2013.12.22 (Sun)
拉致事件の埒 2010/07/24 08:40
教え子「淑姫」と禁破る
ここまでだけ読んだら、きのう おとといあたりのケシカラン教師を連想してしまうが(笑)
『教え子「淑姫」と禁破る友情関係 語られた北でのめぐみさん』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/419123/
~
めぐみさんは淑姫と別れ際に節約してためたお金で洋服やバッグ、くつを贈り、淑姫が非常に喜んでいつも大事にしていた~
ある程度、自由になるお金を、当局は渡していたわけね。
いくらくらい渡されていたのかな。。。
『金元工作員が証言 浮かぶ金総書記の拉致指令』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/419551/
~
体制の秘密にかかわれば、死んだことにされる。」
「彼らも人間で弱点はある。日本政府が戦略的にやる必要がある
~
北朝鮮は大韓航空機爆破事件をでっち上げとし、金元工作員のことを「ニセ者」と主張し続けている。だが、今回の面会は工作員養成の過程で金元工作員や「淑姫」とめぐみさん、田口さんに強い結び付きがあったことを証明し、改めて北朝鮮の主張の矛盾を突き付けた。
家族に対して金元工作員はこうも強調したという。「うそを暴けばいいんです。秘密を秘密でなくしてしまえば被害者が帰ってこられる」
~
(再掲)
「北朝鮮の自尊心を生かしながら、日本政府が(北朝鮮の)心を動かすことが出来る方法を考えねばならないのではないかと思います。そうした方法を研究すれば、奇跡は起こると考えます」(金賢姫元死刑囚)
「嘘を暴けば。」
嘘が嘘だということは十中八九、こちらにも分かっているではないか。北朝鮮当局が、もう何を言おうと疑わずにいられないほどに。
「秘密を秘密でなくしてしまえば」
だが、
「北朝鮮は大韓航空機爆破事件をでっち上げとし、金元工作員のことを「ニセ者」と主張し続けている。」
そんな言いぐさは通っているのか。
金賢姫といい、黄ジャンヨプ氏といい、
http://www.news.janjan.jp/world/0402/040206917/1.php?action=table&msg_article=10918
帰国できた被害者の かたがたといい、多かれ少なかれ核心に関わっていた重要人物たちが、こちら側の手に渡っても相変わらずなのは何故なのか。
この拉致事件の埒があかないことの本当の核心は、どこにあるのか。
拉致事件のことが明らかに報じられるようになってから、或る日、
めぐみさんたちの消息を尋ね、街頭での活動を始めた初期の頃のことを、横田早紀江さんの談話で聞いたことがある。
通り過ぎる人たちの殆んどが無関心で冷淡だったらしい。
その頃のようすを、私もテレビで見たが、必死にチラシを手渡そうとする早紀江さんたちを、胡散臭いものを見るようにチラッと一瞥して通り過ぎていく人々。。。そのたびに、悲しげに顔が歪む早紀江さんの姿を見て、私も涙が滲んだ。
藁をも縋る必死の思いの御家族たちにとって、ああ、、、と、胸が潰れる思いだったことだろう。
そういえば、その ずっと前から、街頭で、行方不明者の貼り紙やポスターを見かけていた記憶は私にもあるのだけれど、「北朝鮮」という単語に、ただちに、思想犯のイメージが起きてきて、そこで止まってしまっていたように思う。
なにしろ、ほんの子どもだった頃の、連合赤軍への連想が強烈過ぎた。こういう点でも、彼らの罪は及んでいるんじゃないか。
(赤軍といえば、どっかに たてこもったとき、一味の誰かの母親が駆り出されてきて、
「▽※●ちゃ~ん、おうちに帰って、おかあさんと一緒に、ごはん食べましょう~」とか何とか、デカい息子に甘ったるく呼びかけたんだっけ?
