2015.05.14 (Thu)
『たそがれる護憲=社民弱体化で失速【戦後70年】』
時事通信 5月13日(水)11時33分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150513-00000048-jij-soci
上記の記事に付いた「ヤフコメ」にも、毎度のごとくでカン違いしてる投稿者がいるけど、、、
憲法ってのは、単なる法律とか規則・ルールの次元のものではないよね。
なので、そのときの目先の状況・情況しだいに、つごう良くコロコロ変えるものじゃないね。
だって、「理念」なのですからね。
理念を骨格・背骨として、現実に対処し、用いるための規則、ルールの肉付けをしていくわけで。
たとえば、戦争は しない、少なくとも、やむを得ぬ専守防衛のため以外には断じてやらないのだという誓いを崩してはならぬと決心し続けていく以上、その誓いを背骨として、あらゆる法律、ルールを とり決めていく。
だが、いまや、「ナチスに学べ」現政府の やりくちによって、
あえなく、その「背骨」に、穴を あけられつつある。
現憲法の優秀さというもの、これ すなわち、ギチギチでなく、柔軟に伸び縮みもするがゆえ、こんにちまでを持ち堪えたし、
反面で、
詭弁・歪な解釈による「実質改憲」という卑怯な手口を使って、つけ入る隙にもなるという脆弱性と言うべきか、
まさに、いま、安倍政権が体現してみせている危険性のことが、いよいよ明らかになってきた。
日本の場合も、あくまで平和的・友好的外交による間接的な防衛を基本に据えつつ、万が一にも攻撃されたときには自分自身で、できるだけの防御が可能なように、撥ねかえせるように整えておく、それで なお不足の恐れが残る部分は、アメリカとの契約によって埋める、概ね、こういうことで やって来たはずなのだが、どうも近ごろ、雲行きが甚だ怪しい。
喩えてみれば、
自分で身を守る術を持ち得ていない乳幼児の場合、まるっきりの無防備だからこそ、知恵と力量ある保護者や周囲の者たちが、あらゆる危険から守るべく配慮するわけで。
もちろん、よりによって乳幼児を襲うような言語道断の輩は、誰しも許せないだろうから、咎めも諌めも罰しもするはずだが。
さて、私は、よくは知らない社民党の方針はドグマ的に、自衛のための戦力ですらも、現憲法の基本的テクストに反する、という潔癖なスタンスらしい(?)のだが、それじゃあ、「おたくの家では、鍵を掛けずに就寝するのか?」とか「もし犯罪行為に遭っても、防御もせず、やられっぱなしで居りなさいと言うのか?」という、ありがちな疑問の声が多々起きてくるのも無理はないように思える。
阪神大震災時の記憶は、私自身も関西人の端くれとして、多かれ少なかれ身近に影響を経験し、いまだ忘れ難い思いはある。
あのとき、首相たる村山氏の指揮の出遅れぶり等を指して、普段は穏やかで優しい同僚男性でさえも、いつになく厳しく批判し、冷笑していたことも憶えている。
もっとも、村山氏に対し、なぜか、情報を速やかに伝えることを阻む周囲の不可解な動きがあったとかいう後日談も、チラッと聞こえてきた記憶もあるのだが。真相のことは分からないが。
自衛隊の存在を肯じ難いからといって、では、社会党また社民党は、
ああいった大災害のとき、どの組織に、どう動いてもらえばいいと考えていたのだろうか。
これらに、どう答えてきたのか、
私は見たことも調べたこともないままだったが、
自衛隊に代わる組織のビジョンを、政党として当然、従来から持っていたか、しかるべき提案は行ってきたのかどうか、
これらについても、私は寡聞にして知らない。
だが、まあ、
海外では、ほぼ、国家の軍隊扱いとなっているらしい「自衛隊」ではなく、彼ら社民党としては、もう少し穏健な感じの組織体をと考えているのだそうな。
要するに、社民党の論理的アピールの声が小さいのだろうか。説得力の弱さだろうか。
