2016.10.10 (Mon)
『「ありえない」デフォルメの許容範囲とは。』の続き。
時代劇なんかについても、考証の専門家から、あの番組メチャクチャしてますぜ、という旨の指摘を時々、読む機会は あるけれど、一般視聴者の側としては、教えてもらうまでは、なんとなく、そんなもんかと思ってて、ほとんど疑わないわな。
なぜなら、本当のところを知らないからだ。
医者や看護師や警察官は、そのへんの個人の範囲でも、日常で接することは少なくないだろうが、
プロの校閲者に接した経験が ある者は、間違いなく、それらの職業人とよりも格段に希少である。
世間一般では、「校閲」というコトバすら知らないでいる人のほうが多いかもしれない。
ましてや、「校正」と「校閲」の違いなんて、業界経験のない人は、知らないでいるほうがアタリマエなのだろう。辞書を引く気もないだろう。
むろん、
「校正」と「校閲」とは重なる面もあるが、本質的には全く異なる仕事だ。
簡潔に言えば、
校閲者は、校正者も兼ねられるだろうが、
校正者に、校閲者が兼ねられるとは限らないのだ。いや、兼ねられないことのほうが、ずっと多い。
案の定、無知で浅はかで妄想を述べては、他者を貶めんことに余念のない「ヤフコメ民」が、「ヤフゴミ」捨て場にワラワラ集ってるけど、
本当に知っている立場の者から見たら、こんな無知・無教養を恥じる能すらもない、哀れな存在も ない。
シナリオから校閲に至るまで、それぞれに多かれ少なかれ経験を持っている私には、一目見ただけでも分かることだ。
毎度のヤフコメ民は、まともに仕事したことも何らかの職業経験を積んでも こなかったのか、あっても、非常に限られた世界の経験しかないのに(仕事にも人生にもw)、
同一人物の重複投稿が、かなり混じっているとしても、ほとんどが、
極めて貧弱なる想像&
「ググって」知ったか&
ウヌボレ満開
で投稿しているに過ぎないね。
恥ずかしい言動を撒き散らす前に、少しは謙虚ということを覚え、おのれの無知を わきまえておくほうが いい。大いに傍迷惑だから。
ましてや、その人生において、ろくろく、仕事や職業に就いたこともない、たとえば、自称「自宅警備員」以外には経験もないようなヒキコモリやキャリア無しはね。
そんな状態のなかで、少しは、実情や現実面に より近い指摘が できている投稿者も、ごく僅かながら いるよ。
この場合は、
まず、自分は知らないのだという自覚が あるから謙虚にならざるを得ないということ。
ネット検索してみて、にわか知識を仕込んでおいて、それが さも、最初から、自分の身に備わった知性で論じているのだと言わんばかりの臭い芝居を演じないこと。
自分の知らない職業について、威丈高に論じたがる前に、まずは、想像力と視野を広げる練習を してからでも遅くは なかろう。
ネットのなかだけで、きいたふうな投稿に明け暮れ、すでに老齢に さしかかっている連中は、今更、どう改善することも叶わず、デカくて分厚い色眼鏡を掛けたまま、この世を去るしかないだろうが、
ええ若いもんが それでは、あまりにナサケナイし。
これじゃあ、どんだけ恵まれてて、そのまま年老いていけた苦労知らずでも、最も侘びしい年寄りじゃないか。
いまどきは、「書を」じゃなくて、ネットを捨てよ、街に出よ、だわな。
せっかく、自由の利くカラダと若い脳みそを持っているうちに、もうちっと、視野を広げておくために。
ネットあたまとネット色眼鏡がブクブク肥大・肥厚しきって、
もはや取り外すことさえできなくなってしまわないうちにね。
テレビのドラマや歌謡番組やバラエティ番組の類は、もともと、ほとんど見ないほうだった私も、自分が ごく若い頃には、まだ、インターネットやパソコンが一般には普及していなかったことを、むしろ幸いだったとすら思える。
ネットあたまにネット色眼鏡を掛けたままで死にたくは ないもの。
さて、当該職業について言い添えておこう。
極端な言いかたではあるけども、ごく初歩レベルの校正作業なら、専門スキルが なくても、業界用語を知らなくても、
ぶっちゃけ、単なる「間違い探しゲーム」感覚で できないことも ない。
その程度の仕事で済むのであればだが、何よりも、視力が良くて、体力が旺盛で、
元の原稿と、チェックするべき原稿とが、ぴーったし同じに出来上がってるかどうかをシッカリ見逃さなければいいだけだ。
要するに、若い人のほうが有利だろう。
だが、
もともとの原稿からして間違ってたとしても、単純な「校正ゲーム」では指摘できないよね。
いかに偉い人や博識なるセンセイや気鋭の学者や、大手新聞のベテラン記者であろうと、その原稿を書いたのが誰であろうとも、
校閲者は、的確に指摘しないと ならない。
その指摘は、もちろん、必要時には、印刷業界の現場技術者にも向けられる。
もしも、プライドの高い人たちを憮然とさせるようなことが あろうとも、
これは完全に無視される恐れが明らかかと思えても、
一歩も怯まず、そうしてあげることが仕事であり、職業人としての良心であり、相手のための親切でさえある。
なぜなら、著作者本人と著作物、出版社の信用問題に直結するものの、校閲者個人は、けっして表に出ることのない裏方スタッフだから。
光が当たったことは ないだろうし、ゆえに、地味なコツコツ世界。
校閲というものは、少なくとも、その分野において登場するコトバと、そのコトバの背景に横たわっている事実や事情、経緯までを網羅して備えていないと、いざというとき、手も足も出ない。
だから、
普段から、少なくとも職業上、必要、また、必要になるだろうと見込まれる情報を優先順位を考慮しつつ(無限の引き出しじゃないからね)選り分けながら、欠かさず勉強、勉強に尽きる。
私も、いまだに、知らないままでいたコトバなんて多々ある。
もっと ぶっちゃけると、学生時代は、文法の授業なんかも苦手で、興味なかった。
だいたいが編集業界というのは、厳しく締め切りに追われる仕事の典型分野だが、
当該記事でも述べられているように、校閲者が、一日で こなさなければならないチェック量はハンパないよ。
どこの出版社や新聞社も、自分とこから出している印刷物は全て、大概は一つの校閲部に通させているだろうから、このドラマが、もし、一つの雑誌につき、校閲専門部署を備えているという設定だとしたら、それからしてが荒唐無稽と言っていいと思う。そこは知らんけど。
なので、目を傷めたり(パソコンでチェックするようになってからは尚更)、ずっと机に向かったままだし、ストレスで胃を痛めたりは付きものだし、
幅広い知識と教養だけでなく、冷静さと責任感と根気と体力も要るわけ(←どれも、私に乏しい適性だぜ!しくしく。それだから苦痛だったわよ、とーぜんw)。
まさに、「舐めんなよ!」なのだ。どんな職業でも そうだけど、
知らない者が、とやこう言うのは、それが どれほど滑稽なことか、
ちゃんと知っている側にとっては、一目瞭然だ。