2019.07.06 (Sat)
うちの母親なんかも、「自分は絶対的に正しい!!」という勢い凄まじいタイプだったけど、
それは、他人さんでも、知っている人は知っている特徴だった。
周囲は、子である私の上に将来的問題が起きるであろうことを予想していても、うちの母親のプライドと言うか頑なさに恐れ入って、早々に退散していたことを、母親の死後になって聞いたこともある。
いまにして分かるようになったことは、やっぱり、一種の異常性格なんだろうなということ。
ただし、
これは、両親ともに共通していたことなんで、よくまあ、彼らの間に生まれ育った私が、その資質とは似ても似つかなかったことをフシギに思うばかりなのだが、
まあ、もしも、あの親のどっち側にでも似ていたら、さぞかし、どエライことになってたでしょうよw警察沙汰、新聞沙汰でww
それを思うにつけ、うちの親や身内は、私に感謝すべきよwww
家庭内殺人を起こすことなく、それどころか、私一人にトラブルの始末を押しつけて済ませられたんだから。
彼らは、自分の言動や行動が、まさに理不尽であることを分かっていたとしても、それでも、結局、自分のやりたいことを通してしまうんです。
自分の凄まじい欲求を。
ただ、いたってシンプルでは あるとも言える。
それは、自分の利害や「勝ち負け」に直結している!と感じた場合にだけなので。
それだけは譲れないみたい。
まるで、手負いのケダモノの如しw
したがって、当然に、強烈な「支配欲」は現れ出る。
幾度か触れたように、その根底にある感覚は、「勝ち負け」如何に あるわけだから。
だから、
「親に勝てると思うな!!」
てな、バカげたセリフも吐いてのける。
自分に逆らわず、自分側の利益に合致するなら、これ見よがしなベタ甘も演じる。
まさに「飴と鞭」戦術。
仮に、「負けた」という情況を、シブシブでも認めざるを得ないとなると、やっぱり、私のような子とか、立場の弱い者から順に、自分以外の誰かのせいにするんです。
もちろん、夫婦間でも、事あるごとに、「罪」の なすりつけ合いに余念が ない。
年がら年じゅう、はたで見ていてウンザリしてしまうよ。
もう鬱陶しい鬱陶しい。
虐待側は「しつけ」「しつけ」って主張するが、そんなもの、自分一人だけの言うことに無条件・反射的に従うよう「仕込む」ことを、「しつけ」だと言ってるだけだねえ。
つまり、利用できる「人質」。自分専用の「奴隷」育成。
「対等」関係なんて、全然、望んでいない、それどころか、心底では不安で、恐れてるわけなんだから。「負ける!」と思って。
例の、小学4年生を虐待死させた事件では、幼いながらも冷静かつ必死の抵抗を試みていた女児では なく、
その母親のほうが先に、手もなく「マインド コントロール」されてしまっていた、ってわけか。
最も被害を被っていた女児は、母親よりも、もっと抵抗していたのに。
私は、母親の代わりに、親父から殴られたが、
娘が虐待されなくなると、今度は自分のほうに向かってくるのでは ないかと恐れたという母親、ねえ。。。
女児が、加害者である父親に、
「おとうさんに叩かれたのはウソだった」という手紙を書かされて、それで、『児相』は保護を解除してしまったというんだよね?
何らかの事件で、証言を得る必要が ある場合、幼い子どもから証言を得る場合は、それは不安定なものであるという疑いを、いちおう念頭に置くらしいと聞くけれども、
なぜ、このケースでは、子どもの言うことを右から左に「信用した」のか?