これは「歌って踊って楽しく」どころでない。
もっと大きな声を出して、と言っても、ヒステリックな金切り声ではなく、
力強い説得力のある論理性を打ち出して、真剣にやるべきことがあるのではないですかと思わざるを得ない。
そりゃあ、安倍さんらは、それこそ、情緒に訴えんとて、頻りに煽るような調子ではあるが、
また、そういうのが、めっぽう好物で、迎合する連中、いかがわしい組織もあるようだが、
安倍さんらの言う内容に、まともな根拠は おろか、論理らしい論理さえも希薄で、胡散臭さに満ちていることは、すでに多くの人々が指摘してきており、
いまは、ただただ経済の方面のみに、まだ、もう少し、と儚い未練を引きずっているかのような国民が少なからず居るとしても、ぼちぼち分かってきていると思う。
それと、
私が目にした識者、専門筋からの解説によると、戦争ではなく、あらゆる大規模災害等の場合も、極限状況においては、やはり、軍隊組織の合理性というものは、他では得難いものがあるというのだが。
【続く】
2015.05.11 (Mon)
このかたも時々読ませていただいて、参考にしているコラムの書き手の お一人。
『何が不足しているので、貧困な子どもに普通の大人が「おせっかい」できないのか?』
みわよしこ 2015年5月9日
http://bylines.news.yahoo.co.jp/miwayoshiko/20150509-00045555/
~
「生活保護は全然恥ずかしいことじゃないと思いますよ」と話すだけでも、力になるかもしれません。~
いやぁ、でもさ、、、
この筆者みわさんのところに毎度のごとくドドドっと押し寄せてくるヘイト コメントの凄まじさ見てたらねえw
まさに当事者たちにとっては、「力になる」どころの騒ぎじゃないでしょうね(苦笑)
ヘタすると、
かえって、それらのコメント読んじゃった当事者たちのうちの誰かしらを、自殺へと誘導し、追い込みかねないかもよぉ;恐ろしや~![]()
それに、
「朝日新聞」あたりの(朝日新聞に限らないだろうけど)社説を書けるような御仁ともなれば、かなりのエリート意識の持ち主なんじゃない?w
そら、無理ムリww
しょせん、本当には、巷の現実の底のあたりなんて、経験も体験も したことないだろうし、何ごとも通りすがりの通行人程度でしかなく、ほとんど見えてないと思う。まあ、一般的にも そうだろう。
それから。
「格差はあってもいいんです」というよりも、恐らく、なくせませんでしょうね。このことも、私は何年も前から何度も言ってる。
例の「カルト連」のオッサンの一人
(「ブラげろんぬ」の分身腰巾着の一人で、なんつったかな?
たしか、「非どっち」とかタケナカ某とか言ったっけ?)
が付きまとって来たときにも、何かの話の流れのなかで言って聞かせてやったこともあるんだが、哀しいかな、あまり理解できないでいるようすだった(嗤)
で、まあ、
摂理的にも、「格差」ゼロは不可能でしょう。
ただ、
それが行き過ぎると、
と言うことは、すなわち、不自然な域に入ってしまってること、
つまり、人為的であることに他ならないわけだが、
つくりあげられた格差の上辺にいる者たち自身までにも、「自分の首が締まるときが来るよ」と言ってきた。
ここで筆者みわさんも おっしゃってるように、「多様性」「健全性」が問われる問題だろう。
そういえば、
私の親の古い友人で、うちの実家の事情も、私のことも よく知っていて、とても可愛がってくれていた人が、もう すっかり、年を取っているのだけれど、
夫に2度、死に別れ、育てた養女とも疎遠、
やっぱり、九州の片田舎出身で、高い学歴もないからなのか、
若い頃から苦労して働いて働いてだったのに、高齢となったいま、もはや返せない借金を抱えているうえ、あまりに乏しい年金で、むかし、癌を患ったこともあって、医療費が酷く苦しいと言って嘆いてる。
