2017.02.26 (Sun)
『「マスクで隠さず唇を見せて」聴覚障害者の願い、ネットで拡散』
篠原修司 | IT系フリーライター 2/26(日) 11:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20170226-00068106/
このコラム中の、ツイッター投稿者の おっしゃってる実例、どれも これもが、同じ障碍を背負っている私にも、逐一、身につまされることばかり。
だから、歯医者や美容室に行くのも、できるかぎり避けたい(苦笑)
でもね、
私自身、アレルギー持ちだし、鼻水たれまくって どうしようもないときも あり、外出時にマスクが必要な場合は あるから、マスクしていること自体を理由にして咎める気には なれないなあ。
たとえ、それが「伊達マスク」だとしてもね。
基本的には、そのひとの つごう、あくまで自由だろう。
それに、大概の人は、こちらが聞き取りにくそうだと早々に察して、マスクを ずらし、口もと見せてくれるよ。
だけども、
ひとの勝手でしょと言えば それまでよ、も困っちゃう現実ってのは あるよね。
案の定で出てくるコメントの典型、
誰かも言ってる、これぞ「健常者(?)の暴言」の典型、
「家にコモってろ!」ってやつ。
いまは、ああいう「福祉切り捨て」政府だし、
末端の役所の職員まで挙げて、
障碍者だろうが高齢者だろうが、とにかく労働せい、という方針だもの。
まあね、
どこぞの苦労知らずな部外者に、エラソーに言われるまでもなく、
私の本音では、家にコモってたいのよw
聴覚障碍者にとっても、自宅外でのことは特に、ほぼ全てが、軽くはないストレスのタネ。
365日、これストレスの人生。
それでも、
文字どおり、家にコモっていたんじゃ、日常生活が成り立たないっしょ。
仕事以外でも、外出が必要なことなんて、いくらも あるだろが。
さて、
聴障者にとって、マスクずらしなんかよりも確実に効果的なこととは。
それは、
筆談です。
それも、いちいち全部を書く必要は ないの。
ごく一部だけ、それこそ、文字どおりに「一筆」ていどで いいんです。
慣れてる聴障者は、その場の話のテーマさえ分かってたら、ほんの一言が記されるだけで、ほぼ全て察します。
でもね、
これも、障碍者からのワガママ要求だと思うものらしい。少なからぬ「健常者」にとっては。
実際、
「書くのが厭な人もいるでしょ、筆談してほしいなんて、甘えだわ」
と、ピシャリ言われたことも ある。
えてして、そう言う人ほど、仕方なく何度も聞き返すハメになり、これまたロコツに厭な顔してくるのよww
たとえば、
こちらが客として、ある程度、高額の商品を購入するとかいった場面だと、さすがに、そういうときの店員さんなどは、まずまず、こちらの要望も受容してくれて、
なかには、やっぱり、しぶしぶながら、、、という雰囲気が滲み出る人も いるものの、
筆談に快く応じてくれる人も増えたなあと実感している。
なんせ、役所とか公共施設の職員なんて、こちらの事情を話して頼んでも、いっさい応じてくれないことなんてザラ。
店員じゃないのだから、公務員さまは、国民・市民よりも上!と、
普段の腹のなかでは思い込んでるのだろうか、
まして障碍者なんて、「健常」の国民・市民よりも、さらにさらに下の階層と思ってるのがモロに伝わってくる輩も多いよ。
「甘えるな!!」
「障害者ごとき、つけあがらせては ならねえ!」
って頑ななまでに思うのらしい。実際の話だ。
でも ま、
マスクしてる人も増えたが、
私が若かった時分の世間は、まだまだ聴障者に対する理解が、いまよりも、ずーっと低かったし、
それだけ偏見もキツかったから、もっと もっと大変だった。
だいたいが、うちの親。
まさに恫喝でもって、
就職の面接時にも、障碍のことは絶対に申告するな、
の一点張り。
とりあえず、「健常者」のフリして、一般企業で雇ってもらいさえすれば、親としては、見かけだけでも立場が繕える、
いったん入社さえできた後は、自分の娘が、どんだけ悩もうが苦しもうが、知ったことか、あとは野となれ山となれ、
そういう親だったからね。
実際、面接に出向いた先で、
その日は、体調が少々良くなかったせいもあってか、相手の声との相性が合わなかったのか、いつものように聞き取りと滑舌をゴマカシきれず、
「そんな障害のあるカラダで、ここへ何しに来たの?」
と嘲笑されたことも あった。
なんとか雇ってもらったあとでも、障碍のことがバレて、おおぜいの人が いるなかで、すごく怒られたことも あった。
【続く】