あの場面が放映されたとき、
「なーにが▽※●ちゃ~んだとぉ?」などと、うちの両親の怒りのヤジがテレビ前で飛び交っていたことが、いまだに脳裏に残っている。
近ごろ、ひそかに思うようになった。
センセイや優等生と呼ばれる者は、危険だ。。。
私、優等生でなくてヨカッタわ。
カテゴリ:事件です > 事件
2013.12.21 (Sat)
『「希望学」。。。』への追記 2010/07/17 18:53
ところで、そのおりの「関連ニュース」
『“労働信仰”の危うさ ひきこもり、親が死んだら「自殺」』
【すくむ社会第3部】(3)なる記事。
~
「ひきこもり第一世代」が40~45歳になった。この世代は、あと10年ほどの間に、親を次々と亡くしていく。親の年金でかろうじて生きている人たちは、親が死ぬと同時に生活の資金を失う。
~
親の年金に寄生している場合は、そうなのだろう。しかし、別の、よりタチの悪い事態だってあり得る。それは、
親が次々とアッサリ死んでしまったなら、まだマシだという事態である。
死んだの自殺だのと騒ぐ前の第一関門が、親が病気で倒れたとき。
しかも、それが長引いたとき。
介護の問題にも、モロ直面することになる。
親の経済に長らく依存することで生活してきた者は当然、親に対して借りがあるという「引け目」がある。ふつう、そういう心理状態になるはずだろう。
同居している場合、介護サービスを受けられる範囲がグッと限られるとも聞いたけれど、ならば、仕事を持って生計は独立していても、同居している人は大変じゃないかと思う。
もちろん、同居していなくても、大変な人は大変。
(私も経験済みだ。実家の、親と同世代の近所の人に、私の仕事なんか、どうでもいいから、親と同居してあげるべきと説教されたことがある)
介護は必要だが、オツムのほうは、あるていど、まわっている場合、経済は親本人がシッカリ握っているものの、実際の介護や家事の手は、子に頼る。
子は、なおさら、外で働きにくくなる。
もとより、親の経済に全面依存してきた子の蓄えは、あったとしても僅かであろう。(親が特別な配慮をしていたなどは例外として)
年をとると、そこそこ蓄えのある者は、からだが衰えるせいなのか、残りの人生を完全に、親である自分に捧げてくれるならともかく、寄生し続けてきた子に対して不満があるようだと、なるべく残してやるものか、と考える皮肉な親もいて、そこで、ふだんあまり交流のない身内縁者やら、はては他人にまで、金銭や物品を、やたらふり撒き、いい顔を見せておきたくなるものらしい。
こうしたことは、心身の弱りが大きく作用するのだろう。
現実論、親といえども、子より自分の身のほうが可愛い。
それは、年をとって心身が弱ってきたら、いっぺんに噴き出してくる本音のようだ。
自分自身が年を重ねるにつれ、事あるごとに、頼りの親が今度は逆に、足をすくうトリモチのごとき存在となる恐れが高まる。
さんざん寄生させてくれた優しい親、と思えるなら、残りの人生すべて、親に捧げても悔いはないかもしれない。
だが、到底そうは思えないのなら、できるだけ早く、親から離れて、自分の生計を確立しておかなければならない。そうしておけば、子の側も、親に対してトコトン弱い立場にあまんじる必要もない。
親のほうでも、そういう子に対しては多少なり遠慮があるものなのだ。
カテゴリ:話題! > 教育
2013.12.21 (Sat)
「希望学」。。。 2010/07/14 02:25
今年の2月の記事らしいので、だいぶ出遅れてしまっているけれど。。。(出遅れ得意のデオクレティアヌスでございます;)
「【すくむ社会第3部】(3)」とあるので、シリーズ記事のようだが、この記事部分だけサラッと読んでみた。
まず、ひきこもりやフリーターの先がけというのは、もう少し早い世代から出てきていたはずと思う。
それから、ほとんどか全く社会経験や労働経験がないままにひきこもっている場合と、一応の経験後に ひきこもってしまっている場合とでは、内実が大きく異なる面も伴うだろう。
社会の歪みが押しつけられているのは若者だけではない。
なぜか、職場に、人知れず精神的な面での問題を抱えていたらしい先輩同僚たちが いたため、そうとは気づかずに、知らず知らず、そのひとたちの荷までも引き受けさせられてしまっていた、こっちも障碍者の端くれである私の個人的不運は ともかくとして。
