2019.08.08 (Thu)
『【続】最も「愛国心」に欠ける連中は』の続き。
ほとほと、
ヘエコラ平伏姿勢かケンカ腰か、
どっちかしかない両極端な安倍政権。
ここへ来て、結局「なにやってもダメあべ」だったと再認識しているところだが、
こんな政権を積極的に支持しているのは、もちろん、いわゆる富裕層や公務員なかんづく自衛隊員が圧倒的では あろう。
けれど、
意外にも「貧困層」の一部もが、あのような政権を支持している現実が あるのだとすれば、その「貧困層」は、ほとんど「自暴自棄」に陥っているようなものだ。
昨今の凶悪きわまる、無差別的・テロ的事件が、「弱い者いじめ」的風潮の蔓延しつつある世間、一般国民のなかで相次いで勃発していることと無関係では ないと思える。
そのへんの一般家庭内においてすらも、幼い子どもらの受難が相次いでいる。
あれらは、世を牛耳る権力者や雲の上のオエライかたがたには向かわず、
鬱屈を溜め込んでいる自分よりも なおいっそう、確実に弱い、あるいは無防備にならざるを得ない立場へと、その憎悪と凶悪は走り、身近な者を狙うに至った。
例の植松などは、自民党のオエライに お伺いまで立てていたそうだしね。
強い相手には、頼まれずとも積極的に媚びへつらい、
弱いと見た相手には、問答無用で切り捨てる。
おやおや、どこかのシュショーとトリマキ連のよう。。。w
これは、自分では まだ詳しく調べてないので、
最近の話題の一つであるらしい、『MMT(モダーン マネタリー セオリー/現代貨幣理論)』やらいうものについても、はっきりとした態度や意見は出せないし、いまのところ、多少の胡散臭い印象のほうが まさる感は否めないけどw
ササッと聞いてるぶんには、しごく単純なリクツに思える。
なんとなく不安を もよおしてくるほど単純な。。。
さすがに、俳優出身だけあってか、見せかた(魅せかた)も上手い、『れいわ新選組』代表の山本太郎氏も、あの「『園遊会』おてまみ事件」の頃を思い起こすと、よくぞ ここまで成長したと褒めてあげたい気持ちは あるものの、現実的に、経済の施策を中心に、今後、もっともっと勉強が必要だろうし、いっそうの精進を深められたいと願っている。
当初から私は、『トリクル ダウン』理論とやらを せせら嗤っていたし、
『経済学』なんぞ学んだことは皆無でも、ちょっと思考を めぐらせただけで、
最も大きな層、つまりは「中間層」「一般庶民層」というものを痩せさせてはマズイ、この巨大な層こそが、極度の上と下も、その他の少数層をも包摂し、調節する機能を持つのだからと、すぐに考え至った。
で、『MMT』とは結局、『アベノミクス』と同じことなのである、という指摘を、先日、古賀茂明氏が指摘しておられたようだが、
それなら それで結構、と言っていいのか、
『アベノミクス』というものが、一部上層のみだったにせよ、これは これで、ある程度なりの効果が確かに あったのだとする向きに問いたいのは、
『アベノミクス』というものが、少なくとも「アベシの半径何メートル内」の「手足たる」官僚や公務員、「おともだち」そして「すり寄り団」のために、
要は、コア支持層を確保するためには大いに役立ったのが現実だというのであれば、
そんな一部の「上層」や「ワナビー」の美味い汁でしかないものは、そのために犠牲となった「底辺層」を中心とする大衆層にとって、何ら意義のないものであり、
それどころか弊害ですらあった以上、
これは、国家全体のためにもなっていないと見做すべきなのではないのかということである。
ゆえに、
もし、実際に『MMT』理論に くみするにせよ、なんにせよ、
今後、やるべきことは、
「水路の付け替え」
ということになるはずだ。
2019.08.08 (Thu)
『最も「愛国心」に欠ける連中は』の続き。
いつぞや、どこかの記事で読んだんだけど、
