいじゃん。
「はぐらかし」って、どこぞのシュショーも、しょっちゅう とる手段だけどw
「通じない」「特殊な状況」も何も、その「殺人鬼」が賢かろうと、こちらの「知らない」一点張りの裏を、どうやって取るの?
結局、「知らない」と言い抜けば、それまででしょ。日本の国民が、よく知っとるわな(嗤)
まあ、「知らない」と言い張れば、それを理由に、自分自身が殺されてしまう、という状況設定なら、どうするのかなという疑問のほうが大きいわ、私には。
次は、
~
「トロッコ問題のようなケースについてはどうだろう? ようは、トロッコをそのままにして5人を見殺しにするか、それとも路線を切り替えて無関係のひとりを犠牲にするかという問題だ。キミならどう答えるかな?」
~
「トリアージ」とかいうよりも、単なる「数」の問題になりそうよね。。。
「数の問題なのか?」という疑問は、昨今、「死刑」についての問題にても、よく提起されることだけど、
現代では、「トロッコの5人」を助けるためならと、1人を犠牲にしていいという考えかたは、基本的には しないだろう。
そもそも、「トロッコ」に乗った経緯とか背景事情も問われそうだし。場合によっては、それこそ「自己責任!」って糾弾されそうw
まあ、そのトロッコの事故を未然に防ぐために、あるいは、乗っていた人たちの救護を尽くすほうを考えるだろうね。
【この くだりは、当該記事からは読み取れなかったので、「トロッコ」に乗っている、という状況を想定してのものです。あとで知ったには、どうやら、線路上で作業とか、縛りつけられているとか、バリエーションが あるらしい】
わりと昔の映画で『フェイル セーフ』というのを思い出したわ。
~
「自分にとって大切な人間を優先して助けようとする行為は私情だからです。私情は普遍的なものではなく、個人的なものです。そこに万人が目指すべき正義はありません。ですから、もし、一方しか助けられない状況に追い詰められたとしたら、私たちは率先して家族を見捨てて、他人を助けに行くべきであり、万人は、そういう義務を必ず背負うべきだと思うのです!」
~
いやいや、それこそが「私情」にとらわれてるじゃんw
なんか、『キリスト教』なのか?『儒教』でも そうなのかな?
個人的には興味が薄いから、よく知らんけど。
それにさ、
昔の、と言うか、わりと最近まで、日本でも、そういう考えかたが大いに まかり通ってたわね。
「自己犠牲」の精神ちゅうやつ。
ところが、その底にあったのは、やっぱり「私情」だったわけだけど。
と言うのは、
「国体が~」つってても、本音は、自分の大切な人たちを守るために、と悲壮な決意で突っ込んでいったと。
そうかと思えば、
不時着したアメリカ兵士を、うちの親を空襲で殺したー!!というんで、自分から率先して、数人まとめて直接、殺してしまった若者も いたってね。
家族や恋人や友人という存在が、自分にとって、どれだけ大切かというのは、実際は各人によって変わってくるかもしれないが(それこそ、家族を憎悪しているケースもあるでしょ)、
でも、やはり、基本的には、誰しもが、そういう存在は大切なものであろうという想像力や理解や思いやりも、古今東西、「普遍」的だろう。
しかし、
自分の家族の側に、何らかの罪悪が あって、そのために、誰かの恨みを買ってしまっていたというのでもなく、
ただ、「殺人鬼と分かっていても、ただ、嘘つかない(つきたくない)がために、居場所を教える」ような家族なんて、、、
「裏切者ぉー!!![]()
![]()
」
と、それこそ悲憤慷慨して恨みたくなるわよなあw
こんなゴチゴチの、融通が利かない、カントみたいな家族は厭だ!ww