そんな生活でも、ご近所の人が、週に何度も食事に呼んでくれるから、それだけでも、すごく助かってるよと言ってたのに、その人は数ヵ月前に引っ越していかれたそうで、私も、それ聞いて、心細く、残念に思った。
ただでさえ落ちた食欲を、ますます なくしているようで、
この前に訪ねて行ったとき、持参した手土産の食べ物を入れておこうと、冷蔵庫を開けたら、ほとんどカラッポだった。
もっと会いに行ってあげたいのだが、けっこう遠距離、こちらも、お世辞にも余裕があるわけでないゆえ、次に行けるまで、もう少し待っててね、と言いつつ、できるだけ電話してあげることくらいしか できないのが哀しい。
この次に行ったら、もしものときの段取りは どうするつもりなのか、連絡先とか、確認しておかないとと考えている。
~生活保護基準は、過去「健康で文化的な最低限度の生活」を実現していた時期が一度もありません。~
だから、
「健康で文化的な最低限度の生活」とやらいうのを、
「餓死しない程度の生活」に書き替えて変更するしかないんじゃないの?w
そのうちには、病人、障碍者、高齢者適用「安楽死」制度も設けられるのだろうww
なんせ、これが「普通の日本国民」全体からの、政治に対する、社会的要望なのだそうだからww
「普通の日本国民」とは、自民党ネトサポ、ネトウヨ、「日本会議」あたりのメンバーも含まれてるのかな?www
あーあナサケナイ「先進国」があったもんだ(嗤)
ところが どっこい、まだまだ上(下?)が。
そう、日本の宗主国にして筆頭「先進国」にして、
しかも低福祉wなのらしいケッタイな「大国」wアメリカの場合ですが、
もともと「プロテスタンティズムの倫理」だとか資本主義の源流はキリスト教というのだから、根底に、そういう精神の存続があるわけであれば、「共助」「互助」のほうを重く見るのは、むしろ当然なことかとも思える。
さて、うちの実家の兄はですねえ、一応、国立だが駅弁大学の教育学部卒で、教職に就いたのだけども。
理由は、当時の家計が苦しかったから。
私の母親は、父とのあいだに、結局、私しか産まれなかったから、父の先妻の産んだ息子である兄は、わが家唯一の男の子、すなわち、跡取り息子だということで、
兄とは、年齢が大きく離れていて、まだ幼かった末娘の私の目から見ていても、かなり熱心に教育ママを やっていたなあと思う。
授業参観や保護者懇談会のときは、幼児だった私の手を引いて、遠い自宅から、いつも一番乗りしてくるというので、のちに私も通った学校の先生たちのあいだで有名だったそうな。
(ちなみに、
そうしたおり、兄のクラスの教室にトコトコ入って行った私を取り囲み、
「きゃー可愛いー、この子、○○クンとこの妹だってぇ?」
と、女子どもが大騒ぎしてたもんだと、兄が思い出話を したこともあった(笑))
なにしろ、
たまたま二人で外出した あるとき、帰宅途中の道で、何の話からだったか、兄がボソッと、
「おばちゃん(私の母親のこと)に、完全にレールを敷かれたって感じ」
と言ったことがあった。
そう、
ガッコのセンセイ、教職は、弁護士の次に、母自身が なりたかった職業の夢だったのだ。
【続く】
2015.05.09 (Sat)
私は近ごろ読んだ記事で、沖縄の人たちの、米軍基地に関する葛藤というものが、ただ憤りのみではないことを知る機会があった。
それは要するに、
米軍基地があったからこそ、たとえば、米兵を父とする男性との出会いがあったので、とか、基地に仕事を得て、生活の糧を得ているので、とかいったことの吐露であった。
まあ、たしかに、米軍基地にて仕事を得ているとか、その他、とにかく、米軍基地がある おかげで、何らかのメリットを得ている人たちのことは、それは それとして、現実的な代替策を考えることだろう。
だから、そのことは、ここでは置いといて、