とある国際的な会合で、アメリカの(当時)オバマ大統領ら、各国のトップや要人が一堂に会したとき、
イベント プログラムの一部として、日本に原爆投下されたときの映像がパノラマ的に映し出された瞬間、各国要人らは、拍手喝采したんだそうな。
そんななか、あのプーチンさん ただ一人が、厳粛な面持ちで静かに十字を切っていたと、記事には あった。それを読んで、
自国に対して常から批判的視点を忘れないよう心がけている私ながら、もしも自分が、日本から参加して、その場に座っていたとしたら、、、
屈辱感と悲哀が押し寄せてきて、なさけなさのあまり、つい泣いてしまうかもと思う。
「天皇陛下に対するカタジケナサ」なんぞでは、一滴の涙も出ないけどねw
ちなみに、
若い頃は、NHKなんかのドキュメンタリー番組を積極的に視聴していた私だが、あの頃、
「戦争は、軍部の暴走によるものであった。これ本当」
という主張を判で押したごとく繰り返していたことを覚えている。
若かった私は、それを素直に信用していたのだが、
いまでは、それも疑って かかるべきだったのだろうと思っている。
要は、
無知無教養で普通のレベルだった当時の国民の浮かれぶりなんかのことよりも、
本来ならば、スジ的に「第一級戦争責任者」でフシギは なかったはずの「昭和天皇」を、国民世論などから守り、むしろ「犠牲者」だった、という見解を醸成せんとする目的だったのでは なかろうかと。
戦争前夜のことを追想して述べている、とある有名詩人の手記か何かだったと思うが、彼が言うには、
「天皇危うし!!」
というコトバに一気に反応して、それこそ「脊髄反射的」に突き動かされたゆえであった、という。
恐らく、大手新聞が煽りたてたプロパガンダの大なる一つだったのでは なかろうか。
それと、
毎度の軽薄短小「ヤフゴミん」には、韓国や朝鮮人に向けてのイヤミ混じりなのか、「日本はアメリカを恨まないのだから」云々と言う者が圧倒的のようだけれど、
それは、あくまで国家間の公式において、そういう姿勢であるにせよ、
実際に被爆した当時の一般国民のなかには、ハッキリ、
「いまだに、アメリカが憎い。許せない」
と言い切った人も いるんだよ。
過去エントリーで触れてあるように、高校時代の恩師が そうだった。
『黒い雨』を取りあげた「現国」の授業中での吐露だったと記憶している。そのときに、
「あの時代は、バス乗ったり歩いたりして、街なかを移動中に、道端に人の腕やら脚やら転がってても、みな、ろくに見向きもせんと通り過ぎるのや。いまの時代なら、考えられんこと。たったの指一本ころがってただけでも、警察を呼んで大騒ぎになるやろ?」
ということも仰ってたわけ。
昨年の この時季、当ブログで取りあげた過去エントリー。
「日本人に特有的な、こまかいイヤラシサ」、
あるいは、
その「独特な手続きを踏んだうえでの押し付けがましさ」
というものを、
私は、旧ブログの頃から、『靖国』問題などで、おりに触れては指摘してきたのだが、
アメリカの狡猾さの深甚と、さすがのスケール特大ぶりを知るほどに、
「日本特有」と言うべきばかりでもないか、むしろ、しょせん小国だから、これで済んだのかも、とは思うのだけれど、
たとえば、
先日、どこかの公営農場だかで飼料貯蔵用サイロのなかに迷い込んだ熊の親子を、すぐには助け出さず、
暑熱と水分不足を承知していながら、なぜか、かなり長く放置しておき、最後に、子熊のほうは辛うじて飛び出してきたものの、母熊は、すでに力尽きていたというニュースが あった。
これって、最初から、母熊が弱りきるまで放置しておいたのが、敢えての本心だったのでないかと指摘するコメントを見かけて、
あ、なるほど、子熊のほうも、どのみち、母親なしに生き延びるのは困難であると、そういうことかあ、と、私も得心が行った。
ところで、
日本と韓国が仲違いして悦ぶ国や民族が あるとしたら、それは、どの国だろうか?
