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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2014.10.06 (Mon)

「その人に耐えられぬほど重い試練を天は課さない」と

 

長崎・佐世保の同級生殺害:発生から1カ月 「手をのばせば防げた」 加害少女、多くのシグナル
毎日新聞 20140826日 東京朝刊

http://mainichi.jp/shimen/news/20140826ddm012040033000c.html

 

 

むやみと拡大して騒ぎに仕立て上げるのも問題だが、逆に、当該事件のように、軽視し、むやみと矮小化して済ませようとするのも問題だ。

 

ところで、

「家庭裁判所判事を主人公にした漫画『家栽の人』の原作者で佐世保市出身の毛利甚八さん」というかたの見解を、これも毎日新聞で見かけて思ったこと。

このかたが言うには、

こうした事件の加害者は、幸せになってこそ、そこで初めて、本当に反省や謝罪の心を持てるようになるのだということらしいけれど、

まず、被害者側遺族としては、どうなんだろう。

 

大切な娘は、こんなめに遭わされ、前途ある人生を断ち切られたまま、

あのとき、
だしぬけに起きた事態の認識すらも、恐らくは、自分自身で、さだかには分かっていないであろうまま、二度と戻って来ない。

なのに、下手人が幸せになってもらいたいと、もしも、そう願えるならば、それは、人として大変アッパレなことだろうが、

だいたい、加害者本人自身、本当の自覚に促され、心底からの反省や、われとわが身が犯してしまった罪の深さを覚えて謝罪の心を持ったとして、

その時点で、もう、自分には、普通の幸せを手にする資格は ないものと諦念せざるを得ないだろうと思えるのだがね。

 

それに、大概の人間というもの、究極、自分だけは可愛いもんで、

ましてや、何らかの重大な欠陥ある精神の持ち主である場合には、なおさら困難なことでは なかろうか。

それも、
親からの情愛等を全く知らない育ちなわけでもないんだろ?こんな加害者と言えども。

 

つくづく、難しいわ。

 

 

長崎・佐世保の同級生殺害:バット殴打、父が口止め 長崎県教委2次調査
毎日新聞 20140925日 西部朝刊

http://mainichi.jp/area/news/20140925ddp041040011000c.html

 少女は4月7日から佐世保市のマンションで1人暮らしを始めていた。報告書は「校長は保護者が決定し、既に1人暮らしを始めていたため、やむを得ないと判断した」としている。担当教諭は1〜2週に1回程度、少女のマンションを訪問するなど接触を続けていた。

 

 

この教諭に、身の危険はなかったのだろうか。

 

ともあれ、まず、共有は大事だと思う。

これさえあったら、級友の女子高生の被害も、なんとか未然に防ぐことは可能だったろうと思う。

 

 

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