地元沖縄出身のシンガーである女性が言ってたということも知ったのだが、
たしか、「コッコ」さんとかいう女性シンガーだったかな。
「米軍基地があったからこそ、いまのパートナーと めぐり会ったのだ」とか言ってた。
そういう葛藤の辛さ云々を述べておられたわけだが、
私は、ぴしゃり言ってしまおう。
それを言っちゃあ、おしまいでしょうよと。
おそらく、米兵か、それに近い立場のアメリカ人が、彼女のパートナーである男性の父親なのだろうと思しいが、そんなことは、たまたまに過ぎないでしょう?と。
まあ、何事にも、そこに必然性的なものを持たせて考えてしまう性分の人とか、けっこう多いみたいだし、私自身も、けっして理解できないこともないのだが。
しかし、そういう情緒的な意味での一種の論理を持ち出してくるのなら、すでに起きてしまっていたことは全て何事も、宿命や運命だとして、従容と受け入れるしかないではないか。
もちろん、徹底した受容精神や姿勢とか人生態度というものも、一つの境地としてあり得るとは思う。
これは、私個人の出自の話からだが、
私は、両親の、いわゆる「ダブル不倫」によって、この世に生まれ落ちた。
つまり、親たちの身勝手、若気の至りと言うか
(私の出生届を出すこともサボってたらしい助平親父のほうは、母よりも大幅に年上で、すでに30代半ばにもなっていたのだが)、
軽率な「不倫」行為が なければ、わたしゃあ、この世に存在してなかったわけだ。
だからと言って、当の私自身が、「不倫」行為の お蔭で生まれてこれたからと、大いに「不倫」を世に奨励したいか?というと、それと これとは別(苦笑)。
しかもだね、
その「不倫」を はたらいた当事者バカップルである、うちの親たち自身、世の「不倫」カップルたちに対して、身につまされ、共感等していたか?というと、これが、まるで逆だったの(爆)
じかに見たもんなら、ケシカランとて、目ぇサンカクにして怒ってたもん(爆)爆)
ま、かくのごとく、
人間なんて、トコトンご都合主義で自己ちゅーで自分棚上げなものですわw
そう、さしづめ「平和憲法を、敗戦した日本に押し付けた」くせに??その押し付けてきた(?)側のアメリカが、いまに始まったことでもなく、
いつも自分とこの戦争の都合しだいで、日本に対して、
「おい、その平和憲法は、もういいから、そろそろ、こっちを手伝えよ」
と要求してきたようなもんww
うちの実家の話に戻すと、
実際、そもそもの家系と、親たちのそれぞれ複雑な経緯を背負っていたうえ、家族間の心情も、一筋縄では済まないほど拗れていた家族関係のなかに否応なく巻き込まれた私自身、簡単には言い尽くせない苦労を、内外で経験してきたわけでもあるから、
逆立ちしたって、
「不倫、良いよぉ♪みんなも励みましょうよぉ」
なんて、口が裂けても言いたくはないさ(苦笑)
ただ、ま、人間関係は、リクツで割り切れない情動も絡むのが常だし、
ヒトが拵えておいた「法」とか「倫理」体系、「道徳」だけで成り立てるわけには いかない。
もし、そうできるなら、とうに世のなか、もっとスッキリさっぱりしてて、
およそ「ゲイジュツ」「ブンガク」なんぞ、ネタにも事欠くだろw
はたから見ても、何ら問題なさそうな、ややこしい関係なんか微塵もないはずの家庭でも、悲惨な事例はナンボでも起きるし。
キッカケには多かれ少なかれ、なりやすいかもしれないが、「不倫」だとか家族関係が複雑だとかいうことだけが、家庭問題の全てでも、直結するわけでもない、それが世の現実ですね。
どんな状況・情況も、そこに必然性を感じてしまうのは、人間ならではの知性と心ゆえだろう。
もしも、米軍基地がなかった世界なら、
くだんの女性のパートナーが生まれることはない世界、
したがって、全然別の人と出会っていたであろう世界。
それは それで、全然別の人は、また「掛け替えのない」存在となったのではないだろうか?