聞くところでは、
悪名高き『総連』という団体と『民団』という団体は、昔から、すこぶる、仲が悪いことで知られているんだそうなw
なぜだか、だいたいは『韓国』と韓国人側のみを徹底的に憎悪たっぷりに罵るコメント投稿が圧倒的に多いよね「ヤフゴミ捨て場」ではwと言うか、ネット全体でも、そんな感じかww
『北朝鮮』に対しては、むしろ、安倍政権擁護のために利用しているふしが見受けられるが、
それが、いま現在は韓国側が盛大に受け持ってる情況らしいwww
『韓国』系と『北朝鮮』系の在日さんたち入り乱れて、
この日本において、一般の日本人の閲覧者たちを一人でも多く、自分らの「同族憎悪」的争いに巻き込まんとし、抱き込まんとする活動の場としているんじゃないの?w日本政界や財界のなかに深く喰い込んでいったようにww
ロシアとのあいだに横たわる『北方領土』問題と同様、
『竹島』にしたって、あれは要するに、
敗戦した日本を尻目にアメリカが許可してやったようなもんなのでしょうwだから、日本は、どうしたって強く出られるはずもないんだww
時々、朝鮮語の単語に詳しいらしい「ヤフゴミん」が出没するどころか、ひらきなおった如くに堂々と全文ハングルで登場する「ヤフゴミん」ww
してみると、
「ネトウヨ」が得意になって決めつける「感情むき出し」を特徴とする『朝鮮民族』が、そのまま住み着いてるんじゃないの?
と疑わしい「ヤフゴミ捨て場」では珍しく、
先述した熊の親子の騒ぎで披露されたごとく冷徹な洞察、と言うよりか、意地の悪いような見透かし・見立てならば、ヤフゴミんと言えどもキラリ光る見解を示す者が、ごく たま~には いるもんだww
そして、
そこで私が納得したのは、
さも さも救助したような、手を尽くしたけれど、残念ながら、、、と「美談」ふうに見せかける、その実は、
母熊が衰弱死するまでを冷酷に見計らっておくという魂胆が、スケール小さいくせに、「美しい」話に仕立てあげたい「神の国」たる日本人ならでは あり得そうな特徴的狡猾さだなぁということww
もっとも、あの親子熊の哀れな事件に対処した関係者の本音は分からないけれどね。
念の入った誤魔化しや小細工を、いちいち解きほぐしていく作業はメンドくさいし、
荒唐無稽なくらいデタラメな相手ならば、サッサと、あんたアッチ、では、私は こっち、ほなサイナラ~できるほうがラクだから(苦笑)私なんかはね、そのまんまズバリぶっちゃけてしまわれるほうが、非論理的であれば
戦後も だいぶ経ってから生まれ、
平和と経済成長時代を謳歌する「現代っ子」という呼称で括られてきた世代の一員である私だが、
若い頃から、ひそかに恐れていたことが ある。
あの戦争の時代を、身を以て知っている人々が揃って高齢になり、一人また一人と、世を去っていかれることが。
なんだか不吉な予感が当たりそ、、、いやいや!
決して、決して当たらないことを切に願う。
愚かな「先祖返り」など、決して起こさないように。
それこそが、先人たちの苦労を無にするものだから。
【続く】
2019.08.08 (Thu)
もお、暑い暑い、暑い~!!!
とて、おヒス炸裂したかのように、浅間さまが爆発ですと。
ただでさえ暑いのに、火を噴きはった。。。
下界では、
焼けたんだか煮えたんだかノラリクラリぶりだけは いっちょまえの、ジミンの世襲議員が、できちゃった結婚の発表ということで。
お相手のタレントだかアナウンサーだか よくワカラン女性は、『オリンピック・パラリンピック』誘致のために、「おもてナシ、ウラなし」とかって、調子の良いセリフを言ってた人よね。やっぱりジミンの男と くっついたなw
さすが、こんにち、アベシの お手本となった、自政権維持の お墨付きを得るため、「宗主国」アメリカに媚びまくり戦術、派遣屋商人と つるんで、若い層の貧困と苦痛を蔓延させ、「自己責任」というコトバを流行らせた元 首相である おとうさんのほうは、この数年来、ベショベショと、よく泣くことですよ。
おトシとったせいもあるんかしれないけど、さぞかし、わが人生マンゾクとシアワセで、胸アツ胸いっぱいなんだろうねえww
聞くところによれば、このジミンの世襲議員クンは、アメリカの「ジャパン ハンドラー」たちの息が かかってるんだそうで、
そのせいか、大手メディアは、ほぼ こぞって、なぜか、どういうつもりなのか、よりによって官邸内で、個人的な会見を行なったということに何らの疑問も呈さず、
それどころか、気の早いことに、「未来の首相夫妻」と持ち上げて、チヤホヤちやほや。あほかしら。
ちょっと、小泉くん。
これまで、プライバシーに触れられることを、ことのほか忌み嫌ってきたという あーたの個人的なことで、官邸という公も公の場を使わないでくれる?