ああいった、気付かれにくい精神の面での問題を抱えつつ働いているひとも また、そのことを必死に隠していた。
そのシワ寄せが、無知な新人の私に被さってきたわけだが、かつての私自身が、健常者のふりをしていたように、あのひとたちも また、自分の不利になると思う弱点を押し隠して生き残るため、自分の荷を少しでも軽くするために、押し付けやすい者を目敏く選り分けながら生きているのだ。
希望が持てる状況とは何か。
こうすれば、こうなるだろうというヴィジョンや見通しが立って、ゆえに努力でき、つまるところは安心立命できるかどうか。
いくら努力しても報われない、空回りして消耗するのみでは、むなしくなるのも当然だ。
一応にせよ、人並みの条件のもとに報われる立場を確保できている者が、そうではない者を見下して、とことん搾取する利用対象と見做すばかりでは、やっかみも恨みも疲弊も募っていき、今度は自分が、いつ転落するかもしれないような全体状況ともなってくると、たちまち、互いに疑心暗鬼と足の引っ張り合いが始まり、われ関せずが罷り通り、人心は荒む。
私が、かつて勤務していた大企業でも、正社員と契約社員などとの待遇差は、唖然とするほどに大きかった。
社の業績に応じて、正社員の待遇を至れり尽くせりするのは結構なのだが、これが契約社員となると、まさに生活保護費なみの給料すら危うい事態。
そんななかを、正社員以上に努力したところで、あるいは また、なんらかの技能を持っていたとしても、それは、あくまで正社員の個人的成績を上げるために、つごう良く利用される。
アンタ自身は絶対的規定上、正社員に昇格することも、給料が上がることも、一切ないから、そのつもりでね、と、のっけから宣告された者には、何の将来的希望が持てるだろうか。
それでも頑張ってると、しまいには、「…いっくら頑張ったってさぁ、未練たらしいのかコイツは」てな侮蔑の視線すら注がれたり。
そうかと思えば、残業手当なんか1円も出やしないのに、たまにはと、定時で退出しようとしたら、まだ手伝ってほしいことがあるのに、とギロリ。
重ねるが、もちろん、正社員の待遇を、いやが上にも良くしていくのに文句はない。
正社員のみを海外へ豪華慰労旅行に大判振る舞いとあっても、せいぜい、羨ましいかぎりだと思っておればいいことで(まあ、バブル時代じゃあるまいし、そんなのは、いまどき、ないはずだけども)。
が、いかに契約社員といえども、パートタイム勤務ではなく、正社員と ほぼ同様の勤務形態であれば、せめて生活保護費に負けない程度の額の給料は与えるべきだろう。
働きに出るということは、当然、それ自体に経費も かかるわけで、
保護費を下げてツジツマ合わせをしようとするかに見える政府には、いったい、なにを考えてと、正気を疑いたくなってしまうが、ふつうに生活できる賃金を、働いた分はマトモに払ってくださいというだけの話だ。
これが、天下の有名大企業の水面下の実態だったりする。
くだんの記事中には
~宇野重規准教授(42)=政治学=はこう語る。
「むちゃくちゃな発想だが、この不満をどこに持っていくんだというときに戦争はある種すっきりすると考えたんでしょうね。裏を返せば、現状を変えたいというエネルギーの表れでもある」~
とあるが、そうなんだろうか。
私は、この准教授さんとは、むしろ逆の考えかも。
とりあえず、善悪の問題などは抜きにして、戦争が、大昔から、社会全体に強力な刺激を与える方策として利用されてきた側面は、歴史的にみても明らかだし、
「現状を変えたいというエネルギーの表れ」というのは、その男性個人が辛うじて、そうした論文を書き上げたということ自体については言えるのかもしれないが、
そもそも、戦争という、庶民にとって、いつも上から降ってくるような現象に頼るかのごとき考え方自体としては、本質的には、むしろ受け身なものに思える。
カテゴリー選択は、ややこしいので、テキトー。
2013.12.21 (Sat)
『この差は何から』への追記 2010/07/17 12:18
先日、大阪の生活保護大量申請、というニュースを読んで、『この差は何から』を書いたのだが、あれからも何となくツラツラ考えるに、
日本人の母親が、周囲からの風当たりが強い我が子に向かって、「あなたは日本人だから」と言って聞かせ、生活レベルの高い、自分の故国に住み替えさせたがったという気持ちは理解できなくもないが、もしも日本よりも中国の経済力のほうが、ずっと高かったなら。