なにごとも、これ必然、これしかない宿命、運命なのだと、
あれソレが なかったら、それコレもなかったからと、
そのようなパターンで考えずにいられないのならば、
米軍基地だろうと何だろうと、この世の すべてをキッパリ必然とし、従容と受け入れりゃいい。
そういう境地になれなければ、そりゃあ、「矛盾に引き裂かれる」思いだろう。
そうして、
その引き裂かれる思いも一切合切、すべて引き受けきって、もがくように生きるしかないでしょう。
ほんの一歩違ってたら、それだけで、まったく別の状況・情況が、出会いが あったはず。。。
だから、
それも、それこそが、「一期一会」でないかと。
まあ、かく言いながらも、わたしゃ、ややこしいのはマッピラゴメンナサイなほうの人ですがね(爆)
もう、オナカイッパイなもんでw
2015.05.07 (Thu)
『【続・続】「水面下」でアンフェアな「汚い手」を用いる相手』
の続き。
当の古賀さん御自身は、幾多の、こういう批判内容があることは、すでに承知しておられるだろうとは思われるが、さて、実際どのように反論なさるか、あるいは、なさってきたのか、お聞きしたいと思うところだ。
水島 宏明さんが指摘する、これを私なりに喩えて言えば、
あたかも、自民党の目的、そのための「仕事」をスムーズに進めやすいように、箒でセッセと掃いてから退場したかの如き民主党のように、
朝日放送のみならずメディア全体へ、現政権からの圧迫が、いよいよアカラサマに及ぼせるタテマエ、口実を、ほかならぬ古賀さんが、古賀さんの「テロ」的言動が与えてしまった、それに尽きるのだろうか?
私は、朝日放送だけの問題ではなく、メディア各社が、その矜持を保って毅然としておれないこと自体に問題の根本があると思っている。
だいたい、「政権側の招待で、うまい飯の ご相伴にあずかって悦んでいる」体たらくだとは、どういう精神なのかと、はなはだ疑わしい。
以前のエントリーで、
私は、古賀さんが、ご自分のブログ等、発信場所を持っておられるなら、そこで、洗い浚い、ぶちまけるという方法を とったほうが無難だったのかも、と述べておいたが、それは、あくまでも、ネットに親しんでいる人向けならばということであり、
この時代になっても相変わらず、まだまだ多くの国民にとっては、テレビ番組のほうが最も大きな威力があるのであれば、はたして、どうなのだろうか。
そして、
水面下で起きている、そういった諸々のことを、何ごともなく滞りなく滑らかに番組が進行していたら、
もちろん私にも、ほとんどの国民にも、いま、すぐそこに、何が起きつつあるのかを察知することは非常に難しい。
くだんの水島さんは、具体的に、どのように闘えば、現政権と、その支持者と巨大組織の暴走を止められると考えておられるのだろうか。
2015.05.07 (Thu)
『「水面下」でアンフェアな「汚い手」を用いる者を相手にするとき』
の続き。
さて、水島 宏明氏は、私が、ささやかながらも応援していく気持ちでいる古賀 茂明氏について、やはり、朝日放送「ニュース ステーション」での あの言動は「テロ」だったという表現を下されていることを知ったわけだが。
私個人は、何度も言ってきたように、新聞もテレビ番組も、ほとんど目にすることがなくなって、はや数年ほどにもなる。大きな理由としては、
しょっちゅう見かける「ネットの真実」なるケッタイな主張を叫んでやまない「ネトウヨ」さんたちのように、「マスゴミ」云々という考えでは全くなくて、
それこそ、第一に仕事上からも、新聞だけは欠かさず、各方面の記事をジックリ読まざるを得なかったほどの生活だったのだが、さすがに、個人で何紙も購入する経済的余裕も時間の余裕もないので、自宅で読めるのは、大手の一紙のみ。時には、読みきれなかった勤務先の購読紙を、終業後に もらって帰ったり、別の新聞を購読している実家に行ったとき、もらって帰ったおりくらいにしか、他紙を読み比べる機会は滅多になかった。
