2014.06.26 (Thu)
それが、最高権力を駆使して果たそうと期する安倍さんの個人的本音であり、
「時代錯誤」を自慢していた「リトルキッス」こと おババさまら「カルト連」のごとき「安倍信者」の目論むことらしいのだ。
いまだに疎くて、よくは知らないが、
私は、今次の安倍政権が発足した折すぐから、どうも、このひとは、自分個人の「お祖父さん教(狂?)」なのではなかろうかと、旧ブログで、危惧の念を述べたことがある。
どうやら、それは、はずれていなかったようだ。
まともな説明能力も備えていないと見えて、そのかわりにとばかり、
あからさまにズレた誤魔化しで足りなければ、ついには開き直って、無礼な態度をも剥き出しにする所まで堕ちた安倍さんは、
日本をメチャクチャに荒らす種を、仕込むだけ仕込んでおいてから、またもトンズラするのだろう。
この稀に見るダサい男w
かつて、これほどまでに姑息な首相があったろうか。
もちろん、だれも責任は とらない。
とるとしても、今後の一般国民だ。
それも、ささやかに平凡な、つましい生活を おくっている国民、そして、
将来の若い人たちだ、血の涙を流すハメになるのは。
言い聞かせる、伝えていく対象の子どもがない私は、好きでやっているわけでもない ささやかなブログで時間を割いては、一国民として、自分なりに、せいいっぱい、危惧するところを訴え、自分なりの提議なり提案を、ほそぼそと発信してきたつもり。
しかし、むなしいね。「サウンド オブ サイレンス」みたい。
もう、やめようかと、いつも思う。
あとは どうなろうが、あくまで私個人に直接の危険が及ぶことは、まず、ないことだし。
子どもや孫のいる人たちは、もとより覚悟の上なのだろうか。
子どもを産めよ産めよと、いつかの時代を彷彿させるような要求をする政権に応えようとする人たちも。
私は、つくづく、子どもを持たなかったことを幸いに思っている近頃だけれど。
たとえば、
「安倍は、子無しだからダメなんだ」云々言ってる「やふコメ」投稿者たち。
そんなことを あげつらうばかりで「集団的自衛権」反対を唱えているつもりでも、何の意味があるというのか。
ちなみに、
「集団的自衛権行使容認」について、かつて言い出したのは、あの心身ともに「タヌキおやじ」感に満ち溢れた中曽根元首相だが、このひとには、子どもいるでしょ。
あの「イラク戦争」で、一番多く犠牲になったのは、どんな人々だったか。
わが自衛隊からも、本当に、犠牲者は出なかったのか。
また、
「政教一致をちらつかせればいいじゃん。」
と言う、安倍信者と思しき「やふコメ」もあったが、これを言う資格が、自民党にはあるのか。
他へ向けて、それを言うのなら、言う おのれも また「国家神道ならびに靖国問題」のことについて、きちんと対処・実行しなくてはならない。
私は何度も言い続けてきた、
どんな低能だろうが品性下劣の輩だろうが利用できるインターネットの負の問題。
「やふコメ民」の論理性のなさ、目も当てられぬほどの知性の低さには、私でさえ、ふだんから辟易しているのだが、
この「集団的自衛権」「集団的安全保障」の論議を めぐる騒ぎでは、いよいよ、彼ら安倍信者に、もう、もう、吐き気すら催してきた。
どうも、裏側にても、いろんな組織が、さながら鵺の如く利害絡みで結託している結果なのだろうか、表向き以上にタチの悪い大規模な何かが、過去に増して蠢いているような感じが している。
「自民党ネトサポ」の存在なんかは、すでに知られてはいることだが。
「2ちゃんねる」を皮切りに、いまや、とっくに、あらゆるネット上、少し規模のある所は軒並み汚染されているようすだ。
宗教というものは、政治と酷似しているだけに結託し易く、ヒエラルキーを大いに好む世界である。
だから、古今東西、野心的な人間の、かっこうの上昇手段であり、
もちろん、戦争の種であり続けてきたし、
野心的な人間に付きものの、あらゆるスキャンダルを、こじつけても正当化する。
『<集団的自衛権>公明の意見集約が難航』
毎日新聞 6月26日(木)7時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140626-00000010-mai-pol
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党執行部は「連立離脱」カードを早々に封印しており、集団的自衛権行使容認の「ブレーキ役」としての役割をアピールする方針。しかし、山口那津男代表がこだわった過去の政府見解との「論理的な整合性」もあいまいなまま、首相の「期限ありき」の要求に応じることに対し「出来レース」(党関係者)と批判する声も上がっている。
公明党内からは「平和の党は死んだ」「どうせ何を言っても聞かない」など、党執行部への不満が募る。今後、地方組織からも執行部批判が相次いだ場合、政府・与党が描く与党合意や閣議決定のスケジュールが狂う可能性も残っている。
「どうせ何を言っても聞かない」
これこそが、国民の大多数に蔓延してしまっている、政治不信から来る根深い倦怠感の原因だと思う。
「どうせ何を言っても聞かない」
国際外交においても、平和的解決の根幹である「対話」という努力を妨げる要因でもあろう。