と言うか、
こういうときには、つごう良くホイサッサと利用するオトナたち。
『野田女児虐待死事件の背景に「マインドコントロール」 DV被害者に働く心理とは?〈AERA〉』7/5(金) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190703-00000085-sasahi-soci
「夫が」
「だって子どもが」
という言い訳。。。
この記事に登場した女性も、同じ言い訳してるね。
「長男が『お父さんに会いたい』と泣き、シェルターのスタッフからも『1度戻るのも間違いではない』と言われ」
そう言ってくれるの、内心では待ってたんじゃないですか?w
「シェルターのスタッフ」というのもイイカゲンじゃないかとは思うけど、私ならば、自分の実体験からも、その「スタッフ」とは、考えかたが逆だし、子どもが泣いたなら、情況を よくよく説明して、子どもなりの理解を促すとともに、不安を薄めてやれるよう努めると思うけど、
しかし、ま、
肝心の母親自身が、そもそも、不安と依存心を抱えたままグラグラしてるんだろうから、そうも いきかねるのが実際か。。。
私の同僚だった男性が言ってたんだけど、
彼の両親が離婚して、まだ学校に通う子どもたちと新しい生活を始めた おかあさんが、表面的には気丈に ふるまっていても、内心では、とても不安を抱えていることを、息子の自分は、どうしても感じてしまっていたと。
親の気持ちを、子どもは敏感に察するところが あるからね。
ま、あくまで私個人としてはですが、「子どものせいにしなさんな」と。この女性に対して同情的な気持ちには なれない。
お子さんたちに対しては大いに、身につまされるけど。
この女性は、お子さんたちの将来にわたる影響、特に、娘さんの恋愛や結婚に際し、何らかの問題が出現してくるであろうことも、いまから覚悟しとかないとならないだろうな。
うちの母親もね、
むかし、何かのおりに、どうして、避妊しなかったのか?ということを尋ねたときだったかな、
その答えが、
「だって、おとうさんが」
と。
要するに、「ナマ」でないと、マンゾクしないからってことw
当然、堕胎・中絶は何度か やったらしい。
うちの母親ってのは、直接的暴力は、さすがに、親父ほどでは なかったにせよ、その代わり、ことばの暴力や精神的な抑圧を上手に駆使する人だったけど、
子どもの頃から成人に至るまでの私が、そんな親の言動や行動のなかでも、どうにも怪訝に思っていたことの一つが、
両親のあいだで、またぞろの大ゲンカが始まると、早速、母親のほうは、なぜか、押し入れをバッと開け、上段に積んである荷物のなかでも特に重たそうな物を次々引きずり降ろし始めるんだけど、
幼かった私には、「何やってるのかなあ??」と、さっぱり、ワケが分からなかったw
要するに、
流産を招こうとしていたわけよね、かつ、親父に対するアテツケww
その当時は、母親が妊娠していることを知らなかったんだけども、おとなになってから、ふと思い出して、ああ、そういうことか、と気づいた私は、つくづく思った。
「きょうだいよ、あんたは生まれて来ずに済んで良かったねえ」
と。
むかし、「大河ドラマ」の、『戦国時代』か『江戸時代』だったか、ある偉人の生涯を描いた内容だったと思うのだが、その人物の子どもの頃、父親とか祖父とか伯父とかいった身内の男たちに、武士の卵として鍛え上げる訓練という名目で、実際は虐待に近いような過酷な「スパルタ教育」を施され、苦しむ息子を見て、どうしてやることもできない母親が、離れた場所から一人コッソリ見つめながら、
「いっそ、死んでおしまい」
と呟いた場面を思い出す。
【続く】
2019.07.04 (Thu)
というのは、
最近、どこぞのソフトウェア系の会社が、
「独身または既婚者でも、子どものいない人などに対して『信用ならない』」
云々と、『ツイッター』あたりで投稿し、これまた酷く偏りきった見解を堂々と発表したというので、
年々、知的レベルの劣化が著しくなったかと思えるような日本の巷でも、さすがに、各所から非難の声が巻き起こっているらしいのだが、
そりゃあ、雇用される側の立場で言わせてもらうなら、
「御社は、こっちから おことわりです」
の一言ですわなあw
こんなにも、視野の狭い見解の者が経営してる会社であるのなら、先々の経営が危ぶまれるわいと思ったら案の定で、赤字経営なのだそうなw
