2020.08.16 (Sun)
『「積極的平和主義」とは』の続き。
ま、天皇の「おことば」もアベシの談話も、『靖国神社』だのも、どーでも いい。
いずれも、私にとっては無意味なこと。
私個人として、また、曲がりなりにも この国の国民の一人としては、
あの時代に一兵士だった人の悲痛な叫びである、
「えらい人は、責任とりません」
という告発のコトバと、
昭和天皇の言い放った、
「どうも、気の毒だとは思うが」
という、
この、対極に位置する2種の発言だけ、今後の終生、肝に銘じていようと思う。
ところで、
この暑いのに火事だの鉄道自殺したの撃ったの殺したのと、
このクソ暑いさなかくらいは、じっとしておれや!!はた迷惑な、と言いたくなるくらい、ここは、どこのインド?と訝しくなるくらい、くそ暑い夏だ。
最近の事件のなかで、特に論議を呼んだのが、例の「バイト殺人医者」の件。
私は、報じられた直後から、この事件のことを取りあげ、当ブログで幾つかエントリーをアップしてきたが、そのときから、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』の患者さんたちに取材するにしても、なぜ、一般的な平凡な経歴の、それも、女性に取材しないのか?と疑問を呈しておいた。
やっと、ある女性の患者に取材した記事が出ていたけれども、
このケースとて、日常、主としてケアを担っているのは、かつてはクラスメートだった、同年齢の御亭主だ。そして、早々に仕事を辞めておられるという。
これまでのところ、関連各団体など、あるいは専門筋・識者などの声明を読んでみても、どこかが、多かれ少なかれ、ピントがズレている。
と思っていたら、
これも、どこかのローカル紙が、やっと取りあげていた。
すなわち、当該事件の「嘱託殺人」を依頼した患者が置かれていた生活状況の現実面。
ああ、やっぱり、と思ったのは、私も指摘しておいた、意識や思考が明瞭にして、しかも女性患者ならではの辛さ。
排泄ケアにまで、男性のヘルパーが あたっていた。
患者は、このことへの辛さも訴えていたという。
これは、まぎれもなく「尊厳」にかかわる事態では ないのだろうか。
誰も、どうすることもできないのなら、その実態、現実を無視して、まずは「生きていていいよ」(←なんだか、お情けみたいなw)と言える社会を!などという主張は、むなしい。
もちろん、
国家財政のためにも、高齢者と障碍者はサッサと死なせるべきだ、
という、いわゆる「ウヨ」「ネトウヨ」連中の えげつなくも冷酷を剥き出しに憚らぬ主張なんぞは論外。
しかし、
さあ、どうですかね?
いわゆる「サヨ」「サヨク」「ヒダリ」と見做されている人たち。
ここでも現状を無視し、自分たちの理想論ばかりを頑として振りかざしている、という批判を、どのように撥ね返せるのかな。
豪も撥ね返せないまま、ひたすら理想論を気の済むまで述べるだけでは、たしかに、これも「硬直」の体だ。
いわゆる「サヨ」「サヨク」「ヒダリ」方面と見做される人たちの主張も、実のところ、本当に、「弱者」や「マイノリティ」層に寄り添ったものとは かぎらないのでないか?という疑いを、私は持っている。
現に、彼らの声は甚だ小さく弱々しいままだ。
彼らにしたって、しょせんは他人事だからなのだろう。
むろん、
「国家を案じ」「国家財政を危惧する」フリだけの私利私欲連中すなわち「ウヨ」「ネトウヨ」連中の主張などは、鼻も引っ掛けないよ、私はw
あやつらの実態も また、自分らの気の済むような税金浪費と横流しには大いに肯定なのだから。
あの連中の、ものすごいアタマの悪さと妥当な論理力の乏しさ、全体の見通しゼロぶりは、すでに明らかだし、腹黒い所業だけ、いっちょまえ。それすらも、アメさんを筆頭に、諸外国には負けっぱなし。
結局のところ、
「サヨ」「サヨク」「ヒダリ」側でも「ウヨ」「ウヨク」「ミギ」側でも、その硬直的ポピュリズム性においては、イイ勝負(嗤)
どうりで永遠と、常に争っているわけだw
だから、私は、どっちも嫌いなのですww
2020.08.16 (Sun)
「原爆投下」肯定へと繋がる。
少なくとも、日本の現憲法から「戦争できる、普通の」憲法へと変えることを望んでいるというアメリカにしてみれば。
