2019.09.30 (Mon)
ガッコもショーバイも抜け目なく?w
まあー、たいしたもんですよ。
日本における「抜け道的」制度を目いっぱいに利用し続けてるからこそ、ということだけど、
(日本の統治時代に、かえって逼迫した層も多いという)祖国での生活が苦しかったために余儀なくであろうか、『ソフトバンク/ヤフー』孫さんとこは、大昔の御先祖のルーツが中国大陸にあったらしいというのは、それは そもそも、ほとんどの朝鮮人が そうであるらしいが、祖父母の代になって、今度は日本へ密入国したという、そして親御さんの代から「典型の三拍子」そろった(M・S・P)商売で、ついに、ここまで来た。
スゴいよね、『ソフトバンク』の社長さん。
日本の場合、帰化申請がスムーズに通るのは そうとう珍しいとか聞いていたので、そもそも密入国してきた家の人が、よくまあ帰化できたなあとフシギだったんだが、やっぱり、実業家として大成功した おかげなのかね?よく分からんけど。
何やら、
とにかく日本と日本人からは搾り取れるだけ搾り取るのが「正義」!
みたいな感覚が、朝鮮半島の人々や、その同胞の人々には存在するとかも聞いてるけど、
ますます、『ヤフー ジャパン』に料金支払うの やめたくなったわw
まずは、
いいかげんに、悪名高き「ヤフゴミ捨て場」という社会問題の温床を どうにか してよ(怒)
『法人税逃れ大国ニッポン 消費増税で内部留保463兆円のカラクリ〈週刊朝日〉』9/26(木) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190925-00000015-sasahi-bus_all
お次は、またまた騒いでおります、
『朝鮮学校の付属幼稚園も無償化を 保護者ら会見、「除外おかしい」』
9/26(木) 18:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190926-00000159-kyodonews-soci
いやいやいやw
「日本人と同じく税金を払ってるんだから」という主張は、ちょっと通らんと思うぞ。
自分の家じゃなく、他人の家を借りてる立場なら、「賃料」を払うのは当然という話でしょうに。
まあ、それでも、私個人としては、それも これも鷹揚に認めてあげられたら、そのほうがステキじゃないかなとは思ってるけど。
なんだかんだ言っても、本音は、やっぱり「カネメ」じゃないの?ww
もし、とっくに真逆になってしまったらしい現状と違って、いまでも、祖国の首領さまだか将軍さまからの深い慈愛の親心で、潤沢な支援を寄せ続けてくれていたものならば、おそらくは、
「われわれは、日本の世話に なっておらん!!これからも、日本の世話になど なることなく、あくまで自主独立の誇り高き わが民族の精神を もって、子女の教育を行なっていく!」
とか なんとか、
せいいっぱいプライドの高さ剥き出しにせんばかり、高らかなる宣言したんじゃないかしら?w
正直言って、こと『朝鮮学校』の場合は、どうしても、そんな感じが つきまとうんだけどもなww
最後に、
『関西電力3億2千万円“裏金” 今年3月に出回った告発文書【独占入手】〈週刊朝日〉』9/29(日) 15:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190929-00000014-sasahi-soci
『関電3億2千万円“裏金” 疑惑の”影の町長・Mさん”が生前、記者に語った言葉』2019.9.28 12:33週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2019092700115.html?page=1
今回の『関電』大疑獄発覚。
あの『日産』を連想したのは、私も同じ。
そして、
いまは廃止されていて、「副」が付く程度の、たかだか地方公務員扱いである「助役」という地位に、どれだけの権力が あったの?という疑問が真っ先に湧いたが、
言われてみれば、地方、特に田舎だからこそ、その土地や地域の「(隠然たる)声が大きい」者を無視できないという現実は あるのだろう。
私個人の周辺でも、いるのよねー、
町内の「顔役」みたいな立場を自任していて、
その しょうもない「小虎の威」の そのまた毛皮の切れ端を借りるが如くに威丈高な、かつ、ありがた迷惑な動きを率先して やりたがるタイプってのがさ。
宗教組織が典型であるように、人間社会では、こうしたカラクリが あり、こうした手合いが いるから、「小虎」の毛皮の切れ端程度だったものが「大虎」の毛皮になり、
