2017.01.11 (Wed)
『オバマ大統領が「最後の演説」で語ったこと』
東洋経済オンライン 1/11(水) 14:10配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170111-00153211-toyo-bus_all
呆れたコメント。
自分自身が、何を言ってるのかすら分かってないのやろなあ。
こんなもん、一言で済むわいな。
「弱肉強食」というのは、最も不自由な状態です。
「強食」側も等しくです。
言わば基本的真理というものだ。
本人ら、さも賢いことを投稿しているつもりなんだろうが。。。
ものごと表面だけでなく、より深く考えてみようとする姿勢が本当にあるなら、そんなに難しいことじゃない。
よくも こんな安直なコメントを投稿できるなあと、毎回呆れてしまうのと、オマケに、
こんなコメントに、「そう思う」や「イイネ」のポチが より多く つくという現象にも、絶望的な気分になってしまうわ。
だから、自他ともに「ゴミ捨て場」と呼ぶに ふさわしくなっちまうのさ。
ずけずけ言うようで悪いけどもな、
こういうのが、世のなかマジョリティなのか、
と、私は、いろんなことについて、若い頃からゲーッソリしてるほうでは あったけど、
ご多分に漏れずで、こんな手合いが、ネットにおいても最大多数派なのであれば、こんなとこで「意見の交換」なんか、ハナから しとうないわ。
いまどきは、どこのネット サイトにも設置されてしまっている「イイネ」やら「参考になった」やらいう賛同・不賛同ボタンの類、
世のなか、いかに、思考力が浅い連中が多数派なのか、ということへの深い虚脱感を招くのみならず、
おそらく、まずは在特会、
次いで『自民党ネットサポ』ならびに『日本会議』系、
加えて『産経』シンブン関係者等々w、
ああ、あとね、
「韓国」を罵倒するとき、殊更「南朝鮮」と(そんな国名ありまへんのにw)呼びたがる「北朝鮮」人?(爆)
自民党や安倍政権の肩を持ちたいばかりにか、心底では、日本社会の分断・破壊を目論んでか、
何かっつうたびに、ナントカの一つ覚えで、生活保護・障碍者・高齢者、特定民族、その他の社会的マイノリティや弱者叩き。
少なからず個人的な鬱屈、ネタミ・ヒガミから、世間を引っ掻き回したれという下劣な魂胆も混じってるんだろうけど、
しかし、対象選びが根本的にヘンだろっつうの。
おのれ人並みに動けるくせして、日がな一日、そんなところに貼り付いて投稿しまくる、まともに働いてないのが まるわかりの分際で ありながら。
「リベラル」とか「左」とか、私は無縁で詳しくないから、よく分からんけど、
そっち系の人たち、また識者たるの声が、ネットにおいて殊の外なのかどうか、やけに低い、低すぎるということは、
つまり、ネットウヨ・バカうよ含めたウヨ系の多数意見に、本音では賛同してるっつうことかね?
だったら、やっぱり、しょせんは ご同類なのか、ってことになるけど。
まあ、こんな「ゴミ捨て場」に出入りするのも厭だからと思ってるのなら、それは理解できるけどもw
あれやこれやの「バカウヨ」系政治団体が組織だって押しまくっているのか、不正手段でもって押しまくっているとも察せられる以外には、
こんなものをマトモに信用できると思っている一般の連中も また多いのだろうから、
くだらないだけじゃなく有害ゆえ、賛同・不賛同ボタンの類は廃止すべきと、ずっと言ってきたんだけどさ。
だいたい、こんなボタンの数で判断しなきゃいけない者って。。。
バカバカしいにも ほどが ある。
個々の言論表明の自由以前の問題だよ。
舐めとるとしか思えんわ。
私が、『ヤフー』でも『フェイスブック』でも、このテのIT業者に対して、どうしても侮蔑感を もよおしてしまう要因だ。
『フェイスブック』なんか、プロの犯罪集団にも便利に利用されてるっつう話だもんな。
特に、個人的情報や話題を垂れ流して自己満足に耽ってるとか、無警戒な一般ユーザーさん、狙われてるってよ。
あーあ、「ヤフゴミ捨て場」のゴミ拾いなんかに、またぞろ、時間を割いてしまった。。。う``ーーー
うううーあーやだやだ。嫌悪嫌悪。
今後、もう二度と、このゴミ捨て場に時間を使うまい。