甚だ不勉強かつ苦労知らず、世間知らずのまま、不相応に担ぎ上げられ、年齢だけを重ねてきたアベシ個人に、それなりの思想だの理念だの信条だのは、ないだろう。
ただ、『日本会議』その他、いずれも利己主義にもとづく利益希求団体の意向どおりに、口パクを やってきてるだけ。
ひたすら軽いミコシは、「僕が やらせてあげるよ」と、国家権力を、仲間と見做した、または、ゴマすりに近寄ってきた連中の要望どおり振りかざし振り回すことだけを一心不乱に実行してきた。
最終的には、それによって、自分の存在価値を確保しようと専念してきた。
これでは必然として、国民全体のための政治は行なえない。
本人自身は、その自覚すら乏しいのかもしれないし、
あるいは「自己利益の権化」になって、何が悪いか?というところなのだろう。
しょせん、その価値観は、トリマキ・オトモダチ連中と同じゅうしているだろうから。
まあ、こんなのは、あの老害チンタロウと酷似した「ウヌボクサレ」人種の一員である副シュショーのアッソー氏も同じ。
アベシでもアッソ―でも、私に言わせりゃ、「名家」どころか、そもそもは、単なるナリアガリ2世3世でしかないんだけど、
要は『自民党』と、それに おもねる『公明』も『維新』でも、政治屋という者は似たり寄ったりだ。
常に、一部の連中の利益を図るための権力でしかない。
ここへ来て、
さすがのメディア各社も、胡散臭い「調査」モドキ「政権支持率」を、ほんの少しだけ下げてみたところなので、安倍政権としては、いっそう、威勢良い言動だけでも示しておきたいのだろう。なんせ、私利私欲のカタマリである『日本会議』やカネの亡者連中に突きあげられちゃうから(嗤)
せめても願わくは、そうした党に一線を画し、過去から現代に至るまでの流れをシッカリ勉強し、理想と現実を直視しつつも、根底の理念を歪めることのないように精進することを。
でなければ、
何のために、税金を割いて、潤沢な資金を得て、「先生」と呼んでもらえる身分なのか。
誤った政治のために、生活が苦しいなかから、必死に税金を納めてきた庶民・国民は やりきれない。
もっとも、私利私欲を掻いてるだけの一般国民も多いわけなので、そうでもない国民でも概ねは無知、思想性や思考力が低いのだから、そういう国民層に対する啓蒙の役割も大切。
なにしろ、日本の公教育も、それに勝るとも劣らない「教育力」を手にしているマスコミ・メディアも、そうとうにレベルが低いというのが実態だ。
そんなだから、せっかく、外国のトップ要人に質問させてもらえても、
「いったい何を質問したいわけ?」
と、たちまち問い返されるような恥を掻く。
あたま悪いのだろうか。
日本国内では有名大学を卒業して、大手メディアに就職して、それなりの地位に就いているのであろう記者でも。
ただ、うぬぼれてるだけ。
あっちでもコッチでも、そう。うぬぼれてるだけ。
あるいは、
日本の首相は、外国のメディア記者から質問されたら、いつものように、御用官僚が作ってくれた原稿を棒読みすることも叶わず、反射的に、
「俺に、そんな質問されたって!」
と言わんばかりの、ものすごい不満まる出しの形相を隠せない。
なさけない「首相」が あったもんだね、アベシよ。
でなければ、こんにちに至り、日本全体が、こうまで、内面性からも堕ちまくってるはずが ないのだ。
そろそろ、「発展途上国」だった、もとの本性に戻ったことを認めるべきところまで来ているのでは なかろうか。
まあ、世界第一の、という自負と冠を、みずから固執して手離そうとしないアメリカだって、ただバカでかいだけで、実のところは似たり寄ったりのようだが。
それにしても、
このところ、短期間で重症者数が2倍に増えているとかいう医師の指摘を読んだが、当然、このままでは、医療逼迫・崩壊の危険に再び直面することになるとか。
最近では、『指定感染症』の2類だっけ?その分類を変えろとか外せとか喚き始めてるのも目につくが、
この おかげで、そこらの病院で、フツーに診察・診療できるようになったとしたら、とたんに、あっという間に、その病院じゅう広がるね?
病人や高齢者が多いのが病院という場所よね?