ついには、「エホバの名を みだりに唱えるべからず」になっちゃうw
うちの母親なんかも、ある意味で俗悪な価値観を持って、積極的に活用しようとするタイプだったから、この手合いの見本は、母親の交流関係を通して、自分の身近でも見てきたけど。
フシギなことに、どういうわけか親に似なかった私は染まらなかったの(苦笑)
さて、
「金持ちは、悪いことしてるからこそ金持ち」なのだという、従来から ある穿った見かたが、またも、という見本。
今回の大問題の発覚も、記事を読んで、やっぱりな、と思った。
それこそ「日本全国津々浦々」で蔓延ってるのでしょうよ。
そう考えたら、
この狭い島国に、異様なほど たくさんの原発施設が、いつのまにか設置されていたことの理由も垣間見えてくる。
くだんの もと「助役」森山氏という御老体が亡くなった直前か直後なのか、こういう告発が出た時期にも、非常に「闇」を感じさせるのだけれど、内部の勢力争いも絡んでるのかしらん。
「お客さまから頂いている電気料金で賄っている」
ええ、そうよ。
うちでも、つい2、3年ほど前の電気代の告知兼領収書を保管してあったのを、たまたま、今年の電気料金と つき合わせてみたら、
使用量は さほど変わらないのに、料金は、えっ?と言うくらい上がってた。
いいかげんにしろよぉ
「上級国民」だか「既得権益層」だか知らんが、こういう連中が、「努力」とか「自己責任」とか言い散らして、ネットでも御用メディアでも、カネと息のかかった手下を使いまくり、
さも、これが「世論」!のフリして、庶民や弱者叩きしてるんだろうよ。
腹たつわあ。。。
ま、特に原発が絡んでるってことは、結局、国と現政府も絡んでるんだろうな。
2019.09.25 (Wed)
『――硬直する日本――』の続き。
まあ、正直なところ、きっちりと決まりきったことを好んで拘る人の気持ちを全然、理解できないわけじゃないんだけどね、私とて。
それでも、
自分の部屋や自宅で、とかなら ともかく、ハタに迷惑かけてまで拘ることじゃないだろうに、と思ってたもんで。
ところで、
こないだは、宇宙分野にも関連した内容の記事で、誰かが投稿したコメントに、例の「シュレーディンガーの猫」が、とか「エントロピー」が云々という話題が出て、「高エントロピー」だとか「低エントロピー」だとか言ってるので、思わず、うちの両親を連想した。
親父のほうは、部屋が かたづいていないと、猛烈にイライラする性格なので、整理整頓にはマメだった。
あの投稿者たちの遣り取りによれば、まさに「低エントロピー」に分類されるんじゃないかとw
母親のほうは正反対で、散かってるほうが落ち着く!と常々主張していたので(多分に掃除がメンドクサイことの言い訳だがw)「高エントロピー」かよwと。
私自身はと言うと、
30歳代なかば頃までは、父親に似ていたのか、やはり「低エントロピー」だったのだろうw室内などの状態に関してだけは、親らに文句を言われたことは なかった。
ただ、親父は、整理整頓さえ できてたらオッケーで、清潔かどうか、衛生面については、わりと無頓着だった。男性に わりと多いタイプかね?
母親のほうは、これまた逆で、清潔に関しては、かなりウルサイのだが、散らかしっぱなしの状態が、まさにエントロピーよろしく増大していくw
私は、まさに、あいだを取ったごとく、清潔にして整理整頓が行き届いていると言える常態だった、はずなのだが、、、
ところが、
病気やら介護やら多忙の時代を過ごすうちに、いつしか「高エントロピー」状態(?)へ変化したのか、
いや、所により「低エントロピー」と「高エントロピー」が入り混じってるようになった。
こういうのは、どう判断すべきなんだろうか?w
まあ、けっこう ややこしい学説なので、私も、よくは分かっとらん(苦笑)
で。本題に戻ると、
「計算ミスが減る」という事実をもって、定規を用いて筆算の線を引く、ということの理由であるのなら、それは一つの理由としていても いいと思うけれど、
私も、むしろ「計算のリズムが崩れる」というほうに実感が あるようには思う。
まあ、あくまで形式だろと思うような作業は、肝心の目的を終えてから、まとめて最後に かたづけちゃう、という やりかたを、私自身も、よく やるほうなのだが。
そのときは、せっかくだから、いちおう終えたものを確認しながら、
の つもりで やる。
でないと、しょせん無意味と思っているからこそ一気呵成に まとめて やってしまおうとする作業ほど、ミスを誘発し易いものだから。
ま しかし、
くだんの記事中の小学校教師たちの言い分は、ほとんどコジツケと言うか疑いたくなる胡散臭さと言うか、何か宗教的手続きめいてるねw
肝心の目的は何ですか?