そこは、アベシのものでもないし、「永遠の与党」のためのものでもないし、あーたのような「未来永劫世襲議員」のためのものでもない、
ほかならぬ国民のためのものなんだからさ。
ったく、公私混同ぶりまでも板についてきたってとこかい。
マスコミもね、こんなことを大々的なニュースにし続けるのもイイカゲンにして。
けた違いに重大なことは、テキトーに流すか、政権の意向どおりに煽るかでさ。
ほんとにイイカゲンにしろ~!!
ますますハラ立ってきた。。。
さて、
『「貧困は暴力や薬物のせいだから自己責任? 日本を見よ!真面目だけど貧困だらけだ」米国メディアの記事に反響』8/7(水) 12:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190807-00010000-finders-bus_all
的確な、良い切り口ですね。
ただ、
「日本における『民主主義』はホンモノでは ないのだ」という説と同様で、
『資本主義』の根底には、本来、日本には ない『プロテスタンティズム』という精神が あるという、
そのことを、ほとんどの日本人一般は知らないままだろう。
こういうことって、それこそ「教養」のうちなんだろうけど、
もっとも、当のアメリカにおいても、「プロテスタンティズム」が、こんにちでも確かに生きているのかどうかは、私には分からない。
…
まあ しかし。
国家的インフラを目いっぱいに利用して、もって膨大に稼いできた企業や富裕層こそは、最も「税金逃れ」を してきていて、これを厳しく追及するとなると、国外へ出て行くぞ!と脅す風潮よ。
じつは最も「愛国心」に乏しく、「非国民」と誹られるべき(?)なのにw
なにを擁護し続けているんだかな、「ネトウヨ」らは。
ま、「エセウヨ」という名称のほうが、より、真実を言い表わしているのだろうがな。
少しは「愛国心」を持ってるのなら、払うべき税金を惜しむなよお、カネの亡者の富裕層よww
いまだに、億の付く単位のカネを騙し取られた老人と報じられるのを見るたび、
「老人の範疇に入るのかどうかという60歳代だったりもするし、それほどにはボケてるわけでもなさそうなのに、どーして、きょうまで、こんな大金を保有できてたんだか?こーんな慌て者のボンクラふぜいが。こーんな絶望的アホウに握らせていて、どどのつまりは「反社会的組織」へ右から左に流してしまうんなら、長年、親にも会社にも不当に扱われてきた私に寄こせーやw」
と、呆れつつ思ってまうわ。あんたらよりも、よっぽど有意義な消費活動できるでえ、とww
『法人税』を下げることの一番の目的は、諸外国とも、自国外からの優良企業を呼び込むことにあるそうだが、実際、日本国内に、そういうことは起きてるのか?よく分からんのやけど。
むしろ、国外に出ていた日本の企業がUターンしてきたという話はチラッと見たけど。
日本の『法人税』は高いほうなのだという説を見かけることが多い、
ところが、
中小企業の半分くらいしか負担していない大企業というのが実態で、
それどころか、まーったく払ってきていなかったりも するんでしょ。
どういうことやねん。。。?
それが事実なら、そのとおりに認めたほうが いいはずでしょ?
私は何年も前から、
どうも日本の政府(つまり『自民党』)は、先進諸外国が実施してきた政策がハズレだったことを、なぜか無視し、一周も二周も遅れてから、やっぱり失敗、というバカなことを敢えてやってるふしが あるんじゃないか?
と指摘してきたけど(たとえば『マイナンバー』とか、まさに『消費税』とか)、
どうも、他国と同じことを やったつもりで、同じ効果どころか、失敗してるほうが多いような印象だ。
なに考えてるんだよ??
そんなに、自国民が憎いのかよ???