さ、好きな音楽でも聴いて、気分転換しておかなきゃいかん。
【続く】
2017.01.10 (Tue)
あの酸鼻を極めた敗戦後でありながら、なおも皇室を存続させることになり、あまつさえ、当時の天皇が引退することすらなく、ウヤムヤの体に終わったのには、いかにも、曖昧を好む日本国民の気質でもあろうし、現代的知性や教養については、時代柄もあって、これを備えているとは言い難かった当時の国民一般の感情等も さりながら、一つには、まず、アメリカ側の計算を大としていたであろう。
もしも、この、最大限に妥当性が高まったはずの時を逃さず、皇室制度廃止という方向へ舵を切っていたとしても、なんだかんだ言って、大多数の日本人が、こんにちでは納得していたであろうと思える。
しかし、これにも、やはり、危惧は残るのである。
天皇や皇室について、民衆が無関心になるには、
『日本会議』系の御用学者が、また その御用新聞『産経』紙上を利用して盛んに主張するように、
「ひらかれた皇室」など とんでもない話で、
まさしく「とじられた皇室」こそが、国民一般の無関心を醸成するのには最も効果的なのである。
したがって、
彼らをこそ「反日」と呼ばわる向きも また、少なからず見受けられるのも、本質的に、天皇・皇室崇拝者なら当然の罵倒なわけであるw
私が、彼らの どちらにも、サラサラくみする気になれないのも また当然であることが分かるだろう(笑)
さて、
ではというのかどうか、
一般国民のあいだに、天皇や皇室についての無関心が目立ってきたと見ると、まずは一般大手紙等のメディアが、さも深刻な論調を繰り広げるということは、先日のエントリーで述べたことであるが、
同時に、
当の皇室の人々、とりわけ天皇ご自身が、それを憂えるゆえに、いまの天皇さんの「ワーカーホリック」状態を招いている要因なのでは あるまいか?ということ。
時代の変遷に応じて変化していく、それをもって、
つつがなく「皇室の安定した持続」を願う以上は当然の処し方と考えるのも、それは それで理解できないこともない、
また一方では、
まさに現憲法のもとにある天皇制・皇室制度であるということも、つよく自覚しておられるに違いないことだ。
言ってしまえば、
現憲法は、天皇や皇室を、ユルい、しかしながらシッカリと縛っていることには違いない。
その「縛り」は、当の天皇や皇室を守るためでもある。
完全に解き放てば、特権階級の一員だったというだけで、その「ブランド性」を利用し、何らかの姦計を企む者が担ぎ上げるという事例は、古今東西に事欠かない。
その懸念が薄まるまでというのみでも、長い長い時間を要する。
しかし、まったくのところ、
天皇の存在を定めている、その奇々怪々な条文に ふさわしいと言うべきか、つくづく、わけのワカラン国民性である。
たとえば、日本における「南京事件」「従軍慰安婦」問題にしても、あるいは また、国外では、ナチスによる「ホロコースト」事件にしても、あげくには、「人類の月面着陸」までも(?)、近頃では、そういう事実は なかったもの、捏造であるとして、闇から闇に葬り去ってしまいたい、
いや、それが叶わぬからこそ、
いっそ、ひと思いに、事実として なかったことにしてしまいたい、
それがゆえに、見るも無残なヘリクツ捏ねまわして主張の声を張りあげる連中が、いよいよ鼻につくようになった昨今。と言っても、実態としては、さすがに少数派であろうけれども。
上記に挙げた、いまでは歴史上となった数例などは、
あらゆる方法による記録技術の確立され、かつ、当時の生存者が存在してさえいる、ごく ごく近い歴史上のことである。
しかるに、
それらを捏造である、事実ではない、としながら、
天皇や皇室関係の荒唐無稽な「ファンタジー」には、ろくな記録もないというのに、素朴な疑問すら感じずに有難がり自動的に平伏してしまう、
こういう連中の感覚や精神が、私には、どうにも不可解なのである。
どこの国のだったか、北欧圏の国だったが、そこの皇太子が結婚相手に選んだのが、よりにもよってと言おうか、かつて、犯罪者(当時、まだ服役中だったらしい)と結婚しており、子どもも もうけており、
