2023.09.03 (Sun)
前回のエントリー『うんざりする夏の終わりに』に、ちょっと補足しておきます。
というのは、
「『サイコパス』のような子を、どう教育すべきか」
という、難しい問題なのだが、
ヤフゴミ捨て場のなかに、
「小さなワガママを許していては いけないのだ」
というようなことをコメントしているのを見かけたので、逆に、その投稿者や、賛同している人たちに問うてみる。
「小さなワガママ」って、何のことですかね?
私は、幼い子どもらしいワガママは、時には許容してやれば いいと思うし、むしろ、あまりに細かいルールを設定して、子どもが息苦しくなってしまうようなガンジガラメな育て方は、けっして良くないと思う。実際、そうした虐待事件も起きている。
うちの母親の口癖が、
「わたしは過保護だから!」
というものだったがw
のちに、私の苦難を知った他人さんは、
「それは過保護じゃなくて過干渉!」
と、喝破していた。
親父は親父で、もともと、細かい性格だから、子どもに対しても、しょうもないルール設定、過去エントリーでも言ったように、たとえば、入浴時の掛け湯が、上がり湯が、洗面器に何杯まで、とか、そういう、異様に煩いことを言いだすので、
さすがに、このときは母親がタシナメていたものだが、
そういうふうに、一事が万事、自分の示威的・恣意的ルールを押しつけられないなら、今度は逆に無関心になってしまう。
親父については、このトシになっても、いまだに、ふと、まざまざと思い出してしまう光景が ある。
私が幼稚園児か それくらいの頃、
毎度のごとく、両親の大ゲンカが突如として始まり、激昂した親父は、手に握った箸を、母親の眼に、今しも突き刺そうとしたことが あった。
さすがに、それは実行されずに済んだけれど、その一場面だけが、いまでも、急に脳裡に浮かぶことが ある。
もう一つは、
やはり幼い頃、両親の大ゲンカに割って入ろうとして、母親を つかんで殴りかかろうとしている親父の腕に すがりつき、どうか やめてほしいと泣きながら頼んだら、
一瞬、私のほうを見遣った親父は、ニヤリと哂っていた。
また、両親は、二人とも、それぞれに、殊更、人前で、私を辱めるのを楽しんでいた。
障碍を負わせた私を。
学校時分は、母親を心配して、修学旅行さえも躊躇った私が、自活を始めてから、ただの一度だって、実家に戻りたいなんて思うどころか、そんなことになったら、死んだほうがマシだと思ってきたけれど、
両親ともに亡くなった いまは、自分一人で、とにかく静かに、地に還りたい、あの猛々しく騒々しかった親らの墓にだけは、ぜったいに入りたくないと思う。
過干渉は、子の人生を歪めてしまう。
干渉し過ぎる親は、肝心なときには、本当の意味では、子を守らない。
自分の不安や利害意識からの干渉、すなわち、自分の つごうで支配し、コントロールしようとしているだけ。
子を持ったことのない私が、
親に逆らえるくらいの力、体力的にも頭脳的にも、対等に近づいてきたら手遅れだということを言ったのは、
たとえば、
まだ ごく幼い頃の子どもが、何かしら気に入らないことを されたというので、年齢が近い子に対して、本気で叩きに行ったりして、相手の子を泣かせてしまったりということは、わりと よくあることだと思うけれど、
そういうときに、自分の子に、
「あんたも、同じように叩いたろか~」
と叱って、
実際そのように叩いたとしたら、たぶん、ほとんどの子は、エーンと泣きだすのだろう。
でも、そのあと、膝にでも乗せて、おだやかに諭してやれば、だいたいは素直に、そういうことは やっちゃいけないんだなと、幼心に少しずつ理解していくのだろう。
ちなみに、
「あんたにも同じように やっちゃろうかぁ」
というのは、これも、うちの母親が、よく言ってたセリフなんだけどw
もっとも、
娘である私自身は、いたって素直な子だったからw自分が言われたのでは なく、
ある日のこと、小学生と思しき、よその子が、何か悪いことを、たしか、近所の庭で咲いている花をポキポキ折りまくってたのを見かけたときに、
「あんたの首も、ポキッと折ったろかあ~うひひ」
などと、お得意のセリフで怖がらせてやったとたん、その子は、即座にピューーーと逃げ去ったそうなww
しかし、なかには、自分が叩いたのは、叩くだけの理由が あったのだからと、かえって、叱った親を恨む性質の子も いるかもしれない。
まずは、その子なりの、怒りの原因を聞いてやることだと思う。
そのあとに、
でも、いきなり、相手の子を叩くのは いけないよ、いやなことを されたのなら、いやだから やめてね、と言うことが大切だよ、いきなり叩いたら、自分が悪いやつにされちゃうんだよと、
要は、自分にとっての「損得」を分からせること。
これは、『サイコパス』の場合に限らず、一般的な性質の子にも言えることだろう。
そもそも、おとなになっても、自分自身に降りかかって直面しないうちは、たいがい「他人事」なのだ。
もともと、自分本位が基本なのは、一般的にも同様。
ただ自己利益や損得を計算し、辛うじて、自分を律しているなんてことは、サイコパスでない、ほとんどの人も そうだろう。
それでも、
大多数の人は、成長するに したがって、多かれ少なかれ重ねた経験・体験を もとに、想像力を養い、他者のことにも配慮が、多かれ少なかれ、できるようになっていく。
自分が、多少の不快な思いを させられたとしても、もちろん、損得計算を働かせる、それだけでは なく、他者の置かれている立場や、自分とは異なった感覚や考えかたも あることを、多少なり考慮できるように なる。それが、精神的に成長するということだろう。
自分本位というのが、『サイコパス』や『自己愛性人格障害』や、ある種の『発達障害』には特異に顕著な性向なのであれば、せいぜい、そこを利用するように躾けるしかないのでは なかろうか。
自己利益や損得計算だけが突出していて、極度の「他者への想像力不足」は、どうやっても なおらないのであれば。
もちろん、ふつうレベルの感覚の人は、ましてや親とか先生とか、教育するべき立場の おとなだったら、これはイカンと思えば、厳しく叱ったりも するはずなんだけれど、そうすると、逆恨みするのよね。
そもそも自分側に原因が あるということを指摘してみても、そんなことはガン無視。自分本位制だから。
かくて、ひたすら、被害意識を積み重ねていくってわけだ。
たとえば『少年院』とかさ、ああいった矯正や更生のための教育施設を出たあと、なぜか、もっとワルくなったってな話も聞いたことが あるんだけど、
もしかしたら、
一つには、「逆恨み」する癖とか、ただ「被害意識」だけを募らせてしまう性質も原因なのかもしれない。
悪気が、というか、自分が犯したことに対する罪悪感や良心の咎め、というものが非常に希薄だと、よけいに、そうなってしまうかも。
それだけに、
とにかく自分をヨシヨシしてくれて、何でも肯定してくれる相手は、好き勝手でき、気分が良いから、みずからも、その相手の味方を することに努める。それが、自分は「義理堅い」んだというカン違いにもなってるんだろうけどw
けっこう多く見かけるわな、こういう手合いは。単に、自分の利害と一致してるから癒着してるだけなんだけどねww
で、
そういうふうに肩入れし合っていた相手が、何かの ひょうしに、意見や見解や方針を違えたとなると、ソッコーで、「裏切者ー!!」と叫びだす。
最後は必ずのように、「勝ち負け」を問題にするんだwww
そういうパターン。
【続く】