きちんと理解して、解答を出せることでしょ。
教える側自身が、不確かなのに、どうして、子どもに教えられるのよ??w
「うちでは、とにかく、そういう仕来りになってるので」という押し付けは、むしろ、成人や社会人だから、角を立てて、居辛くなるよりはと、曖昧なまま「面従腹背」という芸当も敢えて やるけど、
以前にも言ったことあるように、
おとなの殆どは忘却してるんだろうけど、
多くの子どもは、案外と、ちゃんと筋の通ったリクツを好みますわ。
特に、かなり以前から、他人さまの子どもたちを眺めていると、頭ごなしというのを嫌う傾向が つよくなってきてる感じが していたんだけど、
それだから ますます、おとなの つごうで拵えた管理ルールを呑み込ませることになり、昨今の、異様なブチ切れ事件を起こすまでは、むしろ、キモチ悪いくらいに従順で おとなしい良い子が増えてるんかなあ?とも感じる。
だいいち、キレイな線を引くためにとかで、本来のこととは別の作業を、いちいち挟まなくては ならず、そのたびに中断してたら、思考集中してるときこそ、気が削がれてしまう、これは、私にも実感あるな。
特に小説の読書なんかでも そう。
私は、どんなに長編でも、まずはイッキに読了する。時間が かかっても、大概は最長3日以内。
きょうは ここまで、とか、一日に何ページだけ、という、お行儀良く理性的な読み進めかたが、どうもダメ。
そのかわり、
一度は読み終えたものを、あらためて、今度は ゆっくりと読み返す。
すると、イッキ読みしたときとは別の感想やら新たな観点が立ち上がってくるのが、また興味深かった。
もちろん、第一印象や最初の感想と変わらないことも多い。
これでは、徹夜したり、それこそ「寝食を忘れて」という状態になりがちなので、学生時代は、しょっちゅうだったが、さすがに、社会人になってからは、やっぱり、ムリ。
「ノートの とりかた」ということについては、教師からの評価が高かったという理由で、「カラフル ペン」多用というのも、程度問題です。
ゴチャゴチャして、かえって分かり辛くなることも あるよね。
実際、私の学生時代も、怒る教師が いた。
知ったふうなこと言ってるコメントもあるが、仕事での「プレゼン」にしても、そんな小手先の誤魔化しは効かないよ。
えてして、芯から分かってないからこそ、そんな自分のオツムを整理しようとする気持ちで、殊更きれいに清書したくなったりするもんだ。それで、なんとなく、いちおうは理解できたような気になったり。
ほんとうに、隠された重要な意味が潜んでいるのなら、わけも分からぬ繰り返しの積み重ねのなかで、ある日、ふと、ああ、そういうことだったのか、と気づくことも あるだろうし、ルーティン作業が、その他をスムーズに進めるためにかかせぬ役割であったりもするが、
ほんとうに見かけの形式を整えるだけで、それ以上の意味は ないことである場合は、どれだけ繰り返しても、新たに気づくことは ない。
やっぱりムダじゃんと思いつつ、それでも黙って従えるのは、「気づいた」からじゃない。飼い慣らされた、っていうこと。
もはや、やらないと落ち着かないという症状を抑える機械的儀式みたいなもんだ。
だいたいは、そういう類のことは新入りに やらせるから、どの組織でも、下のほうから雰囲気を悪くしかねないし、いつしか、投げやりにもなっていく。
人間ならではのせっかく便利な小道具を駆使したら良いのは、そりゃそうだと思う。
細かい文字やズラズラと幾段も並ぶ各行の取りこぼしや目の錯覚などの間違いを防止するために、定規を当てつつ進めていくという やりかたは、たとえば、校正作業なんかでアタリマエに やってる。
「筆算の線」というのを、手書きするのはダメな理由ってのが、定規で線を引くのは難しいから慣れさせるため、つったって、実際は、フリーハンドのほうが、よっぽど難しいんちゃうの?
記事の添付写真も、方眼ノート使ってるみたいだがね。
(この記事では、教師側から、そういう説明が されたと述べられているのに かかわらず、全く逆なことを決めつけて何度もコメントしてるヤフゴミんも いるぞ。記事を読んでないのか、読解力が皆無なのか、何ぞの目的が あるのか、どれなんだろな?ケッタイなやつw)、
如何なるときも、常に、定規を携行する!これが、『日本臣民の道』ってか(爆)
「定規は、日本臣民の魂!!」(爆)爆)
そして、時代や状況によっても、「理由」や「根拠」は、かんたんに揺らぐ。
「リクツと膏薬は どこへでも」ナントヤラ。
近代の生き証人の一つが、いわゆる「墨塗り教科書」世代だ。
あの世代の怒りも、なかなか凄まじいものが あるよ。
「なぜ」「どうして」は、哲学のもと。
2019.09.25 (Wed)
定規が好き大好き。
ただし、
ほんとうの本当は、目盛りが付いてない定規に限る日本w
目盛りは、おエライ人が好きなように付けますのでねww
事実、私の学校時分、制服のー、ソックスの丈がーなどと、ほんとうに、先生がたが定規を持って待ち構え、いちいち、それで計ってチェックされてたもんだw
しかし、
筆算の線を定規で書くべし、
これって、私が学校時分のン十年前には、さすがに、聞いたこと ない。
私より ずっと下の世代の人たちも、初耳だと言っているコメントが少なくない。
ということは、
いたって浅い歴史なんじゃないのかな、こんなルールは。
誰が言い出しっぺなのかしらん。
『筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は』9/24(火) 9:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190924-00010000-nishinp-soci
なるほどw
だからなんだ、私の「学力が伸び」なかったのは(苦笑)
「悪法も法なり」と言い遺したと伝わるソクラテスを、あほちゃうかぁ?と せせら笑ってた私だものw
従容と、とか、「どこまでも、ついて行きます下駄の雪」とか、
したいと思っても、しようと努力しても、結局、できない。私には(苦笑)
おらおらぁー、わらわを納得させてみんかい、ほれ、どーした?と、
(お下品な言いかたで失礼w)
納得いく説明してくれないなら覚えない覚えらんないよお~;
と ひらきなおったあげく、小学校時代の算数のテストの、あくまで文章題ならば、自分なりの流儀と思考力のみに頼り、どうにか こうにか正解を導き出しては、担任を困惑させていた私は、後年になって、低学年の頃、足し算・引き算するとき、自分自身の手と足の指それぞれ10本ずつでは足りないとて、親や兄らの指まで借りに来ていたオマエというので、さんざん笑われたもんだが、
中学生になったら、病的なまでに数字に弱い私は、数学担当のスケベい教師から「ハクチ美人」と呼ばわれつつも、
なぜか、『集合論』だけはスイスイ理解したので、いつもの「公式の意味を~」と騒ぐことなく、しかし、他は相変わらずなので、しまいに、職員室の教師全員から「宇宙人」と名付けられるまで有名になった。
高校生になると、新学期が始まるまで怠けて放置してあった夏休み中の数学の課題を集めるであろう授業開始前夜に、あわてて小一時間ほどで書きあげた小論文が、
「やっつけ仕事まる出しで、先生に激怒されるだろうなあ~」
と恐る恐る提出したところ、想定外にも、数学担当教師に激賞され、全校生徒の前で読みあげさせられたというケッタイな歴史を持つ。
もっとも、私よりも ずっと下回るIQだったらしい うちの兄だって、国立大の教育学部を出て、ガッコの先生やってたわけだけど、
もともとの性格は、それこそ自分勝手なルールを主張しては、真っ先に、妹である私に守らせようとしたもんだw
だから、結局は自殺せざるを得なかったわけかな?