ま、余裕がないからこそ、こうした偏見に満ちた、ヒネクレてフテクサレたことを言い出す者は、けっこう見かけるもんです。
その社会の縮図でもある。
一言で済むんだよ、こんな愚かなゴタクに対しては。
まずは、あんたとこから、基本給与を上げなさいよ。
ってことだ。
だって、
現実、いまの日本社会の大問題の一つが、「少子化」で、
結婚したくても、子どもを得て、育てたくても、
できない!という事態が あるんでしょ。
その理由の第一が、基本的給与の少なさゆえの、家計の苦しさなんだから。
実際には、いまの日本社会で、各種の手当や何やらで、
最も優遇されているのは、子育て世帯なんだよ。
そして、こんな時代でも、ふつうに家庭や子どもを持てる人は、それ自体で、まずは経済的には概ね恵まれている層に該当するだろう。
もし、そうでなければ、何らかの家庭問題や子育ての深刻な問題(DVとか子ども虐待とか)が起きているであろうことは、連日のニュースを見ていたら、察しは つくよね。
もちろん、独身世帯は、最も、優遇されていない。ましてや「非正規」は。
そして、
一般的な会社勤めを経験してきた人なら、少なからぬ人が知ってるだろうけど、
妊娠とか子育て中の人の つごうを最も引き受けてるのも、独身者なんだ。
私自身も、子育て中で時短勤務の人のために、サービス残業を繰り返していた頃が ある。
その人は、どうしても、家のことで気が急くのか、もともと短気な人でもあったけれど、致命的な失敗を おかしたことが あり、私のほうで、そのカバーに努めたことも あった。
したがって、
結婚しろ!子ども育てろ!と主張したいのなら、その前に、
基本的な給与を上げなさい。
ちょっと考えたら分かることさね。
独身者は、給与を低くしておいて当然だ、という考えかたが、いかに本末転倒かということが。
アホやろがw
こんな基本的なリクツさえも分からない者が経営する会社なんてねえ、そりゃ、危ないですわw
淘汰されたらイイんちゃいまっか?ww
それとね、
逆立ちしても「無い袖は振れない」者に強制するよりか早い話、
富裕層の人たちには、1ダースくらいは産むなり、よそから引き取るなりして、子どもを持ってもらいたいもんですな(笑)
できるはずでしょ?
つましく暮らしてるビンボー人よりも、社会インフラを最大限に利用・活用して、もって、めいっぱい儲けさせてもらったんだから、社会還元として、やってくださいよおw
この日本社会に対して、恩を感じ、愛国心や感謝の念を持っているのなら、社会還元は厭じゃないはずよ?
そんなの厭だ!恩もない、愛国心も感謝も持ってないぞ、というのなら、さんざん儲けた大金で、無人島でもポンと買って、そこの森林のなかへでも引きこもって暮らしてくださいなww
ところで、
たしか『毎日新聞』の記事でだったかな、数年前に、とある中小だか零細企業を経営している男性にインタビューしたというなかで、その男性は、最後に答えて、こう言っていたのを憶えている。
「アベノミクス?これからでしょう」
と。
あの当時は、大手マスコミこぞって、日本じゅうが喧しいほど「アベノミクス!アベノミクス!!」と沸いたあと、そろそろ、
「あれ??」
という雰囲気になり始めていた、微妙な時期だったが、
そんな頃でも、くだんの中小だか零細企業を経営しているという男性は、「アベノミクスの恩恵」が、自分とこまで回ってくる日が訪れることを、固く信じたいようすだった。
「いま、どんな気持ち?ねえ、どんな気持ち??」
もし、私が、その男性にインタビューの続きを行えるものなら、そのように尋ねてみたいw
たまに、その記事を思い出すたび、「だから、あーたは、しょせんが中小・零細のシャチョーw」と、せせら嗤いたくなるのよww
まあ、大企業経営だと賢いわけでも全然ないけどw
だって、私なんかは、何度も言ってきたように、
「安倍政権は、戦後最悪政権」であり、
「アベノミクスなんぞは、一般国民・庶民にとっては無意味だと(ということは結局、国全体にとっても無意味ということさ。いや、有害なまでの結末になってしまったわなあ。やれ雇用が向上だの給与が上がったの言っても、それは、『アベノミクス』の おかげでは ないし、
良い思いしたのは、ヨメの実家の『森永』の株でウハウハだというアベシ含めた一部の既得権益層のみの話!)