若い者は軽症で済むのだからと、あとあとの後遺症(精子への影響とか)については敢えて無視し、百歩譲ってでも、とにかく、高齢者には死んでもらいやしょう!ということに割り切っても、ただでさえ高齢者の多い国、しかも、意外なまでに医療が万全とは言い難いレベルだったのが発覚してるのだから、
夏場の今でさえ、この広がりかただもの、本当に、秋・冬を迎える頃には、どうなってるだろうか。
そりゃあ、
いまだに、いわゆる「オレオレ詐欺」なんかにも易々と引っ掛かっちゃう、アホが多い国民だもの。
どうやら、これには、世間体が良くないような、隠された家族関係における特異な心理も絡んでいるらしいが、
まずは当該家族への折り返し確認をと勧める、尤もな忠告さえも振り切って猛進するらしいね、こんなアホみたいな者が、なぜに億単位もの貯金を有しているのか、フシギで しゃあないわよ。
まあ、私なんかは、家庭環境も障碍も原因になってるにせよ、なぜ、ここまでアホでもないのに生活が苦しいままという、この国の現実なのかと、憤りを覚えるわ。
だって、
なんせ、騙し取られた そのカネの行先は、「暴力団」や「半グレ」集団だというじゃないか。
いいかげん、このテの詐欺に引っ掛かった者を、ただ被害者扱いせずに、むしろ、犯罪加担者と自覚させるべきだ。それをもって、防止策へと繋げるべき。
家族のために犠牲を厭わずな自分、というウヌボレから、犯罪加担した者である、という現実を厳しく突きつけることで、みずからへの戒めとしてもらいたい。暴力団や半グレを肥やすなどとは、もってのほかだ。
ところで、
戦後75年を経た『終戦記念日』という日にさえ、誰も言わない、ダンマリなままの『沖縄メッセージ』の件は、なぜに起きたか。
もともと、ふつうの人間として育っていない、どこまでも特別扱いで当然とされた「現人神」さまだ。
原爆投下の被害を直接に被った地の市民たちですら、バンザイバンザイの大歓呼でもって迎えたという事実。
何のケジメらしいケジメも つけさせずに、甘やかし、うぬぼれさせた結果だろう。
そのウヌボレは、こんにちの日本人全体のウヌボレに通じていく。
どこぞの国や民族と同様、劣等感や忸怩たる思いに苛まれるとなると、裏腹なウヌボレも同時に増大するものだ。
そこには必ず、荒唐無稽な創作「神話」が つきまとってくる。
あたかも「公理」のようであるか。
高名な数学者ともあろう者が、じつにバカげた歴史認識や主張を遺しているというのも、そのサガゆえなのだろうか。
(もっとも、過去エントリーで、私は、このあたりの奇妙さを指摘し、疑問を呈してある。)
戦時中の庶民クラスの生活でも、彼我の違いは圧倒的に大きかったそうだ。
もともと日本は貧しい国。
それがイイ気になってウヌボレて。
慎ましく、穏かに律する。これが今後も、日本の生きる道。
『75年目。』
【続く】
2020.08.11 (Tue)
『【続】母は食べたいものを食べる。』の続き。
どちらかと言えば、家事ぎらい、特に掃除ぎらいの母親は、もともと、いちおうの専業主婦だった頃は、『PTA』やら町内会の活動を、本人が好きで、熱心に やってたし、
東京の叔母(母親の妹)の所へ、長期間の手伝いに出たり、資金を溜めて帰阪後は、自分の店を始めたりで、ほとんど、家に居なかった。
まあ、私という末っ子以外の家族全員は、だいたいの嗜好が似かよっていたからかな、
うちの母親が、そこそこ真面目に努めていたと評価でき得る日常の家事は、ほぼ唯一、夕食づくり(および、その買物)。
それも、自分が食べたいもの優先w
それでも、朝食なんかは手抜きならマシなほうで、そもそも作ってくれないことも多かった。
体質のせいか、寝つきも寝起きも悪い私は、「朝ご飯くらい、自分で作れば いい!」と言われるのがハナから分かってるので、空腹のまま登校し、午前の授業中から、胃がキリキリ痛むことも多かった。
お弁当も、作ってもらえないこと たびたびだったが、それも、朝食と同じことで、母親の体調しだいだからと、文句を言う気にもならない。パン買って済ませる。
親父なんかは、
ハイ、朝ご飯と出された皿に、人参の繊切りだけが、山のように盛られているのを見て、思わず、
「わしゃ馬かー!!」
と、叫んだというw