本来、そうとうの変わり者だったし。
さて、うちらの世代は、
その ずっと上の世代が、ほっかむりして、ヘルメットかむって、「ゲバ棒」とか言う角材を振り回したり、ダイナマイトどんどん!を やらかした その あげく、飛行機を乗っ取って飛んで行ったりといった狼藉を尽くしていたのを、小学生時分に見て、呆れかえっていた反動なのか、「シラケ世代」とか、無気力・無関心・無感動の「三無主義」も通り越し、「四無主義」だ「五無主義」だとまで呼ばれた世代だがw
ただでさえ、うちらの世代より もっともっと輪を掛けて、可哀想なくらい、おとなしくて良い子ちゃんになってしまってるからね、近頃の若い世代は。
先日のエントリーで、子どもの虐待・殺人事件に関連し、なんだか、化粧だけは やたら上手だが、子づくり相手の選別と子育ては まるでダメ~、みたいな感じの若い母親らの、異様に細かいルールを押しつける亭主の病理みたいなことを指摘しておいたけど、
日本の教育界の、
「押しなべて」
「敷きなべて」
という方針は、早急に改め、
権威筋に盲目的で、力ある他者に追随し易い、無自覚な「コマ」や「ミニ ナチス」育成から、自力思考と深みのある議論が でき、それを向上させるための情報の取捨選択力を主体的に培おうとする意欲を伸ばす教育へと切り替えないと、ほんとうに、世界じゅうから取り残されるぞ。
それでなくても、日本の企業の低効率、低生産性が問題視されているのに。
コスト カット!コスト カット!と叫び続けて、
とうとう、あらぬ大事故を起こした日本の企業そして、政府。
もう何十年も前の話で、何かで読んだには、家の壁塗りする場合でも、日本人は、そばに寄って、じっくり眺めても、細かい所までキレイに塗れていることを重視するけど、日本以外の国の人々は概ね、「遠目に見てみて、まあまあキレイなら良いじゃん」という感じで、あまり こだわらないそうだ。
縫製品などでも、日本製の衣料は、縫製がシッカリしてるけど、欧米圏を含めた諸外国では、わりと大ざっぱで普通という話も言われていた。
どちらが良いか、一概に決めつけられないと思うけど。シッカリ縫い上げてある衣料品などに、「メイド イン ジャパン」の誇りを感じないでもないのは、私自身も そうだった。
たとえば、かれこれ20年ほど前に、スーパーマーケットの玄関先で、500円か1000円以下の価格で購入した、ポリエステル素材のカッターシャツ、洗濯機でガラガラ回してきたのに、こんにちまで、ボタン一つも、取れたことが ないほど、じょうぶだ。いまだに重宝している。
けれど、
Tシャツなんかは、縫製がシッカリし過ぎてるのは、かえってイヤだ、ダサい、あるていどヨレヨレになってくるくらいで ちょうどイイのだという感覚を、アメリカだったか外国の人が言ってたのも思い出す。
ただねえ、
くだんの記事を読んでいて思い出したことの一つは、
とある大企業の重役か経営者という人が言ってたという指摘。
それは、一言で言うと、
「めんどくさがらない人は伸びない」
っていう内容だったのよ。
メンドクサがりの私自身、これは意外だわと驚いたけど。
たとえば、
新入社員の頃に、まずはコピー取りを、あるていど大量にやってもらうんだって。それで、
横着せず1枚1枚、丁寧にコピーしている場合、その新入り社員は、あまり伸びないな、と判断するんだって。
逆に、メンドクサイから、なんとかイッキに済ませられないものかと試したあげく大失敗しても、そういうタイプのほうが、見込みが あるんだそうで。
へえ~ホンマかいなとは思ったけど、
まあ、自分自身がメンドクサがりの横着者だから、ある意味でホッとしたからというわけでもないけどw
(ただ、私は、「どうせ」という、たとえば、シャツ ブラウスは、着ているうちに、どうせシワが寄るから、アイロンはムダ、というのとは少し違う。)
たしかに、
一代で企業を起こし、成功した父方の実祖父なんかは、猛烈に短気で、怒りっぽい性格だったという人物像について聞いていたことを思い起こすと、頷けるような気もするし、
ひるがえって、私自身の身近での例を たどっても、
こまかく地味な作業の繰り返しを厭うことなく、というよりも、そういう作業をこそ好み、およそ手抜きとか、はしょるということを全くやることなしに、ひたすらにコツコツと こなしていた人ほど、それ以上のことは一切できなかったりしたものだ。
もちろん、それは それで、その人なりの存在価値になり得てる面も あるんじゃないかなと思うんだけども。
およそ日本の組織が必要としてきた「コマ」どもに、「主体性」だの「考える人」は不要。邪魔。
飼い慣らされた効果による「前向き」、
組織や権力にとって好都合の「実行力」「積極性」が望ましいのである。
以前から再々言ってきたけど、
「優等生」ちゃんの素質には、降ってきた水分をゴクゴクと吸収する、
あたかも砂の如き素質が備わっており、
それでこそ、
思考停止というツルツルしたベルトコンベヤーの上にスムーズに乗っけていけるんである。
それにしても、はて?