アベシが返り咲いた直後から予想して指摘していた。
先日も言ったけど、かれこれ6、7年も前から、旧ブログやってたときから述べてきたとおりに、おおよそは なっていってる。
(もっとも、政権支持率というのが、しぶとくも下がりにくいのだけは、ちと予想外なほどだったと言っていいかもしれないが、なにしろ、大手新聞社を中心に、メディア側のアヤシサも感じるしなあw
日本の新聞社は、だいたいは政権寄りなのが昔からの ならいだそうだが、こういうところにも、日本の国民性が現れてるみたい。
まあ、アカラサマなのは『産経シンブン』と、その系列ほどじゃないにしてもw『朝日新聞』および、その系列も、もうダメダメかなという感じが日々強まってるしねww
地方紙の一部や個人にガンバってもらうしかないのか。。。)
大学すら出てない、何の専門知識もない私程度でも見抜けていたことが、なぜに、えらいセンセイがたや企業経営者たちに分からなかったのかが、ワカラン。いったい、この人らは何を勉強してきたんだろうか?と不審だわよ。
政治とマスコミと国民の連鎖的劣化。
まじ、もはや、だいじょうぶじゃないんじゃないの?この国。
2019.06.28 (Fri)
障碍者や社会的弱者といった人たちへの強烈な悪意に満ちたバッシングや、誹謗・中傷のための作り話すらが並ぶことで有名な「ヤフゴミ捨て場」には、そうしたコメントを諌めようとする投稿者は、ほとんど、いない。
にも かかわらず、
近頃、頻々と発覚している、子を、死に至らしめるまでも虐待する亭主に服従し、ついには一緒になって虐待に加担してしまった、不甲斐ないこと甚だしい母親を擁護する投稿者は、思いのほかに多いもんだから、なんだかヘンな感じが するw
さて、
子どもを連れて逃げないと言うか逃げられない心理状態について、もちろん、いろいろと経験してきた私さえも含めた一般の人々には、なかなか理解し難いものが あるのは しかたないだろうし、
そのあたりの心理的事情のことを、専門筋の人とかボランティアなどで かかわってきたと自称する人たちが、
世間一般からの理解が特に必要なのに、まず、それが大いに不足していることの認識から必要なのである、
といった指摘も なされている。
そこで、
私自身は、自分の子どもならぬ、母親について、自分の身以上に心配し、庇ってきた過去の経験・体験から、
なぜ、ほとんど反射的なまでに、大事な存在を、わが子を庇おうとせずにいられるのだろうか?