もともと、テレビ番組では、深刻で重大なテーマを含む対象であっても、あまり掘り下げていこうと努めると、まずは時間的制約を始めとした大枠からハミ出してしまっては、収拾が つけられなくなる見苦しい事態を避けるため、基本的には、あらかじめの編集方針にもとづき、サラッと流していかざるを得ない媒体だろうと思うし、
なので、一つテーマをシリーズとして設定し、時間枠を確保したうえで、思い切って追究していく姿勢が窺える番組以外は、いかに大真面目なニュース番組を日々熱心に視聴していたところで、あまり大して参考にもならず、
やがて、個人的生活上の経緯もあり、頑張って舐めるように新聞紙上に目を通す必要性は なくなり、ふと気づけば、
なくても困らずに済む状態になっていった その代わりみたいに、インターネットを利用することによって、むしろ、以前よりも格段に幅広く、国際、国内の地方とを問わず、各紙・誌の情報を拾い出せるようになったことは確かで、
今後も、このような状態を継続していくであろう動機として一番大きくなっているのが現状である。
このあたり、従来の紙媒体中心各社が、生き残り策に頭を悩ましているだろうことが容易に察せられるところだ。
ただし、
そこにおいては、自分自身の備えているアンテナやバイアス傾向、取捨選択の判断力が如実に左右することになる。
その自覚と客観性がないと、やはり、しまいに国家的危機にさえも繋がるのだという恐怖を、昨今、つよく感じる事態となってしまった。
いまの私は、正直に言うと、
最近の原発大事故と、その事後を めぐって、いよいよ暴露された政治家その他のエリートたちの人格・識見以前に、
そもそも、それらを生み出す土台になる国民大衆、日本人一般の知性と教養、見識について、あまり信用していない。
民主党政権のとき、官房長官だった仙谷氏が、「暴力装置」という単語、専門分野において普通に用いられる、シンプルな形容に過ぎない それを言ったとたん、またも大バッシングが起きた。
昔、
『天皇機関説』とやらで、「天皇陛下を機関車や機関銃」に喩えたとかをケシカランとして、当時の右翼連中が中心になってカン違いの大騒ぎに発展、国会で執拗に追及したという話、
結局、あれから、いくらも変わっとらんのじゃないか、ここの国民のオツムは、と思えるのだ、私には。
こんにち、国民全体が高等教育を受けて当たり前になり、あらゆる知識の取り入れが、ますます容易な世のなかになったはずだというのに。
私自身も何度も述べてきたように、
各情報・報道機関というものが、もとを ただせば、一個の営利企業体であることに違いなく、
したがって、各社のカラーや主張ぶりに差異を備えていることは当然なのであり、
ましてや、テレビ番組というものは個々に時間枠の厳然とした業界、そこへ、とにかく「偏ってはダメだ、バランスを」と要求するのであれば、
むしろ、各社そのカラーや主張ぶりの差異が様々に並列存立していることによって、俯瞰した全体としてのバランスは果たせるのだということ、
これが理解できていないのが、
「マスゴミ」と呼ばわりつつ、「ネットの真実」教を広めようと必死になっている一群れの者らに対して、呆れてやまない理由だ。
しかも、現政府は、こうした連中の存在をも利用というか、水面下で結託しているのではなかろうかと感じるほどだ。
なぜ、そう感じるかと言うと、
まさに、「誰が得をするのか?」と考えたとき、真っ先に思い当たるのが、政治権力側だからだ。
多くの「ネット民」なる者たちは、さも賢し気に言うではないか。
「ネットは自己責任の世界」、「玉石混交」、「リテラシーを持たねば」と。
つまり、パターナリズムは通用しない時代となったのだから、
もはや、これ以降、各自が自主的選択眼を持って取捨選択せねばならないはずの世に、
テレビ局や新聞社という、いまでは、情報発信世界の部分的一画を占めるに過ぎなくなった、あくまで営利企業体を つかまえて、何を心配し糾弾しているのだろうか。
その反面で、
彼らは、ネットを駆使し、他者の洗脳に励む側に、自分たちこそが取って代わろうとしているではないか。