聞くところでは、「アスペ」とか「発達障碍」の一種に、決まりきった形式を大いに好む傾向が あるんだっけ??
決まりきってないことに遭遇すると、たちまちパニックを起こすとか???
以前にも言った、「仕事できない同僚だった人」というのが、自席の机に置く物、たとえば、湯呑みとかね、いつも、寸分違えず決まった位置にキッチリと置いてたので、なんだかフシギに思ってた。
私みたいに、その人らの分まで背負わされてると、急ぎ仕事の書類やらが積み上がってるから、机上のスペースが殆ど ない、という状況では、置きたい所なんざ、拘って好きなように選べませんわ。
先輩のなかには、もちろん、仕事できるタイプの人も いたけど、その人も、私みたいに(?)お人よしでw
やっぱり、まずは机で作業できさえしたら、それでイイ、室内の どの位置とか、どこの席とか誰の机や椅子であろうと、どうでもイイ、というくらいの多忙だったけど、
そのうちに、ある人から、わたしのボールペンを返してください!と責め口調で言われて、「ありゃりゃ?いつのまに、、、すみませんね」と謝ったりして、どこの、誰の、という区別すらアヤフヤになっていった あげく、
ある日、窓際族の典型的バーコードおじい社員に、理不尽な言いがかりを つけられ、ついには、たまりかねて、号泣しながら去っていった。
そのあとは、ますます、新入りの私の上に、仕事がドサドサドサ。。。
【続く】
2019.09.19 (Thu)
『【続】「ムン」「グク」「ムン」「グク」「シンジロー」』の続き。
国家や行政に携わる人たちへ、はっきり言う。
庶民・国民のために役立たない国や政府になんか、愛国心も忠誠心も湧かないよwそんな国や政府は、いらないのよ。
自分だけで自分を守れ!と言って、実際、そうできるんなら、政府も役所も いらないの。あったりまえでしょ。
乏しい報酬や給料のなかから、庶民にとっては多額の税金や保険料をガッポリ天引きされてるんだもの。
最大層である庶民・国民が、そうやって納めてきてるから、維持できてる。
合法的にかどうか知らないけど、何かにつけて脱税を目論む、ごく少数の富裕層(それこそ、神戸ナンタラ組も含めてw)
それだけで、はたして国家が維持できているなんて嘘ッパを言い散らすアホなネット民も よく見かけるけどね。
その ごく少数の狡猾な富裕層だけで、国家や政府というものを成り立たせていけるかどうか、いっぺん やってみたらイイと思うよ。およそ不可能なことなんて、狡猾だからこそ分かってるだろうけどね。
いつも「シモジモはコマ」扱いせず、たまには、庶民や一般の国民に感謝したらどうだい?