という、どうにも不可解さを感じてしまうことについて、もう少し掘り下げて考えてみた。
亭主に殺されそうになっている子どもを、守るどころか、虐待に加担してしまう母親の心理。
ヒントは、
「セルフ ネグレクト」。
もしかしたら、これに近い心理状態であるのかもしれないと思った。
厭だ、辛い、逃げ出したいとの思いが深くなるほど、
あたかも「セルフ ネグレクト」のように、フリーズ――動けなくなる――
それは、自分自身を罰するかのごとくに。
もとより力弱い子どもが、徹底的に やられている姿を目の当たりにして、自分自身の非力そのものな姿を重ねてしまい、
わが子を哀れに思う反面では、なさけなくも思い、まともに抵抗することすら かなわぬ子どもの姿に、むしろ、イライラしてしまっているのかも しれない。
つまり、
自分自身に対する、深い無力感や失望感と同時に、それを、わが子に投影してしまうのだろうか。
そういう、言わば二重の心理が、母親と言えども自分自身の身を真っ先に守ろうとしてしまう動物としての本能的動きと共に、かえって、虐待する夫との共犯関係を、むしろ積極的に行ってしまうのだろうか。この点は、まさに、いわゆるイジメの集団心理と大差ないように思える。なので、私は、以前から、「家庭内イジメ」と呼んできた。
「サディズム」と「マゾヒズム」は、背中合わせの一体だ。
最近のエントリーでも指摘したように、
暴力を振るったり殺したり、それは、心理的に、
自分自身に対しても行なっている
のである。
もともと、ホレて一緒になった男なのだろうから、やっぱり、子どもよりも、亭主のほうが大事なのが本音なのかもしれないがw
昔から、そういう傾向の女たちは少なからず いただろうと思うけれど、
もしや、いまどきの若い女性は特に そうなのかな?母親である以上に、女オンナしていたい、と思う女性が多いとも聞くし。。。
自分が、良いと思って選んだ男が、くっついてみれば、「トンデモ人種」だったということを認めたくないとか、もう少し耐えて頑張れば、なんとか、少しは風向きが変わって、やがて、最初の頃のように戻ってくれるかも、といった淡い期待が捨てきれないのかもしれないが
(たとえば『自己愛性人格障害』者の特徴は、初対面や、知り合ってから間もないうちや、あるいは、心のうちに押し隠した何らかの目的が ある場合に、非常に良い人がらの印象を与えることや、相手の気持ちを上手に翻弄したりすることに長けていたり、相手が振り向くまで、決して諦めず、根気づよく迫ってくるとも聞く)、
自分一人のことならば、ホレた男に殺されようが、一個のオトナの「自業自得」で一蹴されてしまうかもしれないとしても、
どんな理由が あろうと、
親としての、子への責任は、男女とも同等で ある。
おのれの不甲斐なさを、子の上に投影してくれるな、
と言いたくも なる。
おとなの女、人の子の親として、それでは通用しないんだから。
私だったら、自力だけでは どうにもならずに、これじゃあ、子どもを守りきれない!となったら、それこそ道端で通りすがりの人にでも、髪振り乱して すがりつくかもしれない。
人に対する不信感を、私自身も少なからず持っているし、さしたる期待は していなくても、とりあえず子どもの命を守るためならば、しのごの言ってられない。
これくらい できなくて、人の子を産み落とした親が つとまるものなのかね?
まさか~まさか~で、むざむざと時間が経ってしまう前に、
まず、子どもの身に危険が迫った その時点で、ぐだぐだ言ってるヒマは ないはずなのだが。
ほんとうに、自分よりも、亭主よりも、子どもを可愛く、大切に思っているのなら、石に齧りつけよ!!と言いたいところ。
なにしろ、家庭内の、まして、現代は、マンションだのの内側で起きてる事は、密室内でのことに等しいのだから、外部からは、なかなか、それと察するのが難しい面も現実的に大きい。
聴覚障碍の私なんか、子どもの泣き声を聞き取ることも困難だ。
親でありながら、自分だけ「セルフ ネグレクト」的な無力感にドップリ浸りきる前に、なんとか助かる方法を必死で模索するべきなのだし、それは、そんなに難しく構えなくても、まずは隙を見ておく。