中国に居るほうが、よっぽど生活レベルが上なら。
「あなただって、りっぱな中国人なの。この国で暮らしていく権利がある」と言い聞かせたのではないだろうか。
片親が該当するというだけで、そんなにも「私は日本人!」と強く思い続けるものだろうか。何十人もの縁者がついてきただろうか。
実際、この可能性は高そうだが、今後、中国経済が日本よりも、はるかに強大になり、国民全体の生活レベルも日本以上に向上したら。
そうしたら、おじいちゃんが或いは身内の誰それが中国人だったから、という理由で、日本で生まれ育った子孫たちが「私は中国人。中国に帰りたい」と思うようになるんだろうか。
日本人になったり中国人になったり、いそがしいことになりそうだが、
やっぱり、つまるところ、「経済」の問題に尽きるように思える。
引き続き、他の話題も書くつもりだけど、いったん置いて、別枠に。
カテゴリ:マネー・経済 > アジア経済
2013.12.21 (Sat)
この差は何から 2010/07/11 00:46
大阪の生活保護大量申請、というニュース。。。
こうした内容に類似した記事を見かけるたびに思い出す話。。。
ある在日外国人は、その両親とも、本国で何不自由ない恵まれた環境で育ち、若い頃、日本の学校で学ぶために来日、ひょんなことから出会い、たちまち熱烈な恋に落ちて結婚。(双方、非常な美男美女だったそうな)
その両人の間に生まれた子どもたちは、もちろん日本生まれの日本育ち。
あるとき、一家全員で本国へ引き揚げることに決めて、実際、帰国用の船舶もチャーター済みだったという。
ところが、帰国を間近に控えての「お別れパーティ」の席で食べたものが原因したのか、妻のほうが緊急入院。
しばらくのあいだ苦しんだあげく、退院も叶わぬまま、結局、幼い子らを残して死去。
以来、残された子どもらを一手に抱えて、帰国の機会を失った夫のほうは、日本での仕事だけは至って順調だったこともあり、やがて、戦時中に本国から来日した女性を後妻に迎えた。
夫側の、かねてからの教育方針で、子らは全て、基本的に日本の公教育のみを受けて育った。
当時の特殊な時代背景からの影響や、日本人とその社会一般的に浸透していた差別意識の影響も、もちろん多少なりあったはずと思われるのだが、
その一番上の娘は、祖国からやって来た後妻の継子苛めの凄まじさや、父親に対する屈折した感情が、ひいては祖国への反感に繋がったのであろうか、どうかすると、同国人に対する侮蔑感情を顕わにすることすらあったようで、祖国のものには、何によらず複雑な反発感情を終生、持っていたようだ。
祖国の民族衣装を身につけることも、その言語を話すことも、極度なまでに忌み嫌った。
その反動のように、
自分が生まれ育った地域を こよなく愛着し、日本語だけを話し、和服か洋服だけを着用し、やがて、日本人と結婚し、ついには日本国籍を取得した。
本国の国籍離脱・日本国籍取得のおりも、また、日本人との結婚のおりにも、父親らの猛反対を押し切ってのことだったという。
本人の内心としては、自分は日本人だ、という意識と実感しかなかったと思われる。それ以上に、願望すらあったのではないだろうか。
もっとも、上記の彼女の場合、他の在日たち、特に、強制連行であったとか、本国での生活苦ゆえに来日した人たちの場合とは、根本的に事情が異なっていて、かなり特殊ということもあるかと思われるが。
それにしても、今回の『大阪の生活保護大量申請』報道。
人数の多さもだが、「来日直後」の申請、というのが、どうにも引っ掛かるところ。
片親は、なるほど、日本人女性。
しかし、別に、当時の強力な国策とは、とくに関係しないようなのだが、父親はレッキとした中国人であり、ご本人ら自身、レッキとした中国生まれ、中国育ち。
周囲は、日本人に対する反感が強い環境だったらしい。
それなのに、ご本人は「自分は日本人なのだ」と固く思い続けてきたという。
両親とも異国の人。
だが、自身は日本生まれの日本育ち。
「私は日本人」と固く思いつつ生きた。
生みの親より育ての親、とも言うけれど。
血は水よりも、とも言うけれど。
こうした類の報道を見聞するたび、
カテゴリー選択には、とても迷った。
単なる「話題」というよりは、やっぱり「経済」の問題なのかなぁ?ということで。。。
カテゴリ:マネー・経済 > アジア経済