そんな親父は、本当は母方の伯母に当たる養母を、小学生のときに亡くして以降、やはり、これがまた大酒呑みだった養父の毎日の食事づくりと買物を担わされていたそうで、そのような「訓練」の おかげで、あの世代の日本の男にしては、家事全般に対し、ひととおり慣れていた。
私の母親である女房が最もサボりたがる掃除、特に、トイレ掃除などは、もっぱら親父が自分から やっていた。
まあ、今にして思うには、
たいへんデブだった、私の母親の足の爪を、親父がパチンパチン切ってやっていたところを見ると、あの母親の巨体では、おなかが つっかえて、狭いトイレのなかで、どうにも身動きしにくかったからなのだろうw
昔々の時代の母親なんて、実質は共働きみたいなもんだから、一番下の子は、一番上の子に おぶわせて、じいちゃん・ばあちゃんも いただろうし、近所の眼や おせっかいも あり、当の母親自身が直接に育児する場面は、意外と少なかったらしいのだね。
もう一度、言いましょう。
夕食なんて、自分が食べたいなと思うもの優先で いいんです。
それなら、そこまでの苦痛には ならないでしょう。
せっかく便利になった世のなかだ、適当に買ってきたやつ、買い置き品でも いいでは ないか。
他のメンバーには、それぞれ好みの一皿を。
食べないのなら、ほっときゃいい。
空腹に耐えられなくなったら、たいがい、どんなものでも美味しく食べられるんだから。
そして、子どもたちには、小学高学年ともなる頃には、基本的な家事や、自分の身のまわりのことは、ほぼ全て自分で させること。
ご亭主の洗濯なども、休日に、ご自身でやってもらえば いい。
何でも全て奥さんに やってもらってたら、老齢になって困るかもしれないのだから。
うちの実家では、洗濯も、各人それぞれ自分でするので、時々、洗濯機の奪い合いが起きたけどね(苦笑)
原因は、殆どの場合、自分の分を漬け込んだまま放置している母親w
トイレ掃除は親父、
台所の洗い物も家のなか全体の掃除も、私ww時々、親の靴磨きwww
特段の事情が ないかぎり、家事というものは、自分で、自分のために、できてアタリマエ。
それくらいに心がけていて良いのだと思う。
食事と言えば、
昔の日本ではと言うか、私が子ども時分でも、行儀として注意されたのが、
食事中は、しゃべるな、
よそ見せず、食事に集中しなさい、
ということ。
また、
大昔には、それこそ、「箱膳」っての使ってたんだよね?
まあ、「新型コロナ」について、先日のエントリーでも述べたように、
精子が、血栓が、といった、スパン予測も困難かつ独特の後遺症のことが指摘されている。
これについての、願わくば極端な場合の、懸念を言えばだが、
ただでさえ、出産数が激減し続けてきたうえにも、若い年齢層が甚だしく痩せていっている。やがて遠からず、日本国の総人口そのものが痩せていくであろうという、そこをダメ押しするかのような後遺症じゃないですかね?
「永遠の夜盗」たる『不自由民死党』が長年にわたって、この列島の政治権力を独占し、この国の、もっぱら庶民・国民・一般有権者をば狙い撃ちの如く、最終的には根絶すべく、
「シネシネ大作戦」
と密かに銘打った策略の もと、各方面へ着々と仕掛けてきた時限爆弾、その名も、「日本全国ツツウラウラ弾」。
その遠大なる目的と目標は、大海原の向こう側の某国と密接に連絡とり合ってか、天の配剤をも得てか、あとから あとから襲いかかってくる激甚災害、原発大事故と、矢継ぎ早の襲来。そこへ、
「とにかく長くやりたいでぇす♪」
と、よみがえった、クリーチャーアベシ。
その、いかにもなナイトメア政党の構成員ぶりによって召還された彼と、そのバックに控えたる「冷酷キシ団」によって、
「こんな人たちシネシネシネ~」大作戦も、いよいよ総仕上げの段階に入っておると思しい。それが、このたびの、未知なるウイルスなのだ。
「こんなの恐れるな」「論理的に考えろ」「冷静になれ」「データを見ろ」
と訴えながら、
そう言う自分こそが、真逆であることを曝け出しているのに気づかないのである。
だってさ、
データなんて、どーにでもなるヨ♪ってこと、アベシらが如実に見せつけてくれてるじゃんか┐(-_-)┌
たしかに、「両輪で回していかないとならない」ときに、
とにかく、片っぽだけでも全開で前へ進もうぜ!!と檄とばしたってさ、不可能なのよね、それはね。
つまり、
「ただのカゼなんだよお!バカやろう!!」等を主張している当人こそが、最も感情的になってるってことだ。