しかも、その女性自身の過去が、とんだ不良娘だったゆえに、国民全体から非難轟々、
しかし、女性側が終始しおらしい態度で、ハラハラと涙まで流して見せたというので、
ついに国王夫妻が許し、結局は、国民たちも認めざるを得なくなった、
そして、
スキャンダラスな過去ある彼女は、連れ子と共に、めでたく、王室入りしましたとさ、
という、前代未聞級の経緯が報じられていたようだが、
それでも、その国民のなかには、メディアのインタビューに答えて、
「われわれ一般の国民と全く同じ自由や欲求を通せるのなら、王室って、なんなのか?」
という、いたって尤もな感慨を吐露していた。
ひるがえって、
ずいぶんと寛容になったように見えなくもないけれど、わが日本国民に、ここまでの許容性が持てるのだろうか。
私は、たとえば、王室を担いでいるからとて、イギリス人や、他の同様な制度を持つ国の人々を、その分、特別に尊敬視する感覚は一切ない。
逆にも、
そういう世襲の特権的地位制度を持たないからという理由で軽んじる気にも勿論、なれない。
(ちなみに、少々言い添えておくと、
私の父方以上に母方の家系のほうは、まさに「世が世なら」と言うべき、そのような特権的地位の先祖を、遠い遠い昔に持つのだが、伝わっている話のなかには、それだけに、民衆を苦しめたり蹂躙したというエピソードも ある。)
いったい、
わが国の人々は、天皇や皇室制度を担いでいることで、自分が日本人を名乗ったとき、国外の人々から、特別な尊敬を受けられるとでも錯覚しているのだろうか?とフシギに感じるばかり。
もっとも、心理的には、解釈でき得る余地もあろうか。
すなわち、
おのれの権欲に関わる、何事かを企んでいる連中の他は、
「国家」や、その権力あるいは権威というものに、自分の存在を投影し重ね合わせることによって、
自動的に自分自身の存在意義もアップされ得るという、おメデタイ錯覚に囚われている連中である。
そんなの関係ねぇということに、とっとと気づきなさいっての(嗤)
誰かの何かの威を借りたがるアナタ、
あなたはアナタ自身以外の何者でもない。
2017.01.10 (Tue)
まだ大統領に就任してない今のうちだからこそ、ここを先途と、言いたいほうだい、やりたいほうだいにも見えるんだけど。
なんだか、就任式典当日を迎えるのがオソロシイっすね。。。
日本の企業に対しても、ほとんど恫喝的ダメ出し。さすがに、「給料上げてやれ」と、大企業だけ相手の口先安倍ちんとは比べものにならん。
ほんとに、自由資本主義の代表国たるアメリカの次期大統領なの?
さて、
『トランプ氏、娘婿クシュナー氏を上級顧問に起用』
AFP=時事 1/10(火) 6:34配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170110-00000002-jij_afp-int
アキンドというものが、その社会における影響力の まことに大なることとウラハラに、なぜ、わが国でも、身分上の最下位とまで見做されていたか。
政治とビジネスには、大いに共通点が ある。特に、政治力というものに。だが、
ビジネスと同じ視点で見ているのでは、やっぱりダメなのだ。
商人のアタマのなかの第一優先事項は、自分の儲け。
自分の企業が成り立っていられるか、それだけで、気が狂いそうなほどアタマいっぱい、それが、商人の本来性、基礎的サガだ。
その他のことは、自分側の余裕が生まれたら幾らか考えまっさ、
程度の ご愛嬌。
冒頭の、こういう内容の記事につくコメントを見てても思うことなんだが、
世間の人々というのは、「優秀さ」というものを、いかなるものだと考えてるのかね?
私には、常々、怪訝に思えて しゃあないことの一つだ。
よく あることだけど、
凶悪で残酷な犯罪であるほど、その下手人が、学業優秀・高学歴だったとか、そうでなくても、その犯罪自体が、そうとうのチエを めぐらした痕跡のある事件なんて、古今東西、ごまんとあるよね。
いったい、「優秀さ」とは、何をもって判断すべきなのか。
表面しか見ない、見ようとしないミーハー国民の皆さん、一度くらいは、よーく お考えになってみてくださいな(苦笑)
そんなに難しいことでもないでしょう?
