2014.10.13 (Mon)
『なぜ心神喪失者を許せないのか /新潟青陵大学 碓井真史』
THE PAGE 10月12日(日)8時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141012-00000005-wordleaf-soci&p=1
執筆者の碓井先生とは、だいぶ以前に、少しだけ お話させていただいたこともあって、そのおりの印象からも、個人的には、とても真摯な紳士でいらっしゃると思っている。
ただ、この先生も、公的に知られている、他人を指導する立場もあってか、とてもとても用心して述べるよう、慎重に律しておられるのだなあということがヒシヒシと伝わってくる。
それだけに、無難第一で、従来的・公式的見解に則った、啓蒙的なスタンス、
はっきり言わせていただくと、これというほどの具体策が見当たらない分、いかにも優等生的で、つまらない感じは、しないでもないw
でも、碓井先生は、
「加害者への刑罰以外にも、被害者保護の方法を考えなければなりません」
「重罪を犯して心神喪失で無罪になる人はほんのわずかです」
とも仰ってる。
たしかに、
重篤な精神疾患に陥った状態で、手の込んだ計画的で凶悪な犯罪が やりおおせるものかなあ?という気は する。
ただ、最近起きた佐世保の「高校生殺害・遺体損壊」に見られるような、「サイコパス」とか呼ばれるような者となると、はたして、どう考えていいのやら戸惑うところ。
本当の「公平」とか「公正」という観点では、「消費税」の問題にも共通した課題はあるよね。
なんか まあ、いろんなコメ投稿者が出て来て、ゴチャラゴチャラ言ってるけど、
まずさー、
「身内」と言ったって、
「精神疾患」と言ったって、
内情はいろいろだよ。決して、簡単に一括りして済ませることはできないよ。
この記事に付いたコメントのなかで、
bou*****さんとやらいうハンドルの投稿者は、
「精神疾患や心の病の人達は自傷行為(自分を傷つける行為)や自殺などは多いかもしれないが、他人を傷つける行為はしない」
なんて断言してるが、
嘘だね。
再び言うが、
「精神疾患」と、ひとくちに言っても、いろいろ。
同じ環境下にあって、疾患になる者と、ならない者がいる。
同じく、
どんなに怒っていても、怨んでいても、およそ犯罪行為に走らない人のほうが圧倒的に多いし、そうかと思えば、
ふざけ半分に、他者を脅かし、傷つけて楽しむ者もいる。
これが、しかも、被害意識に凝り固まった自分よりも、多くの苦難を味わってきた人に対してだ。
うちの身内らの場合、精神的な病(統合失調症でも、人格障害でも)によって、他者に重大な危害を及ぼしかねない危険行為に走ったし、
自分が死にたいからと言って、他の者を道連れにしようとしたこともある。
幸い、身内の一人は、治療は可能だったので、私らの尽力と、他人さまの力添え、また犠牲の お陰で、その後、まずまず回復したけど。
ただねえ、
私から見ていても、本人らは、精神状態が明らかに異常事態に陥る前から、もともとの性格や思考性向に偏りや問題はあったのよ。
決して、本当に、いきなり、おかしくなったとは言い切れないの。
回復してからも、もともとの軽薄さや自省心の希薄さに変わりはなかったし、
そんなこったから、おかど違いの他人にまで、不当で大きな迷惑を及ぼしてしまうのだろうかと思えた。
そして、
犯罪にも いろいろある。
公の法律自体には違反していなくて、犯罪者として呼ばれ、処罰されるには全然至っておらずとも、世間に隠れた罪を犯した者などゴマンといることだろう。
うちの親なんかでもそうだよ。
私は若い頃、ぶっちゃけ、いつか、父親を殺すかもしれないと思っていたこともあったので、
もしも、ここで、コメント投稿者たちによって想定されているような、家族の誰かが誰かを殺してしまったとして、
私の場合は、父親が、母親を殺してしまったとしたら
(現実にあり得る状態だった)、
裁判の結果、親父が死刑になっても当然だと思っただろう。
悲しいなんてもんじゃないよ。
はらわた引きちぎられる怒りだわ。
逆に、母親のほうが、亭主である親父を殺したとしても、ムリもないかと思ったかもしれないし、
それくらいだから、死刑になるはずもない。
悪いのは、圧倒的に親父のほうだったから。
もちろん、母親のほうも、問題は大きかった。
私が、もしも、父親を殺してしまったとして、
では、母親が、私の死刑を悲しむかって?
そりゃ分からないw
まだ私が、母親の役に立つ存在であるうちは(無意識に依存してたから)、必死の涙ながらに、助命嘆願なんかをしたかもしれないけど。
そうでもないとなったら、アッサリしてたんじゃないかなww
あのひとは、さすが、アル中親父に相応しくと言うか、脳に異常があっただけに、
いまとなっては、娘の私でも、一番わかりにくいところがあるwww
自分個人の欲得が最優先で、責任を持って対処せねばならない子どもの将来なんか二の次にしておいて、こんな不出来な親でも、本人たちは、親として正しいと信じ切っているオメデタイ者だって現実にいるよ。
彼ら自身も また、彼らの親に対して、深い怨みを抱いていたんだ。
でも、憎しみだけだったかというと、そうでは ない。
父親と母親とでも違っていたり、いろいろ微妙で複雑なんだ。
私自身は、もう幼い頃から、恐らく、人並みの意味での幸せというものは、自分には ないかもしれないと、まだ、言語にする能力もない子ども心にも漠然と予感していた。自分の親らを見ていたら。
中学生になってからは、早くも、自分は、子どもを持つまいが よかろうと、心のうちに思ってきたし、実際、持たないできた。
だから、少なくとも、代々の親の、なさけなくも醜悪な連鎖を、自分のところで止められる。
どんな障碍でも、自分と無関係でおれる保証はないのだ。
これも「理不尽」な現象だし、「不条理」なことではないか。
思えば、
人類の壮大な闘いの相手は常に、「理不尽」「不条理」だ。
しかも、ここには、人という存在も含む。
(続く)