そのうえ、これも当然のことで、
賢く、先々を見通しているつもりで、実は、ご本人、自分の鼻先までしか見えてない。
ま、実際、ここは「バランス」を どのように取っていくのかが、ただいまの局面の非常なる困難さだ。
だから、「いきなり全部もとどおりはマズイでしょ」と言っておいたの。
「ただのカゼ」説にしたって、
ただのカゼでも、マスクはするもんで。
個々人は、マスクにせよ、外見と形式を重んじる国民性だから、その線のことは、大多数が従順だろう。
けど、もしも、勤務先や取引先で、「うちはマスク禁止!」って申し渡されたら、それにも逆らうことなく、最初から従順だろうよ、この国の人の殆どは。
今更な現政府の口先・無能・雲隠れ本性もだが、これは、一般大衆国民の反映。もう何度も言ってきたけど。
それと、この国の、経営者層の頑なさ、愚かさも。
「経営者」と名の付く層の殆どは、「アベノミクス」大礼賛してたでしょ(嗤)
いや もう、「アベノ」と付きさえすれば、脊髄反射で礼賛だよね(嗤)嗤)
硬直ニッポン。
(まだ死んでないうちから即時硬直する特異な国民性w)
2020.08.10 (Mon)
『母は食べたいものを食べる。』の続き。
ちなみに、
うちの母親は、腹違いまで含めると、けっこうな人数になる姉妹兄弟のテッペンに君臨する「大長姉」として育った。
かたや、
親父のほうはと言うと、たいへん裕福だった生家から、千葉の片田舎の貧乏な伯母の家に連れ去られて、その跡取りの一人っ子として生育したのだが、
自分の好物を前にするとき、親父は、何故か、必ず、傍に居る者らに、「おまえも一緒に食わんか?」と尋ねてくる。
娘の私なんかは、先述したように、親らとは、好物の種類が かなり異なるので、「いらん」と断るのだが、一回二回ことわったくらいでは納得せず、3、4回ほども執拗に確認してくる。そのうえで、
「なんだ、こんな美味いものをな」
と憐れむように首を振り振り、そして安心したように、やっと、食べ始める。
あるときなどは、
その当時、飼っていた子猫が、晩酌のアテに並べられた刺身を食べてる最中の親父の口もとと箸の往復を、穴のあくほど
見詰める。
「うっ」と詰まったような、妙な呻き声を洩らしながら、親父は自分の刺身を一切れ、猫に与えてやる。やるが早いか、これまた電光石火の勢いで、子猫はゴクンと呑み込んでしまう。
そして また、もとの体勢に戻り、さっきと同じように、親父の口もとと箸の往復を凝視し始める。
猫が好きなほうでない親父は再び「うっ」と呻き、今しがた、箸のあいだに挟んだばかりの刺身を、またも与えてやるのだが、
子猫ときたら、刺身を呑み込むスピードが、あまりにも素早すぎる。
「こらーもうちょっと味わってから呑み込まんかい!あんたは、さっき、ご飯をタラフク食べたばっかりやろ」
と、怒鳴りつける私w
結局は、母親に促され、諦めない猫を、部屋の外へ締め出すことになるんだけど。
私はね、人間さまよりも先に、飼っている犬や猫の食事を最優先で済ませておくから、今度は、こっちが食べてるときに、猫が凝視してこようが なんだろうが平気なのw
人間用のものを、少しは分けてあげてるのに、いつまでも聞き分けないで、行儀の悪いことを したら、自分の子どもを叱るかのように、大音声で どやしつけますww
さすがの母親も、「あんた、猫に そない怒っても」と、呆れるほど(笑)
大学生だった、大喰らいの兄なんか、親が不在の日に、自分が代わりに作ってやった犬の ご飯を、そのまま自分で食っちゃったからなw
「ん!!これはウマいわー。犬に食わせるのは惜しい♪」ってww
冷や御飯を ゆるめて、ちくわを投入しただけの餌www
わんこカワイソウに(苦笑)
なので、
こういったことどもを思い出すたびに、私は、少しく引っ掛かるものを感じるのである。
何人もの弟妹を抱え、亡母の代わりを任じる「大長女」だった うちの母親が、自分の好物を独り占めにする癖を堂々と憚りもせぬ。
かたや、
跡取り息子として請われ、連れ去られた養家の一人っ子で育った親父は、それが自分の好物であるほど、周囲に気を遣い、と言うよりも、
「俺の好物が食えんのか?」
という、ほとんど恫喝の勢いで訊ねまわり、猫の視線にも怯えて、呻きを洩らす。
いったい、どういう心理なのかと。
だって、こんな成育歴なら、ふつうは、うちの両親とは真逆の態度になるだろう、というイメージじゃない?