ま、
ある程度以上の収入を得られている層の人たちにとっては、言うほど痛くも痒くもないであろう『消費税』という逆累進。
彼らには、想像も つかないというか、想像する気もない生活苦の層が、一日三食を二食に減らしているとしても、
三食そのものの量としては、比べて富裕層のほうが格段に多いわけでは あるまいし、
どうしたって、入る胃袋の大きさに、同じ人間どうしで、極端な差が あるはずが ない。
近頃のエントリーで、しょせん「起きて半畳、寝て一畳」と指摘しておいたとおりだ。
食べ物ひとつ とっても、有害度の高い「ジャンク フード」で、空腹を誤魔化さざるを得ない貧困層との違いは、質の良さを、望んだとおり追求できること。
そして、贅沢品をガマンする必要は一切なくて、いざ食指が動きさえすれば、心ゆくまで入手することが できること。
「ある」からこそ、急がない。
その気になれば、いつだって。
それが、富裕層にとってアタリマエの日常だ。
なので、
いっそ、日常とは縁遠い贅沢品をターゲットにして、かつての『物品税』を復活させ、代わりに、その分だけ『消費税』減税でもやったら どうか?と。「抱き合わせ」スタイル。
それにしても、
アメリカやトランプ、ロシアやプーチンに対しては、日本国民が気恥ずかしくなるくらいにモミ手スリ手の媚び媚び姿勢一点張り、まさに「米つきバッタ」そのものなシュショーと、そのトリマキだが、
そうかと思えば、いま現在は、韓国相手に強気一点張りで やってる。
「反日を利用」してるのは、お互いさまなんじゃないの?(嗤)
まあ、『従軍慰安婦』にしても『徴用工』問題にしても、両国ともに、お互い大きな間違いを犯してきてると思うけど。
安倍政権は、少し前まで中国相手に威勢よくやってて、当時のオバマ大統領らが危惧してるという話だったっけなw
ところで、韓国については、
例の『従軍慰安婦』に対する、韓国自身の、政府と一般国民の態度は どうだったのかな。
もとより、日本に対する反感や憎悪の思いが根強くあるというのが真実のことなのであれば、いまになって、「今後、日本に対する依存度を減らしていく」方針だとか云々言ってるらしいが、(日本側の利害は さて置くとして、)そんなことは、もっと早くに取り掛かるべきだったのだろう。
今後は、やっと気づいた、その方針を、すみやかに、どしどし進めていかれたが よい。
経緯は どうあれ、何事においても、期待や依存度というものが大きくなればなるほど、対象や相手についての不満も いや増しに募っていくのは ありがちなこと。
そこから、早く抜け出すことだ。
あの戦争前夜の時代にも、僅かながら、冷静に見極め、日本の現実の位置を見通して指摘する人たちは いた。けれども、
警告の貴重な声(いつも少数)は、イケイケどんどんの蛮声に掻き消されていったという。
原爆・核兵器についても、のちに、初の被害国となってしまった わが国だって、その開発を急ぎ目論んでいて、入手が叶ってさえいれば、なんら躊躇することなく、「正義の具現」とばかり、さっさと投下していたであろう。
また、
(旧)ソ連の突如とした参戦による「裏切り」のことを言い募るけれど、
日本側だって、あわよくば、こっちから裏切るチャンスを窺っていたというではないか。先方だって、それを知らなかったのでは ないだろう。
2019.07.28 (Sun)
あれだね、以前から思ってたけど、
植松と、『寝屋川 中学生なぶり殺し事件』の山田とかいう男の顔、
よく似てるなあ~と。
さて置き、
もう、できるだけ手短に言う。
要するに、
犯した罪が、今さら取り返しのつかないこと、償うことも不可能な事だった深刻・重大な場合ほど、
やった当人自身は、罪を認めることが できないわけよ。
そういう心理。
(そういえば、重大事になることほど、決して謝罪しないのって、欧米圏の伝統的精神文化だっけ??償えない限りは、という理由かららしいけど)
なかみのないプライドやらミエで凝り固まってるタイプだと、ひとたび挫折してしまったとなると、なおさら、そうなるんでしょう。
そもそも、まともなリクツから発生させたでもなくて、(私が何度も指摘してきた)「俗悪」な精神に浸食された、脆弱きわまる思考回路なんだからさ。
こういう心理って、ある意味で、子を産み落とした親たちにも、共通性は あるように思うw
どこの親も、子を産んでしまったら、あと戻り不可能である以上は、ひたすら、そのことを肯定するしかなくなるみたいで、