これ以上、動きにくくなる前にと、行動を起こすことを意識していないと、時間が経てば経つほど、動けなくなるのだから。
ところが、
しかし、実際には、「危険」が「危険」だと判断することにすら、躊躇してしまうものらしい。
まあ、親の家庭しか知らないままの、幼い子どもなら、ほとんど、そうならざるを得ないものだと、それは理解できる。
だが、一個のオトナがねえ。。。と思ってしまう。
私なんかは、ほんの幼児の頃でも、やっぱり、親父の ふるまいに、恐怖と異常性を感じていたものだがなあ。。。
ただし、
年齢を重ねて、親を看取ったあとになってから、やっと気づいたのは、
これまでのエントリーでも幾たびか触れてきたように、
むしろ、母親のほうが、タチが悪かったのだという問題。
要するに、
巧妙に押し隠された暴力性に、それこそ、「気づいていなかった」わけで。
大事な、しかも弱い存在を、ほぼ反射的に守ろうとすること
(それは、自分のためでもあるわけだから)
それを敢えてのように、やらなかった母親たちに、どうしても、怪訝な感じを持ってしまう、そこで考えているうちに思い当たったのが、
先述した「セルフ ネグレクト」の延長的心理、
および、背中合わせで一体たる「サディズム」と「マゾヒズム」の心理だ。
現実的な対処としては、やはり、
もし、頼る身内も、友人・知己も ないのならば、さっさと警察でも役所でも出向いてみることだろう。
そこで、とにかく逃げるための手段を聞いてみるべきだし、
そのときは、警察や役所関係の人も、テキトーに あしらうようなことは、決して、決して、しないでほしい。
役所あたりの人間が、無知では、話にならない。
市民のための情報を豊富に用意し、周知を図り、何かしらの手がかりを伝えられるようにしてもらいたいものだ。
直接虐待側の親も、それを見ていて、どうすることもできない側の親も、どちらの側も、要するに、子どもを私物視しているのだろうと思う。
とにかく、
子どもに対して自己投影するな!
と言いたい。
自分自身の内なる「自己憎悪」に気づかなければ ならないよ。
2019.06.25 (Tue)
『練馬』のほうで起きた、もと高位官僚の息子殺し事件は、犯人である父親に共感するのみならず、積極的に擁護する愚か者すら多数いるしまつだが、
当ブログで書き忘れたことを加えると、
今後、凶悪事件を起こしかねない息子を殺すことで、未然に防ぐことが できた、のかどうかは、なんとも言えないけれど、、、
昔から、「仏のような親にドラ息子」とも言うのだが。
母親にだけ任せきって、父親不在にしてしまっていたことに、職を退き、家庭に戻ったあとで、家内が どんな事態になっていたのかを思い知ったのだろうか、もはや、いいトシのドラ息子と化していた息子の趣味につき合って、同人誌の集会みたいな所??「コミケ」とか言うんだろうか?そういう場所にも付き添っていたという。
なんとかして、いまさらながら、息子と親密なコミュニケーションを とろうと努力を始めていたのだろうとは思える。
それにしても哀れである。
自分自身は高位官僚として、典型的な堅物の世界に身を置いて一筋、ちっとも興味が湧かなかったであろう、息子の趣味に寄り添おうとして。
少なくとも、みずからの手で、殺人事件を起こしたのは、この父親のほうとなってしまい、そのことは、まぎれもなく、社会不安を積みあげる事件の一つになった。
これは、「かも」の次元では なく、まさに事実となったわけだ。
『「パパママ一緒がいいから…」中学受験巡り父親に刺され死亡の小6長男 親子で家出考えたと母親が明かす』6/24(月) 17:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190624-00022935-tokaiv-soci
うん、
この記事に付いてるコメントのなかには、教科書を破り捨てたり、という乱暴なプレッシャーを、子どもにかけることを指摘している内容が散見されたけれど、
これね、うちの母親も、ごく似たようなことを、兄のときには やってたらしいの。
