2015.03.19 (Thu)
「平和の塔」なるブキミな塔w
『宮崎市の「八紘一宇の塔」は、現在「平和の塔」と呼ばれている』
2015年3月17日 16:15
http://j-town.net/miyazaki/column/gotochicolumn/202203.html
↑ここのサイトへコメントしようと思ったんだけど。メアド入れろとか、めんどっちいので、やめといた。かわりに、うちのブログに載せとくわ。
下記。
「どこか不気味感のある陰気な塔だなあ、という第一印象から、思わず しげしげと、写真を見つめてしまいました。特に夜とかは、一人で見たくない感じ。。。昼間でも、こんな陰気臭さだもの(苦笑)そういう意味では、実物を、いっぺん見てみたいかも?と興味を持ちました」
この塔が建った頃の時代がらのせいもあるのだろうか、日本人というのは大概が陰気で、センス悪いなあというものが多い気が する。
私が、イヤガラセされてきた相手連中のなかには、「日蓮宗」だか何かの関係者か、単にカブレてるのか わかんない者までも混じってたようなんだけど(ana5とかねw考えてみれば、例のtokiと同じく「2ちゃんねる」からモジったみたいなハンネの付け方だわなww)、まったく、これだからなあ。
「神州」だの「万世一系」だのって、バッカじゃなかろか。
「八紘一宇」の元の意味は、つってもね、要は、あくまでも天皇中心に云々いう考え方に違いないんでしょ。
欧米列強の侵略が悪だからとか言いつつ、おのれも真似していた日本版パクり「中華思想」とでも言うか、欺瞞とタテマエだけの、すごく出来の悪い共産・社会主義みたいなw
もちろん、上層部おエラがたのスローガンを真に受けて騙された、教育水準も概ね低かった時代でもあり、「精神年齢12、3歳」だけあってか、単純な国民が大多数だったのだろうとも察するのだが。
やはり内海愛子教授による、かつてのインドネシアあたりの状況を聞いても分かることだが、アジアの各国で、そもそも、日本帝国軍は歓迎されていたという主張についても、のちには「あれ?何か変だな」と、現地の人々も気づくようになっていったという。
要するに、日本人お好みの、「本音と建て前」のボロボロが隠しようもなく出てしまったということさ。
初めての「万国博覧会」に精いっぱい出品したのが、箒と塵取りだったとかいう、基本貧乏で小さな侘しい島国が、なけなしのエネルギー供給を断たれたせいで、「自衛戦争」へと ひた走ったのだという必死の言い訳も、その部分に限っては、まあ事実なんだろうけれど、もっと突っ込んで考えないとね。
つまり、なぜ、そういう状況になってしまったのかということを。早い話、これこそ自業自得の面も、根本的には あったろう。
原爆投下についても、許せない「実験」行為だが、それでも、アメさんにはアメさん側の、表向きとは言え、多少の言い分もあるのだろう。
あの当時、なかなか降参しない、予想外に しぶとい日本が、しまいには集団自殺のレミングじゃあるまいし、「本土決戦」だー「一億総玉砕」だーとまでブチ上げるもんだから、「このクレイジー国民が!分際を知れ」とて、ドッカーンとやられたようなもんさ。
「ウィキペディア」には、以下のように述べてあった。
「元来は「(大和地方は服属したから さしあたって橿原に皇居を設けることにするが大和以外の地方はまだ平定しないから)日本の全土を統一してから後に、あらためて壮麗な都を開き、宮殿を作ろう」というだけの意味だという」
いずれにしても、他国の人、他民族の人々にとっては、はなはだ失礼な考え方だと思う。
どこの国でも民族でも、それぞれに神話の類を持ち、わが国こそ、わが民族こそは、神の息吹のかかった特別な存在、と信じたいのが大多数だろう。
いまどき、日本人であっても、「朕の赤子」やら「臣民よ」とか呼ばれたひにゃ、思わずムカつくわぃw
時代錯誤は、ケンカを一方的に仕掛けられるのと同じくらい大迷惑だ。