私は、もう、いちいちコトバを費やして長文で説明するのも疲れてきてるし。
ユダヤ人、たしかに、頭脳や、あらゆる方面での優秀さが際立っていると思う。
けれど、また、一括りに断言して、忌むべき民族だとは思えない。
それにしても、
このクシュナーという娘婿さんは、新聞社も経営してるんだそうね。ここも、ちと気になるところ。
まあ、政治の世界では、まだ ずいぶん若い人だし、この人の本質とか、詳しく分からないし、要は未知数だから、いまのとこは なんとも断言まで したくないが。
ちなみに、
どういうものか、世界規模で同じような勢力が台頭してきていることに、非常なる不穏と疑問を感じる昨今なわけだが、
考えてみれば、
「ネオナチ」と呼ばれる若造どもが、本場ドイツで跋扈し始めているというドキュメンタリー番組を見たことが あったのは、もう数十年も前の話だ。そのことを思い起こすにつけ、
悪しき芽を、すみやかに摘み取らないと、こういうことになるのか、と思えてくる。
日本が、どんだけガンバっても、逆立ちしてみても、とうてい追いつけないほどのアメリカの馬力、それは、移民の、ゆえに多様性の齎した資産であることは疑えない。
なので、
みずからの出自が移民である一員のトランプさんには、首を傾げたくなることが、はやくも すでに多いのだが、
断言できるのは、
自分を棚上げにしておいてテンとも恥じない者は、結局、最後の最後はダメなんだということは、私は自分の人生を振り返って確信している。
メリル・ストリープは、さきごろ亡くなったキャリー・フィッシャーの名文句を挙げると同時に、
すばらしいことには、それが、世の揺るぎない真実であることを宣言した。
~
「侮辱は侮辱を招く。暴力は暴力を引き起こす。有力者が自らの地位を悪用して他者をいじめれば、私たち全員にとって負けになります」
ちと話が逸れるけれど、
実家の親父は、私の母親が残していた私名義の、少し まとまった額の金銭を、
私が自活を始めるにあたって、私が持っていた その証書を、いったん、母親に返していたのを いいことに、
母親の死後、黙ったままソックリと自分が懐にマイマイしておいて、
あべこべに、私がドロボウした、裁判する!と、先妻の子どもからヘルパーの女性や近所のオバサンに至るまで言いふらしていた。
私も、親を疑うことなくボヤボヤしていて、そのことに気づかないまま、
90歳過ぎるまで生きた親父の葬儀の席になって初めて、
親父からの遺産ほぼ全部を受け取っていた、先妻の娘に、このうえなくエッラそーに言われるまで知らなくてさ。
それは、私自身に、親父らと似た気質が ないからだ。
終生、嘘つきだった親父の言い分を信じ込んでいるだけの、
なんと、6ヵ月しか年齢差のない、その先妻の娘。
何も知らずに、ひたすら、おめでたい「瞼の父」しか、イメージないわけよ、その腹違いの娘にとっては。
まあ、うちの親父が酷く だらしなかったせいで、先妻と共に別れた娘へ、養育費もロクに渡さなかったらしいという過去を聞いてるから、私も敢えて何も言わないできた。
私は もともとが、自分一個の要求を通すために、トラブルを辞さないという性分ではないのでね。
この点は、父親にも母親にも一切、似なかったのが明らかな面。だからフシギなの。
自分ら夫婦に関わるトラブルが起きるたび、不自由な生活を余儀なくされていた私一人だけの肩に負わせて、私の生活上の犠牲を強いておいて、
親の不注意で障碍かかえ、生きていくのに難儀の連続だった娘に、
死んだ後まで、こういう仕打ちだよ。
親・きょうだいと名の付く者が一応にせよ、いると思えば、思い返すだに、はらわた煮えくり返るのだから、ふだんは、なるべく考えないようにしてる。
実際、学校時分から、何度も自殺を図った私だけど、
最近、碓井先生だったかな、心理学の見地から述べられていた意見を目にしたとき、ハッと思い当たった。
「ああ、そうだった。『自殺』ってのは、実際に、自分の命を絶つ直接的な行為だけを指すのでは なかったのだ」と。
で、これが言いたかったわけなんだけど(苦笑)
うちの親らは、ことさら、口に出すほどでは、さすがに なかったものの、本音では、
狡猾と悪しきエネルギーをもって立ち回れてこそ、優秀だと考えるクチだったよw