それも、自分から言ってたのでw私も、あとになって知ったんだけど、
母親自身は、さも正しいことを やったんだ、と言わんばかりの口調だったよ。
それだけ、兄に対しては、真剣勝負だったんだ、と言いたかったんだろうけど。
先日のエントリーでも触れたように、
それは、兄自身のためも あったろうけど、第一の理由、本音は、やはり、ママハハであった母親自身の保身と防御とミエのためだったと、いまの私には分かる。
兄が、いささか回り道の末に、やっと、母親の意向どおり、教職公務員として就職して(新任当初から、いきなり学年主任の肩書)、少し経ってから、『アメックス』とかいう会社からのカード勧誘案内が、うちのほうに届いていて、それを見た母親は、とても得意そうにするので、私が、なに悦んでいるのかと聞くと、
「就職して早々、『アメックス』の、それも『ゴールド』を勧誘してくるなんて、そうは ないことやねんで」
と、ますます得意そうにしていたw
兄が、遅めの結婚を決め、結納の品を、とりあえず、うちに預かったときも、縁起物の鶴亀の置物(?)やら、大粒ルビーの婚約指輪やらを、一つ一つ、品名を読みあげて確認しながら、さも嬉しそうに、部屋の片隅に、丁寧に丁寧に並べていた姿を思い出す(笑)
その兄は、以前も述べたように、自死した。
なぜか、その前に、「家庭内離婚」とでもいうのか、ヨメさんと、戸籍上では他人に戻してあったらしい。
その もっと前、
結婚して まもなくには、うちの実家の戸籍を抜け、ヨメさん(長女であるらしい)のほうに入りなおしてるとかいうので、それを知った私の母親が、「跡取り息子なのに!!」と、父親以上に激怒していたが。
うちの親父は親父で、
「あいつのとこの息子な(←自分の孫w)、なかなか男前だが、全然、両親に似とらんだろ?ほんとうに、あいつらの息子なのかな。。。」
と、みょうな疑いを口にするしまつw
さて、本題。
ま、子どもというものは、特に幼いうちは基本的に、親にソンタクするもんです。
未成年については、たとえば「売買春」事件のときも、買った側のオトナばかりが罰されるカタチだけど、これにも理由や、それなりの意味や思想は あるわけでね。
もっとも、私自身は、小学生のうちから、親にはサッサと離婚してほしいと思ってたよ。
親父が剣呑で しゃあないと感じてたからね。
安心して、日常生活を過ごせないから。
母親は、私の願いを知っていたから、それなりの行動は起こしてたんだけどね。
低学歴の身でも、自分で商売を始めたりして。
そのうちに、交通事故に遭い、長期入院のハメになったりして、せっかく軌道に乗った店は売りに出し、そのときに得た大金の一部は、しっかり、兄の就職の支度金に使い、その後は、もともとから持病の多い人だったしで、結局、最後まで、腐れ縁夫婦だった。
なんにせよ、私が共感するコメントは、
「刃物を持って、息子を連れて、車に乗り込んだ時点で」
という意見。
そうよね、私は、親になったことは ない身だけど、
血相変えて
「あんた、息子を どこに連れていくつもり?どうするつもりなの?!」
と追いすがるだろうし、
その時点で即、警察だわ、やっぱり。
これは、自分の父親に対しても、ずっと、そういう身構えかたをしていたし、
母親の身の危険を案じるあまりに、修学旅行に行かなかったことすらも あった。
とあるコメント投稿者は、
「そもそもコメ主や、『同じ母親として』と批判しているほかのユーザーが、本当に人の親かどうかもわからない
匿名なら何だって言える
そもそもネットで他人を批判しながら、自分の正体は隠しているような人間が、まともな精神性を持っているはずがない(自分も含めて)」
と、
いかにもな定番的正論ふうの、ネット上で言い古されたことを言う。
こういうのも、自分のアタマでは本当に考えたこともなく、他人の受け売りを、自覚なく言いふらしてしまうタイプなんだろうなあ。
では聞きたいんだけどさ。
「まともな精神を持っているはずがない」あーた自身、なぜに、そうやってコメントしてるんかい?(嗤)
あーたのコメントの意味は何なのよ??