で、まあ、話を戻すと、
私の周辺の男性たちは、それぞれ、性格から成育歴から全く異なるのに、料理好きという共通点が あるので、「食べる人」を任じてきた私。
嫌いというほどでは ないのだが、得意でもない、ハッキリ苦手な作業である料理を、ましてや、自宅の狭いキッチンなら尚更のこと、甚だ、めんどくさい。
それでも、
私とは嗜好が異なる親らのために、慣れぬ包丁を振るい、鍋釜を揺すって、並べあげた料理を つついている親らの ようすを眺めてから、疲れた足を引きずり引きずり、自宅マンションへ帰りつく。
途中で買った、コンビニのサンドイッチを頬張りながら、持ち帰り仕事に とりかかる。
そんな日々のなかで、母親は、入退院を繰り返していき、とうとう最後となった入院中、うちの親らの知り合いだと言う、私のほうは、顔も知らない、全く記憶にもなかった、近所に住んでるらしい老齢の女性から、
「あんた!おとうさんの世話してあげてるの?えらい痩せてきはったやんか!食事くらい、つくってあげなさいよ」
と、いきなり叱りつけられたことも あった。
んなこと言われたってですな、
私も早朝から夕刻まで仕事、それを終えたら、その足で、母親の病室へ駆けつけ、なるべく、看護婦さんたちを煩わせないようにするため、食事介助やらマッサージやら清拭やらを済ませ、疲れ果てて帰宅したら、コンビニめし食べつつ、ウトウトしながらの持ち帰り仕事だよ。
毎日が、睡眠時間2時間。
しかも、こっちも虚弱にして病み上がりの身だわ。
いや、しかし、どうりで、
ある日、実家に用事で立ち寄ったとき、親父が得意そうに、かつ苦笑しながら、
「どうだ!こんだけ!」
と見せてきた台所の生ごみ1週間分は、最小サイズのコンビニ袋一つに おさまってたなあ。
それでもね、
母亡きあと、今度は、親父ひとりのための食事づくりに通いましたがな。もちろん、本人の嗜好に合わせて。
幼い頃から、暴言・暴力ふるわれてきた、隠れ「アル中」の親父のためにね。
子ども心にも、ずーっと恐れてきた将来の予感。
その忌まわしい予感どおりの生活になってしまったなあと、
どれだけ なさけない思いに沈んだことか。
いつの間にか、
何の役にも立ったことがなかった腹違いの きょうだいのみならず、
親父を担当していたヘルパーさんから、近所の煩いオバハンらにまで、私の悪口を言い散らしていた親父。
私の苦悩は、誰も知らない。
(↑聖書か聖歌だかに、こういうコトバが出てくるらしいw)
…
その頃になると、親父のほうも、進行していた『パーキンソン病』や何やらで、椅子から立ち上がるのも座るのも一苦労の状態になっていた。
私は、もともと苦手な料理を、やっと済ませてから、食堂に来るようにと、親父を呼び出す声にも、ついイライラが滲んでくるのを抑えられない。
大皿に盛りつけた、牛肉の細切り入り炒め物を、高齢になっても変わらず、肉類も大いに好んだ親父は、持病のせいで震える箸を、四苦八苦のていで摘まみ、摘まんではポロポロこぼしつつ、「うん、美味い」と呟く。
その向かい側で、かつては、母親がノッシと座っていた椅子に腰掛け、親父のようすを見守りつつ、テーブル下の床に落とした おかずや御飯のカケラを拾っては、それを そのまま口に運ぼうとするのを たしなめながら、すっかり空腹の自分も、どれ、と箸を伸ばそうとして、思わずギョッとした。
親父が、今しも、牛肉の一片に向けて箸を伸ばそうとしていた私のほうを、険しい顔で睨んでいたから。
…
いまだに、あっけにとられた気分のままだ。
実は、すでに認知症も始まっているということを、主治医から聞いていたので、その影響も あったんだろうか?
