2015.03.17 (Tue)
…まあー、よくよく、国民をバカにして舐めてるのが伝わってくるよねえ、国民に対する愛情が欠如してるのと相俟って、安倍政権は殊の外だw
さて、こっからが本題なのですわ。
『国益とは何か。どのように損なうのか。
僕は今がいちばん恥ずかしい』2015年2月6日
http://diamond.jp/articles/-/65837
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一本の巨大な樹木の前で、園内ガイドが立ち止まった。赤ん坊を処刑する際には、足を持って振り回し、この樹木の硬い幹に頭部を何度も打ちつけたと説明する。ロープで縛られた母親は傍で絶叫する。赤ん坊を殺し終えた兵士たちは、次に母親を裸にしてみんなで凌辱し、最後に木の棒などで殴り殺したという。
だからやっぱりわからない。なぜこれほどに人は残虐になれるのか。なぜこれほどに獣性を剥きだしにできるのか。殺さねば殺される。その状況は確かだ。でも自分が殺されるとの危機感が根源にあるのなら、あるいは純粋な歯車になっているのなら、性欲がそれほどに亢進する理由がわからない。赤ん坊をそんな方法で殺せる理由がわからない。
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(文字強調はブログ主による)
私は、例のQAサイト「汚気・愚」(←「OKウェイヴ・おしえてgoo」のことよw)においても、以前の旧ブログでも紹介したことがあるんだけど、
たしか、かつてのソ連で捕虜として抑留されていた兵士の回想で、空腹のあまりに、炊き立ての御飯を思い浮かべただけで、反射的に下半身が勃起状態になった、という話。
いや、笑い事じゃないと思った。
なんでも、脳内で、食欲を つかさどる部分と、性欲を つかさどる部分とは隣りあってるとか聞いたことがあるんだけど、おそらく、男性に特有の現象なのかと思われる。
というのも、私自身の個人的経験における感想の一つでもあるんだけれど、男性の性欲というものは、女性の それと異なり、一歩違えば、攻撃そのものと結びついてる面が大きいように思うから。眼つきにも出るしw実際、強姦などの性犯罪が多いしね。
また、違う角度で考察した場合、
「貧乏人の子だくさん」と言い慣わすコトバにも、ヒントが潜んでいるように思う。
つまり、
自分の身に、何らか深刻な危険が迫ると、どうしても、一種の興奮状態に陥るものだし、男性の場合、その興奮状態と性欲とは、これも繋がっていて、ごっちゃになりやすいものなのではなかろうかと。
これについても、あのQAサイト「汚気愚」で言ったことがあるけど、
残虐性、サディズムとマゾヒズムというのも、個々人のなかで表裏一体を成しているだろうし、
同じように、
一見、別ものに思える、感情と理性との はたらきも、一体で繋がっているものだろう。
他者に残酷な虐待を はたらくということは、可愛いはずの自分をも虐待しているということ、
理性も、自分あるいは大切なものを守らんとする本能的な感情の動きがあったればこそ はたらくもの。
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この原稿を書いている18日(2014年10月)、ラジオ日本の番組で安倍首相が、朝日新聞が従軍慰安婦問題をめぐる一部記事を取り消した問題について、「(強制連行があったという)間違った日本に対する誹謗、中傷があるのは事実だ。日本は毅然として対応していく」と語ったという。
ネットや週刊誌は今も、「朝日は国賊」とか「日本のイメージを大きく損なった」とか「今こそ全世界に向けて日本人の気高さを発信せよ」などの論調ばかりだ。朝日新聞の木村伊量社長を「国会招致せよ」と見出しに謳った『FLASH』(光文社)には本当にあきれた。メディアの存在理由がまったくわかっていない。
書店に行けば、『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(竹田恒泰著、PHP新書)、『日本人だけが知らない 世界から絶賛される日本人』(黄文雄著、徳間書店)、『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』(池間哲郎著、扶桑社)など、恥ずかしいほどに自画自賛のタイトルの本ばかりが平積みされている。
いつからこんな雰囲気になったのだろう。現財務大臣の麻生太郎が『とてつもない日本』(新潮社)を、そして現首相の安倍晋三が『美しい国へ』(文藝春秋)というタイトルの本を出版したころからだろうか。そういえば最近はテレビ番組でも、「ニッポン」や「日本人」や「JAPAN」などをタイトルに謳う番組が増えている。
ここでちょっと考えてほしいのだけど、「私はこんなに素晴らしい」と言う人にあなたは好感を持つだろうか。「私はなぜクラスでいちばん人気があるのか」とか「とてつもない私」とか「誇り高くて気高い私」などと言われて友人になりたいと思うだろうか。こうした書籍の多くは日本の文化や伝統などを賞賛することが常だけど、そんな自画自賛は、まったく日本人らしくないと気づかないのだろうか。