ね?実の親子と言えども、価値観や思考内容が、誰でも同じになるとは限らないのよ。
同じ屋根の下で育った きょうだいであっても、感性も考えかたも異なる、そうかと思えば、
幼いうちに、親・きょうだいと離れて暮らしていたにも かかわらず、
それどころか、親らを恨んで猛反発していたはずなのに、結局は同様の思考回路や価値観を持っている者もいる。
むかしから、うちの親らを知っていて、私を幼い頃から可愛がってくれた人も、うちの親父について、ものすごく、頭が良いということだけは評価していたということを、先日、旧年のエントリーでも述べたとおり(苦笑)
ただし、性格が よろしくなかったことも、その人は知ってるw
うちの身内に、学校出て すぐ、一旦は保険屋に就職したものの、厳しい営業ノルマに泣いてるさなか、飛び込み先の不動産屋のオッサンに気に入られたらしくて、親子ほどの年齢差もあり、すでに先立っている先妻の、成人している息子らも存在する家に嫁入った者が いるんだけどさw
日本の世間でも、とりわけ不動産屋とか建設関係は、「ヤーさん」系だとかいうことが定評なほどで、そのガラの悪さにも定評あるけれどw
(ちなみに、ネット上で、私が、ものすごいイヤガラセを受け続けたトラブル相手の一員も、そっち関係のネットウヨだったw)
こういうのって、アメリカでも共通してるの?ww
これも私個人レベルの感想では あるが、
ある程度の規模が ありながら「同族経営」を保つワンマン会社では特に、不当(往々、法にかかわる)にして不愉快な(経営者の甘えがヒドい)めに遭った経験しかない。
2017.01.07 (Sat)
これ、でも、このときで、スティーヴは、もう すでに30くらいの年齢だったみたいよね。『アトミック プレイボーイズ』の頃だから、たぶん。
おメメの澄んで、なんと可愛らしいこと(笑)
トシとともに、だんだん、影を宿したような眼になっていったのだろうか。。。
しゃべってる声まで可愛いぞ、いまと全然、違うやんかぁー!
なんでやね~ん(怒り笑い)
この動画で演奏してるギター、どっちもステキなんだが、
特に、アコースティックのほう、デザインも あか抜けてて、私の好み。
私の好みと言えば、このPVのときに、
スティーヴが着てる水玉のブラウス、最初に見たときから ずっと、ワシが着たいわと思ってて(笑)
なんか女物っぽいし。スティーヴなら、着れるサイズありそうだしな。
おまけに、
このとき、スティーヴが つけてる指輪、エリック・ヴィクター・バードンが、まだ若い頃に嵌めてた指輪のデザインそっくり。それが また、私の好みときたもんで(笑)
いまじゃ、ステージでギター抱えて歩いてる後ろ姿を見たら、
のっしのっし、がに股っぽいオッサンそのものよ。うっううっ(笑い泣き)
まあ、顔だちも全体の姿でも、もともと彼には、いくつかのアンバランスな、というか、それゆえにこそ!えも言われぬフシギで深みある魅力が醸し出されているのだと思う。
彼のギタープレイも そうだ。
じつに繊細にして正確、しかも、メリハリきいてて強力。
これまで、マリリン・モンローやピート・バーンズあたりとの共通性を挙げてきたりしたけど、トシくってからの姿を見るたびに、まざまざと思い出すのが、ミシェル・ポルナレフです。
どこか女性的ながらも、しっかりと男性的でもある、
相反する外見上の特徴、
外見と内面性のギャップ、
音楽性とパフォーマンスにおける、際立った華やかさ、
アーティストとしての意外な幅広さ、
そのミシェルも、若い頃と、近年とのギャップが(苦笑)
母方の従兄が若かった頃、やっぱりギターやってて、音楽や機器にも凝ってて、
あるとき、デートを兼ねて、婚約者を連れ、来日時のポルナレフ コンサートに行ったときの話を、私が子ども時分に、聞かされた覚えが あるんだけど、彼女のほうが言ったには、
そりゃあ もう、演奏開始しょっぱなから、めちゃくちゃカッコよかったそうだ。
スリムだった若い頃には、どんな動きもシャープでセクシーでキマってたわけだが、
要するに、いまでは すっかり肥っちゃってるからねぇ。
彼には、数年前、すごく年下の女性との あいだで、かなりのショッキングな出来事が あったんじゃなかったっけ。
ささっと調べてみたら、この人、音楽業界にデビュー前は、兵役に就いたり、いかにも世俗の職業に従事した経験が あるんだね。保険会社とか。すんごく意外。