というわけで、
誰でもない、自分自身が選んだ伴侶や、望んで産んだ子どものための食事づくりでしょ。
なにを、そこまで、悲劇のヒロインになって、、、と言いたくなるのはグッと抑えて、
こうアドバイスしましょう。
きょうの、今の、自分自身が食べたいものを作りゃあイイんです。
ご亭主や子どもの好みに合わない場合は、まあ、これなら、文句までは言わずに食べてくれるだろうものを、それぞれに一品、買うなりして加えておけば いいでしょう。
たまには、家族全員の好物である献立にすることくらい可能でしょうし。
そして、
子どもたちが小学高学年にもなったら、初歩レベルの家事と、自分の身のまわりのことは基本的に自分で できるように育てましょうよ。
「よく仕込んであるなあ~」と感心されるほど、家事の手伝いに積極的だった(やらないと、母親も激怒するのでw)私自身、小学低学年の頃には、そのようになっていたわ。
【続く】
2020.08.10 (Mon)
こないだ、どっかの「奥さま向け記事」みたいなとこで読んだには、
家庭を持つ女性が、いまだに負担を大きく担いやすい家事のなかでも、特に、毎日の食事づくりが苦痛と悩んでいる人が多いという内容。
うん、
私自身は、「主婦」だったとかじゃないけれど、
実家の親らの病気が深刻度を増し始めてからは、その日の親の希望する献立を確認しておいて、勤務先の仕事を終えたあと、食材を買いまわり、それから実家へ直行して、料理にとりかかっていた。
うちの母親は、実母を、小学2年生の年齢のときに亡くしており、
そのせいか、これまで何度かは触れたとおり、その前後から、弟妹たちのために担当していたという料理が得意だったので、すべて自己流で、和食店を経営していた時期も あった。
せっかく、お得意さんたちが多く通って来てくれるようになったあたりで、タクシーどうしの交通事故に巻き込まれ、長く入院しなければ ならないハメになり、最終的には、店を売って、手離したのだが、この事故による入院治療中に、『C型肝炎』というやつを もらってしまったようで、このため、後年になっても、ずっと、通院生活を続けなければ ならなかった。
そんな情況に在った ある日のこと、
偶然、母が小学校時分の級友だった人と、病院内で再会し、先方も同じく、型は異なるが肝炎だということで、しばし、話し込んだという。
先方の女性は、そうとうに気分も塞いでしまっていたようで、彼女の親の代から経営してきた老舗喫茶店も、すでに たたんでしまったと言い、うちの母親も また、経営していた店の経緯もあり、それを めぐっての苦労話や、お互いの これまでと現在の生活のなかでの体調のこと、特に食事のことなどに話が及んだそうなのだが、
相手は、自分で料理するのもシンドイときなんか、どうしてる?と聞くので、うちの母親は、しんどいときは、そりゃ、店屋物を頼むことも多いよ、などと応じたが、相手は なお、
「けど、店屋物かて、続いてくると飽きてしまえへん?」
とボヤクので、母親は、すかさず、
「せやから、自分でも時々は作るんやんか」
と答えたという。
実際、うちの母親って、おすしが大・大・大好物だったので(笑)、それは もう、「江戸前」式の、新鮮な魚介を用いたものは勿論、大阪では昔から好む人の多い、『バッテラ』(+うどんセットね 笑)も大好物、とにかく海産物の類と「すし」と名の付くものは毎日でも飽きないというくらいだった。
まだ元気だった頃は、来客もないのに、自分一人が食べる寿司の出前を、ほぼ毎日のように取っていたのである。
私が実家で生活していた頃なんか、その日も、昼時となったので、なじみの寿司屋から出前を頼もうと言い出し、苦手なネタが多い私が食べられないものは、母親が喜んで、ひとつ残らず食べてしまうのが決まっているので、とりあえずの「盛り合わせ」などを注文し、届けられたのを見てみたら、非常に珍しいことに、小ぶりながら鮑をネタに握ったのが、2個ほど加わっていた。
特に貝類を好んだ母は、鮑には殊のほか、目が ない。
意外さに驚きつつ、相好を崩して、まずは、その鮑の握りを真っ先に口にしてから、間髪を入れぬ勢いで、すぐさま、同じ寿司屋へ電話を入れた。
思いがけぬ大好物のネタを入れてくれていたサービスへの感謝を店主に伝えようと、、、んなわけないよ、もちろん。
高級ネタであるらしい鮑の握り そのものを注文したのでは、お代が高くなっちゃうから、要するに、先ほどと同様、「盛り合わせ」を追加で頼めば、その桶に再び、いとしい鮑が、と狙ったわけなのだったが、柳の下にナントヤラで、残念ながら、もくろみはアッサリと外れて、いつもの内容の「盛り合わせ」に戻っており、可愛い鮑の姿が、どこにも見えない。それを確認した母親は、
