2015.03.01 (Sun)
この「オスプレイ」購入を めぐって種々の疑問は、そのまま目下、現政府が毎度のごとくで、またもやサッサと強行しようとしている「文官統制」廃止の問題点へと繋がってくる。
いま、この問題というのは、
一つには、まさに、安倍内閣がそうであるように、なまじっか軍事の現場専門に籍を置く人物よりも、「文民」なる立場でトップに就く者のほうが、よっぽど好戦的な方針を打ち出しているという現実に起きている現象を、どう考えるのかということ。
それから、
過去の軍国主義だった日本における軍人・武官という存在と、現代日本における自衛隊員という存在とのあいだに、はたして、決定的な意識の違いといった乖離などがあるのかどうか、いまいち不明だということも大きいだろう。
ただ変わらないのは、国家軍事というものは、「暴力装置」の最たるものであるということ。
この「暴力装置」というコトバ、いかにも弁護士の出自を思わせるような、かの仙谷氏がウッカリと、まんまで用いてみせたせいか、単純なる日本国民の多くは、このコトバが要するに専門的タームなのであるということを豪も知らないでいるものだから、もの凄い勢いで立腹し、バッシングの好材料の一つに利用してしまっていたが。
もちろん、知っていて、それっ!とばかり煽った連中もいるだろう(嗤)特に自民党関係者とかw
また、一般からのコメントにも、これについての指摘を見かけたが、
一番微妙で難しい問題は、
たしかに、いわゆる「制服組」と呼ばれる人が転じて、「シビリアン コントロール」を行う側としての「文民トップ」にも就けるのだという現実のシステムがある。
さしづめ、現防衛大臣の中谷氏だ。
このひとは、防衛大学校出身でもって、しかも自衛隊出身でありながら、「文官統制」の経緯に関して問われて、
「自分が生まれる前のことだから知~らない」云々やらかしたというので、さすがの「ネトウヨ」連中からも、「おいおい(汗)」とヒンシュク買ってるようだなw
ま、しょせん安倍ちんの閣僚ですからねww
こうした現象を見ていると、私も最初に危惧したように、
所詮しろうと「文民」が、現場からの強力な進言に取り込まれ易くなってしまうのか、
真逆に、
好戦的な、あるいは、その他の意図にせよ、そういう腹づもりを秘めた「文民」としてのトップに逆らい切れず、現場側の人間のほうが、まるめ込まれてしまうのか。
もしも、後者だとしたら、、、
このたびの「文官統制」廃止に反対する立場でも賛成の立場でも、主張していることは一致した同士かと一見は見えていて、その実、本当の腹のなかでは全く裏腹だったりする可能性も出てきたわけだw
彼の経歴、秘書時代も含めた それを検証してみる必要もありそうだが、中谷防衛相という人物の存在を、どう考えたものだろうかw
最近、繰り出している発言を見るかぎりでは、だいじょうぶかいな?このひとという印象が湧くのだがww
私は、「文民」だ「文官」だという制度のこと自体を、ややこしいとは、ちーっとも思わなかったが、
いや、まじ、思っていたよりも、複雑な問題を根底に孕んでいたのだな。。。
銃は、自身に込められた弾丸を、無心に発射させる目的しか持たない。
それよりも高次の目的や意図を持って、引き金を引くのは、人である。
「美しい」銃というものは、ただに忠実でなければならない。
銃自身が、意志を持ち、ターゲットを勝手に狙い定めようものなら、大変困ったことになるのだから。
「暴力装置」は「暴力装置」らしく、どこまでも好戦的、攻撃的な、圧倒欲の性分を抱え持つものなのか、
いや、むしろ、
こんにち、「暴力装置」のほうが、よっぽど冷静、慎重なものなのか。
では、その「暴力装置」を、おのが手中にした者は。
確実に言えることは、基本に立ち返って、「文民」トップの姿勢が どうであるのかを観ることに尽きるだろう。やはり、それによって判断するしかなさそうだ。