むしろ、子を持ってない人たちを殊更に見下したり、攻撃(口撃)する連中すら いるでしょ。
こういう連中って、例の植松に通じるものが あるよw
特に、
子を持つことによって、あたかも「人並み」「一人前」になれるってな安易な価値観と錯覚を疑わないできた者は、例外なく、子という存在を利用している自覚もないしね。
で、「産んでもらった恩は」と、あつかましいことを主張するw
うちの親なんかも そうだったけど、
こういう親ほど、自分の子が、障碍を抱えていることを認められないだろう。
あいにく、認めざるを得ないほど重い障碍だった場合は、それこそ、耐えられなくて、自分のほうが発狂するとかw
うちの親が紛れもなく、そうだったように、子の障碍を認めたくない、
認めなくても、それでも、
孤立して苦労するのは、その子自身だけで済む、とあれば、それで済ませておきたい、という本音で、ネグレクトを通しきる。
そうして、最後に言い放つのは、これまでも指摘してきたとおり、
「親に勝てると思うな!!」と、
「勝ち負け」の次元に落とし込もうとする(嗤)
とにかく勝ち負けが全て、という価値観であるなら、
そりゃあ、植松が体現したように、
とりあえずは確実に勝てそうな相手を攻撃するでしょうよ。
異常なほど、気が小せえんだし、
だからこそ、くだらない俗悪な劣等感に苛まれ続けてきたんだろうし。
私が、インターネット上で遭遇し、
「フルボッコにしてやったー!!」と大ヨロコビしてた連中すなわち「カルト連」も、へんに劣等感が つよいんだろか?とは察していたけれど、
案の定で、『ナチス』大好き連中だった(嗤)
ま、「ネトウヨ」現象に現れているように、
日本の社会の病理噴出、ここに極まれり、
ということも指摘できるだろう。
日本のみに限らなさそうだけども。
それが「流行してる」と思えたら、それだけでピャッと飛びつくみたい。
なんせ、軽薄短小の俗悪に侵食され易い脳タイプだからですわ。
それにしても、治せるんかねえ?こういう極度の脆弱性脳というものは。。。
それ自体が、障害の範疇に相当すると思えるし、
まあ、植松は、間違いなく、『人格障害』の面が大きいだろう。
さすがの「ヤフゴミん」のなかでも、最近、やっと、少しはマトモな指摘が出てきてるようだが、
植松の如きは、「信念」(←私は、「信念」なんて、鬱陶しいだけと思ってるけどw)、
あるいは「思想」とも呼べない、
言わば、一種の「流行り病」にカブレたようなもので、
本質的に、「思想の自由」なんぞでは ない。
むしろ、
どうしようもなく「不自由」ゆえなんだ。
頑固、とことん頑な、まるでガチガチの「壁」みたくなるのは、
弱くて不安定だから。
本人としては、それで、身を守ってるつもり、なんだろう。
いま、われわれ社会の構成員に できることは、
取り返しのつかないことが勃発してしまった以上は、
今後の予防策を希求することだけだ。
『かみ合わぬ会話 答え求めて 植松被告と面会続けやまゆり園事件3年』7/28(日) 12:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190728-00000010-kana-l14
この記事の本文中に登場する『こんな夜更けにバナナかよ』の、『筋ジストロフィー』を発症した故・鹿野靖明さんという かたは、「奔放」というほどのことでもなかったと思う。
夜更けに、小腹が すいたとかで、台所をゴソゴソなんて、ほぼ全ての人が経験してるはずだし、それを、自分自身の手足では やれないから、というだけのことだもの。
そういう状態が、24時間365日、毎日の日常でしょ。
ましてや、中途の病気や障碍となるとね。
そりゃ、どこかで割り切らないと。精神が持たないでしょうよ。
だから、スタッフ何人かで手分けする。
家族とかのなかで、
ましてや、一人に重点的に引き受けさせると、引き受けさせられた者が潰れてしまうのアタリマエだから。
私自身、以前のエントリーでも言ったように、自分の障碍が なければ、もっと ずーっと生きやすく、動きやすい人生だったろうと思うけど、
その代わり、ここまで、ものごと全般を深く考えることもなかったと思う。
それが幸か不幸かということは ともかくとして、
そうならざるを得なかった。
で、
私も、話しかけられて、返事が できずに、「シカトした」ってな言いがかりつけられ、仲間ハズレにされたとか、何度も ありました。
学校でも、社会人となってからも。
親ですら、
呼んでるのに無視した!勝手つんぼ!!