「ああ、やっぱり、、、そうは いかん かったなぁ~」
と、肩を落とし、哀しそうに照れていたw
…
二回目に倒れてからは、親父に付き添われて、リハビリを兼ねた散歩に出たら、通りすがりの回転ずし店を目ざとく見つけ、そこへ通うことも始めた。それくらい、一番の好物だった、おすし。
それでも、自分自身で和食店経営の時代が あるだけに、もともと、いわゆる「口が肥えて」いるうえ、料理が得意なだけあって、質や味には、常から厳しい。
体調が良くないときには尚更、ごく簡単にでも、みずから調理しようという執念を持ち、あたかも「食べて治している」ようなところが あった。
そんな母親も、最後の入院に至る前後は、以前の調子で食べることが できなくなっていった。それと同時に、どんどん弱っていった。
私は、実家に居た頃から、母親を見ていて、「おかあさんのようなタイプは、食べられなくなったら おしまいやね」と指摘していたが、そのとおりになった。
私はね、そんな親に似ず、料理も苦手(苦笑)
好きなものを食べることは、もちろん楽しいことの一つだけど、母親ほどの食い意地は張ってないし、好き嫌いのみならず、体質に合わないために食べられない食材も多いほうだから、親らの気に入る食事づくりとなると、こんなメンドクサがりの私でも、かなり、気を遣いました。
最初の頃は、きちんと切っておいたつもりの人参を、お箸で摘まみ上げたら、ぞろぞろ一列に連なってきたので、「これは何や!」と、テーブル越しに、呆れ顔で睨まれたりしたもんですw
でもね、
段取りの悪い、嗅覚も味覚も、生まれつき鈍いほうの、いたって大雑把な腕しか持たない私だけれど、どういうわけか、最終的に、味付けだけは、失敗と言うべきほどの失敗を したことは ないのだ。目分量でもね。
なので、食べられないほどの失敗を してしまう人が理解できないくらい。
つまり、
ちんたらモタモタあたふたの果て、やっと、それらしく出来あがった、
どれ、だいじょうぶかなあ?と、ひとくち運んでみたら、
「うん、まあ、うまいこといったやんか」と、辛うじての及第点。
でもさ、疲れるのよ、そりゃあ。
だいたい、私自身が食べたいと思って作ってるのと違うんだからね。
うちの両親とも、なかなかエネルギッシュだった原因なのだろうか、殊のほか、魚介類に目がなく、その他にも経験してきた様々な美味いものを よく知っているし、特に母親は「病気の問屋」を自負していたわりには、
いや、だからこそというので、まあ「美食家」であり「健啖家」だった。
最初は、些か疑わしそうな眼つきで、私が並べた料理を眺め渡し、おもむろに、お箸を取りあげ、気難しげな表情で味見にかかる。と、
「うん!これは美味しくできてる!」
と言うが早いか、次の瞬間、
皆で取り分けるための大鉢ごと、食卓の真ん中からズィ―っと、自分のほうへ引き寄せていき、自分の目の前に据え置いたが最後、親父も私も、手が出せなくなるのである。
あとは、母親が独り占めw
負けじとガンバって、こちらから腕と箸を伸ばし、せめて ひとくち、と思う前に、もう あらかた、食べられてしまう。
母親は、食べるスピードも異様に早いのだ。
だが、見ている分には、決してガッついてるでもなく、いたって ゆったりと食べ進めているようにしか見えないのだが、フシギなことには、なぜか、こちらが、ああ、、、と言う間に、食べ終えてしまっている。
また、
母親は、食事しようと入った店で、注文したものが すみやかに運ばれて来ないと、刻々、キゲンが悪くなっていく。
しゃれたレストランで、フルコースなんぞを頼んだひにゃ、差し向かいに座った私は、ハラハラするはめになる。
料理の運びや給仕の段取りが少しでもモタつくと、まず、ピキッと、眉間にシワが寄り、2度3度モタつきが続くと、その店の悪口をブツブツ口走り始めることすら あるからだ。
まあ、店側の手腕にも問題あるなと思えても、急いで運んでくるウェイター・ウェイトレスさんの、なんとも言えない焦った表情を見るにつけ、私も、せっかくの料理を味わうどころでない。
もう一つ、うちの母親の致命的な悪癖は。
自分が食べ終わって満足したら、すぐさま立ち上がり、支払いを済ませて即、店内から去ろうとするのである。
私は、食べるのが人並みより遅いわけでは ないが、早いわけでもないので、殆どの場合、母親のほうは、とうに食べ終えている。そして、まだ終えていない私にイライラし始めているのが伝わってくる。ついには、バッと立ち上がったと同時に、「まだか?行くで!」とピシャリ言い捨て、フォークやスプーンを握ったままの こちらを置き去りにする勢いで、本当に、後ろも振り返らず、さっさと出て行ってしまうのだ。
【続く】