2014.10.10 (Fri)
手足の前の「骨格」「背骨」なのだから。
『「憲法9条の理念はノーベル平和賞に値する」 署名集めに奔走した人たちの「思い」』
弁護士ドットコム 10月9日(木)15時53分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141009-00002146-bengocom-soci
かねがね、日本語が奇妙過ぎるひとたちのコメントに、首かしげつつも、とにかく、いち早く投稿しようとするあまりなのだろうか?とも、おぼろに推測してきたのだがwそれとは また別の問題で、
たとえば、
「中日同盟」なんて、つい書いてしまうひとのコメントを見て、ははん?と思ってしまうのは、これも「下種の勘ぐり」と言われてしまうだろうかw
しかし、私にはイマイチわからんのよ、これも。
何がって?
「ノーベル平和賞」を、「憲法9条」のもと、実際に保持に努めてきた実績ある日本国民に受賞を、とかいう斬新な話題について、
この運動を支持しているのは
「中韓だ」
「反日だ」
「反日工作員の陰謀だ」
って決めつけてる向きがよ。
だってさ、
特に韓国の人々なんて、日本人が「ノーベル賞」受賞のたび、敬意と同時に、非常にクヤシイ気持ちが起こるのだそうだし
(こういうところがねえ、何かにつけても、過度に、日本が日本人がーと、情熱的過ぎて?みっともないくらいだから、たいがいにしておけば?って言いたくもなる。だってさ、日本人のほうでは、もともと関心薄かったんだしw近頃では、大々的アピールが奏功してきてか、やっと「嫌韓」ブームを展開するとこまで漕ぎつけてるけどww)、
「反日」とか日本人嫌いならば、それこそ、受賞を阻止したいはずでしょうに?
それと、日本国民でない「在日」さんたちには、多少なり疎外感を持ってしまう人もいるかもしれないしなあ。
ま、「ノーベル平和賞」と言えども、世界的動向を見るうえで、国際的な「ミスコン」同様、いろいろ思惑、裏の取引もあるのだという指摘は、多くの一般人も知っていることだろうが、そこは さて置いても、
日本人としては、「わが国は古来、平和を尊んできて」と信じたいところだけど、
国際的評価では、どちらかと言えば?好戦的な国民性という印象のほうが強い(少なくとも、強かった)のでは ないかな。
敗戦直後は、軍人を中心に一部で未練もあったのだろうが、一般国民の殆んどは、あんなドえらい思いは二度とマッピラだというのが本音だったろう。
それでも、
「尖閣」を めぐっての、中国からの挑発行動騒ぎなどが、もしも、かつての時代に起きていたことなら、日本は、ただちに戦端を開く構えを躊躇しなかったのかもしれない。
やっぱり、わが国の憲法9条という、その明瞭な宣言は、
日本にとっても、また、中国にせよイスラム系諸国等にせよ、アメリカ側と敵対関係にある外国から見ても、やすやすと戦争を始めるには躊躇うだけの力を持っているのだと思う。
たとえ、そこに、日本の好戦性を警戒してきたアメリカを始め、各国の思惑も絡んでいたとしても。
ところで、
最近、「イスラム国」とかいう軍事組織の求人(!)貼り紙(!!)が、
なんと、日本国内にあったという、
しかも、それに応募しようとしていた学生がいたということには、思わず仰天させられた。
テロ活動が、わが国のなかで頻々と起こるやもしれない恐れが、「集団的自衛権」どころか、こうした かたちの経緯からでも齎される可能性なんて、想像してなかった。
しかもしかも、
ひどくナサケナイのは、応募しようとしていた学生の動機。
なんとも まあ、これが、いたって個人的な動機なのである。
それは、過去に、同様の行動を実践していたという若い男性も同じような理由の動機を説明しているのを見たが、(このひと、一見して、眼つきが普通でない感じが した。「PTSD」ってやつなのかな)
でも、少なくとも現在のところは、テロ活動してるってわけでもなさそうだったが。警察や公安はマークしてるのかなあ?
双方とも、なんだかヘリクツを並べていたが、
早い話、要するに、「いじめ」やら就職失敗やらで、個人的な悩みがキッカケなのであるらしい。
男性特有の典型的な趣味・嗜好・思考傾向なのだなあと思えたが、
不甲斐ない、弱っちい自分を鍛えたくて、「けんかカラテ」等を習おうとするのと、どれだけ違うのだろうか。
そんなことのために、国民としても個人的にも何らの怨みもない、見知らぬ人々を殺傷しに赴くのだという。。。
いやはや。
それこそ、わが自衛隊とか機動隊とかでシゴいてもらえばいいのによ。