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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2015.06.29 (Mon)

結局、「国家」という、人工的入れ物のためには、どう転んでも戦争に もっていきたいわけか?w

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43908

20150626日(金) 長谷川 幸洋

いうまでもなく日本国内の米軍基地は有事の際、米軍に武器弾薬や兵力の補給を担う後方支援の要である。日本が米軍にそんな基地の使用を許せば、日本が米軍の後方支援をした形になるのは言うまでもない。

 

まあ、そこからして、一般国民の殆どは騙されてましたということでしょうなあw

てっきり、米軍駐留と基地というのは、日本の防衛のために(単純素朴な意味で!)必要なのだと信じてたもの。少なくとも、私はねww

だから、ある程度は、しかたないのだと。

 

やっぱり、すでに自衛隊が設立された時点で、いずれは、こう持ってくることを、計算されていたのだろう。

アメリカの腹で、あるいは、アメリカと、日本の一部権力者とのあいだで。

 

ま、ジレンマの極致。

 

そもそもの出発点から、少なからぬ無理があるので、というのは、
やはり、理念が突出、先行している きらいがあるからだろうが、
日本の現憲法は、これを守ろうと意志する以上、大変に微妙なアクロバット的バランスを四苦八苦しながら保たねばならないことが宿命づけられている。

それだけに、区分け、判断には、殊の外の緻密さが要求される。

 

 

韓国を攻撃した北朝鮮は支援する米軍の沖縄基地をミサイルで直接、狙い撃ちすることもできる。そのとき日本が「ここは後方支援の基地ですから、武力行使はしていません。どうか撃たないで」などと言っていられるか。言えるわけがない。


いや、それなら、「個別的」対処の範疇でしょ?
もっとも、せっかくの「
抑止」を ものともせずに、万一、撃たれてしまったならの話だけど。

 

 

たとえ日本自身が攻撃されていなくても、たとえば韓国が他国に攻撃されれば、救援に出動する米軍に領土を提供することによって韓国を支援する。これは日本の集団的自衛権行使になる。

 

だって、韓国ともなると、目と鼻の先だもの。

中東あたりとは、わけが違うわよ。

 

 

「後方支援も武力行使」という立場がある

 

これらもね、

たしかに、そう考えることも できよう。

すなわち、「武力」という全体のなかに組み込まれる作業としては。

 

だが、あくまで、直接的なものではない

だから、「後方支援」に限るという方策は、辛うじて、直接の武力行使を避けようとしてはいる。

 

しかし、
国外に出て行う「後方支援」となると、国内における それとは、現場的な事情が変わってくる。

まず、四方から敵に囲まれ攻撃される恐れが高くなるのだから、必然的に応戦を避け得られないリスク、すなわち、直接の武力行使を余儀なくされることが、第一の懸念の一つとして持っているのが、反対派の見解だろう。

 

 

以前のエントリーで、私は、おおよそ、こう考えるところを述べた。

要するに、

自衛権「個別」も「集団」も、それを分ける分けない云々以前の出発点として、日本が敗戦国であることに他ならないと。

 

だって、そうじゃないか。

良い悪いは抜きに、日本は敗戦したから、それまでの軍事力の かたちを一切放棄することを余儀なくされた。勝者アメリカによって。

 

しかし、そのままでは、当然、ぐあいの悪いこともある。

なにしろ、コテンパンにやられた直後で弱りきってるから、

そして、何十年を経てさえも、

なるほど、油断も隙もなく、虎視眈々と窺う者に取り巻かれてるわけだ。

世のなか、きれいごとや単純な話だけでは済まないと。

 

そこらへんは、いろいろと議論の余地はあったにしても、完全の丸腰のままでは、、、、

日本としては、同盟国という以上の立場で牛耳ってくる権限を持った者から、じゃあ、奪われた分を、ある程度のバックアップを受けて、あいた穴を埋めてもらわぬわけにはいかなかっただろうし、ここは、個別自衛権の補強。

また、アメリカ側とっても、それは、多方面の影響に鑑みて、自国自身の利害に関わることゆえの判断だったはずで、これは集団的自衛権の立場を用いた。

こういう見解もあるわけで。

 

 

当時に、とりあえず許されて出発した かたちのままでは、どうしたって、「普通の国」としてのレベルで軍事力を保持できない。

そのことは、核兵器装備が許されないことにも端的に現れている。ここが実現できないかぎり、日本の軍事力に万全を期せないままでいることとなるのは現実の話だろう。

 

だからと言って、もちろん、私は、核兵器装備なんぞ大反対だ。

初の被爆国国民としても、そんな屈辱は耐え難いし、
人類全体の未来志向にも反すると考える。

 

ことに日本のような大規模災害の危険性が尽きない国土のうえ、

先般の原発大事故人災の ありさまを見るにつけても、

核兵器装備を目指すなんてことは、それこそ、現実的ではない。

 

むしろ、やはり、世界の底上げ貢献の一環として、被爆国の体験を下地にした核兵器廃絶運動を、より いっそう力を入れて推進するのが筋というもの。

われわれ被曝国民の矜持にも かかわってくることだ。

 

【続く】

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