2023.09.03 (Sun)
『サイコパスの教育方法(?)』の続き。
『サイコパス』というのは、私から見れば、むしろ、非常に子どもっぽいようにも思える。
幼児的な感覚や狭い視野のまま、オツムの狡猾さと身体だけが大きくなったような極度のアンバランス。
だからこそ、自分本位の思惑や欲求を満たすことには、年齢を重ねるごとに、こまかく計算できるようになり、確実に達成するための小細工に余念が ないけれど、
いざ達してしまったあとのことはスッコ抜けていたり。
大概は男性に多いパターンやタイプと思うんだけど、
緻密なんだかズサンなんだか、よくワカランのは、まさに、『札幌』市の事件の下手人となった女が そうだ。
ところで、
旧ブログを やってた頃に、同じサイトのブロガーの一人で、ご本人も、ご亭主も、比較的軽度の知的障害であるが、夫のほうが、本人よりは もっと軽度だと言っていた人が いたのだけれど、そのせいなのか、
「夫は、なぜか、いつも心配そうな顔で、私を見る」
とも言っていた。
そして、
子どもは『発達障害』で、かなり困らされたことも吐露していた。
と言うのは、特に手を焼いたのが、嘘を つく癖が あったから、と。
ただ、その嘘の内容も、とくに悪気が あるわけでは なくて、ほんとうに、しょうもない場合が多かったのだそうだが、親としては、そのあたりのことは承知していても、事情を知らない他人さんは振り回される。
そういうことが繰り返されたので、子どもに、嘘を つく理由を聞いてみたことが あったと。
なにがオモシロイのかと重ねて聞くと、
嘘だと知らずに、あたふた慌てている人の ようすを見るのがオモシロイと。
それだけのことなんだと。
で、
親として、嘘を つかれて振り回される人の迷惑を考えなさいよと諌めて、以後、社会人になり、年齢を重ねるとともに、徐々に改善されていき、いまでは、ほぼ、そういうことは なくなったと言っていた。
もう一つの事例。
これは、もっと深刻な話で、私の母親から聞いていたことなんだけど。
ただし、うちの母親も、脳の異常のせいなんだかなんだか知らないが、たまに、とんだ作話を口走ることが あったのを、いまでは、私も気づいている。
さて置き、
数十年後の今は、詳細な部分や結末などは、記憶が少し曖昧になってしまってるものの、おおよそ、こんな話だった。
むかし、うちの母親が若かった頃、当時の住まいだったアパートの共用廊下だったのだろうか、たまたま通りかかった2階の窓際で、幼稚園か小学校の1年生だったか、それくらいの年齢の女児が、両手に、なぜか、煉瓦を一つ抱えているのを見かけて、怪訝に思ったという。
女児は、無感情な顔で、さっきから、何かを待っているらしく、じいっと、下の通りを見下ろしていた。
私の母親が目撃したのは、そこまでだったと言っていたような気もするが、
その後、いきなり、窓の下の道へ向けて、手にしていた煉瓦を投げ落としたのだという。
ちょうど そのとき、くだんの女児と年齢が同じくらいの女の子が通りかかったところだった。
幸い、直撃を免れた女の子は、その頭上に煉瓦を投げ落とすべく待ち構えていた女児にとって、何の理由なのだか、とにかく、気に入らない相手だったらしい。それで、相手が、窓の下を通りかかるのを、根気よく待ち構えていたそうだ。
ちなみに、
この女児、私の義理の姉(←親父側の長女)だったとか言ってたっけか。もしかしたら記憶違いかもしれないけど、
たしかに、一回り以上も年長の義姉には、幼かった私も、両親の眼が届かないところを見計らったようなタイミングで、なんとも陰湿なイヤミを言われたり、ねちっこいイヤガラセを さんざん やられたし、
人並みに嫁いだあとも、みずから起こしたトラブルだらけで、
ついには『自己愛性人格障害』という診断を下されている。
サイコパスとか、あるいは自己愛性人格障害とかも、私の見るところ、どうも、通常レベルの人の何倍かは、「逆恨み」する傾向が あるように思える。
要は、非常に自分本位な考えで、怒りや憎しみを激しく募らせたり、
それは もちろん、客観的な立場から見ると、お門違いだったり、なぜ、そんなことで、、、と、唖然とするような理由だったりする。
しかも、
自分こそが、他者に対して、無礼を はたらき、不快な思いを させていることには無頓着という以上に、当然だというナゾの優越感覚で棚上げしている。自分本位だから。
そうして、
まだ幼い頃から、早くも計算高いだけに、まともに反発したら、自分のほうが危ういと分かってる相手には、「面従腹背」ってのか、少なくとも表面だけでも逆らわないどころか、積極的に諂いも する。
権力が大好き、権力崇拝だからかね(嗤)
そのかわりに、
自分よりも弱そうな立場とか、逆らうのが困難な状態にあると見た者へ向けて、大いに八つ当たりする。
こういう傾向の事件、街なかでも時々起きてるでしょ。
無関係の歩行者に向かって、いきなり、車で突っ込んでいった理由が、ストレスとか、女にモテないからとか、交際相手にフラレてムシャクシャしたから、とかってさ。
ある意味では、過敏とか、病的に敏感とも言えようけれど、
だが、
札幌市の事件のように、「腫れ物に触ら」ぬような育てかたは、やっぱり、間違ってるわな。
そのくせ、
見ようによっては、「経済的虐待」とも言えそうな、
何を買うにも、どこへ行くにも、常に父親頼み。
父親が いないと、どこにも行けない、何も買えない。
あげく、
年齢も父親に近い、けったいなコスプレ趣味も、なんだか、父親に似ているオッサンを襲ってしまった。
とにかく、自分は悪くない、自分を思いどおりにさせてくれない、自分に不愉快な思いを させた相手が悪いんだ、という感覚が滅法つよいのかな。
過去エントリーでも、おりに触れて、これらのキーワードに なり得るのでは ないだろうかという指摘を述べてきた。それは、
(リクツ抜き・自分本位な)「被害意識」だ。