うちらには、正直なところ、この国や あの権力者や既得権益層なんて、いざとなったら全然、不要なんだものw
自然災害と大事故ばかりが花盛りの わが日本では、支配層から庶民への、また庶民どうしでのイジメや子どもへの虐待ばかりは、元気いっぱいらしいがw
例の『目黒』での5歳児虐待殺人事件の母親に対する判決が出たそうな。
「あいだ取りました」みたいな判決でw8年だというから、実際は、もっと早く出すのかな。
「マインド コントロール」なのでと擁護側は言い張るけれど、それ自体、ほんとうに そうなのかなあ?とも思えるんだけれどね。。。私自身も経験してるから、そんなもんだで かたづけられる気もしないんだけど。。
むしろ、生育環境が平凡で、まずまず穏かだった人ほど、
『千葉』での虐待殺人事件で発覚した お役人だかが、「だって恐かったから」と、当然みたいに言い放ったのと同様のビビリ状態に容易くなってしまうのかもしれない。つまりは鍛えられてないわけだからさ。
どこの大学の教授だったか、たしか、千田さんとかいう女性のコラムの、題名だけしか見てないのだが、要するに、亭主が、ああいうのでなければ、母親も、そんなことは しなかった、という主張らしい。
だったら結局、男しだい、相手しだいってことじゃんか。
芯がグラグラしてると言うのか、あまりにも なさけないねー。大のオトナ、人の子の親が。
それと、やっぱり、「自己投影」の心理は あったんじゃないかと思うよ。
事件を起こした母親の言うとおりに、「異常なほど愛していた」というのが本当なら、かえって、同性の子に対する自己投影や同一視は起き易いかも。
幼い娘が酷い目に遭ってるのに、ほとんど抵抗できないでいる自分の姿を重ね、ますます傷つき、自己憎悪の投影で、自暴自棄にも近い残酷な心理にすら陥っていたかもしれない。うちの母親には、そういうところ あったけどなあ。
私自身、母親が親父に暴行されてるあいだじゅう、母親の達者な口だけは止まらず、激しく罵り続けるものだから、それで ますます激昂し、凶暴になる親父を刺激してしまうので、阻止に入った私自身も大変になるから、むしろ、母親のほうに腹が立ち、「黙れ!!」と怒鳴ったりしたもんだ。
くだんの事件の母親は、前の夫とも離婚してるらしいけど、原因や理由は何だったんだろう。
ただ、当の母親も周囲も、もっと早くに手を打てていたら、最悪の事態にまでは至らなかったはずとは思う。そのタイミングを逸してしまったことの真因を究明していかないと。これは、社会の責務。
再び言うけど、
この世界の摂理として、生物も単純な物質としてはリサイクルされるわけだが、どの命も、一回性です。リセットは あり得ない。
同じものは、もう二度と生まれないから奇跡。
だから、失われたら、取り返しが つかない。
幾重にも、罪は深く及び、広がっていく。
こんなにも悲惨な出来事を経験して、
それは、いったい誰にとっての益や幸福となって返るというのか。
地底に累々と埋められていった悔しさと哀しみだけが、中空に漂い出て浮かび続けてる。。。
こういう事件のコメントとなると、「ヤフゴミん」のなかには、どういうつもりなのやら、「前世が」「来世が」「今世で」と、一所懸命に言い募るバカが出てきてw
ほんと、知性も思いやりもないんだなあと呆れる。
そういうゴタクが、虐待されて殺された子どもに対する、最大の侮辱だと、なぜ気づかないのだろうか。
何についても そうなるでしょ。
あらゆる不幸事、防ぎようもなかったこと全て、自分が悪い、になってしまうじゃないか。
他者に害を なした者や犯罪者にとって、こんなにも好つごうな言い分は ない。
特に、障碍を抱えている人の殆どは憤りを覚えるはずだと思う。
私の障碍の原因になった、カクレ異常脳の母親も、
「おまえは、そういう星のもとに生まれたんじゃあー(だから、母親である わたしは全然、悪くない)!!」
とホザいてたよ。
少なくとも私の場合、そもそもは母親が原因になった薬害での後遺症だからね(これも若い頃は分からなくて、母親が死んでから、ネットで調べまくり、やっと分かってきた)、
「自己責任」なんて言われて済まされたんじゃあ、やりきれんわ。
ところで、
「無記」とも言ったという仏教の始祖の名のもと、いったい、何の修行を してきたんだか、
昨今は、有名どころの坊さんまでが、了見の狭さ剥き出しな「ヘイト」発言を やらかしたり、道路上で違法な行動に及んだりと、そのへんの「ウヨ」や「ヤーさん」顔負けな時代。
家族への素朴な情愛ですらも、執着や煩悩のもとになると戒められるのが、仏教の教えじゃないの?よう知らんが。
国のことだって同じでしょ。ことさら自分の!自分が!ってのは。
「前世が」「来世が」「今世で」と言い募るバカに言っとくが、「今世で絶ち切るのは自分しだい」とかエエカッコ言ってのけるなら、そもそも、「生まれぬが幸せ」というコトバを噛み締めろってんだw
まずは、「煩悩」まみれのオマエさんから「絶ち切れ」よww「ヤフゴミ捨て場」への執着心とともによ(嗤)
まあ、いわゆる「健常者」というのは、単に、自分が その立場になってみたことがないから無関心ゆえに疎い、知らない、それだけだったりするんだけど、
身体障碍を最も嘲笑するのは、私の経験に照らせば、じつは、精神障碍の人たちなんだけどね。
それもそうで、
基本的な認知や思考力に甚だしい問題が ある場合は、そうなってしまうんだろうよ。