本気で素晴らしいと思っているのなら黙っているほうがいい。あまりに底が浅すぎる。もしも国際的にイメージを損なったというのなら、それはむしろ、歴史から目を逸らそうとする今のこの状況のほうだと思うのだけど。
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(文字強調はブログ主による)
うん。(苦笑)
日本人というものは、なかなかに聡明なのだろうか?否、本当は、すごくバカなのだか、時々あやしいなあと思えることはあるw
たしかに、かつて評された「精神年齢12、3歳なみ」というのは当たっていて、そういうところが、非常な浅はかさとして表出されてしまうこともあるし、
逆に、そういうところが、かえって憎めない、子どもらしくて単純な純真さみたいな面もあるような、、、気もするのだが、ひいき目?(笑)
ここで筆者が仰ってる「いつから こんな」という疑問については、私、これまた、旧ブログでも述べておいたことがあるのだけれど
(空気も読まず、場も わきまえぬ、こういったことばかり書く私が、よりによって産経「イザ!」に飛び込んできたもんだから、一般人用ブログ部門は閉鎖されたのかもなw)、
内海愛子教授の述べておられたことを読んで初めて、
ああー、なるほど、そういうことがあったのかぁ、と思った。
と同時に、
そのとき、
大学で教えるセンセイたちのなかにも、まさに産経(&自民党w)あたりの主張に合致するコラムを寄稿する、なんともキモチの悪い一群れの人々が存在している理由は、これなんだということを知って、げーーーんなりしたわよw
ついでに、
ヒトラー崇拝者とネトウヨの巣窟と化してしまっていた例の「フィロトピア」で「ボス」と呼ばれ、かつ、「2ちゃん」とQAサイト「汚気愚」常連である「ストマッ苦まん」らが、なんだって ああいう、不可解なイヤガラセを連発してきたのかという理由もね。
もちろん、ありゃあ、お門違い攻撃だったわけだけど。
それとねえ。
ウヨ系のひとたち二言目には、これまでの教育、特に歴史教育について、「ヒダリ」に偏っていたから、自虐的だったから云々言うけども、そんなことは ありゃあせんわ。
もっとも、近年の学校の教科書内容は どのようになっていたのか、私は知らないけど、
実際、私のン十年前の中学・高校時代の教科書にも、日本が「侵略」なんて単語は一切なかったし、
その代わりに、「進出」とかナントカって、へんに小ギレイなコトバに言い替えられていて、子ども心にも、「進出」って何なのよ?と、イマイチ要領を得ないなあという中途半端な感想を持ったもんです。
日本が、狭苦しい所からイケイケどんどんと国外に出ばって行って、そこここで やらかしたという、いろんな大事件の説明も殆どは、それぞれにつき、ものの半ページすらも割いてなかったし、
ましてや、いわゆる「従軍慰安婦」のことなんて、全く、記憶に残っていなかったところを みると、そもそも触れられてさえ いなかったのだと思うし。
欧米圏の、と言うと、それは安易な括りかただよ、という お叱りを受けることもあるのだが、
要するにキリスト教圏の人に見受けられるような、自分の境遇や人生が、どんなにもラッキーだったか、いかに素晴らしいものかを、最大限にアピール、表現して憚らない人たちと、
こちら日本人などが披露してみせる そうした たぐいの表現とは、精神の根本からして異なってるんだわね。
そこが、ほとんどの人々には分かってないのだろうなとは思うんだけども。
要は、いまの日本人のなかには、いよいよ、自信を失いかけている人が増えているのだろうかなあ?と私も思うようになった。かなしいね。
お門違いにもヒステリックに、なんら未来志向性に欠けた、後ろ向き姿勢で被害者意識のカタマリに陥ったごとくな弱者叩きぶり。
少し長めの文章にも、読解が ついて行きかねるのか、これじゃあ、義務教育レベルの教科書もロクに読めやしないだろうにというほど、知性がダダ下がり、そういう輩こそが、ネットという舞台を得て、まともな日本語ですらない浅はかなクソ演説を、徒党を組み、物量攻撃だー!それっとばかりに押し寄せてくる。。。
もう、うんざり。
まあ、こういうのも、さしづめ、「ネトウヨ速報」ご愛用安倍政権にとっての望ましい動きの一つなんだろうけどさ(嗤)
遅まきながら、ネットに親しむようになって、まだ間もない頃の私も、
「えっ?ええーっ??いつの間に、こんなことに、、、」
と、ひどく戸惑いを覚えた幾つもの風潮の一つが、それらのことだったんだけど。
しかも、その半面では、
これまでに築いてきた「経済大国」「先進国」の一員でござる、という自負心も手に入れて久しく、
それがアタリマエの日本国だ日本人だという感覚も疑わなくなって久しいわけなのだから、なおさらのこと、あさましいイヤラシサが滲み出てるようなw
しかし、このコラムには、なぜ、ネットじゅうで見かけない日はないような「ネトウヨ」コメの類が一つだに押し掛けて来ていないのだろうかw
時々、こういうフシギなこともあるねww