そういうことを言って怒るんだよ。
もし、植松に遭遇してたら、私も、「意思の疎通が」なんちゃらを理由にして、グサリと やられたかもね。
何らかの状況により、たとえば、うしろから急に話しかけられたりとかしても、なかなか、気が つけないんだわ。聴覚障碍なのでね。
ほんと、他人事じゃないのよ。
2019.07.25 (Thu)
どうやら、『左翼』系の思想や科学を敵視する人に多いのかな?ww
「魂」だの「高次元」だの言ってる「ヤフゴミん」へ。
大概どの宗教でも似たり寄ったりのことを主張するわな。
そして、
そんな宗教のために、人類の歴史はじまって、こんにちに至るまでも、
どれほど夥しい争いと犠牲を齎したか。
要は、殆ど宗教と化したものは、みな同様なことになった。
私自身は、『唯物論・主義』でも『観念論・主義』でもないが、
過去エントリーで、私は、こう言った。
「物質ほど不可思議なものは ない」
と。
この意味、わかる?
答えてみな。
そも、「物質」とは何ぞや?
「心が見させているに過ぎない」か?
では、その「心」とは、いったい何から生じているのか。
生物は、「自分」という生体を守らんとする。
それは、「自然界の命令」なのだろう。
なかには、そこを敢えて克服しようと、われと我が身の危険を冒したがる者も、たまに いるけれど、それにしたって、本人なりのメリットを、そこに見い出しているゆえだろう。
「喜怒哀楽」という感情の動きは、畢竟、自分という存在を守りたいからに尽きる。
自分は可愛い。
反射的、本能的なもので、どうしようもないのが普通だ。
「自殺」や「自己嫌悪」「自己憎悪」ですら、その根底にあるのは、自分が可愛いからこそだ。
むしろ、自分可愛さが強過ぎるのかもしれない。
いわゆる「安楽死」、また、自殺もだが、
これらは、実際には「自分で選択」したことには全然、ならない。
表面的には、そのように見えるけれど、
何が、その方向へ向かわせたことになるやらは、その個人のメンタル等の持ち前や情況にもよるのだろうが、
本質的には、やはり、そうせざるを得ないように追い詰められてのことだ。
ただ、
死よりも辛い苦痛の状況が あるならば、そのことを配慮しないわけには いかないのだろう。
あたりまえに思って過ごしている日常のなかでも、ちょっと考えたら分かることで、
単に、暑い寒いだけでも、感覚や考えに大きく影響する、それが現実。
肉の快楽、かつ、肉ゆえの苦悩と苦痛。
肉体と生存の限界。
そもそも、生まれてくることを選択したはずが ないとする以上、死ぬことも また然りであり、
われわれに、ほんとうの「自由」や「自由意志」による「選択」は、ないのだろう。
「ある」かのように見えるだけ、錯覚しているだけで。
だからと言って、そのこと自体をもって「不幸」だとかいうわけでもない。
しかし、また、
「宇宙」という物質の発生を考えたとき、「自由」の意味は、とてつもない不可思議を帯びてくる。
『観念』と『物質』は不可分だ。
「物質」とは、じつに不可思議な現象なのであり、
けっして、軽んじたり見下して済ませられる次元のものでは ない。
「物質」を軽視するべきなら、「観念」も また同じことだ。
それと、
子どもに対する虐待とか悲惨な事件の犠牲者を悼んで見せるのは結構だが、
どんな酷い両親のあいだに生まれたからとて、
その子の命は、その両親のもとなればこそ生じたもの。
ある男女の組み合わせにおいて生まれた、それだけ。
当然、他の、どこの男女のあいだに生まれたのでない。
二言目には、
「今度、生まれてきたら、もっと幸せな家庭に、優しい親のところに」とか、「あの世では幸せに」とか。
そーいう感覚だから、
何度でも「リセット」できる的、浅はかな考えで吐くセリフになる。