とある精神障碍の人が言ってたけど、
精神障碍者どうしであっても、理解し合えるどころか、むしろ、うまく いかないし、あまり関わりたくないのが本音だと言ってた。やっぱり難しいし、しんどいと。
私の身うちで精神病になった者たちは、いずれも、生来の感覚や思考が歪んでいて、価値観は甚だ単純にして俗悪、それゆえの劣等感が深く、ネタミ僻みはキツく、
逆に、自分の優位を信じている場合には、鼻持ちならないほど傲慢であったりと、
言動の端々にイヤラシイところが あったからね。
で、
結婚相手や家庭が、あるいは単に おカネのことで、自分の予定や思いどおりにいかないとなると、たちまち、アタマぶっ壊れた。
それまでは、
誰が何と言おうと、自分は正しい、自分は賢くてリッパ、という、根拠なき自信マンマンだったから、壊れるときもアッケないわ。
もちろん、そういうのは、精神病になってしまう人の一部だろう。
うちの身うちも、症状が出ないかぎりにおいて、むしろ、世間さまやエライ人に従順で小心だったり、もともとは几帳面なので、服薬を怠らず、薬でコントロールできていったし、ふだんは優しいし親切なほうだし、ある意味で真面目すぎたりするもんなのだけども。
ただし、『自己愛性人格障害』の身うちの場合は、何十年このかた、精神科に通っても、あまり良くは ならなかった。医者は、もともとの性格というほうが近いので、と言ってたらしい。
以前のエントリーでも言ったように、『自己愛性人格障害』のネット ストーカーも、よりによって「心理学徒」を標榜しながら、浅はかなことをサンザンに口走り、その学歴自慢のわりには(と言っても通信教育、いわゆる「紙の大学」なんだけど、辛うじて卒業できたのやら甚だアヤシイ)、軽薄短小な発言を尤もらしく振り回す小賢しさ、私は心底から呆れてしまったもんだが、なかでも、
「精神障害者は、身体障害者よりも高尚」
ってなセリフには、思わず「目が点」になった。
これについて再度言う。
世のなか、身体と精神の両方で抱えている障碍者も少なくないだろうし、
身体障碍ゆえに背負いがちな軋轢、自己肯定感を損なわれがちな苦しみから、精神面での病気までが誘発され得る面も ある。うつ病なんかは特に。
障碍というものは、まる見えも辛いが、隠すのも辛い。
身体面での障碍には、「目に見えない」障碍、
たとえば心臓とか聴覚(これも、人によってバラつきが大きいのだ)とかに障碍を持っている人も多いということは、専門家筋ですら、つい忘れがちのようだから、常に忘れずに いてもらいたいものだ。
2019.09.19 (Thu)
『「ムン」「グク」「ムン」「グク」「シンジロー」』の続き。
個人所有の家屋に留まっている被災者のなかに、救援物資を受け取りに行くのを遠慮してます、と言う人も いたが、避難所のなかに入ってしまえば、基本的には、希望する各自へ行き渡るよう配るのだから、そんな遠慮も要らない。
今回の台風による被害で、またまた多くの民家が壊れた。
そりゃ はかないもんだ。
電力会社の鉄塔までがバッタバッタ倒れたというんだから。
だから、じょうぶな公営住宅の建設推進こそは、一般国民、殆どの庶民にとって必要なことだったでしょうに、と。
去年は、大きな地震と台風が、めずらしく大阪を直撃した。
んで、今回は、千葉県を直撃。
どうなってるんや。。。
千葉県って、『船橋』あたりは ともかく、ちと外れたような地域だと、まだまだ かなりの田舎、って感じよね?現在の状態は よく知らないんだけど、
私は、父の出身地域を訪ねたとき、行きは、迎えに来てくれた車だったけど、帰途に乗ろうとした電車の本数の少なさに驚き、待ち時間を潰そうと、とりあえず喫茶店を探したら、駅前通りにすら一軒も見当たらないのに、再び驚いた。
やっぱり、自分は都会育ちなんだなあと実感したよ。
そろそろ空腹でも あるし、のども かわいてきたので、とにかく、飲食店は ないかいなと歩き続けて、とうとう、駅から だいぶ離れた所にポツンと建っていた店に辿り着いたが、
なんと、それは「お好み焼き」の店だった。
聞けば、同じような状況のなかで、かつて、亡き母親も また呆れながら、この店に入ったことが あったそうなのだが、
親父は、しかたなさげに、好物でもない「お好み焼き」を素直に注文していたけど、私も大阪の生まれ育ちですからね、
「なんだって、千葉くんだりまで来て、お好み焼き食べて帰らなアカンのよ!?」
と、大阪人に千葉の「お好み焼き」だってぇ?ありえねーわ!!って感じでw
『関空』に着き、やっと、こちとらの気が済む食事に ありつけるまで、親父にブーブー文句を ぶつけ続けた(苦笑)
そもそも、毎年、正月になると、出身地の雑煮というのを、親父みずから拵えるのが、実家の習慣だったのだが、それからして、私も母も内心は不満でね。
なんせ、色が黒い。
関東圏の料理って、だいたい黒っぽいよね、うどんの おつゆとか煮つけとかも。
おまけに、餅が四角い。
あれこれの具も、ゴボウとか、なんだか、いかにも田舎くさいw
味じたいがマズイことは ないんだけども、
「正月早々、角の立つ餅を、しかも、ずず黒い汁で食べるなんてゲンクソ悪いことは、いやしくも大阪の人間のすることやない!」
とて、
暮れのデパートで、京都の一流どころの白味噌と、丸い餅をコッソリ購入し、それを隠しておいて、親父の新年会で留守を狙い(本人の機嫌が悪くなるから)、ソソクサと「大阪人らしい雑煮」を二人分だけ拵え、