やっぱり、兵役は6ヵ月でクビだったそうな(苦笑)
上司と衝突して退職。(私も経験あるよw細かいことクダクダ言い続けるオッサン上司を向こうに回してタンカ切ってww)
かわいそうだわよお、兵役なんて、こんな最も似合わない人に。。。
ロマンチックにピアノやギター弾いてるのが一番しっくり くる人だもの。
「フレンチ ポップス」と言い、ポルナレフ自身の楽曲も、どこか、映画音楽を連想させるような、ドラマチックな雰囲気のものが多いみたいね。
旧ブログでもアップして紹介したことが あったけど、
ほーら、りっぱな お鼻に、プッペのようなパッチリと澄んだ おメメ、
とーっても可愛いボウヤでしょ(笑)
なんとなく、どことなく、スティーヴに似てるでしょ?(笑)笑)
Michel Polnareff “La Poupée Qui Fait Non”
『愛の休日』も『愛の願い』も、ギター弾きながらカバーして歌ってましたわ。習ったことのないフランス語を、あてずっぽでマネしながら。
Michel Polnareff “Holidays”
2017.01.07 (Sat)
旧年末にも、当ブログは言ったけれど、
『【続】プーチンにとっては、ランドセルしょった小学生』
『IT化の発展性に伴う雇用変化と将来社会における施策』
安倍政権返り咲き当初から、
アベノミクスにせよオリンピックにせよ、世間のメディアやネットの喧騒を横目に、私は一人、呆れていた。
(ちなみに、第一次安倍政権の悲惨このうえない ありさまのことは、長年ガマンしていた自分の病気や、親の病気、実家関係のトラブルの後始末が相次いでいて、私自身が疲弊の極みにあり、ヘタすると、わが身の命に迫る危機感でヘトヘトだった当時の前後あたりから、世のなかのことや政治状況を知ろうという余裕なんてカケラもなく、あの頃は、極端な話、今の首相が誰なのかすらアヤフヤというほどの、従来の私には ありえない事態だった。)
まあ、たいがい、何につけてもマイノリティの立場を余儀なくされがちな私には、よくあるシチュエーションなので、いまさら驚くこともないのだが、
周囲の喜怒両面での興奮や、大多数から発される煽りの声やらをヨソに、ただ ただ、一人で唖然呆然とするばかり、というのが、私の宿命的なまでの現実の姿なのだろう。
私の何倍も、頭が良いはずの人たちが、なぜ、こんなシンプルな、自明の道理を分からないのだろう?と甚だ訝しく思う、そんな私が、
他の人々からは、どうしようもない「KY」な(「危険予知」のほうのでは なくて、「空気読めない」のほうねwいや、全く読めないわけでもないのだが、敢えて読まない!ww)管見に囚われた愚者、どうしようもないバカ者に見えているんだろうなあとは自覚してますけどさ(苦笑)
つい数日前は、
「高齢者」区分を規定し直そうとかいう提案が、『日本老年学会』(?)とかいうところから出されたのだそうで、
それを決定的!として、さては、われわれの年金支給開始年齢引き上げ理由に利する魂胆に違いないという疑念と怨嗟の声が、たちまちにして あがったようなのだが、
私は、もう何年前だったか、かれこれ5年以上前にもなろうか、旧のブログ時に、
「いずれ、年金支給開始は80歳からということになりかねんなあ」
と言ったことが ある(苦笑)
このように、私が指摘してから数年も経過して、世間が騒ぎ出すことなんて、何度もあった。
最近は、
そもそも、私がブログを立ち上げる第一の動機であった、インターネット特有の弊害や有害について、縷々指摘してきたことが、ようやっと、識者と呼ばれる人たちも、言い始めるようになった。
遅いわ。。。遅過ぎる!w
さて、
世のなかの、世界規模と言って過言でないくらい、不安と危惧を述べる人々が さすがに多くなった今年ほど、予感や予測めいたものを語るのに、気が乗らない年もない。
正直言って、
たとえ儚くとも、例年のように、根拠らしい根拠もない漠然とした希望とか期待のほうが、せっかくの正月らしく、幾分かでも上回ってくれる気すら、しない。
一言で言ってしまえば、
ゾッとするか、ゾッとしないか。
その どっちか でしかないような気が。。。
しかも、本年だけで済まない気も。。。
これ以上、言いたくないので、やめとこ。