個々の命は、あくまで一回性のもの。
失われたら、取り返しは つかない。
二度と ない。
だからこそ、重く、大切。
大切なものを苦しめ、損なった罪深さ、ということになる。
人間の価値判断だけれど。
まさに、障碍者を虐殺した、あの植松の偏りきった思考回路と酷似しているのが、「カルト連」と、私が呼んでいる連中なのだが、
「安楽死」制度の必要性や「過度の延命」治療等に関しては、たしかに、議論の必要性は あるだろうと、私も思っている。けれど、
実際問題、「排除」しても「排除」しても、それこそ「自然の摂理」によって一定の割合で次々「先天的疾病」や「障碍者」は生じてくるのであれば、キリのない「排除」よりも、むしろ積極的に研究することへ情熱を向けたほうが早いんじゃないかな。
排除ばかり やっていても、結局は生まれてくる、そして、それでも生かしたい、敢えての覚悟で育てたい、これからも生きていきたいと望む人たちも存在する。
だが、もっぱら排除が奨励されたことで、データや研究が遮断されている状態とあれば、いよいよもって、生存可能性は困難な道へと否応もなく一方的に追いやられていくしかないでは ないか。
「生産性が人間の価値を決めるわけではない、という人類が築き上げた英知を再度確認すべきだと思います」と おっしゃる藤田孝典さん。
私には、これこそ、どこか「キレイごと」の危うさを感じさせられてしまうのだが、
さて、「生産性」の ある・なしを単純に問うのならば、
何らかの重度障碍者と言えども、「生産性が全く ない」とは、私には思えないのです。
このことも以前から何度か言ってきたが、
あらゆる疾病、障碍の当事者は、その存在自体で、医療その他に対する貢献が あると思う。
現実に、施設と、そこで働くスタッフといった需要も生み出しているわけで。
私自身も当事者なので、明言できるが、障碍自体が即で「不幸」なのでは ない。
「不幸」となるかどうかは、そこの構成員と社会の状態による。
ただ、個人の問題にして かたづけてしまうと、確実に「不幸」なことになり易いのは尤もだと思う。
障碍が あろうが なかろうが、
現実に、一般家庭の「健常者」たる親が、「健常」だった子をイジメ殺すという事件が頻々の昨今。
「健全なる」肉体に、歪んだ精神が宿った(?)
私に言わせれば、植松でさえ、その脳から生じる思考癖の極端な偏り、遺伝性如何、生育環境、社会的背景など様々の研究対象にでき得ると思うくらいだ。
それにしても、『優生保護法』っての、わりと最近まで存在したんだもんね。
私も、学校の授業とかで教わってるはずなんだけど、とくには疑問にも思った記憶が ない。。。
なんとなく、そんなもんなのかと受け入れてしまうんだろうか。
私自身、乳児期の薬害による聴覚障碍者だから、
先日、どこかの記事で、遺伝性でないのに、聴覚障碍を理由に、妊娠が不可能になる手術を施されたという女性の例を読んで、まさに、他人事では ないんだと思った。
最も強い者を試し、残そうとしているかのような、「自然の摂理」「自然の目的」は過酷だ。
ほんとうに「最後に残る者」は、必然として最も孤独な存在になってしまうことは明らかだし、同時に、そんなことは不可能でもある。
人間の歴史とは、その過酷、残酷に対する延々抵抗と希望の もがきの歴史であったということも できよう。と、
当ブログ主は、過去エントリーで何度か言ってきましたよ。
『ナチス』『ヒトラー』ファンの「カルト連」さんw
相変わらず、修行と哲学が足らんなww
詭弁やヘリクツ、ことば遊びでは ない、「血みどろの たたかい」たる哲学というものを豪も理解できてないオマエさんら。
そんなんだから、オマエさんらと話しても話しても、どうにも
た・い・く・つ
(アクビ)と思っちゃうのだよ(嗤)嗤)