母親と薄笑いを漏らしながら食べた日のことを、旧ブログに書いたw
でも、親父のとこの田舎は、さすがに、自然の景観が豊かに残ってて、ちょうど春だったから、満開の桜並木が綺麗だった。少年時代に遊んだという海岸も眺めてきた。
大阪は、大昔から開発され尽くしたような大商都であったせいなのか、
残念ながら、全体に緑が少ない傾向なので、そういうところを、親父は、常に軽蔑の笑いを浮かべながらコキおろしていた。
親父が、大阪の悪口を言うと、決まって母親は、
「長い年月を大阪の世話になってるくせに!ほなら千葉へ帰ったらエエやんか!!」
と激怒していたww
どこかのネトウヨみたいなセリフwww
結局、親父は、口で言うこととウラハラに、最愛の故郷に戻ろうとは しなかったなあ。
お墓は千葉にあるけど。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて 遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
…
話を戻すと、
念入りな備蓄に励んでおいたが、今回は必要なかった、
良かった良かったと言えてるうちは、そりゃ、あくまでも「想定内」で済んだからこその話。
どれも これも、田舎で土地持ちとか、経済的に余裕が ある世帯の人の お説教でしかない。
これまでに起きた「想定外」クラスの大災害で、厭というほど知ったはずなんだが、ひとたび、本当の「想定外の」大地震や洪水などが起きたら、全てワヤでんがな。あるいは、どこかにスッ飛んで流れていってしまうがな。
要するに、
「備蓄を!」と言ったって、
現実問題、猫の額ほどの庭もない、大量のストックを置くことも不可能な狭い住居では、物理的に無理な話なのであり、ことに都会では、多数の人が それに該当するはずだろう。
近頃は、「忘れた頃に」どころでなく、頻々と大災害に見舞われる この国。
今回のような大きな台風などの災害・事故が起きる前と、起きてしまったときも、たとえば、事前の避難の必要性を予測・推測し得るなら、それを周知させることは勿論だし、被害世帯は一律に当面の家賃を減免するといった福祉施策も、被災後の復旧工事も、殆どの段階において、個人が所有する住宅や民間業者の賃貸が不規則に散らばってるよりは、まとめて把握し易いし、その分、やり易いはず。
ところが、
飽くまでも個人の持ち家政策というのを、土建屋『自民党』による長過ぎた政権は、ずーっと押し通してきたよね。
かなりの富裕層(そして、日本では、あるいは日本でも?ごく少数に過ぎない層)でもないかぎり、個人所有の不動産だと、万一の大災害に備えた設備も、日常的メンテナンスも、被災後の工事も、大きな出費になるから、ことごとくが、敢えて おざなりにならざるを得なかったりする。
去年だったか今年前半だったか、当ブログでも取りあげたが、あの東北の大災害以降、倒壊危険のある個人所有家屋を どうすることも できずに住み続けて(「自己責任」?w)、インスタント ラーメンを すすって暮らしているという高齢者の記事も あった。
というわけで、
最終的には、やっぱり、行政なんです。
今後とも、
特に都会では、1人世帯の手狭なアパートなどの住居でカツカツの生活している層は、減るどころか増えると想定し、国を挙げて、対策を練ってもらわんと。
政府や行政側を甘やかすようなことばかり言ってられっかよ。
国民の大多数が、ヘンに おとなしい良い子ちゃんばかりだから、この国の政治屋どもはタカ括って、
自分らの権力や利権争いにばかり血道を上げるんだわ。
特に『自民党』の支持者には昔から、暴力団や右翼団体が多いの、有名じゃん。
今回の新閣僚からも、もう また出始めてるよ。
日本の場合、「ボランティア」とか「ノブレス オブリージュ」たらいう高尚な精神的土壌が乏しいほうだからなのか、そういうのに頼るのも、なかなか困難なようだけれど、
災害時には早速、悪いことする輩が出没するね。
それでも日本では、まだしも少ないほうだとされるけど、
「オレオレ」だの「振り込め」だのといった、従来の通信に加え、インターネットも駆使した、単純にしてタチの悪い詐欺事件も多発、
被害側の同一人物が一度ならず、またも ひっかかるという呆れた事態まで起きてる時代だ。
神戸ナンタラ組の「ハロウィーン」のオヤツばらまきで「子ども釣り」も、やっと問題になってきてるが(もっと糾弾すべき!安易な親を。)、
これって、私が20歳代の頃だったかに、テレビで話題にしてたのを見た記憶が あるんだけど、最初は、
組の「姐さん」ってのが、お菓子ちょうだいと、なかば好奇心とフザケてだろうが、ネダリに行った子どもらに、はいはいと渡してやったことが発端だったらしい。
ほんのちょっとのことから、一般の「カタギ」や子どもたちの心の隙間に しのび込んでくる「反社」。もっと用心しなくっちゃいけないよ。
阪神の大地震のときも、東北の大災害のときも、
意外や、暴力団が大活躍ってねw
ヘタすると、ヘタするで。
なんせ、いわゆる「オレオレ詐欺」の根っこでしょ。
家屋のなかに入り込んで、そこの住民の内訳や ようすを探り出すのに絶好の機会やないかい。
いちいち疑うのもエネルギーいることだけど、身もとは だいじょうぶなのか、そういうのも気になってるところ。
【続く】