それとか、
ネットで、亭主の愚痴をコボシてる人に、それなら離婚したら?とアドバイスしたら、部分的な愚痴だけで離婚を勧めてくるバーカ、と言われた、と愚痴ってるコメントもあったがw
これはね、その相手の愚痴の深刻度が分からないので、実際に見ていない こちらには、なんとも言いようがない。
ただ、
多少の愚痴さえも こぼせないのかなという息苦しさに繋がるような懸念は あるかもね。
2019.06.24 (Mon)
『「貫く棒のやうなもの」』の続き。
生育途上で、養育者なり親の とった行動が、子の生活上に、著しい損害を与えている場合、その影響は、「二十歳」になろうが「成人」だろうが、以降も ずっと、つきまとうのは当然のこと。
それでも、親自身が高齢になって、いよいよ心身が衰えてきたら、実家のトラブルやら介護でアテにしてくる。
しかも、私一人に。
他は全員、「ダブル不倫」による経緯ゆえ、どっち向いても、恨まれてたり、義理の子だらけだからね。
押しつけやすくて、便利よく、依存できるのは、私しか いなかった、ってわけ。
こういう情況に至らせるには、私の障碍は、「ちょうどイイ」ぐあいだったわけよw
死んでトンズラされたあとで、やっと気づいた。
うちの母親が、異様なくらい計算高い策略家だったってこと。
わかりやすい暴力を振るう親父のほうも、たいがいだったけどw
母親のほうが、一枚、いや、二枚は上手かな?ww
でも、トータルでトクしたのは、なんだかんだ言っても、親父のほう。
母親は、あんな男でもホレてたんだなあ、、、と思うのw
娘の私とは、まーったく、シュミが異なるww
一見したところは正反対のタイプの組み合わせに見えても、似た者夫婦だったと、いまでは つくづく分かる。
精神的に、やっぱり、どこか異常だったんだろうなと、いまの私なら分かる。
たぶん、何らかの病名みたいなものが あるんだろうけど?
とうの昔に、文句を言うことすら できなくなったが、
もし、まだ生きていたとして、こちらの恨みつらみを ぶちまけようとも、頑頑頑として、聞く耳は持たないタイプだったからなあ。
ね。
こんな親に、
「二十歳になったんだから」
「成人した以上は」
なんて言う資格あるの?
いずれにせよ、親と言えども、刑罰の身代わりは つとめられない。
これは、あくまでも法的な次元の問題。
犯罪を起こしてしまった者自身が、刑に服すのである。
あるいは、通常の刑罰に当てはめることが不可能な、特に精神的疾患のケースでは、医療措置が行われるそうだが、
障碍であれ病気であれ、本人になり代わって引き受けることは、「製造物責任者」たるはずの親ですら、できないのが摂理というもの。
しかしながら、単に法的の問題だけでは済まない次元も あるわけで。
たしかに、親は「製造物責任者」であり、
かつ、少なくとも通常レベルか それ以上の生育環境を ととのえ、与えてあっても、そのなかで、子ども自身において、どういう反応が起きていくかは、親にすら、予想の届くことでは ない。
その意味では、まぎれもなくリスクを伴っているのが、「子を なす」という行為だ。
以前も言ったように、
ある意味、ノーテンキと言うかwこの世に疑いなど持たぬ、
あるいは、
劣等感の緩和や払拭を期して、人並みに「親」というものに なりたがる。
自分はダイジョウブ、自分だけは、という楽観性と言うかウヌボレなくしては、子づくり、子産みなど できるはずもない。
だから、
その「自分だけは」のノーテンキなウヌボレが叩き落とされたとき、よけいに、慌てふためき、絶望することになるのだろう。
超難産の出生時、重度のマヒを負う危険性も高かった私だけど、
もし、実際に、そういう事態になっていたら、うちの両親には、荷が重すぎて、耐えられる根性なんて、なかったろう。